79 / 236
妖怪と女
2
しおりを挟む
「お、おはよう。土屋さん」
平静を保とうとするが、どうしても顔が強張ってしまう。
よりによって土屋さんに見つかるなんて。
「あのー。こちらの方は?」
やはり詮索してきた。遠慮がちな口調だが、彼女の全身から好奇心があふれ出ている。
こんな人に智哉さんを紹介したくない。私は焦りながらも、彼女をごまかすための言葉を必死に考えた。
「土屋さん。彼はその……同じビルにお勤めの方です。最近、挨拶するようになったばかりなので、まだ名前も知らなくて……」
「ただの顔見知りってことですか?」
「……そうです」
ビルに勤めていれば、よそのテナントさんと知り合うこともある。しどろもどろだが、何とかごまかせたと思った。
「それはないだろ、ハル。ちゃんと紹介してくれよ」
「えっ!?」
驚きのあまり声を上げた。
土屋さんも大きな目を見開き、智哉さんを見上げている。
「えっ……と。あの、何を言って……」
予想外の発言に対応できず、私はうろたえた。一体どういうつもりなのか理解しかねる。
というか、彼は今ハルと呼んだ。私達の関係を知られたらまずいと、さっき話したばかりなのに。
しかし智哉さんは冷静そのもの。おろおろする私に構わず、土屋さんに向かって自己紹介した。
「初めまして。私は靴専門店『ドゥマン』の店長で、水樹智哉と申します。一条さんとは縁あって、交際しております」
「なっ……」
何ということを。
一番知られたくない相手に、あっさりと情報を漏らした彼を、信じられない思いで見つめた。
「そうなんですかあ。『ドゥマン』って、六階の靴屋さんですよね。うわあ、びっくりです。副店長も隅に置けないなあ。こんなに素敵な彼氏さんがいたなんて、ちっとも知りませんでしたよお」
土屋さんは驚いてみせるが、「やっぱりね」という口振りだ。
「そうならそうと、正直に言ってくださいよ。ていうか、ついこのあいだ転勤してきたばかりなのに、彼氏ができるの早くないですか?」
皮肉も忘れずに添える。
しかし智哉さんは気にも留めず、丁寧な仕草で名刺を彼女に渡した。
「あっ、どうもすみません。私は一条さんの同僚で土屋真帆と申しますう。以後、お見知りおきを」
土屋さんも名刺を取り出し、自己紹介した。媚びた声に聞こえるのは気のせいだろうか。
(まさか本当に、智哉さんにちょっかいをかけるつもり?)
山賀さんの忠告が現実になろうとしている。
そんなことはさせない。私は智哉さんの腕を取り、しなを作る彼女から引き離した。
「智哉さん、早く行きましょう。遅刻するわ」
「ああ、そうだな」
土屋さんの媚びに気付かないのか、落ち着いた返事だ。
私と智哉さんが歩き出すと、土屋さんも付いてくる。隙あらば割って入ろうとする気配を感じて、イライラした。
どうして智哉さんは、私達の関係を彼女に教えてしまったのか。私がせっかく、ごまかそうとしたのに。
密かにため息をつく。
きっと、何か考えがあってのことだ。だけどやっぱり、土屋さんには内緒にしてほしかった。
智哉さんが六階でエレベーターを降りると、土屋さんの表情が変わった。智哉さんへの媚びが消え去り、私に対する負の感情が表れている。
「忙しそうなわりに、男を作る暇はあるんですね」
横を向いたまま、彼女が低い声でつぶやく。
私はカッとなるが、厳然と無視した。
今日の任務を忘れてはいけない。心を乱されることなく、やるべきことをやり通す。これまで何度も自分に言い聞かせてきた。
土屋さんが強気でいられるのも、あと少し。本部の対応が速ければ、数日で処分が下るだろう。
