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2. ヤンキー君と引きこもりちゃん

13. タイムリミット

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 学校の昼休み、渚美琴は学校の見回りを行っている。それは彼女が生徒会役員に就任した頃から、他の予定がない限り続けてきたルーティンワークだ。だが、以前とは少しだけおもむきが変わっていた。
 まず第一に、彼女の目的は校則違反者を見つける事ではない。これまでは校則違反している者を捕まえて生徒会長になるためのポイントを稼ごうと躍起になっていたが、それが本当に自分のやりたい事ではないと颯空に気づかされてからは、積極的に探そうとはしていなかった。ただし、校則違反者を見逃すわけではない。見つければ捕まえるし、こうやって生徒会役員である自分が見回りをしていれば抑止力になるのではないか、と思っている。
 第二に、困っている生徒がいない注意深く観察するようになった。生徒一人一人に寄り添う存在、それこそが美琴の理想。その理想に少しでも近づくために校内を見て回っているのだが、校則違反者同様、中々見つけることは出来ずにいた。

「悩みを抱えていそうな生徒って中々いないわねぇ……というか、パッと見じゃ全然わからないわ」

 少なくとも美琴の目には全ての生徒が机を囲み、楽しそうに昼食を取っているようにしか見えない。あの中の何人が心の奥底に悩みを抱えているのだろうか。

「こんなことなら久我山君にも手伝ってもらえばよかったわね。どうせ昼休み中ずっと寝ているだけでしょうし。……あんまり役には立ちそうにないけど」

 誰かを悩ませることはあっても、誰かが悩んでいることには気づかないだろう。基本的にあの男は他人に興味がないのだから。

「……でも、佐藤君の違和感には気が付いたのよねぇ」

 学校に内緒でアルバイトをしていた佐藤武夫が抱えていた悩みを暴いたのは紛れもなく颯空だ。あまり認めたい事ではないが、彼を救えたのは颯空の働きが大きい。

「救う、か……」

 ぽつりと呟いた美琴はその場で足を止め、廊下の窓から空を見上げる。その頭の中には颯空の言った言葉が浮かんでいた。

 ──強い奴は誰が助けてくれるんだ?

 あれは、彼の本音だったのだろうか。わからない。ただ一つはっきりしている事は、自分はそれに何も答えられなかったという事だ。

「何をボーっとしているんだ、渚」
「へ?」

 突然名前を呼ばれ振り返ってみると、そこには眼鏡を掛けた男が立っていた。顔立ちは極めて整っているが、そのあまりに厳格な雰囲気ゆえ、カッコいいという感情よりも緊張が軽く勝ってしまう。

「じ、じじじ、神宮寺会長!!」
「何を慌てている。普通に声をかけただけだろう」

 背筋をピンっと伸ばし、直立不動の体勢になった美琴を見て、誠はため息を吐きつつ眼鏡を直した。

「調子はどうだ?」
「は、はい! すこぶる健康体です!!」
「お前の調子じゃない。藤代環の件だ」
「あ……」

 思わず赤面する美琴。だが、そんな事はお構いなしに誠は話を進める。

「こんな場所で物思いにふけっているところを見ると、あまり上手くはいっていないのか?」
「い、いえ! そんなことはありません! 最初の頃は会話もままならなかったのですが、今では自然と話せるようになりました。……まだ面と向かって話したことはありませんが」

 話している内に段々と美琴の声が小さくなっていった。自分では順調だと思っていたが、誠に報告している内に気が付いた。二週間近くもかけてまだ直接顔も見た事がないとは、全然順調とは言えないのではなかろうか。

「そうか。……久我山は役に立っているか?」
「は、はい! 彼のおかげで環さんは心を開きつつあります!」
「ほう。それは興味深いな。具体的に久我山は何をしたんだ?」
「え? ぐ、具体的にですか? えーっと、彼は……そのぉ……なんと言いますか……型にはまらないタイプで……私だったら考え付かないような突飛な行動もあるのですが……今回はそれがいい具合に噛み合ったというか……」

 颯空が役に立っているか、と聞かれたら自信をもってイエスと答える。だが、彼が何をしたのかは上手く説明する事が出来ない。次第にしどろもどろになっていく美琴を見て、誠は僅かに口角を上げた。

「……それが奴の強みなのかもしれないな」
「え?」
「いやなに、こちらの話だ」

 何かを誤魔化すように咳ばらいをすると、誠は真面目な顔を美琴に向ける。

「さて、渚よ。順調に進んでいるところ申し訳ないが、悪い知らせだ」
「悪い知らせ、ですか?」
「そうだ。正直な話、これを伝えるためにお前の事を探していたんだ」
「は、はぁ……」

 美琴に不安の波が押し寄せてきた。誠は物事を過小評価も過大評価もしない。彼が悪いと言えばそれは本当に悪い事なのだ。少なくとも、楽観視できる事柄ではない。

「この前にも話した通り藤代環は高校一年の秋、具体的には夏季休暇明けの九月一日から学校に来ていない」
「はい。それは承知しています」
「それでも二年に進級する事が出来たのは、彼女が学校から出された課題を、電子メールで毎回期日までにきちんと提出していたからというのもあるが、彼女の母親とある約束をしたからなのだ」
「約束?」
「藤代環を四月中に一度は学校に行かせる事だ」
「なっ……!」

 思わず言葉を失った。佳江から聞いていなかったという事もあるが、あまりにも時間がなさすぎる。今日は第四週の水曜日。だが、大型連休が今週末から始まるので、四月の内に学校に来るのは今日を除いて二日だけ。

「もっと早く教えてやれればよかったのだが……すまない。俺も今さっき教師から聞かされたのだ」
「い、いえ……神宮司会長は何も……」

 口が乾いて上手く話すことができない。頭の方も思考の巡りがかなり悪い。

「……藤代環が四月中に一度も学校に顔を出さなかった場合はどうなるのですか?」
「学校に行かなくても卒業出来る通信制の学校に転校する事になるだろう。登校しないのであれば清新学園にいる必要はない、との判断だ」
「そう、ですか……」

 別に驚くような答えではなかった。それでも、誠の口からはっきり言われると動揺を隠しきれない。

「俺としてはこの問題にタイムリミットを設けたくはなかった。心の傷は体の傷よりも回復に時間がかかる。だからこそ、ゆっくりと藤代環の傷ついた心を癒してやって欲しかったのだが」

 誠が渋い表情を見せる。なんでも完ぺきにこなす彼がそんな顔をするのは珍しい事だった。そのせいだろうか、美琴は少しだけ冷静になる事が出来た。

「……ダメと決まったわけじゃありません。まだ二日あります」
「そうだな。お前と久我山を信じることにしよう」
「ご期待に沿えるかどうかはわかりませんが、やれるだけの事はやってみます」

 そう言うと美琴はきちっと頭を下げ、誠に背を向ける。その姿に今までの美琴にはなかった頼もしさを感じた誠は、フッと小さく笑みを浮かべ、会長室へと戻っていった。
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