わたしの愛した知らないあなた  〜You don’t know me,but I know you〜

藤野ひま

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連絡1.

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「一花、どうしたぼうっとして」

 一花は低い声に反応して上を見た。

「鬼塚さん……」

 背が高く体格のいい青年が上から見下ろしている。気づくと手の中の、コーヒーの入った紙コップはもうぬるくなっていた。

「珍しいですね。鬼塚さんがまだ会社にいるなんて」

 鬼塚が自分のカップを一花のいたスタンディングテーブルに置く。
 会社の昼休み、事務職の一花はよくこうやって会社内の休憩兼カフェコーナーで過ごすが、営業の鬼塚がいるのは珍しかった。

「一度出て、戻ったんだよ。また出てく」

 そう言って自分のコーヒーを飲んだ。

「お疲れ様です」
「おう。で、どうしたんだ? いつにも増してぼうっとしてるぞ」
「え、あ、そうですか?」

 一花は気の抜けた声で答える。

「なんだよ、奴だってもう二、三日で戻って来るんだろ?」

 いきなり言われて一花はたじろいだ。

「……あと三日です」
「じゃあ、いいじゃないか。向こうの商談もうまくいったみたいだし、機嫌よく戻ってくるさ」

 言われて一花は頷いた。
 わかってはいる。わかってはいるんだけど。

「どうせ、電話かなんかはしてるんだろ?」
「う……」

 その言葉を聞いてテーブルの上に突っ伏してしまった一花を見て、慌てた声で鬼塚が言った。
 
「って、おい、連絡とってないのか?」
「いえ、全くしてないわけではないのですが……」

 一昨日声聞いたけど。ちょっとだけど。
 
 榛瑠はSNS嫌いで連絡を取るときはメールでやりとりした。と言っても色々長々と送っても、「了解」とか「おやすみ」とかそんなんばっかりだし。電話は仕事中だったりすると悪いのでこちらからは入れられなかった。やっと一昨日電話してきて勢い込んで喋ったら、

「わかりました。帰ったらまた聞きますので。こちらは変わりありませんのでご心配なく。社長も元気ですよ。というか無駄に楽しんでて迷惑です。あ、娘から電話きたら馬鹿みたいに喜ぶと思いますよ?じゃあ」
 
 って言って、切っちゃうし! 何よそれ、二週間近く放っておいてそれ⁉︎ っていい加減ブチ切れて、迷惑承知で怒りメールして。

 そしたら……。

『あんまり声を聞いていると会いたくなるでしょう?  予定どおり帰国できそうです。そしたら今までの分取り返すので覚悟して待ってて』

 って返信きて。覚悟ってなに? なんの? あー思い出すだけでなんか……。

「一花、お前ヘンだぞ」
「へ?」

 一花は顔を上げて鬼塚を見た。精悍な顔が笑いを浮かべてこちらを見下ろしている。

「暗い顔してると思ったら、いきなりにやけて。不気味」

 一花は顔が赤くなるのがわかった。

「だ、だって」
「ま、もうすぐだって」

 それが、逆に辛いんだって言ったら伝わるかしら? もうすぐって思うと、なんだか我慢が効かなくなってくるというか。どうせ榛瑠は涼しい顔で戻ってくるに決まってるんだけど。考えただけで悔しい。早く帰ってきてよ、馬鹿。

 じゃあ、行くわ、と鬼塚は言って一花の頭に手をおいて彼女のセミロングの髪をわしゃっとした。

「わ、やめてくださいってば」

 鬼塚は笑ってテーブルから離れる。

「月ちゃんに言いつけるから!」

 一花が髪を直しながら言うと、鬼塚は振り返ってニヤッとした笑いをした。
 なによ、余裕なんだから。

 そのとき、聞き慣れた電話のコール音が聞こえた。一花は持っていたポーチから取り出してでる。

「もしもし?嶋さん? どうしたの?」

 嶋さんは長い間一花の住む舘野内家の屋敷で執事をしている。でも電話をよこすなんて滅多にない。一花の胸に不安がよぎったが、なるべく明るい声を出した。

『お嬢様、申し訳ありません。今、少しよろしいでしょうか?』

 嶋さんの声はいつも通り落ち着いた温かいものだった。

「大丈夫よ」
 
『実は……』


        
      ♢      ♢      ♢     ♢

 

 鬼塚は何気なく振り返った。と、電話している一花が目に入った。そのまま自分の部署に戻ろうとして、なにかが引っかかってもう一度振り返った。

 一花が電話している。テーブルの向こうの窓からいつもと同じ風景と明るい光が入ってきている。
 そろそろ休憩時間が終わるので少しずつ社員が自分の持ち場に戻り始めている。ざわざわした音が通低音のようにしている。

 おかしいところはない、はずだった。でも違う。なにが? 