冬月書店のフロアにエレベーターが着くと、土屋さんはさっさと降りて歩いて行く。私は慌てず、床をしっかりと踏みしめて彼女の背中を追った。
副店長としての責任。そして、磨き抜かれたレザーパンプスが私を支えていた。
昼休憩に入る少し前の時間に、私は誰もいない更衣室で、エリアマネージャーの横井さんに電話した。
横井さんは店長経験のあるベテランの女性社員だ。パワハラやセクハラなど従業員のトラブルに詳しく、自身も現場の責任者として、何度か対処したことがあると言う。
私の話す内容をよく理解してくれた。
『分かりました。早速、私から本部に報告します。まず一条さんに聞き取りを行い、書類を作成する段取りになると思うので、少しお待ちくださいね。準備が整いしだい連絡を入れます。あと、この件を報告したことは、当事者はもちろん誰にも口外しないように、お願いします』
「承知いたしました」
口止めするのは、証拠隠滅や口裏合わせを防ぐためだ。
『それから、古池店長の前の不倫相手については、こちらでも調査いたします。人事部も問題にするでしょうね。とにかく一条さんは、通常どおり振舞ってください』
「はい。どうぞよろしくお願いします」
横井さんはきびきびと対応してくれた。
私は壁にもたれると、通話を切ったスマートフォンを胸に抱き、ほうっと息をついた。
平静を保とうとするが、どうしても顔が強張ってしまう。
よりによって土屋さんに見つかるなんて。
「あのー。こちらの方は?」
やはり詮索してきた。遠慮がちな口調だが、彼女の全身から好奇心があふれ出ている。
こんな人に智哉さんを紹介したくない。私は焦りながらも、彼女をごまかすための言葉を必死に考えた。
「土屋さん。彼はその……同じビルにお勤めの方です。最近、挨拶するようになったばかりなので、まだ名前も知らなくて……」
「ただの顔見知りってことですか?」
「……そうです」
ビルに勤めていれば、よそのテナントさんと知り合うこともある。しどろもどろだが、何とかごまかせたと思った。
「それはないだろ、ハル。ちゃんと紹介してくれよ」
「えっ!?」
驚きのあまり声を上げた。
土屋さんも大きな目を見開き、智哉さんを見上げている。
「えっ……と。あの、何を言って……」
予想外の発言に対応できず、私はうろたえた。一体どういうつもりなのか理解しかねる。
というか、彼は今ハルと呼んだ。私達の関係を知られたらまずいと、さっき話したばかりなのに。
しかし智哉さんは冷静そのもの。おろおろする私に構わず、土屋さんに向かって自己紹介した。
「初めまして。私は靴専門店『ドゥマン』の店長で、水樹智哉と申します。一条さんとは縁あって、交際しております」
「なっ……」
何ということを。
一番知られたくない相手に、あっさりと情報を漏らした彼を、信じられない思いで見つめた。
「そうなんですかあ。『ドゥマン』って、六階の靴屋さんですよね。うわあ、びっくりです。副店長も隅に置けないなあ。こんなに素敵な彼氏さんがいたなんて、ちっとも知りませんでしたよお」
土屋さんは驚いてみせるが、「やっぱりね」という口振りだ。
「そうならそうと、正直に言ってくださいよ。ていうか、ついこのあいだ転勤してきたばかりなのに、彼氏ができるの早くないですか?」
皮肉も忘れずに添える。
しかし智哉さんは気にも留めず、丁寧な仕草で名刺を彼女に渡した。
「あっ、どうもすみません。私は一条さんの同僚で土屋真帆と申しますう。以後、お見知りおきを」
土屋さんも名刺を取り出し、自己紹介した。媚びた声に聞こえるのは気のせいだろうか。
(まさか本当に、智哉さんにちょっかいをかけるつもり?)
