わたしの愛した知らないあなた  〜You don’t know me,but I know you〜

藤野ひま

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冬空1.

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 一花はいくつかの私物を、いつものようにデスクの引き出しに入れて座った。朝からため息が出そうになるのを我慢する。

「よう、おはよう」

 後ろから声をかけられる。

「おはようございます、鬼塚さん」

 振り返ると、あいかわらず背の高い彼が後ろに立っていた。

「土産」

 鬼塚が一花に差し出したのは、長い棒のついたキャンディーだった。昨日の午後、海外出張から帰ってきて今日から出社なのだ。

「ありがとうございます、本当に買ってきてくれたんですね」
「おはようございます、一花先輩。いいなあ、お土産」

 ちょうど隣のデスクに後輩の篠山が出社して来て言った。

「篠山も欲しいか? まだあるからやろうか?」

 そう言って鬼塚は彼女にも一本差し出す。

「え、ありがとうございます!」
「いくつ買って来たんです?」
「適当だよ、そんなもん」

 話してる横で、篠山が甲高い声をあげた。

「え! 何ですかこれ!」
「? なに?」
「一花さん、よく見て、これ! 私ダメ、こういうの!」

 一花は手にしていたキャンディーを見る。棒のついた透明な飴の中心部に何かある。
 え……、これって。

「ムシ⁈」
「食えるやつらしいぞ」

 鬼塚が悪びれなく言う。

「え、まさか、月……彼女にもあげたんじゃないでしょうね」

 一花は顔をしかめた。昨日、月子は休みをとっていたから会っているはずだ。

「そんなことしたら嫌われて振られますよ!」

 篠山が顔をしかめたまま言う。

「面白がってたぞ」
「え~うそ~」

 篠山さんでなくても普通は嫌がるよ、さすが、月ちゃん……。

 その時、フロアの入り口で篠山さんを呼ぶ声がした。彼女と仲のいい同期の女の子だ。

「ねえ、聞いてよ~」

 篠山はキャンディーをもったまま、彼女のところへ行って立ち話を始めた。
 二人になったところで鬼塚が一花に向き直った。

「お前、会社休まずに来てるらしいな」

 そう言って、頭をくしゃくしゃする。やめてください、と言いながら一花は思う。

 鬼塚さん、月ちゃんから聞いたんだな。榛瑠と別れたこと。
 本当はあの日、家に戻った後、何もする気になれなくて、ベッドで丸まっていた。
 どれくらい泣いたのかもぼんやりしているが、多分泣いたのだろう。だがそれより、やたらと頭が痛かった。頭だけじゃない、お腹も、全身。
 顔も腫れてひどくて、いっそ月曜日は休もうと思っていた。でも、思ったのだ。じゃあ、火曜日になったら元気になるの? いつまで休むの? 仕事はどうなるの?
 そう思ったらバカらしくなって、そこから慌てて顔を冷やして、そうやって毎日すごして、今日はもう、木曜日だ。

 時間はきちんと変わらず過ぎていく。

 鬼塚にどう言おうかと思っているうちに篠山が戻って来た。

「ねえ、一花先輩、週末に飲み会行きませんか? 知り合い集めるので」
「はい?」

 いきなりの話に一花は問い直した。

「メンバーあと一人欲しいんです。お願いします。一花さんなら他の子も賛成だって」
「え、いや、私は……」
「行ってこいよ」

 頭の上から太い声が降ってきた。

「え? 鬼塚さん?」
「行け。どうせ暇だろうが。お前も、いつもいつもクソ真面目でなくていいんだぞ」
「え、でも、そんな気には」

 断ろうとすると篠山が早口で言った。
 
「そうですよ、普通に楽しんで飲むだけですから。美味しいお店予約してあるし、行きましょ」

 断りきれない私を見て、篠山さんが時間などを言ってくる。ちょ、ちょっと、待ってよ~。

「ま、楽しんでこいや。あ、佐藤、さっきの件、よろしくな」

 鬼塚が離れたところにいた佐藤に、声を大きくして言った。パソコンを起動しようとしていた佐藤が手を振る。
 その手に持った棒付きキャンデーがぶんぶんと揺れていた。

        ◇

 開始三十分、一花は一人テーブルのすみでグラスを傾けていた。
 大きなテーブルでは、暗めの照明の中、男女各三人がそれぞれ楽しそうに談笑している。その中にはもちろん篠山もいた。

