三途の川で映画でも

日上口

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第二章 もし君がほほえんだなら

雨に唄えば

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「——分かった。神崎は物語をパターン化させすぎなんだよ。色々観すぎた弊害でキャラクターを記号化してるね」

「言ってくれるな、と思ったけど確かにそういう見方しちゃってるかもな……『SAVE THE CAT』みたいな有名な脚本術とか、そういうの中途半端に齧った影響でどうしてもそれが過っちゃうんだよな」

「そういう知識があるのは立派だと思うけどさ。私が絶対気づかない細かい部分にも気が付くわけだし」

「にしてもやっぱり黒江はストーリーを捉える目がシャープだよ。読書家だからかな? 正直羨ましいくらい目の付け所が良い」

「……そう? なんか調子に乗せようとしてない?」

「いや本気で。そんな意味ないヨイショしないよ」

 気が付けば映画本編よりも長い時間が経っている。物語について語っていたはずがいつの間にかお互いの“物語の見方”にまで議論は発展していた。

 ふと見れば窓を叩く雨音は随分弱々しくなっている。外もすっかり暗い。
 
「そういえば、取れたね。

 どことなくお開きの空気が流れる中、思い出したように黒江が言った。
 本当に不意のことで彼女の呼び方について言っていると理解するのに必要以上の時間がかかった。

「え、あー? 言われてみれば確かに……全然意識してなかった。ごめん」

「なんで謝るの? 同級生じゃん」

 黒江はそう言ってカラカラと笑う。
 二時間近く遠慮なく語り合っていただけあって、随分と打ち解けたと思う。
 
「呼び捨てでいいよ。普通に」

「じゃあ、黒江で」

「下の名前のつもりだったんだけど。まあいいや」

「……そっちだって神崎じゃん」

「たしかに。じゃあ私は今から慎って呼ぶ」

 彼女はこともなげに言って「お母さんと紛らわしいし」と付け加えた。
 たかが呼び方一つに狼狽えてしまう自分が情けない。異性に下の名前で呼ばれるなんて多分小学校以来だ。

 幸いなのは彼女は自分の座ったクッションを元の形に直すことに意識を傾けていて、顔を赤くしようが言葉に詰まろうが気にされないことだった。

「それじゃ、そろそろ——あっ、傘」

 黒江は思い出したように呟いてから困り顔をこちらに向けた。服装のせいもあるかもしれないが、その姿がとてもファンシーというかコミカルに見えて笑ってしまった。

「ビニール傘でよければ余ってるから……ていうかまず着替えなきゃだな」

「……着慣れちゃってた」

「あっはは! 恐るべしもこもこ」

 軽口を叩きながら部屋を出る。
 階段を下りる音を聞いたのか、リビングからパタパタと足音がする。母さんが干した黒江の制服などを回収しているのだろう。降りる前にメッセージを送っておけばよかった。
 
「あ~んやっぱり可愛いわ、ナナちゃん! 素材がいいから何でも似合うのね~。あっごめんね私ったら、制服よね。こっちいらっしゃ~い」

「はい、えっと、ありがとうございます」

 母さんは黒江を見るなり満面の笑みでそのもこもこの肩に手を回してリビングに招き入れる。黒江の方も少し耐性が付いたのか、困ってはいるが素直に返事をして付いて行った。

 特に何も考えずに廊下の壁にもたれてスマホをいじって待とうと思ったが「スタイル良すぎよ~ご飯ちゃんと食べてる?」「肌艶……若さねぇ」など、居心地の悪くなる声が聞こえてきたので玄関まで避難した。

「おまたせ——なんで壁と向かい合ってるの?」

「所在なかっただけだから、気にしないで」

「? わかった」

 黒江の怪訝な目を浴びながら一番キレイなビニール傘を彼女に渡し、玄関扉を開ける。雨は帰宅時ほどではないがシトシトと降り続いている。 

「気を付けてお帰り~」

「はいっ、色々ありがとうございました」

 黒江がリビングから顔を覗かせる母に対して丁寧にあいさつをするのを見届ける。
 最初は本当にどうなることかと思ったが、年の功だけではない母の強さのような何かを理解わからされた感じだ。
 
