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第7話
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物がぶつかるような大きな音に、エマの意識は深い眠りから呼び起された。
熟睡していた体はすぐに眠りに引き戻されそうになるが、微かに聞こえる荒い息遣いが異常事態であることを伝え、起きなければという意志が働く。
エマは開かない目をこすり、周りの状況を見ようとした。しかし家の中は暗く、目を開けているのかさえ疑うほどだ。
なんとなく月のような金色の円が浮かんで見えるが、それが何なのか、エマの視力では全くわからない。
「めがね……めがね……」
エマは立ち上がり、机に向かって感覚で歩いた。見えていなくても、大きな物の位置はなんとなく把握できている。
机らしきものに辿り着き、手探りで眼鏡を探す。ガサガサと薬草が手に当たり、庭で摘んだまま放置していたことを思い出した。
何とか眼鏡を探し当て、慣れた手つきで耳に掛ける。
先ほど月に見えた物に目を向けると、それが生き物の目であることが分かった。暗闇の猫のように瞳孔が開き、時折瞬いて見えなくなる。
位置からして、青年が目覚めたのだろうか。そう思いつつ、眼鏡を掛けたエマの視力でも暗い中でははっきりと見えない。この眼鏡も年々度が合わなくなっている。そろそろ変え時だろうか。
一歩前に出ると、生き物の体がびくりと震えた。暗闇に目が慣れてきたこともあり、ようやく全体像が見えてくる。
やはりそれは青年の瞳だった。青年はベッドの上で、後ずさるように壁に凭れている。
「……起きた?」
青年への疑問ではなく、自分への確認として言った。青年は目をパチパチとするだけで、答える様子は無い。
エマは安堵のため息をついた。傷が治ってきているとはいえ、青年が目覚めないことに、内心不安を感じていたのだ。
「よかった。治療法が合ってる自信なかったから、ちょっと心配してたの」
今度は青年に話しかけるように言った。答えを期待しているわけではないが、話しかけないのも不自然だろう。それに、敵意がないことは明らかにしておいた方がいい。
明かりを灯すため、エマは机の引き出しから火打ち石と小皿を取り出した。机の上にある壺から少量の薬を取り出し、小皿に乗せる。
火打ち石で火花を小皿に落とすと、一瞬にして薬から火が上がる。エマは慣れた手つきでこの火をオイルランプに移した。
「さて」と、エマはいつも薬の調合時に使う椅子に腰かけた。
何から聞こうか、とエマは考える。青年が魔族であることは確定だろう。あの月のように輝く瞳が証拠だ。人間ならば暗闇で目が光ることはない。
とりあえず体調を聞かなければいけないと思い、エマは深く考えずに口を開いた。
「体の調子はどう?魔族さん」
瞬間、青年は目を見開き、怒ったように目尻を吊り上げた。
どうやら言葉を間違えたらしい、と気付いた時にはもう遅かった。
ベッドにいたはずの青年は、いつの間にかエマの目の前にいた。あまりに一瞬のことで、全く目で追うことはできなかった。
青年があまりに近くに来たため、離れようとしたエマはバランスを崩し、椅子から転げ落ちた。
「いっ……!」
肩から床にぶつかり、鈍い痛みが走る。
仰向けになったエマの上に、青年が馬乗りになった。青年の片腕がエマの首にかかり、いつ絞め殺されてもおかしくない。
青年は鋭い目つきでエマを見下ろした。
「魔族と知りながらなぜ助ける。何が目的だ」
青年の低い声が腹に響く。こんな状況だというのに、エマは「いい声だな」などとのんきに聞いていた。
「目的も何も、怪我してたから治療しただけだけど」
エマの回答に、青年は訝しげに顔を歪める。
「そんな戯言を信じると思うか」
「信じる信じないはあなたの自由だけど、本当に他に理由は無いから。あなたが納得しそうなことは言えないかな」
青年は戸惑っているようだった。それがエマの回答になのか、エマがあまりに冷静だからかはわからない。
この状況は、エマにとっては想定の範囲内だった。瞬殺されなかっただけましだとすら思っている。
目覚めたら手負いで敵陣にいたなど、誰にとっても恐ろしいだろう。それにおそらく、青年を重症に追い込んだのは人間だ。人間に対する警戒心が強くなっていてもおかしくはない。
