上 下
24 / 41

23 意味がよくわからない

しおりを挟む
     ◆意味がよくわからない

 王宮の執事に手で示され、私は応接室に入っていった。
 三峰からの使者は、玄関ホールに近い部屋に通されている。王宮に入って、一番目の部屋だ。
 椅子に座る人物を見て、私は驚いた。
 てっきり、平川本部長か営業一課の誰かだと思っていたのに。予想外の人物だったからだ。
「紺野課長…」
 訪問者は、今回のシマームとの契約には関わりのないホン課の課長、紺野だった。

「天野くん、無事だったかい? あぁ、少しやつれたなぁ。ぼくの部下を、勝手にこんな偏境に飛ばすなんて…ここに来るのに、ほぼ一日がかりだったよ。全く、会社も横暴が過ぎる」
 早速、ヒヤリとさせられる。
 王宮に勤める使用人は、高学歴の者が多く。執事や私のそばで働く使用人は、日本語に精通しています。
 偏境とか、言わないでほしい。
 そう、胸の内でつぶやき。私は彼の対面に腰かけた。

「あの…どういうご用件でしょうか?」
「ぼくはねっ、営業一課の都合でこの国に売り飛ばされた君を救いに来たんだよ? 着替えは…ないのかい? 君にはそんな服似合わないよ」
 神経質そうな細い目を吊り上げ、私の姿をけなして、勢い込んで言う課長。
 失礼ですね、民族衣装が似合わなくてすいませんね。
 と思うとともに、私の頭の中に疑問符がいっぱい浮かんだ。

「天野くんが通訳として連れ出され、ぼくは本当に腹立たしかったんだよ。だって君は、ぼくのそばにずっといるべきなんだ。君もそれを望んでいただろう?」
 前から紺野課長の言うことは、よくわからないことが多かったが。
 今言っている言葉は、本当に、さっぱりわかりません。
 思い込みの激しい言動に、ちょっと鳥肌が立つ。
 どう訂正すればいいか、悩んだ。

「紺野課長、おっしゃっていることの意味がよくわからないのですが。私は三峰商事から派遣されて、こちらに来ているのです。正式な契約ですから、日本に帰るわけにはいきません」
「そうだよね? 日本に帰りたいのに、契約で縛られて帰れないんだよね? なんの用意もなく、その日のうちに連れ去るなんて。これは、拉致だよ。犯罪だっ」
 また、過激なことを言い出した課長を、顔を青くしながら訂正する。
「そのようなことはありません。この件は同意の上です。私のスキルアップのためにも、ここに来ることは…」
 私とラダウィの関係性がなくても。
 三峰の社員が今回のことでシマームに出向したら、普通に考えても栄転になります。

 しかし、そのような私の言葉をさえぎって。紺野課長は席を立った。
「あぁ、もう時間だ。この便に乗らないと、月曜日までに帰れないんだよ。全く、辺鄙へんぴなところだ。それより、天野くん。いつまでぼくを課長なんてよそよそしく呼ぶんだい? ぼくのことは正樹と、名前で呼んで構わないよ?」
 課長が照れ笑いしながらそんなことを言い、私の左手を握る。

「なんだ、これは?」
 そこにはラダウィから贈られた金の腕輪がはまっていて。
 私の袖の隙間から腕輪を見やった課長が、笑みをスッと消した。
「なに、こんな下品でセンスのない腕輪をつけられてんだぁッ、はぁぁっ?」
 突然キレて、それに触ろうとしたから。
 本能的にゾワッと、背筋があわ立ち。課長の手を咄嗟に払った。
 慌てて席を立ち、彼と距離を取る。

 ラダウィから贈られた腕輪が下品だなんて。なんたる暴言。許せませんっ。

「シマームの野蛮人は、私の天野くんに妙な手枷をはめやがったのかぁぁ? 許せないよなぁッ!」
 許せないのはこちらですっ、と怒る私に。課長は腕輪を目がけて手を伸ばしてくる。
 絶対に彼に触らせたくなくて、右手で払うと。
 その右手首をきつく掴んできた。
「私がその腕輪を外してやるから、早く手を出しなさい」
 課長の手の力は、思いのほか強く。
 失礼ながら、気配も狂気じみていて、寒気がしてしまいました。
 一緒に室内にいる執事も、仲裁に入るタイミングを伺い始めています。

「やめてください、課長。手を、離してっ」
 困り果て、とにかく左手は背中に隠し、掴まれた右腕を引いて、拒んだ。
 そこに、慌てた様子でムサファが入ってきて。課長の手を払いのけてくれました。

「汚い手で天野様に触れるなっ!」
 ムサファは課長から私を引き離し、背中に隠すようにする。
 彼の日本語はいつもとても丁寧な言葉遣いなのだが。
 言葉も視線もとがり。柔らかい眼差しが標準装備なのに、今は全く目が笑っていませんっ。

