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涙雨1.
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「一花さん!」
会社を出たところで、不意に呼び止められて一花は振り返った。
冬の陽は帰社時間にはもう落ちていて、冷たい空気をクリスマスの電飾が照らしている。
振り返ってみても、誰が呼んだかすぐにはわからなくて、視線がさまよう。
その人が再び名前を呼んで自分の前に立った時、急に現れた気がして一花は驚いた。
「一花さん、目の前にいるのに。こんにちわ、久しぶりです。……どうかしました?」
「あ。ごめん。なんかびっくりして。どうしてこんなとこにいるの? 須賀くん」
一花は合コンで会った以来の須賀を目の前にして聞いた。相変わらず人懐っこい笑顔をしている。
「今日、バイトがない日なんですよ。だから、暇で」
「そうなんだ。でも、この辺、遊ぶところなんてないよ?」
須賀は笑った。
「わかってますよ、それぐらい。一花さんに会いにきたんですって。すれ違い覚悟できたんですけど、会えてよかった」
ニコニコしながら言う須賀を、一花は再び驚きながら見た。
私に? なんで?
「暇なんですよ、食事でも行きませんか?」
「え? えっと」
「あ、用事ありますか? じゃあ、別の日でもいいです。とりあえず連絡先教えてください。連絡とれないんだもんな」
「え、えーと、えーと」
一花は話についていけなくてうろたえる。須賀はそんな一花を気にせずアドレスを聞き出して登録する。
「で、どこ行きます? あ、あんまり飲ませる気は無いから大丈夫ですからね。なんかうまい店がいいよね。決めていい?」
「あの、あのね、ちょっと待って。私……」
そんな気分じゃ全然無いんだけど。が、須賀は気にする様子をみせない。
「行きましょ、一花さん。バイト代入った今のうちなんですから」
ええ~と思いつつ一花は何となく周りを見渡した。別に知り合いもいないのに。上を向くと空が暗くて雲が出てきて月を隠している。
一花は、ふっと、まあいいか、と思った。
理由なく断ったら須賀くん傷ついちゃうかもしれないし、特に用事があるわけでも無いし、まあ、いい、か?
「あの、えっと、ちょっとだけでもいい? 明日も仕事だし」
須賀は笑顔で頷く。
「何食べたいですか? パスタとか? 中華? 居酒屋とかのほうがいいかな」
と、立て続けに言って、最終的に中華の店に行くことになった。
須賀が案内したのは赤い内装に油っぽさのある年季のある店で、一花にはその感じが新鮮だった。
「あ、誘ったし、奢りますよ」
「いいよ。そんなこと言ったら、私は社会人だよ。むしろ奢ってあげるほうじゃない。せめて割り勘」
そんなことやら、学生生活やら、会社員生活やら、とりとめないことを話す。
須賀は始終明るい笑い声をたてていて、話し手をいい気分にする子だな、と、一花は思う。
「ビールお代わりします?」
「私はいい。須賀くんはどうぞ」
じゃあ、ともう一杯頼む須賀に一花は言った。
「車使わないと飲めるところがいいよね」
「使わないどころか車ないですけどね。免許もないし」
「私も免許持ってない」
そうなんだ、と言われ一花は付け足す。
「周りの人たちがみんなして絶対とるなって言うんだもん。どう思う? それ」
「正しいよ、きっと!」
「えっ、ひどっ」
二人して笑いあう。一花はこんなふうに笑うのは、なんだか久しぶりな気がした。
中華の店をでた後、須賀が言った。
「駅まで結構距離ありますけど、タクシー呼んだ方がいいのかな。歩くのもありなんですけど、場所が中途半端なんだよね」
「私は歩きたいかな。よければだけど。まだそんな遅い時間でもないし」
「歩いてくれるなら嬉しいけど、でも本当にちょっとかかりますよ。平気です?」
「平気」と、一花は答えて二人で歩き出した。何とは無い話が続く。なんでだろう、と、思うくらいに話題が途切れなかった。すごいなあ、この子、と一花は内心思う。
知らない街の知らない道を歩くのは楽しいものだ。
道の途中で、レトロな雰囲気の喫茶店があった。窓から中のランプの灯りが見える。
「すごい、かわいい」
「面白そうだなあ。時間大丈夫なら入ってみます?」
二人は重い木の扉を開けて中に入る。窓際の席に座ると、温かいコーヒーを二人とも頼んだ。照明を落とした室内に、ところどころ置かれた観葉植物と吊るされたランプが陰影を作っている。
一花は窓から外を見た。窓には暗い背景に自分たちの姿が反射して写っている。と、その窓に、水の粒がポツポツと見えた。
「あれ? 雨かな」
「え?」
須賀が窓を覗き込むように見る。
