恋の記録

藤谷 郁

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奇怪な日常

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智哉さんとは付き合い始めたばかりだ。恋人と口にするのが恥ずかしく、ごまかしてしまった。


「ふむ、一度きりの苦情ねえ……ちなみに、その苦情の紙というのはどんなものですか? 現物があれば、拝見したいのですが」

「あ、はい」


捨ててしまいたいと思いつつ、一応とっておいた。チェストの引き出しから取り出したそれを、刑事達の前に置く。


「ほう。レポート用紙に、殴り書きの赤い文字……禍々しいですなあ」


二人の刑事は、テーブルの上に苦情の紙と鳥宮さんの顔写真を並べ、うーんと唸った。苦情主が鳥宮さんかどうか、判断がつかないのだろう。

私も、今となっては確信が持てない。


「一条さん。こちら、お借りしてもよろしいですか?」


水野さんが苦情の紙を指差す。


「ええ、いいですけど……」


何に使うのだろうと思い、すぐにぴんとくる。苦情主は鳥宮さんかもしれない。素人考えだが、もし鳥宮さんの死に事件性があるとしたら、彼の人柄や素行を調べるための、手がかりが必要になる。捜査の参考にするのだろう。


「どうぞ。捜査のお役に立つなら、ぜひお持ちください」

「ご協力をありがとうございます。おそらく大家さんと管理会社に提示することになりますが」

「構いません」


もう、どちらでもいい。

苦情主が鳥宮さんでも、あるいは他の住人であっても、私にはどうでもいいことだ。

じきにこのアパートを出るのだから。


「ともかく、ご事情はよーく分かりました。だから一条さんは東松を見て、あんなに大騒ぎしたわけですな」

「そうなんです。そういった背景があるので、幽霊になって、化けて出たのではと……本当に、すみませんでした」


あらためて詫びる私に、東松さんは肩をすくめてみせる。呆れて、コメントする気にもならないのだろう。

だけど、やれやれといった仕草はどこかユーモラスで、私の負い目を和らげてくれた。


「さてと、それでは話を戻しますね。九日前、あなたはコンビニで鳥宮さんを見かけた。その時、気付いたことはありませんか」

「はあ」

「何でも結構ですよ。どんな格好だったか、何を買ったのか、誰かと喋っていたとか……」

「そうですね……」


写真を見ながら、思い出してみる。


「私が見た時は、お弁当の棚の前にいました。全体的にぽっちゃりしとして、オタクっぽい雰囲気でしたね。あとは……あっ、そうだ」


一つ、記憶に残る要素があった。捜査の参考になるかどうか不明だが、一応話しておく。


「鳥宮さんのジャンパーに、アニメキャラの柄が入っていました。生地と同色のプリント柄なので、目立たなかったけど」

「アニメキャラですか。タイトルはわかりますか?」


水野さんがソファの上で伸び上がる。意外なところに興味を持ったようだ。


「あれは、『ホワイトドラゴン☆ダンジョン』という、二年前に大ヒットしたアニメのヒロインです。今も熱狂的なファンを持つ、ファンタジー作品ですね」

「ほう、お詳しいですな」


感心する水野さんに、自分が書店員であることを教えた。


「関連書籍がたくさん売れたので、よく覚えてるんです。グッズもいろいろ出てましたよ。鳥宮さんが着ていたジャンパーも、コラボ商品かと」

「なるほど、そうなんですか」


東松さんはひたすらペンを走らせている。どんな細かな情報も、もらさず書き留めるのだろう。


「ちなみに、そういったグッズは、プレミアがついたりするのかな? ネットオークションなどで、高値で取引されるとか」

「ええ、あり得ますね。あのアニメは特に、マニアックなファンが付いてますから」


答えながら、内心首をかしげる。なぜそんなことを訊くのだろう。

さほど重要とは思えない、アニメの話に切り込んでくるのが不思議だった。

キャラクターのジャンパーを着るくらいだから、鳥宮さんがアニメファンだというのは想像できるけれど。


「なるほど、大変参考になりました。あと、鳥宮さんはその時、一人でしたか?」

「あ、はい。私が見た限り、一人でした」

「そうですか」


水野さんはふうっと息をつくと、腕時計を確かめた。


「もう少しお話をうかがいたいのですが、この後、寄るところがありまして。お仕事でお疲れのところ、すみませんでしたね。お茶もごちそうさまです」


東松さんも手帳をポケットにしまい、頭を下げる。無骨な仕草だが、なぜだか好感が持てた。
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