青年は困惑しているようだった。口を開けたまま、視線がさまよっている。
ふと、エマは青年の左目を覆う布を見る。よく見ると、そこには血が滲んでいた。
エマは反射的に青年の顔を両手で掴み、引き寄せた。青年は驚いてエマの首から手を放す。
「傷開いてるじゃない!」
青年はぽかんと口を開けてエマを見た。初めて聞くエマの大声に驚いたのかもしれない。
しかしエマは傷に夢中になり、青年の表情など目に入っていなかった。
「どいて、傷口診るから」
冷たい声でそう言い、エマは青年の上半身を押し上げた。青年はエマに気圧されたのか、大人しくエマの上から離れ、ベッドに戻る。
エマはほどいていた髪を乱雑に結び、薬棚から薬草と包帯用の布を手に取る。
エマが青年の顔に手を掛けると、青年は一瞬びくりとして右目を閉じたが、エマが布を外し始めるとゆっくり目を開いた。
布を取り去ると、思った通り傷口が開いて血が流れている。エマが薬を染み込ませた布で傷に触れると、青年は痛みに顔を歪めた。
薬を塗りなおして再び布で傷口を覆う。他の傷を確認すると、同じように傷口が開いていた。特に足の傷は、治療前に戻ったように流血している。
そちらの処置も完了し、エマは一息つく。ふと青年の顔を見ると、痛みに堪えるように唇を嚙んでいた。
「痛い……よね。痛み止め作ってくる」
台所で湯を沸かし、薬を溶かす。このままではあまりにも苦すぎるので、和らげるため蜂蜜を垂らした。
「飲めそう?」
青年は口で答えることはなかったが、体を起こし、器に手を伸ばした。落とさないよう、エマも器に手を添えて青年の口に近づける。
青年が薬を一口含む。少し顔をしかめたが、そのままゆっくりと飲み干した。
空になった器を受け取り、青年をベッドに横たえた。青年は苦し気に深く息を吐く。
エマは先ほど青年が嚙んだ唇にも薬を塗り、新しい布でそっと汗を拭いた。
「朝までまた寝るけど、少しでも体に異変があったら起こして。すぐ診るから」
エマがそう言うと、青年は小さく首を縦に振った。
エマは外した布や薬を片づけて、ランプの火を吹き消す。
エマは青年が横たわるベッドの近くに寝転がった。眠ろうと思っても、心配になってなかなか眠れない。
やがて荒かった青年呼吸が、穏やかな寝息に変わる。エマはようやく少し安心して目を閉じた。
熟睡していた体はすぐに眠りに引き戻されそうになるが、微かに聞こえる荒い息遣いが異常事態であることを伝え、起きなければという意志が働く。
エマは開かない目をこすり、周りの状況を見ようとした。しかし家の中は暗く、目を開けているのかさえ疑うほどだ。
なんとなく月のような金色の円が浮かんで見えるが、それが何なのか、エマの視力では全くわからない。
「めがね……めがね……」
エマは立ち上がり、机に向かって感覚で歩いた。見えていなくても、大きな物の位置はなんとなく把握できている。
机らしきものに辿り着き、手探りで眼鏡を探す。ガサガサと薬草が手に当たり、庭で摘んだまま放置していたことを思い出した。
何とか眼鏡を探し当て、慣れた手つきで耳に掛ける。
先ほど月に見えた物に目を向けると、それが生き物の目であることが分かった。暗闇の猫のように瞳孔が開き、時折瞬いて見えなくなる。
位置からして、青年が目覚めたのだろうか。そう思いつつ、眼鏡を掛けたエマの視力でも暗い中でははっきりと見えない。この眼鏡も年々度が合わなくなっている。そろそろ変え時だろうか。
一歩前に出ると、生き物の体がびくりと震えた。暗闇に目が慣れてきたこともあり、ようやく全体像が見えてくる。
やはりそれは青年の瞳だった。青年はベッドの上で、後ずさるように壁に凭れている。
「……起きた?」
青年への疑問ではなく、自分への確認として言った。青年は目をパチパチとするだけで、答える様子は無い。
エマは安堵のため息をついた。傷が治ってきているとはいえ、青年が目覚めないことに、内心不安を感じていたのだ。
「よかった。治療法が合ってる自信なかったから、ちょっと心配してたの」
今度は青年に話しかけるように言った。答えを期待しているわけではないが、話しかけないのも不自然だろう。それに、敵意がないことは明らかにしておいた方がいい。
明かりを灯すため、エマは机の引き出しから火打ち石と小皿を取り出した。机の上にある壺から少量の薬を取り出し、小皿に乗せる。