「あ、ほんとだ。降ってきた。立ち寄らずに帰った方が良かったかなあ」
「そうね。でも、そうしたら美味しいコーヒーは飲めなかったよ」
そう一花は運ばれてきたコーヒーを飲みながら答えた。そうだね、と須賀が笑う。
客もまばらで、クラシックが静かに流れている店内は、とても静かだった。それにつられるように、二人ともしばし会話が途切れたが、ふっと須賀が呟やいた。
「まだ、こっちでは雨なんだよなあ」
「何?」
「あ、俺、雪の多いところの出身なんですよ。この時期だと、もうすっかり雪景色だからさ」
「あ、そうなんだ。いっそ雪ならいいのに。でも、住んでいると違うんだろうね」
「雪なんてうんざりですよ。寒いし、重いし、いいことないっす」
そうなんだろうね、と一花が相槌をうつ。
「いや、マジで。昼間はまだいいんですよ、遊べるし。っていっても、ガキの頃だけであとは鬱陶しいっつうか、雪下ろしだのなんだの……」
一花はふふっと笑った。
「何ですか?」
「あ、ごめんなさい。なんか、須賀くん、きっとすっごく元気な子供だったんだろうなって思ったら、雪まみれになってるところ想像しちゃって」
「あー、まあ正直、悪ガキだったです。雪まみれっつうか、ひどいと雪着てるみたいになってました」
一花は笑った。きっと、やんちゃで可愛らしい子供だったんだろう、と思う。須賀も楽しそうな顔をする。それをランプが照らしている。
「田舎だから夜なんかこの時間はもう真夜中みたいに真っ暗ですよ。すっげー静かだし」
「そっか。……うちも割と静かだったなあ。無駄に庭が広いから外の音も入ってこないし」
一花は呟くように言った。
「でも、すごく広いお屋敷なんでしょ? 使用人もいるんでしょ?」
「働いてくれてる人はほとんど夜はいないし、みんな大人だから騒がないし……」
お嬢様の周りでうるさくする人なんていなかった。
「ご両親は?」
「母は早くになくなったの。父は仕事で忙しかったしね」
「ああ、そうか。うん……」
そう言って須賀は窓の外に目をやる。一花も同じように外を見る。窓にポツ、ポツっと雨粒がついた。
「……寂しかったですか? 一花さん」
「え?」
「子供の一花さん」
ああ……。
一花は子供だった自分を思い浮かべる。
「……ううん、寂しくなかったな。一人だったわけじゃないし」
そうか、よかった、と須賀が微笑んだ。もしかしたら、彼は寂しかった時があったのだろうか。
「須賀くんは?」
「俺? あー、なんてことないっすよ。母ちゃんいたし。あ、俺んとこ母子家庭なんですけどね」
屈託無く言う須賀に、一花も笑顔を向けた。窓に映る二人を雨粒が落ちる。須賀が伝票を手に立ち上がった。
「そろそろ出ましょうか。雨がひどくならにうちに駅まで行っちゃいましょ」
二人は店を出ると早足で駅まで急いだ。たいした雨ではなかったが、それでも冬の雨は冷たかった。
「そういえば」
須賀が早歩きしながら言う。
「今度のクリスマス、うちの店貸し切ってクリスマスパーティするって聞きました?」
「うん、聞いた。吹子様が主催のでしょう?」
「来ますか?」
「うん、お邪魔するつもり」
「やった、待ってますからね」
雨は少しづつ強くなっていって、二人は通りがかったビルの雨が当たらない入口の下で、とりあえず足を止めた。
「しまったなあ、もうすこし早く出ればよかった。濡らしちゃってすみません」
「たいしたことないし、全然、平気だよ。私も折りたたみ傘持ってこれば良かったのに、ごめんね」
俺は全く大丈夫、と、須賀は笑った。
「俺、あそこのコンビニまで走って傘買ってくるので、ちょっとここで待っててくれます?」
「ごめんね、ありがとう」
一花は素直に言う。そして傘代を出そうとすると、それを待たずに須賀は道の向こうに見えるコンビニまで走って行った。
会社を出たところで、不意に呼び止められて一花は振り返った。
冬の陽は帰社時間にはもう落ちていて、冷たい空気をクリスマスの電飾が照らしている。
振り返ってみても、誰が呼んだかすぐにはわからなくて、視線がさまよう。
その人が再び名前を呼んで自分の前に立った時、急に現れた気がして一花は驚いた。
「一花さん、目の前にいるのに。こんにちわ、久しぶりです。……どうかしました?」
「あ。ごめん。なんかびっくりして。どうしてこんなとこにいるの? 須賀くん」
一花は合コンで会った以来の須賀を目の前にして聞いた。相変わらず人懐っこい笑顔をしている。
「今日、バイトがない日なんですよ。だから、暇で」
「そうなんだ。でも、この辺、遊ぶところなんてないよ?」
須賀は笑った。
「わかってますよ、それぐらい。一花さんに会いにきたんですって。すれ違い覚悟できたんですけど、会えてよかった」
ニコニコしながら言う須賀を、一花は再び驚きながら見た。
私に? なんで?
