惚れっぽい恋愛小説家令嬢は百戦錬磨の青年貴族に口説かれる→気づかない

川上桃園

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狩猟会 中

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 さて、こちらは兄妹の小声の会話にしっかりと耳を傾けていた美男子。『失恋姫』がやっと自分になびいたか、といそいそと呼ばれていったのに、ここにきて『人違い』だと言われてこの場に放置されている現状に、むかっ腹が立つ。

――よくも『ジドレル・キッソン』を人違い呼ばわりできたものだ。

――まるで道化みたいじゃないか。

 しかし『色男』たるもの、そんなものを表に出すことはない。つねより気合を入れて微笑めば、その美々しさは増すばかり。彼は二人の間に割り込んだ。

「失礼、ご令嬢。目当ての方ではなくて申し訳ありませんが、これも何かの縁でしょう。ご令嬢のお名前を伺っても?」

 兄と口論していたセフィーヌ・フラゴニアは今はじめて彼の存在に気が付いたように、あ、と声を上げた。

「こちらこそ。ご迷惑をおかけいたしました。え、と……名前ですか? セフィーヌ・フラゴニアと申しますが……?」

 彼女は何かもの言いたげな視線をジドレルに向ける。ああ、と彼はすぐに得心した。

「不躾な真似をしてしまいましたね。私はジドレル・キッソンと言います。あなたのような方と知り合えて光栄です。はじめまして」

「はじめまして……?」

 セフィーヌ・フラゴニアは首を傾げながらもそう返す。手を取って口づけを落としてもどこか上の空。手袋をはめた手だけはさっと引っ込めた。

 エメラルドグリーンの瞳は真昼の凪のような静かなもので底は見通せない。しまいにはジドレルから逸らして、

「あ、お兄様。もうそろそろ出発するころではないですか?」

 セフィーヌの兄が銀の懐中時計を取り出した。

「ああ、本当だ。父上たちは……あそこか。入り口で待っているね。侯爵、重ね重ねご迷惑をおかけいたしました。では私たちはこれで……」

 気まずそうな口ぶりの兄が妹と去ろうとするが――逃がすか。
 すかさず彼は相手の言葉にかぶせるように、いいえ、と告げた。

「ですが私たちのグループは早々に行ってしまったようなので、よろしければそちらに同行させていただきたいですね。――マゴット伯爵には話しておきましょう」

 ジドレルは悠然と歩みを進める。森の入り口で参加者を見送っているマゴット伯爵に了解を取り、すんなりとフラゴニア家の交じる狩猟のグループに加わった。

「狩猟と恋は似ていますよ。――どちらも相手(えもの)を見つめ続けずにはいられない」

 マゴット伯爵は意味深に笑む。

 ここの夫婦はどちらも思わせぶりなことを言うものだ。



 パーン。

 セフィーヌのごく近くで銃声がこだました。ついでガサガサっと繁みから茶色い野兎が飛び出し、その後ろを黒いイヌが追っていく。

「また駄目だったか」

 父のノーグドが残念そうに言って、口笛でイヌを呼び戻した。その後ろ、自分で仕留めた雉を腰からぶらさげた兄は、

「残念でしたね。結構追い込んでいたようだったのに」

「……あの野兎のつぶらな瞳を見てしまったらどうにも、な」

「父上は銃で撃つのは好きでも、それで獣を狩るのは得意ではないですよねえ」

「基本的に追いかけるだけで満足してしまうのだ。むしろそちらの方が、血がたぎる。ましてやあのうさぎの眼の形を見ただろう。セフィにそっくりだったのだ。私には撃てない」