 扉が閉まると、一瞬時間が止まったような沈黙が流れた。直後家の前の道路を中型トラックが通り過ぎ、どちらからともなく傘を開いて二人並んで歩き始めた。

「フンフフーンフフフフーン」
 
 しばらくすると傘で雨粒が跳ねる音に紛れて黒江の鼻歌が聴こえてきた。『Singin' In The Rain』、映画タイトルを冠するあの曲だ。
 ふといたずら心が湧いてきてそのメロディに合わせて思い切り歌ってやった。

「アイムシーン、イザレイ~♪」

「ふふっ、すごい、歌い方そっくり」
 
 彼女は笑いながら、負けじとハミングの音量を上げた。
 いよいよ最後のサビというところですぐ横を一台の自転車が通り過ぎていった。その接近に全く気づいていなかった俺達は驚いて歌を止め——多分手遅れだったが——顔を見合わせ、自転車が完全に離れてから耐えきれず破顔した。

「はー……踊る? 恥ずかしついでに」

「さすがに」

「ですよね」
 
 そんなやりとりの後、少し先を歩いていた黒江はパッと振り返って「ここまででいいよ」と言った。唐突だなと思ったが、いつの間にか例の橋の向こうまで来ていたらしい。
 引き留めるのも変な話だ。反射的に出た曖昧な返事が届いたのかは分からないが彼女は「またね」と小さく手を振って独り歩いて行ってしまった。

 何となく少し足を止めてその後ろ姿を見送ってると、しばらくして彼女は小躍りするように小さくスキップを始めた。面白くてジッと見ていると、彼女はクルッとターンをして——当然その瞬間にしっかりと目が合った。俺はもう笑いを抑えることが出来なかった。

 彼女は遠目でも分かるくらい顔を赤くして必死に「帰れ」と言いたげに追い払うようなジェスチャーをしてくる。
 声は聞こえないだろうが手振りと共に謝りながらこちらも踵を返す。それから少し歩いて、ハッと振り返って声を上げた。

「また来て——」

 だが彼女の姿はもう見えなくなっていた。角を曲がって行ってしまったのだろう。
 すぐに雨脚がまた強まってきた。

 軒先に着いたとき、丁度メッセージアプリの通知が届いた。そこには無機質なアカウントからの『帰りのアレは忘れて』という簡潔な言葉だけが表示されていた。

「『了解』っと……絶対忘れないけど」

 
 *
 
 
 なんだか妙に疲れた。本当に長い長い一日だった。
 ベッドに身を投げ出して天井を眺める。黒江を見送ってからずっとある考えが頭を占拠していた。

「よしっ!」

 意を決して上半身を跳ね起こし、メッセージアプリを開いた。画面は黒江とのトークルームのままになっている。
 ふっと口元が緩みそうになるのを抑えて新たに文章を入力していく。

「んー、違うな」

 伝えたいことは短い短い言葉だ。だが細かい所が気になって何度も打ち直して酷く時間がかかる。
 
 今日、改めて同じ時間を過ごして、途中から「黒江が死なないように引き留める」という目的を忘れている自分が居た。
 心配だとか責任とか、そういうのを忘却するほど
 にとにかく——楽しかったのだ。
 それはきっと彼女も同じだったはずだ。そう自惚れられるほど、今日の彼女はたくさんの笑顔を見せてくれた。

『今日は楽しかった。ありがとう。またいつでも』

 楽しい。何かを共有する上でこれほど大事な感情もそう無いと思う。
 そして、それは十分にになり得るのではないだろうか。

 それにしても悩んだ割には最終的に至極単純な言葉になった。それなのになんでか指先が小さく震えた。大したことは言っていないのにまるで一世一代の告白でもする気分だった。

 ——送信。

 ふぅと短く息を吐くと全身から力が抜けた。と、同時に手に持ったままのスマホから振動が伝わった。黒江からの返信だ。早い。

『こちらこそ』

 自分もあまり人の事を言えないが非常に淡泊な返事だ。だが返しが早いのは非常にありがたい。悶々とせずにすむ。
 なんて考えているとポンっと追加のメッセージが送られた。

『明後日、またお邪魔していい?』
 
 それを見た瞬間に俺は思わず小さく、だが力強くガッツポーズをしていた。
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