「暇なんですよ、食事でも行きませんか?」
「え? えっと」
「あ、用事ありますか? じゃあ、別の日でもいいです。とりあえず連絡先教えてください。連絡とれないんだもんな」
「え、えーと、えーと」
一花は話についていけなくてうろたえる。須賀はそんな一花を気にせずアドレスを聞き出して登録する。
「で、どこ行きます? あ、あんまり飲ませる気は無いから大丈夫ですからね。なんかうまい店がいいよね。決めていい?」
「あの、あのね、ちょっと待って。私……」
そんな気分じゃ全然無いんだけど。が、須賀は気にする様子をみせない。
「行きましょ、一花さん。バイト代入った今のうちなんですから」
ええ~と思いつつ一花は何となく周りを見渡した。別に知り合いもいないのに。上を向くと空が暗くて雲が出てきて月を隠している。
一花は、ふっと、まあいいか、と思った。
理由なく断ったら須賀くん傷ついちゃうかもしれないし、特に用事があるわけでも無いし、まあ、いい、か?
「あの、えっと、ちょっとだけでもいい? 明日も仕事だし」
須賀は笑顔で頷く。
「何食べたいですか? パスタとか? 中華? 居酒屋とかのほうがいいかな」
と、立て続けに言って、最終的に中華の店に行くことになった。
須賀が案内したのは赤い内装に油っぽさのある年季のある店で、一花にはその感じが新鮮だった。
「あ、誘ったし、奢りますよ」
「いいよ。そんなこと言ったら、私は社会人だよ。むしろ奢ってあげるほうじゃない。せめて割り勘」
そんなことやら、学生生活やら、会社員生活やら、とりとめないことを話す。
須賀は始終明るい笑い声をたてていて、話し手をいい気分にする子だな、と、一花は思う。
「ビールお代わりします?」
「私はいい。須賀くんはどうぞ」
じゃあ、ともう一杯頼む須賀に一花は言った。
「車使わないと飲めるところがいいよね」
「使わないどころか車ないですけどね。免許もないし」
「私も免許持ってない」
そうなんだ、と言われ一花は付け足す。
「周りの人たちがみんなして絶対とるなって言うんだもん。どう思う? それ」
「正しいよ、きっと!」
「えっ、ひどっ」
二人して笑いあう。一花はこんなふうに笑うのは、なんだか久しぶりな気がした。
中華の店をでた後、須賀が言った。
「駅まで結構距離ありますけど、タクシー呼んだ方がいいのかな。歩くのもありなんですけど、場所が中途半端なんだよね」
「私は歩きたいかな。よければだけど。まだそんな遅い時間でもないし」
「歩いてくれるなら嬉しいけど、でも本当にちょっとかかりますよ。平気です?」
「平気」と、一花は答えて二人で歩き出した。何とは無い話が続く。なんでだろう、と、思うくらいに話題が途切れなかった。すごいなあ、この子、と一花は内心思う。
知らない街の知らない道を歩くのは楽しいものだ。
道の途中で、レトロな雰囲気の喫茶店があった。窓から中のランプの灯りが見える。
「すごい、かわいい」
「面白そうだなあ。時間大丈夫なら入ってみます?」
二人は重い木の扉を開けて中に入る。窓際の席に座ると、温かいコーヒーを二人とも頼んだ。照明を落とした室内に、ところどころ置かれた観葉植物と吊るされたランプが陰影を作っている。
一花は窓から外を見た。窓には暗い背景に自分たちの姿が反射して写っている。と、その窓に、水の粒がポツポツと見えた。
「あれ? 雨かな」
「え?」
須賀が窓を覗き込むように見る。
「あ、ほんとだ。降ってきた。立ち寄らずに帰った方が良かったかなあ」
「そうね。でも、そうしたら美味しいコーヒーは飲めなかったよ」
そう一花は運ばれてきたコーヒーを飲みながら答えた。そうだね、と須賀が笑う。
