おやすみ、お嬢様 〜Good night, my lady〜

藤野ひま

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夜です(4)—榛瑠—

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あれはまだ大学に通い始めの頃だった。大学の友人達と山へ行くことになった。2000メートル級の岩山で難所もなく、気分としてはハイキングのつもりだった。

登り始めたときは快晴だった。夜遅くには天気が崩れてくる予報が出ていたが、それまでには余裕を持って下山している筈だった。

だが、頂上ではしゃぎすぎて時間が押した挙句、予想より早く雲行きが怪しくなった。おまけに体力不足かフラフラする奴が出てきた。後で知ったがアルコールを飲んだバカがいたらしい。

で、そんなバカの1人が足を滑らした。そこで俺が最大級にミスをした。つい、反射的に助けようと手を出してしまったのだ。

結果、俺は巻き込まれて一緒に山道から滑り落ちた。草の生えてない岩壁を滑るように落ちて途中の出っ張りで引っかかった。そこで次のミスに気づく。片足が痛くて動かない。

巻き込んだやつは腹が立つことに無傷で、なんとかロープで上の道まで戻ることができた。ただ、そいつが大騒ぎしてパニクっていたのもあって時間をくった。そのうち、薄暗くなり雨も降ってきた。
そうなると判断は簡単だ。1人と残りの人数の差だ。俺を残していったん、みんな下山した。朝には救助を連れてくると言って。

俺は冷静だった。少なくともそのつもりでいた。リュックからもう一枚服を出すと着て、それから防水服をかさねる。なるべく岩壁側に場所をとって座った。携帯食と水をとる。足は痛んだが気を失うほどじゃない。体力はあった。俺がいる場所は分かっている。あとは、朝を待つだけだった。

引っかかった出っ張りは1人いるには十分な大きさだった。できることはやった。それでも、夜の暗闇が訪れると不安が襲ってくる。雨風は強くなり不安を煽った。

やばいな、ここで詰みか、俺の人生。まさかな。
だとしたら随分とロクでもない。これなら、子供の時に両親と一緒に死んでいればよかったのに。

今までも何度かそう思ったが、この時もそう思っていた。状況に腹が立っていたし、嫌気がさしていた。

まあ、仕方ない。そんなものなのだろう、結局。……ああ、でも、このまま死んだらお嬢様は悲しむだろうか、それとも怒るだろうか?

そもそも、今どうしているのやら。婚約破棄されたらしいけど。俺のことは忘れてはいないだろうが、どうしているやら。

一花の父親には定期的にこちらの状況は連絡を入れていた。それが留学の条件だったからだ。でも、日本のことは聞かなかった。もう、関係なかった。そうでありたかったし、一花にも俺の情報はいってないはずだ。

ああ、そうか、俺が死んでも一花には知らされない可能性も高いな。それならそれでいい。

幸せでいてくれたらいいんだ。

悲しんでほしくない。

もしそうだとしても、どうしてもやれない。

そこで俺は思考を変えた。学校や将来や付き合っていた女のことやらに。でも、また、戻ってしまう。
頭の中に過去のことがよみがえる。これ、走馬灯ってやつじゃないだろうな、やめてくれよ。そのほとんどに一花が出てくる。結局、一番長く一緒にいた人間なんだからしょうがないのだが、うんざりもする。

よりうんざりすることに、どうしても今、一花が笑っている姿が思い描けない。俺のこともあるけれど、婚約者に振られるってなんだよ、それ。

あの男も人にさんざん勝手に張り合っておいて最後それか? いい加減にしろよ。その場に自分がいたら殴りつけていた。

時間が過ぎて行く。足が熱を帯びてどうしようもなく痛む。でもまだ大丈夫だ。

俺は持っていたチョコレートをかじりながらため息をついた。

……あの男、何で手を離したよ。俺が消えてやったのに。いいだろう、完璧に手に入らなくても。優しくするだけしてそれか、ないだろう?

そこまで考えて、ふと思い当たって声を出して笑った。誰のこと言ってるんだ? それ、俺じゃないか。

どんなに理由を付けたところで、俺は結局のところ逃げ出したのだ。手に入らないものにジタバタするのに疲れて。望まれる未来をなぞるのに嫌気がさして。俺は自由に呼吸がしたかった。

だからあの館から逃げ出したのだ。何の疑問もなく笑っていた女の子を裏切って。

気づいたらうっすらと空が明るくなってきていた。もうすぐ、夜明けだった。
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