薔薇の聖女と白蓮の冥界王~聖女が幼女となってしまった日の顛末について~

川上桃園

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第3話

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 聖女は着ている衣を媒介に、法力で風を操った。落下するだけだった聖女の身体が、明らかに飛行する体勢に変わり、燕のように低く滑空した。
 こうしていくつかの近隣の山を通り過ぎ、聖女はとある町の外れに着地した。「とある町」とは、聖女自身も適当に目のついたところに下りたため、町の名がわからなかったためである。人気のない草原で、美幼女エリカは大きく伸びをした。

「よし、行ってみましょう!」

 気を取り直して、町を散策することにした。
 エリカが降り立ったのは街道沿いで栄えている宿場町のようだ。目抜き通りでは朝市が行われている。突き当りに町の中心たる神殿が構えていた。念のため、神官たちのいる神殿に近づかないようにしつつ、朝市の色んな屋台をのぞいていく。粗末な木製の屋台に並ぶ商品は、雑貨や日用品も多いが、圧倒的に食べ物が目立つ。あちらこちらから美味しそうな匂いが漂ってくるし、建物の壁によりかかりながら朝食を頬張る人の姿があちらこちらで見受けられた。
 聖女であるエリカはさして食物を口にする必要はないが、食事をする行為は好んでいた。ゆっくり時間をかけて、ひとくちずつ口の中に含み、舌で味わうと、味覚だけが思考のすべてを占めて、他のことを何も考えられなくなるからだ。普段から口さびしくなれば、いつも飴玉を舐めるし、甘いお酒も好んでちびちびと飲んでいる。

 ――朝市なんて随分久しぶり。この活気はいいわね。

 守護している聖女冥利に尽きるというものだ。どれだけ聖女が地上のために働こうとも、細かな理不尽や暴力や嫉妬は消えてなくならないが、人々が明るい顔で動いているのを見ると安心できた。
 市場の匂いに釣られ、あちらこちらとひらひらした蝶のように人の波を漂う。お金を持っていないのが心底残念だった。

 ――だれか親切な人が御馳走してくれたらいいのに。

 そんな虫のよい話があるわけもなく。仕方ないのでしばらくぷらぷら歩いていると、

「おや、お嬢ちゃん。どうしたの。ご両親は? 迷子かい?」

 屋台の店番をしていた恰幅の良いおばさまが声をかけてきた。急に話しかけられたので驚いてしまい、一瞬、言葉に詰まってしまう。

「あ、あのう……」
「やっぱり、そうかい! みんな、この子迷子みたいだよ!」

 おばさまが声を張り上げたのをきっかけに、人だかりができた。

「お、迷子なのかい。嬢ちゃん、お名前はわかる?」
「衛兵に声をかけてみるか。もしかしたらこの子の親が探し回っているかもしれねえよ」
「この辺じゃ見ないようなかわいらしい子だ。ちゃんとしてやらないと人さらいにやられちまうかもしれねえ」

 明らかに周囲から抜き出た容姿のエリカは悪目立ちをしていたようだ。
 悪人であれば法力で振り切って逃げればいいだけなのだが、親切心で声をかけてくれる一般人には無茶なこともできない。

「ん。……だいじょうぶ! おとうさまがむかえにきてくれるのよ!」

 考えた挙句、エリカは適当な嘘をつくことにした。

「どこにむかえに来るって言ったんだい?」

 しかし、おばさまを初めとした良き大人たちには心配そうな顔をされてしまう。なるほど、幼女の姿は不便だ。子どもだから信用されにくい。

「えーと、えーと、ね」

 困り果てていたところに。
 人混みから、ぬっと、陽の光を遮らんばかりの大きな人影が出て来た。

「何をやっている。探していたんだぞ。――エリカ」

 エリカの名を呼ぶ者がいた。この場で聖女の名を知る者はいないはず。それも、普段と姿とまるで違うのに。どうして。
 心臓がどくんどくんと鼓動を打つ。
 視線をゆっくりと上げた。相手の顔がわかるや、思わず感嘆の息を漏らしてしまう。
 あまりにも浮世離れした美丈夫だったからだ。
 まず目に入るのは銀色の髪。背中から腰へと流れ、光に透けてきらきら光る。目の色は黒曜石のような深い黒。眉も目元もすっきりとして余分な雑味は一切見受けられず、衣服に包まれていてもその四肢は均整が取れていて、力強さがあった。まるで彫刻家が生涯をかけて追い求めた理想の美男がそのまま人間になったかのよう。
 ――だが、エリカにはその男に見覚えがなかった。
 そこらを歩いている町の住民ではないだろう。人間であれば、よほど地位の高い神官か、あるいは。
 絶世の美男だが近寄りがたいのは、肌や目に生気が感じられないからだろう。何かがおかしいのだけれども、エリカには人間にしか見えなかった。