 だからね、来るのイヤだったのよね。

 顔には出さないまでも、苦々しい気持ちでお酒をチビチビ飲む。

 こういうとこの空気読むの本当に苦手だし、第一、みんなあからさまに年下じゃない?

 篠山さんがくる途中に「私の大学の同級生の男に頼んだんです。友人や後輩を呼ぶらしいのでよろしく!」

 とか、一緒にいく女の子たちに言ってたけど。

「それって年下ありってこと?嬉しい~」

 なんて声の横で私は限りなく不安だった。だって、彼女たちより年下って私からはもっとだよ?

「一花さん、そんなんでよく知ってるヤツなんで。いいヤツだからツレも絶対に大丈夫ですから。」
 
 篠山さんが言ってきたけど。

「あれ? もしかして一花さん年下ダメな人ですか?」
「そんなことはないけど……」
「ですよねえ、今時!」

 と、あっかるく篠山さんは言ったけど。わかってます? 私が気にしなくても相手が気にする可能性はあるのよ? ものすごく。
 で、私の不安は大的中で。

 一花は酔い過ぎないように、目の前の料理も適当に食べる。
 まずくはない。でも、べつに、だなあ。
 そういえば、昔も篠山さんに合コンに誘われて、結構酷い目にあったことがあったなあ。彼女に悪気はないし、そもそも彼女のせいでもないけれど。
 相手が悪かっただけで。薬飲まされたり辛かったけど、あの時は榛瑠が助けてくれた。

 一花は胸に何かこみ上げそうで、気持ちを変える。

 まあ、助けてくれたって言っても、後でそれはそれでからかわれたけど! 冷静に考えれば結構ひどくない?

 そこまで考えて、一花は立ち上がった。

「一花さん?」

 篠山が気づいて声をかける。

「あ、ちょっとお手洗い。ごめんね」

 そう言って離れると、狭い通路を抜ける。

 ダメだ。いらない事思い出した。ダメ。こんなところで悲しくなっててどうするのよ。

 一花は洗面所で気分を落ち着けると、しばらくしてから元の通路側の席に戻った。
 適当なところで帰りたいなあ。そんな事を思っていた時、

「一花さん、帰っちゃったかと思いましたよ。こんばんは」

 後ろから耳元近くに声をかけられて、一花はびくっとしてふりかえった。
 そこに大学生っぽい男の子がいた。なに??

「すみません、遅れちゃって今来たんです。あ、横の席、入れてください」

 そう言って空いていた一花の隣に座った。そうしているうちに店員がビールを持ってくる。彼はそれを受け取ると美味しそうに飲んだ。

「あー疲れた。バイトしてきたんですよ、ほかの……。あれ、一花さん、もしかして僕のことわかってない?」
「え?」

 誰? こんな年下の男の子の知り合いなんていたっけ?

「え、マジ? うわっ、ショックだなあ」   

 でも、言われてみればどっかで見たような……。どこだっけ?

 一花はいろいろ考えてみる。大学の後輩でもないし、他に出会いそうな場所は、仕事? ……バイト……?