火打ち石で火花を小皿に落とすと、一瞬にして薬から火が上がる。エマは慣れた手つきでこの火をオイルランプに移した。
「さて」と、エマはいつも薬の調合時に使う椅子に腰かけた。
何から聞こうか、とエマは考える。青年が魔族であることは確定だろう。あの月のように輝く瞳が証拠だ。人間ならば暗闇で目が光ることはない。
とりあえず体調を聞かなければいけないと思い、エマは深く考えずに口を開いた。
「体の調子はどう?魔族さん」
瞬間、青年は目を見開き、怒ったように目尻を吊り上げた。
どうやら言葉を間違えたらしい、と気付いた時にはもう遅かった。
ベッドにいたはずの青年は、いつの間にかエマの目の前にいた。あまりに一瞬のことで、全く目で追うことはできなかった。
青年があまりに近くに来たため、離れようとしたエマはバランスを崩し、椅子から転げ落ちた。
「いっ……!」
肩から床にぶつかり、鈍い痛みが走る。
仰向けになったエマの上に、青年が馬乗りになった。青年の片腕がエマの首にかかり、いつ絞め殺されてもおかしくない。
青年は鋭い目つきでエマを見下ろした。
「魔族と知りながらなぜ助ける。何が目的だ」
青年の低い声が腹に響く。こんな状況だというのに、エマは「いい声だな」などとのんきに聞いていた。
「目的も何も、怪我してたから治療しただけだけど」
エマの回答に、青年は訝しげに顔を歪める。
「そんな戯言を信じると思うか」
「信じる信じないはあなたの自由だけど、本当に他に理由は無いから。あなたが納得しそうなことは言えないかな」
青年は戸惑っているようだった。それがエマの回答になのか、エマがあまりに冷静だからかはわからない。
この状況は、エマにとっては想定の範囲内だった。瞬殺されなかっただけましだとすら思っている。
目覚めたら手負いで敵陣にいたなど、誰にとっても恐ろしいだろう。それにおそらく、青年を重症に追い込んだのは人間だ。人間に対する警戒心が強くなっていてもおかしくはない。
青年は困惑しているようだった。口を開けたまま、視線がさまよっている。
ふと、エマは青年の左目を覆う布を見る。よく見ると、そこには血が滲んでいた。
エマは反射的に青年の顔を両手で掴み、引き寄せた。青年は驚いてエマの首から手を放す。
「傷開いてるじゃない!」
青年はぽかんと口を開けてエマを見た。初めて聞くエマの大声に驚いたのかもしれない。
しかしエマは傷に夢中になり、青年の表情など目に入っていなかった。
「どいて、傷口診るから」
冷たい声でそう言い、エマは青年の上半身を押し上げた。青年はエマに気圧されたのか、大人しくエマの上から離れ、ベッドに戻る。
エマはほどいていた髪を乱雑に結び、薬棚から薬草と包帯用の布を手に取る。
エマが青年の顔に手を掛けると、青年は一瞬びくりとして右目を閉じたが、エマが布を外し始めるとゆっくり目を開いた。
布を取り去ると、思った通り傷口が開いて血が流れている。エマが薬を染み込ませた布で傷に触れると、青年は痛みに顔を歪めた。
薬を塗りなおして再び布で傷口を覆う。他の傷を確認すると、同じように傷口が開いていた。特に足の傷は、治療前に戻ったように流血している。
そちらの処置も完了し、エマは一息つく。ふと青年の顔を見ると、痛みに堪えるように唇を嚙んでいた。
「痛い……よね。痛み止め作ってくる」
台所で湯を沸かし、薬を溶かす。このままではあまりにも苦すぎるので、和らげるため蜂蜜を垂らした。
「飲めそう?」
青年は口で答えることはなかったが、体を起こし、器に手を伸ばした。落とさないよう、エマも器に手を添えて青年の口に近づける。
青年が薬を一口含む。少し顔をしかめたが、そのままゆっくりと飲み干した。
空になった器を受け取り、青年をベッドに横たえた。青年は苦し気に深く息を吐く。
エマは先ほど青年が嚙んだ唇にも薬を塗り、新しい布でそっと汗を拭いた。
「朝までまた寝るけど、少しでも体に異変があったら起こして。すぐ診るから」
エマがそう言うと、青年は小さく首を縦に振った。
エマは外した布や薬を片づけて、ランプの火を吹き消す。
エマは青年が横たわるベッドの近くに寝転がった。眠ろうと思っても、心配になってなかなか眠れない。
やがて荒かった青年呼吸が、穏やかな寝息に変わる。エマはようやく少し安心して目を閉じた。
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