「普通眼の形なんて注視しませんよ」

 そういいながらカンドルは懐中時計で時間を確認する。

「そろそろ引き上げ時ですね」

「もうか!? まだ三十分ぐらいしかやっていないだろう!」

「いいえ、もう三時間経っています」

 パチン、と蓋を締める。

 近くの切り株に腰かけて休んでいたセフィーヌもよっこいせ、と立ち上がった。その場に家族以外誰もいなかったせいか、彼女は眠そうに目元をこすっていた。

 気合を入れて応援したのはいいものの、三時間も動きっぱなしではいかなバイタリティ溢れるセフィーヌでも体力が奪われる。さきほどまで切り株の上に座り、開いた白いパラソルをふらふらさせながら半分寝かけていたぐらいだ。銃声でさえも子守唄と化している。

「お父様、そろそろ眠くなってきました……目がしぱしぱしてきます……」

「すまん、セフィ。調子に乗ってお前を連れまわしすぎてしまった。せめて伯爵の邸宅までは我慢してくれ」

 乗馬で狩猟を行うグループもあったが、近場を割り当てられたノーグドたちは基本的に徒歩で移動していた。

 ふぁい、とあくびとも返事ともつかぬ声を出したセフィーヌ。実はほとんど反射的に告げただけで、思考能力は半分以上低下している。

 そこへ同じ狩猟グループの人々も姿を現す。

「おや、今にも眠り姫になろうとしているね」

 ……セフィーヌは軽く自分で頬をぺちぺちと叩く。

――まだ頑張って起きていないと、お父様とお兄様にご迷惑がかかってしまうわ。

 セフィーヌはその紳士ににこりと笑う。

「森の中で眠り姫になってしまったら、それこそ百年は目覚めなくなってしまいます。疲れていますけれど、そこまでではありません」

 『恋』が関わらなければ、彼女の思考はまだまともだった。令嬢たるもの、他人の前で無防備に寝こけたりなどできないのだ。

 彼らの顔を見回したノーグドは一人姿が見えない男がいることに気付く。

「……キッソン侯爵は?」

 娘に軽くちょっかいをかけるためだけに狩猟グループに強引に加わってきた男の名は、自然と彼の顔をこわばらせていった。

 むりやり入ってきたわりに、侯爵は娘にべったりと引っ付くなどという愚は犯さなかった。同じグループ内で溶け込めるようにうまく立ち振る舞い、セフィーヌと天気や食べ物の話題ぐらいしか会話をしていなかったようだ。

 そしてそれぞれが狩猟するという段になっても親子三人から彼女を引きはがそうとはしなかった。

 目的はあるはずなのに今のところ何もしていないのが不気味だ。あの人気者の仮面の下には絶対に下心があるに違いないのだが。

「侯爵は大きな野鳥を二羽も仕留めて手が塞がってしまったからと先に伯爵邸に戻ってしまったよ」
「……なんだ。そういうことか」

 ノーグドは毒気が抜かれたような顔になる。そして清々しい気持ちで仲間たちに帰ろうと促した。

 森の中は細い獣道が続く。セフィーヌの前にいる男たちが先導して、彼女が歩きやすいように道を整えていった。セフィーヌは最後尾でスカートを軽くあげながらついていく。

「セフィ。気を付けて」
「うん」

 ぬかるみに出会うと、兄がセフィーヌの手を取って支えてくれる。彼女のブーツはさして汚れることなく、開放的な森の出口へとたどり着いた。

 グループはそこで解散し、父と兄は主催者へ戦利品の報告にいくという。一応、今回の狩猟会でもっとも仕留めた者が優勝者となるらしい。

 ちょっと行ってくるから待っておいで、と父に言われ、セフィーヌは頷く。

 もはや誰も出てきそうにない森への入り口近く。

 セフィーヌは一人になった。


 出発するころには晴天だった空が、今は曇っている。

 ざあざあ、と不安そうな風の声。

 ガサガサと、森の木々が不吉にざわめく。

 何か嫌な予感がした彼女は再び襲ってきた眠気をこらえて、その場を足早にかけ去ろうとして……強く腕を引っ張られた。痛いと思う前に、今度はさっと足が浮く。

 あまりにも驚きすぎて、セフィーヌは声を出すのを忘れてしまった。
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