「……あ! ノコさんところのお店のバイトさんだ!」
「あたり! あーよかった。思い出してもらえて」
「ごめんね。服装違うから、わからなかった」

 申し訳ない気持ちで謝ると、彼は笑った。
 そうだ、バイトでウェイターやっている子だ。須賀くん、だっけ。
 お店では白シャツに黒のエプロン姿だからわからなかった。今はパーカーにジーンズというカジュアルな格好だ。

「え、でもなんで?」
「幹事が僕の大学の先輩なんです。今日の相手の会社名聞いて、まさか、と思いましたけど、本当に会えるなんてめちゃくちゃびっくりです」

 そう言って須賀は一花の隣で笑う。

「ほんとだねえ」

 一花はグラスを口にしながら、改めて須賀を見た。
 私服だとバイト先で見ていたのより少し幼く見える。というか、年相応なのかな。確か……。

「須賀くん、大学二年生だっけ」
「そうっすよ」

 そう言いながら、お腹すいたあ、と大皿に残っていた料理を勢いよく食べる。

 こんな人だったっけ? お店ではちょこちょこと合間に話したことあるけど、それでも数回だし……。
 でも、柔らかそうな明るめの茶色の髪と人懐こい笑顔はそのままだ。

「さっき、バイト帰りって言ってたよね。ノコさんとこ以外にもやってるんだ?」
「そうです。ノコさんとこすごい好きなんですけど、賄いうまいし。でも、あんまバイト料はよくないんで、って言うのは冗談で、時間あるんで」

 そう言ってまた笑う。

 実際、新しく出したお店だし、本当にそこまでバイト代はよくないんだろうな。でも、いつも働いていた姿が気持ちの良いものだった印象がある。

「あ、いっぱい食べて。なんなら私のもあげようか?」
「一花さん、おかん入ってます。僕のことガキだと思ってるでしょう」
「え、いや、えっと」
「言うほど、そんなに年変わんないじゃないですか。片手で足りてますよね? 一応、この席いわゆる合コンってヤツなんですよ」

 そう言って、須賀はかっこいいとかわいいの中間みたいな顔立ちで、ふくれっ面をする。

 いや、なんか、ガキっていうか、えっと、そう、ちょっと子犬みたいなんですけども……。

「ごめんね。私、こういう席って慣れなくて……」

 須賀は明るい笑顔を向ける。

「一花さん、かわいいですね。あ、なんか飲みます? 空じゃないですか。あ、すみませーん!」

 須賀は近くを通りがかった店員を呼び止める。一花のあんまり飲めないからという言葉は却下されて、チューハイが注文される。
 須賀のペースに巻き込まれながら、一花は、かわいいって言われてもなあと思っていた。

        ◇

「一花さん、大丈夫ですか?」

 須賀が一花の横を歩きながら、困ったような顔をしていた。

「全然、大丈夫だよお」
「ああ、もう、背中叩かないで。めっちゃ酒弱いですね」
「なによ、篠山さんといい心配しすぎよ」

 店を出て解散する時、篠山も「一花先輩ほんとに平気?」ってずっと心配していたのだ。大丈夫なのに。

「だって、まっすぐ歩けてませんよ? まあ、いいですけど。ほら」

 見ると一花に向かって右手が差し出されていた。一花は何も考えずにその手をとる。
 須賀は笑った。一花もつられて笑う。

 冬の始まりの夜はすっかり寒くなっていたが、週末の繁華街には人が溢れている。その人混みと街の明かりの中を、一花は手をつなぎながらいい気分で歩いていた。

 いい気分? なんか、おかしいな。でも、まあいいや。楽しい、で。いいや。

「あれ?」

 須賀が歩きながら小さく呟いた。彼の見ている方に一花も視線を向ける。
 そこに背の高い、スーツを着た男と、彼と腕を組む女性が歩いてくるのが見えた。

 榛瑠と美園さんだ。一花は自然と足が止まる。
 やがて二人が近くまで来た。

「こんばんは」
「……こんばんは」

 榛瑠に一花は苦い思いで、それでも一応言葉を返す。
 美園は無言で一花たちを見ている。自分の腕を榛瑠の腕に巻きつけたまま離さない。でも、それが不自然になぜか見えなかった。
 一花は自分が須賀と手をつないだままなことに気づいてほどこうとした。が、強い力で握り返されてほどけない。

