おやすみ、お嬢様 〜Good night, my lady〜

藤野ひま

文字の大きさ
19 / 20

夜です(5)—榛瑠—

しおりを挟む
「そんなわけで取り残されたんですが、その夜が開けた時見た朝焼けは本当に美しいと思いました。……そんな顔しないでお嬢様」

一花は顔をこわばらせている。夜の闇に波がよせて返している。

「でも、だって。え、足? 大丈夫なの?」

「足は後遺症もなく完治してます。心配しないで。もう、何年も前の話です。ただ、その朝がきれいだったと言いたいだけですから」

あの日の朝は忘れないだろう。俺は安堵しながら明るくなっていく空を見ていた。

雨は上がっていた。濡れた地面が美しかった。やがて岩山の上から朝日がさした。

その時、世界が光り輝いた。

赤茶けた大地のそのずっと向こうまで光が満ちて広がり、清浄で、静かで、美しかった。

俺はその光を身に浴びながら、一人で、孤独で、そして満たされていた。

ああ、そうか、と思った。俺はこの世界を愛しているんだ。

その時、いるはずのない誰かの気配を感じた。思わず振り返ってしまったくらいに。もちろん誰もいない。

でも、なんだろう、この知っている感覚。

無意識に手をつなごうとして気づいた。

ああ、そうか。一花か。

いないその人が自分を包んでくれている。

……そう、俺は知っている。

君は、全てをなくして自分を取り巻く世界は敵なのだと思っていた俺に、奇跡のようにもう一度与えられた愛すべきものだった。

世界が美しく見えるのも、それを愛することができるのも、全部あなたがいたからだよ、一花。

君がいるところはいつだって温かだったよ。

「とてもその朝は美しくて、あなたのことを想っていました。……なんて言うと、また調子よく聞こえますね」

一花は下を向いてた。泣いているようだった。俺は彼女の頬を両手で包んだ。

「どうしたの? もう、何年も前の話ですよ。ここにいるのは幽霊じゃないですから、大丈夫」

「……私、叫んだことは覚えてないけど、叫びたかったことは覚えているの。……元気?って、元気でいてねって、ずっとそう……」涙で言葉が途切れる。「届いてたって、いま……」

最後は言葉になってなかった。俺は彼女を抱きしめた。

「……うん、届いてた。ありがとう」

腕の中で震える彼女を抱きしめる。あの朝、俺も泣いていた。無くしたものとそれでも残るものに。

しかし、自分が選んだ選択に後悔はなかった。

こんなふうに一花を抱きしめる日が来るなんて思うことさえしなかった。

だから、今泣いている彼女を慰めるすべがない。泣かしたのは俺で、でも、そのことを謝ることもできない。例え時間が戻っても同じ選択をするとわかっているから。

今だって本当は逃げ出した当時と根本的には何も変わっていない。一花の望む未来と俺のそれは違っていて、わずかに重なった場所で手をとりあっているだけにすぎない。

将来を誓うことはできたとしても、幸せにするとは言ってあげられない。

一花の幸せは一花のものだ。俺の幸せが俺のものであるように。

だからせめて君に約束しよう。

「これからはずっとあなたのそばにいますから、泣かないで」

「ずっと? 絶対?」

「うん。ずっとです」

「5年後も、10年後も? 50年後も?」

「百年後も、その後も」俺は一花を抱き上げた。「ずっと私はあなたのものです、一花」

一花が俺を抱きしめる。愛しい温かさに包まれる。

ずっと、今度こそ。あなたが俺のそばからいなくなることがあっても、ずっと。

「約束する」

一花の小さな嗚咽の向こうで波の音がよせて返していた。

美しい夜だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...