「なんだ、不思議そうな顔をして。おとうさまの顔を見忘れたか?」

 男は目配せをしてくる。ここは合わせろ、と言いたげだ。
 エリカははっとなり、とっさに抱き着いた。

「おーそいーっ! おとうさまっ、エリカはまっていたのよ!」

 幼女姿のエリカにも気付く不審者ではあるが、正体は後で確かめればよいと考えた。朝市に集まった善良な人々から逃れる方が先決だし、善良な人々から怪しい人物を引きはがすためでもある。
 小さな身体で男へ突進すれば、男は予想していなかったのか、びくっと固まる。

「おとうさま?」

 エリカはどさくさにまぎれて男の呼吸を確かめた。胸が上下し、喉仏が動く。彼は普通の人間のようだった。血の気のなかった耳や首筋もうっすら桃色に色づき始めている。
 男は石像のようになっていたが、ぎこちなくエリカの頭を撫でた。

「さ、いこ、おとうさま!」

 エリカは声を張り上げ、男の袖口を掴む。

「エリカにたくさん美味しいものをかってくれるってやくそくしたよねっ!」

 そのまま彼を引っ張り、ぐいぐいと人込みの外へ押し出したのだった。

「うわあ、なるほど。あの娘に、あの父ありというわけか。美形親子だ。寿命が延びる心地がしたぜ……」
「どこの子だろうねえ。高貴な方のお忍びかしら」

 町の人たちの興奮した声が背後から聞こえてきた。ひとまず場は収まったようだ。

「それで、あなたはだれですか?」

 人込みから離れて、人気の少ない路地に入ると、エリカは隣を歩く男に尋ねた。彼は先ほどから黙りこくりつつも、何度か横のエリカを気にしている素振りを見せていた。

「私を知っているのですか? ごめんなさい、私は忘れっぽいところがありますから、人のことも思い出せないことがあるのです。どこかで会いましたか?」

 幼い容姿のエリカがわかるぐらいだ。よほどエリカと会ったことがあると思っていたのだが。

「言いたくない」

 男は視線を逸らして答えそのものを拒絶した。エリカは男の視線の先に回り込んだ。

「わかりました。では名前を教えてもらえませんか? そうしたら思い出せるかもしれません」
「……ハンス?」
「なぜ疑問形なんです? 『ハンス』ではないということですか」

 彼は否定も肯定もしない。適当な偽名なのだろう。そこまでして名前を告げたくないようだ。『ハンス』という名も、大陸中でありふれた名前である。男の子の名付けランキングを行えば、不動の一位だ。
 男の美貌も素晴らしいものだが、着ている服も顔と身体に負けないぐらい上等なものである。男が身に付けた翡翠の耳環もよく見れば、精緻な植物模様が施された見事な品である。
 彼にはもっとふさわしい名があるに違いないのだ。

 ――まあ、いいか。

 エリカはそこで思考を放棄した。あの場に男が現われたことは彼女に都合がよかったのだから。助かりました、と一言礼を述べて歩き出す。

「どこへ行く」
「え? もう少し町を見ようと思って」

 彼はエリカを見下ろした。正確には、法力で微妙に地面から浮かしているが、ほとんど身体の寸法とあっておらずぶかぶかとなった寝間着を。
 町の人から声をかけられたのも、彼女の容姿ばかりでなく恰好も問題だったのだろうが、これは仕方がない。

 ――イーサンがあんなに早く部屋に来なければ、もう少しやりようがあったと思う。

 余った裾をびりびりに破っておくとか。今からでも破っておこうかしら、と布に手をかけようとしたところ、男は「俺も行く」と言い出した。

「服を、買う」
「えぇ?」
「動きにくいだろう」

 エリカはここで男と別れるつもり満々だったのだが、そう言われて思い直した。また町の人に心配されて大騒ぎになるのも困るし、男の正体も気になる。たとえ何があろうとも、聖女であるエリカであれば対処できるだろう。

「ならば連れて行ってくださる?」

 エリカは男へ向かって右手を出した。その際にぶかぶかの袖がめくれ、《冥界王の傷跡》があらわとなった。

「あ、ごめんなさい。汚いものを見せてしまいました」
「……汚くなんかない」

 さっと袖を直したのにも関わらず、男が傷跡のある辺りをじっと見つめていることに気付く。見つめているばかりでなかった、男ははらはらと音もなく落涙しているのである。美丈夫が恥も外聞もなく泣いている……。まるで絵画のような一場面であるが、さすがに戸惑った。彼は醜い傷など見たこともないぐらいの純粋培養で育ったお坊ちゃんだったのだろうか。

「古着屋に行く」

 男はぽつんと呟いて歩いていくのでエリカもついていく。

「おとうさま~! まって~! エリカを置いていかないで~!」

 周囲の目を欺くための小芝居も忘れなかった。
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