山賀さんの忠告が現実になろうとしている。
そんなことはさせない。私は智哉さんの腕を取り、しなを作る彼女から引き離した。
「智哉さん、早く行きましょう。遅刻するわ」
「ああ、そうだな」
土屋さんの媚びに気付かないのか、落ち着いた返事だ。
私と智哉さんが歩き出すと、土屋さんも付いてくる。隙あらば割って入ろうとする気配を感じて、イライラした。
どうして智哉さんは、私達の関係を彼女に教えてしまったのか。私がせっかく、ごまかそうとしたのに。
密かにため息をつく。
きっと、何か考えがあってのことだ。だけどやっぱり、土屋さんには内緒にしてほしかった。
智哉さんが六階でエレベーターを降りると、土屋さんの表情が変わった。智哉さんへの媚びが消え去り、私に対する負の感情が表れている。
「忙しそうなわりに、男を作る暇はあるんですね」
横を向いたまま、彼女が低い声でつぶやく。
私はカッとなるが、厳然と無視した。
今日の任務を忘れてはいけない。心を乱されることなく、やるべきことをやり通す。これまで何度も自分に言い聞かせてきた。
土屋さんが強気でいられるのも、あと少し。本部の対応が速ければ、数日で処分が下るだろう。
冬月書店のフロアにエレベーターが着くと、土屋さんはさっさと降りて歩いて行く。私は慌てず、床をしっかりと踏みしめて彼女の背中を追った。
副店長としての責任。そして、磨き抜かれたレザーパンプスが私を支えていた。
昼休憩に入る少し前の時間に、私は誰もいない更衣室で、エリアマネージャーの横井さんに電話した。
横井さんは店長経験のあるベテランの女性社員だ。パワハラやセクハラなど従業員のトラブルに詳しく、自身も現場の責任者として、何度か対処したことがあると言う。
私の話す内容をよく理解してくれた。
『分かりました。早速、私から本部に報告します。まず一条さんに聞き取りを行い、書類を作成する段取りになると思うので、少しお待ちくださいね。準備が整いしだい連絡を入れます。あと、この件を報告したことは、当事者はもちろん誰にも口外しないように、お願いします』
「承知いたしました」
口止めするのは、証拠隠滅や口裏合わせを防ぐためだ。
『それから、古池店長の前の不倫相手については、こちらでも調査いたします。人事部も問題にするでしょうね。とにかく一条さんは、通常どおり振舞ってください』
「はい。どうぞよろしくお願いします」
横井さんはきびきびと対応してくれた。
私は壁にもたれると、通話を切ったスマートフォンを胸に抱き、ほうっと息をついた。
0
あなたにおすすめの小説
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私の優しいお父さん
有箱
ミステリー
昔、何かがあって、目の見えなくなった私。そんな私を、お父さんは守ってくれる。
少し過保護だと思うこともあるけれど、全部、私の為なんだって。
昔、私に何があったんだろう。
お母さんは、どうしちゃったんだろう。
お父さんは教えてくれない。でも、それも私の為だって言う。
いつか、思い出す日が来るのかな。
思い出したら、私はどうなっちゃうのかな。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
27歳女子が婚活してみたけど何か質問ある?
藍沢咲良
恋愛
一色唯(Ishiki Yui )、最近ちょっと苛々しがちの27歳。
結婚適齢期だなんて言葉、誰が作った?彼氏がいなきゃ寂しい女確定なの?
もう、みんな、うるさい!
私は私。好きに生きさせてよね。
この世のしがらみというものは、20代後半女子であっても放っておいてはくれないものだ。
彼氏なんていなくても。結婚なんてしてなくても。楽しければいいじゃない。仕事が楽しくて趣味も充実してればそれで私の人生は満足だった。
私の人生に彩りをくれる、その人。
その人に、私はどうやら巡り合わないといけないらしい。
⭐︎素敵な表紙は仲良しの漫画家さんに描いて頂きました。著作権保護の為、無断転載はご遠慮ください。
⭐︎この作品はエブリスタでも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる