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1. 秘密の婚約者 ②
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誰にも邪魔されず日が暮れるまで二人で過ごしていた。……あの頃は二人でいると榛瑠もよく笑っていた気がする。
「ここは変わりませんね」
後ろから柔らかな声が聞こえた。振り返りたくなったけど、がまんした。
横に人が立つのを感じる。何かいい香りがふわっとした。
なんだろう、花じゃないし。甘くて優しい、でもゾクッとするような……。
そして、気づく。榛瑠の匂いだ。
体の奥で何かがドクっといった。目を閉じる。ああもう、本当に勘弁してほしい。
「……ねえ、何で戻ってきたの?」
私は前を向いたまま言った。高校出てすぐ渡米してそのまま今まで一度も帰って来なかったくせに。
「社長に呼ばれました。本社に来ないかと」
そう、榛瑠はアメリカ支社にいたのだ。それはお父様に聞いて知っている。そこで成績をあげていたことも。
「頼まれついでに冴えないお嬢様ももらってやろうとでも?」
私の言葉に彼は少し黙ってそれから言った。
「元々いつかは戻ることになるかもしれないとは思っていました。あなたとのお話を社長からいただいたのは、こちらに来てからです。」
いつかはって、9年よ!それまで音信不通よ?まあ、父には連絡取っていたみたいだけど。
ていうか、私も連絡しなかったけど!だって、無理じゃない?あんな別れ方して……
いろいろ言いたいことはあったけど、言葉を飲み込んだ。
もう、過去のことだ。この人は、今の私には必要のない、関係のない人、だ。
「とにかく昨日の話は忘れて。ありえないから。お父様がどう言おうと。」
「そうですね、社長からもしばらくは様子を見るのもいいだろうと言われましたしね。」
って、ちょっと、私の話聞いてる?ほんっとうにこの人はこうなんだから!嫌になるほど変わっていない。
私は思わず、つい、横にいる榛瑠を見上げてしまった。
ずっと背も高くなっている。出て行った時は、まだ少年っぽさがどこかに残っていたが、今はもうない。
すっかり大人の男になっている。なんだろう、何だか悔しい。
その時、あることに思い当たった。
「ねえ、まさかとは思うけど」
「何ですか?」
「あなた、ここに住むとか、そんなことは無いわよね」
「ありえません。会社の近くにマンションを借りました」
榛瑠の言葉にホッとする。家にいられたらたまらないもの。
「だいたい、会社からこんなにも時間がかかる不便な場所から通えるのは、車で送迎してもらえるお嬢様ぐらいです」
言葉に棘を感じて私は押し黙った。
そうなのだ。遠い上に公共交通機関が近くになくて、会社から途中まで電車で、そこから家までは運転手に送迎してもらっている。
でも、仕方ないじゃ無い。お父様が一人暮らし認めてくださらなかったんだし。
「まあ、仕事も定時に上がって、そのあと一緒に過ごす相手もいないのなら、むしろちょうどいい時間つぶしかもしれませんが」
榛瑠が表情を変えることなく言う。
どうせ、大した仕事もしてないし、恋人もいないわよ!
「あなたみたいな人は、せいぜい仕事をいっぱいして残業でもすればいいのよ。そして、そういう人がブラック企業を作り上げるんだわ。経営者としては問題ね。向いてないんじゃないの?」
私は精一杯イヤミを言った。
榛瑠は無表情のまま黙って私を見た。
「な、なによ」
「いや、難しい単語も知っているなと感心したんです。エライ、エライ」
今、この人、めちゃくちゃバカにしたよね?そうだよね?悔しいんだけど!
いや待って、ここで怒ったら思うツボだわ。冷静にならないと。
「とにかく、私は会社ではお父様の娘って隠しているし、アメリカ帰りのエリートと、いち事務職員なんて接点ないですから。その辺は心得て頂いて、関わらないでいただけますか?」
「……了解しました。あなたがそう望むのなら、初対面として振舞いましょう」
初対面もなにも、目の前に現れないでほしいのだけど。
「そういえば、榛瑠ってどこに配属になるの?やっぱり秘書課よね?」
お父様の近くで働くならそこが一番いいはずだ。秘書課ならフロアも違うし顔を合わせることも少なくて済む。
「違います」
「?」
「国際事業部です」
私は一瞬、意味がわからなかった。ぼけっとして、榛瑠を見上げる。
「課長として配属になります。あなたの直属の上司ですね。よろしく、勅使川原一花さん」
榛瑠が私を見下ろして言った。
……神さま!じゃない、お父様!!どういうことですか!
その時、榛瑠の口の端がわずかに上がっているのに気がついた。
「ここは変わりませんね」
後ろから柔らかな声が聞こえた。振り返りたくなったけど、がまんした。
横に人が立つのを感じる。何かいい香りがふわっとした。
なんだろう、花じゃないし。甘くて優しい、でもゾクッとするような……。
そして、気づく。榛瑠の匂いだ。
体の奥で何かがドクっといった。目を閉じる。ああもう、本当に勘弁してほしい。
「……ねえ、何で戻ってきたの?」
私は前を向いたまま言った。高校出てすぐ渡米してそのまま今まで一度も帰って来なかったくせに。
「社長に呼ばれました。本社に来ないかと」
そう、榛瑠はアメリカ支社にいたのだ。それはお父様に聞いて知っている。そこで成績をあげていたことも。
「頼まれついでに冴えないお嬢様ももらってやろうとでも?」
私の言葉に彼は少し黙ってそれから言った。
「元々いつかは戻ることになるかもしれないとは思っていました。あなたとのお話を社長からいただいたのは、こちらに来てからです。」
いつかはって、9年よ!それまで音信不通よ?まあ、父には連絡取っていたみたいだけど。
ていうか、私も連絡しなかったけど!だって、無理じゃない?あんな別れ方して……
いろいろ言いたいことはあったけど、言葉を飲み込んだ。
もう、過去のことだ。この人は、今の私には必要のない、関係のない人、だ。
「とにかく昨日の話は忘れて。ありえないから。お父様がどう言おうと。」
「そうですね、社長からもしばらくは様子を見るのもいいだろうと言われましたしね。」
って、ちょっと、私の話聞いてる?ほんっとうにこの人はこうなんだから!嫌になるほど変わっていない。
私は思わず、つい、横にいる榛瑠を見上げてしまった。
ずっと背も高くなっている。出て行った時は、まだ少年っぽさがどこかに残っていたが、今はもうない。
すっかり大人の男になっている。なんだろう、何だか悔しい。
その時、あることに思い当たった。
「ねえ、まさかとは思うけど」
「何ですか?」
「あなた、ここに住むとか、そんなことは無いわよね」
「ありえません。会社の近くにマンションを借りました」
榛瑠の言葉にホッとする。家にいられたらたまらないもの。
「だいたい、会社からこんなにも時間がかかる不便な場所から通えるのは、車で送迎してもらえるお嬢様ぐらいです」
言葉に棘を感じて私は押し黙った。
そうなのだ。遠い上に公共交通機関が近くになくて、会社から途中まで電車で、そこから家までは運転手に送迎してもらっている。
でも、仕方ないじゃ無い。お父様が一人暮らし認めてくださらなかったんだし。
「まあ、仕事も定時に上がって、そのあと一緒に過ごす相手もいないのなら、むしろちょうどいい時間つぶしかもしれませんが」
榛瑠が表情を変えることなく言う。
どうせ、大した仕事もしてないし、恋人もいないわよ!
「あなたみたいな人は、せいぜい仕事をいっぱいして残業でもすればいいのよ。そして、そういう人がブラック企業を作り上げるんだわ。経営者としては問題ね。向いてないんじゃないの?」
私は精一杯イヤミを言った。
榛瑠は無表情のまま黙って私を見た。
「な、なによ」
「いや、難しい単語も知っているなと感心したんです。エライ、エライ」
今、この人、めちゃくちゃバカにしたよね?そうだよね?悔しいんだけど!
いや待って、ここで怒ったら思うツボだわ。冷静にならないと。
「とにかく、私は会社ではお父様の娘って隠しているし、アメリカ帰りのエリートと、いち事務職員なんて接点ないですから。その辺は心得て頂いて、関わらないでいただけますか?」
「……了解しました。あなたがそう望むのなら、初対面として振舞いましょう」
初対面もなにも、目の前に現れないでほしいのだけど。
「そういえば、榛瑠ってどこに配属になるの?やっぱり秘書課よね?」
お父様の近くで働くならそこが一番いいはずだ。秘書課ならフロアも違うし顔を合わせることも少なくて済む。
「違います」
「?」
「国際事業部です」
私は一瞬、意味がわからなかった。ぼけっとして、榛瑠を見上げる。
「課長として配属になります。あなたの直属の上司ですね。よろしく、勅使川原一花さん」
榛瑠が私を見下ろして言った。
……神さま!じゃない、お父様!!どういうことですか!
その時、榛瑠の口の端がわずかに上がっているのに気がついた。
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