夫のつとめ

藤谷 郁

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鍛えてやるよ

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 壮二が顔を洗ってリビングに戻ると、武子がテーブルに朝食を運んでいた。寛人は椅子に座り、例の文集を眺めている。

「いやあ、知らなかったぜ。希美さんがこんな未来を描いてたなんて。格差婚ってやつか?」
「いろいろと事情があるんだよ」

 武子が言うと、寛人はなるほどという顔をした。思い当たることがあるらしい。

 壮二は皿を運ぶのを手伝い、武子と一緒にテーブルにつく。朝食は焼き魚と卵焼き、ほうれん草のおひたしという和食メニューだ。
 あとは、すき焼きの材料が残っていたので具だくさんの味噌汁を作った。
 
「いい味付けだね」
「おっ、ホントだ。壮二は料理の才能があるな」

 いつもどおり調理しただけなのに、二人に褒められて壮二は照れくさかった。

(それにしても……)

 朝食を取りながら、武子から言われた言葉を噛みしめる。
 北城希美の理想の夫像もびっくりだが、理想の男性像にはさらに驚愕させられた。好きなタイプが筋肉もりもりのガチマッチョとは、意外すぎる。

 壮二は中学まで野球をやっていたが、高校は運動部に入らず演劇部員だった。

(スポーツは好きだけど、鍛えたことはないな。体格も普通だし……)

 目の前の二人を見やり、ため息をつく。

(いや、普通じゃなくて痩せっぽちだ。希美さんの理想からほど遠い体格なんだ、僕は)

「食後のデザートはオレンジにしようか。りんごは潰しちゃったからね」

 武子は冗談ぽく言うと、デザートを用意した。くし型に切ったオレンジを皿に盛り付け、壮二の前に置く。

「さっきの話だけどね、壮二」
「あ、はい」

 武子は真面目な目つきになった。

「壮二はお嬢様の理想の夫像に限りなく近いタイプだよ。昨日、あんたを一目見てピンときたんだ」
「そうなんですか?」

 喜ばしい評価にドキッとする。北城希美を赤ん坊の頃から知る彼女が言うなら、間違いない。

「派手さはないけど……何かこう、可能性を感じるんだよね。そこらの男にはない、特別なものを持ってるような気がする」
「は、はあ」

 自分ではよくわからないので、壮二は曖昧な返事になる。

「もしあんたが本気なら、手伝ってもいいよ」
「ええっ?」
 
 思わず声を上げ、オレンジを取り落した。武子の隣で、寛人も驚いている。

「それってつまり、希美さんの理想の男性像になるよう、壮二を鍛えるってことか」
「ああ。壮二がその気ならね」

 壮二は不思議だった。昨日会ったばかりの自分に、なぜ武子はここまでしてくれるのだろう。

「まあ鍛えるといっても、アタシらのようになる必要はないよ。こんなにデカくなったら、地味どころか目立っちまうからね。希美お嬢様もそこのところは、ある程度妥協するだろうさ」
「てことは、目立たないていどに身体を作るって感じだな」

 二人の会話を聞いて、少しホッとする。ハードトレーニングに耐える覚悟はあるが、アルバイトにあてる時間と体力は残しておきたい。

(そういえば、僕は貧乏学生だったな……)

 壮二はその辺りが気になった。よく考えたら、今の自分では社長令嬢の希美とは経済格差が大きすぎる。
 だが武子はその不安を見抜いたようで、あっさりと答えをくれた。

「身分差なんて関係ないよ。あんただっていつまでも学生じゃないし、普通のサラリーマンになればいいんだ。もし気になるなら、お嬢様に直接聞いてみるといい。おそらく、『私と結婚すれば経済格差なんてゼロになるわ』って、お答えになるだろうね」
「……なかなか、豪胆な女性ですね」

 壮二は気が楽になると同時に、北城希美という女性にがぜん興味が湧いてきた。聞けば聞くほど、魅力的な人である。
 姿勢を正し、きちんと武子に向き合った。

「ぜひ、お願いします。希美さんの理想の男になるため、頑張ります!」

 武子は満足そうに微笑み、右手を差し出した。誓いの握手だろう。
 壮二も応えようとするが、あることが頭をよぎり、伸ばしかけた手をスッと引っ込める。

「どうしたんだい?」
「おい、やっぱりビビってるのか」

 二人に怪訝な顔をされ、壮二は慌てて首を横に振る。

「ひとつ、けじめをつけることがあって……それを済ませてから、あらためて返事します」
「けじめ?」

 言っても信じてもらえないかもしれないが、"理想の夫"の条件を保つために、大事なことである。

「グラットンという会社をご存じですか?」
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