「こんなとこで会うもんなんですね。デートですか?」

 須賀の屈託のない問いに、榛瑠は曖昧に答えた。

「そういうわけではないです。それより一花さん酔ってます? 大丈夫ですか?」
「大丈夫です。そんなに飲んでませんし」

 美園は笑ったようだった。
 この人、お酒強そうだよね。

 一花は何故か二人がすごく大人のカップルに見えて、引き換えに、自分がひどく子供っぽく思えて、なんとも言えないモヤモヤした気持ちになった。

「本当に? なんなら車でお送りしましょうか?」

 榛瑠は心配顔で聞いてくる。親切だかなんだか知らないが、うんと言うわけないのにな。

 一花が断る前に先に美園が言った。

「えー嫌だ。この後一緒に過ごす約束じゃん」

 一花はむかっとしたが、なるべく冷静に返した。

「本当に大丈夫です。心配してもらわなくても」
「結構、大丈夫に見えてないんですよ、一花さん」

 隣で須賀が明るい声でいった。

「でも、僕が責任持って送るから大丈夫です!」

 榛瑠は一花を見る。
 
「ほんとに平気。高橋さんに途中から迎えに来てもらうし。あなたが心配することじゃないわ」
「信用してほしいなあ、四条さん」

 榛瑠が改めて須賀を見た。

「失礼ですが、以前に会ったことが?」
「ノコさんのお店にバイトに来てる須賀さん。この前はお休みでいなかったけど……。以前はあなたも何度か会ってるわ」

 須賀の代わりに一花が説明する。

「そうでしたか。失礼しました」
「あ、事情知ってるんで気にしないでください。で、僕を信用して下さい。大丈夫っすから」
「……わかりました。では、お嬢様をよろしくお願いします」

 そう言って榛瑠たちは立ち去った。

 なんだろうな、あれ。お嬢様は大事にっていうのだけ彼の中に残ってでもいるのかしら。……迷惑。中途半端な優しさは迷惑だわ。

 そう思いながらもその背中を追ったままの一花に、美園がちらっと視線を向ける。その顔は笑っているようだった。
 一花は視線を背けると、まだ握ったままの須賀の手をほどくと歩き出した。

「あ、待ってくださいよ、一花さん」
「須賀くん。ごめんね。嫌な思いさせて。でもおかげで酔いも覚めたし、もう平気。ありがとう」
「え、ダメですよ、送ります。今、約束したばっかだし、僕だって」

 親切で言ってくれているとは思う。自分の態度もどうかとは思う。でも、正直、一人にして欲しかった。
 一花は須賀に大丈夫だからと言って、そのまま振り返らず歩いた。
 
「そういうけど。ねえ、一花さん。ガキの経験値あげる手伝いしてくれませんか?」

 なんのこと?
 一花は口には出さず、横を歩いている須賀を見た。

「女の人を慰めるっていう経験ですよ。チャンスください。やったことないんで。ほら、僕、ガキだし」
「何言ってるの」

 一花は笑ってしまった。相変わらず須賀は明るい笑顔を向けてくる。そして、一花の手を自然にとった。

「手、冷えちゃってますよ。体冷えると女の人は良くないんですよね? 寒いとね、気をつけないと、心もやられちゃいますよ」

 落ち着いた暖かい声だった。須賀の手はあたたかかった。

 もうダメだ、一花は思った。
 なんか、もうダメだ。ダメな事はわかってた。わかってて何とかしてきたのに、でも、もうダメだ。

 思った途端に大粒の涙が溢れでた。

 堪えようとして嗚咽が漏れる。止まらなかった。こんなに涙が出たのは、榛瑠に別れを告げられたあの日から初めてだった。

 須賀がそっと一花を抱き寄せる。
 通りすがりの何人かが二人を見ていく。須賀はその視線から一花を隠すように、冷たさから守るように、抱きしめ続けた。

 
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