客もまばらで、クラシックが静かに流れている店内は、とても静かだった。それにつられるように、二人ともしばし会話が途切れたが、ふっと須賀が呟やいた。
「まだ、こっちでは雨なんだよなあ」
「何?」
「あ、俺、雪の多いところの出身なんですよ。この時期だと、もうすっかり雪景色だからさ」
「あ、そうなんだ。いっそ雪ならいいのに。でも、住んでいると違うんだろうね」
「雪なんてうんざりですよ。寒いし、重いし、いいことないっす」
そうなんだろうね、と一花が相槌をうつ。
「いや、マジで。昼間はまだいいんですよ、遊べるし。っていっても、ガキの頃だけであとは鬱陶しいっつうか、雪下ろしだのなんだの……」
一花はふふっと笑った。
「何ですか?」
「あ、ごめんなさい。なんか、須賀くん、きっとすっごく元気な子供だったんだろうなって思ったら、雪まみれになってるところ想像しちゃって」
「あー、まあ正直、悪ガキだったです。雪まみれっつうか、ひどいと雪着てるみたいになってました」
一花は笑った。きっと、やんちゃで可愛らしい子供だったんだろう、と思う。須賀も楽しそうな顔をする。それをランプが照らしている。
「田舎だから夜なんかこの時間はもう真夜中みたいに真っ暗ですよ。すっげー静かだし」
「そっか。……うちも割と静かだったなあ。無駄に庭が広いから外の音も入ってこないし」
一花は呟くように言った。
「でも、すごく広いお屋敷なんでしょ? 使用人もいるんでしょ?」
「働いてくれてる人はほとんど夜はいないし、みんな大人だから騒がないし……」
お嬢様の周りでうるさくする人なんていなかった。
「ご両親は?」
「母は早くになくなったの。父は仕事で忙しかったしね」
「ああ、そうか。うん……」
そう言って須賀は窓の外に目をやる。一花も同じように外を見る。窓にポツ、ポツっと雨粒がついた。
「……寂しかったですか? 一花さん」
「え?」
「子供の一花さん」
ああ……。
一花は子供だった自分を思い浮かべる。
「……ううん、寂しくなかったな。一人だったわけじゃないし」
そうか、よかった、と須賀が微笑んだ。もしかしたら、彼は寂しかった時があったのだろうか。
「須賀くんは?」
「俺? あー、なんてことないっすよ。母ちゃんいたし。あ、俺んとこ母子家庭なんですけどね」
屈託無く言う須賀に、一花も笑顔を向けた。窓に映る二人を雨粒が落ちる。須賀が伝票を手に立ち上がった。
「そろそろ出ましょうか。雨がひどくならにうちに駅まで行っちゃいましょ」
二人は店を出ると早足で駅まで急いだ。たいした雨ではなかったが、それでも冬の雨は冷たかった。
「そういえば」
須賀が早歩きしながら言う。
「今度のクリスマス、うちの店貸し切ってクリスマスパーティするって聞きました?」
「うん、聞いた。吹子様が主催のでしょう?」
「来ますか?」
「うん、お邪魔するつもり」
「やった、待ってますからね」
雨は少しづつ強くなっていって、二人は通りがかったビルの雨が当たらない入口の下で、とりあえず足を止めた。
「しまったなあ、もうすこし早く出ればよかった。濡らしちゃってすみません」
「たいしたことないし、全然、平気だよ。私も折りたたみ傘持ってこれば良かったのに、ごめんね」
俺は全く大丈夫、と、須賀は笑った。
「俺、あそこのコンビニまで走って傘買ってくるので、ちょっとここで待っててくれます?」
「ごめんね、ありがとう」
一花は素直に言う。そして傘代を出そうとすると、それを待たずに須賀は道の向こうに見えるコンビニまで走って行った。
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