 一花だ。

 電話をしているはずなのに、全く口が動いてない。というか、全身固まったように微動だにしていない。
 鬼塚は再び一花の元に行くと声をかけた。

「おい、どうした?」

 一花は前をむいたまま返事どころか視線も動かそうとしなかった。

『お嬢様? 聞こえてますか?』

 電話口から聞いたことのある壮年の男性の声が聞こえてきた。鬼塚は一花から電話を取り上げる。表示は思ったとおり嶋さんになっていた。

「嶋さんですか?  鬼塚です。なんだか一花の様子がおかしいんですが、どうかしましたか?  社長になにか?」

『ああ、鬼塚さんですか。よかった。お嬢様は?』

「なんだか、ぼうっと突っ立って、あ、待って下さい」

 一花が鬼塚の方を見た。「鬼塚さん……」と小さく呟いて何か言おうとする。

「いいから、お前、ちょっと座ってろ。嶋さんと話すから」

 鬼塚は窓際の椅子に一花を座らせた。

「すみません、嶋さん。一花はとりあえず大丈夫です。私に話してもいいことなら聞かせてもらえますか」

『実は……社長の乗った車が……』

 一通り聞いた鬼塚はいったん電話を切ると、一度深く息を吐いた。それから一花を見て言った。

「一花、大丈夫か?」
「……大丈夫です」

 一花は下を向いたままくぐもった声で答える。

「じゃあ、今すぐ早退届出してこい」
「早退?」
「帰れ。どうせ仕事にならないだろ」

 一花が鬼塚を見上げた。

「ごめんなさい、私、良く分からないんだけど……」
「俺もよく分からん。嶋さんもよくわかっていないらしい。とにかく、社長の乗った車が現地で事故に巻き込まれたみたいだ。ただ、死亡者も重傷者もいない、と嶋さんは言ってた」
「……本当かな?」
「嘘をついてもどうせわかる。とにかく社長は無事らしい、よかったな」
「……榛瑠は?」

 一花が震える声で鬼塚に問うた。

「同乗していたみたいだな。でも……。あ、そうか」

 鬼塚はあることに気づいた。

「鬼塚さん?」
「多分、早川が一番早く情報を持ってるはずだ。聞いてくるわ。ついでにお前んとこの上司にも体調不良って言ってきてやるよ」
「でも……」
「一花はここにいろ。いいな?」

 鬼塚はまだ何かいい足りなさそうに見上げる一花の前に膝をついた。

「いいから動くなよ? お前に何かあったら俺はガチで四条に殺されかねないんだからな」

 一花はふっと小さく笑った。

「そんなばかな……」

 鬼塚は一花に向かって笑顔を作ると、すぐに上階の秘書室に向かった。
 思った通り秘書課は異様なばたつきようで、その中から早川を捕まえて煩がられながらも話を聞く。

 極秘だからと言いながら、それでも鬼塚を信用して早川は知っていることを一通り話してくれた。

「で、つまり社長はかすり傷で、ほかの社員と既に帰国手続きに入ってるらしい」

 鬼塚は戻ると、そう一花に話した。休憩室は人気がなくなりぽっかりとした明るい空間に戻っている。

「……よかった」

 一花がボソッと言って弱々しい笑顔を見せる。

「結局、入院したのは四条だけらしいな。あいつともう一人、面倒見るために残す社員は後からの帰国だそうだ」
「……うん」
「でも念のための様子見で、命に別状はないらしいから。まあ、社長のことをかばっての怪我らしいから怒ってやるなよ?」
「怒んないよ」
「で、お前だが。本当は俺が今から屋敷まで送ってやれれば良いんだがこの後商談でさ。一人で帰れるな?」

 鬼塚は言いながら、子供じゃあるまいし、と自分の言動を思った。でも、一花相手だとどうにも心配になる。

「あ、そうだ、仕事! 鬼塚さんすみません。私は平気なので行ってください!」

 いきなりはっきりとした面持ちで一花が言う。

「ああ」
「それに、帰りません。だいぶ落ち着きました。就業までやってから帰宅します」
「はあ~?」

 鬼塚は眉をよせる。強面な顔がますます怖くなる。

「なに意地はってるんだよ。引き継ぎあるならそれだけしてさっさと帰れ。やることあるだろう」
「え? 何を?」
「何って、聞いてなかったのか? 嶋さんがイスタンブールまですぐ手配すると言っただろうが。パッキングまで人任せなのか、お前?」
「え? イスタンブール?」

 本当に一花は聞いていなかったようだった。

「そう、そこの病院に四条が入院しているんだ。まだ、戻ってくるまで日にちがかかるみたいだし行くだろ?」
 
 一花は目を見開いて鬼塚を見ると瞬きをした。それから、きっぱりと言った。

「行かない」
「え?」
「あ、鬼塚さんは仕事戻ってください。すみませんでした。ありがとうございました」

 そう言って一花は鬼塚に深々と一礼すると歩き出した。

「おいっ」
「本当に大丈夫! 心配かけてごめんなさい!」

 そう言って一花は足早に休憩室から出て行った。

 
 

 
 
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