「な、なんだ、おまえは…」
「覚えていませんか? 日本でお会いしていますが」
 ムサファのことを、紺野は睨みつける。

 やめてぇ、ムサファはシマームの宰相様ですよっ。
 あああぁ、会社の契約がぁ…。

「そこをどけ、おまえこそ、ぼくの天野くんに触るな」
 強引にムサファを押しのけようとする課長を。彼がいなしていると。
 応接室の扉が壊れそうな勢いで開いた。

 金の瞳を怒りに燃え立たせたラダウィが、長い剣を手にして立っている。

「無礼者。我が妻に触れた罪深きその腕、斬り落としてくれる」
 ラダウィは流ちょうな日本語で叫び、うなり声をあげて剣を振り下ろした。
 間一髪、課長が手を引いて、惨劇はまぬがれたが。
「妻? 笑わせるな。天野くんはぼくの恋人だぞ? ぼくたちは一緒に日本へ帰るんだ。シマームの獣め、私たちの邪魔をして、天野くんを食い荒らすつもりだな?」
 課長の言葉は、王の火に油を注ぐ。
「恋人だと? 貴様…」
 王は完全に憤激し。再び剣を振り上げる。
 かなりの修羅場になってしまったが、どうにか場をおさめないと。

 国が、会社が、危機ですっ。

 思い切って、私はラダウィの懐に飛び込んで、剣をおろせないように、きつく抱きついた。
「いけません、どうか怒りを御鎮おしずめください。三峰の不祥事は調整役の私がおさめますから」
 懸命にとりなすと、ラダウィはギリと奥歯を噛みしめるが。剣はおろしてくれた。

「紺野課長、この方はシマーム国の国王陛下です。三峰商事がシマーム国と大きな契約を結んだことを、ご存じないのですか? 彼の差配ひとつで、会社は大きな損害をこうむるのです。それを承知で、そんなくだらないことを言いに来たというのなら、私は会社にこのことを伝えなければなりません。課長の行為は、迷惑です。日本にはひとりでお帰りください」

 課長が間違った解釈をしないよう、私はきっぱりと言い渡した。
 ここまで言えば、私の気持ちは伝わるでしょう。
 そう思っていたのだが。課長はなぜか、目を輝かせた。

「あぁ、なんて素敵なんだ? 命を懸けて、この乱暴者からぼくを救ってくれたんだね? 君の愛は確かに受け取ったよ」
 課長は、どうしてそんな風に受け取ったのでしょう?
 もう、どう言えば、迷惑とか気持ち悪いという想いを伝えられるのか、私には思いつきません。

「ムサファ、ゴミを早くつまみ出せ。そして二度と王宮に踏み入れさせるな」
 ラダウィの指示で、ムサファは護衛官を中に入れる。
 執事や護衛官らに部屋から引きずり出されていく課長は、叫んだ。
「必ず、この悪の巣窟そうくつから君を救い出して見せるっ。ぼくを信じて、待っていてくれ、天野くーん」
 最後の最後まで、爆弾を投下していく課長に、私は呆れて言葉を失った。
 それでも、課長の姿が見えなくなって、ホッとする。

 せっかく上手く行きかけている仕事に、味噌をつけないでほしいです。
 そう思っていたら、ラダウィが額にチュウしてきたから。
 ハッと我に返った。王に抱きついたままでしたっ。
「ご無礼いたしました、ラダウィ様。それに、お騒がせして、申し訳ありません」
 王に、許しもなく抱きついた非礼を詫び、彼から離れる。
 すると彼は鼻で息をついて、剥き身の剣を鞘におさめた。

「でも、どうしてこちらに?」
 ラダウィもムサファも、まるで私の窮地がわかっていたかのように、応接室に入ってきました。
 あまりにもタイムリーで不思議に思い、問いかけると。ムサファが答えた。
「執事や天野様担当の使用人には、緊急時に対応できるよう、レシーバーを持たせています。三峰の社員と面会だと聞いていたのですが、天野様が紺野課長と、要注意人物の名を呼んだので、駆けつけた次第でございます」
 なるほど、それで課長が私に触ったことを、ラダウィも知っていたのですね?
 しかし、となると。
 課長のシマームへの暴言も、王と宰相の耳に入ってしまいましたね。
 これは、まずいことになりました。

「おまえの失態だな、ムサファ」
 王が睨むと、ムサファは深く頭を下げた。
 紺野課長のせいでムサファが怒られてしまっては、なりません。なんとか庇おうと思い、口にした。
「恐れながら、陛下。私は紺野課長がなぜあのようなことを言い出したのか、理解できないのです。課長の行動は、予期できない事態でした。なのでムサファのせいでは…」
 しかし。私の言葉を受けてゆるりと顔を上げたムサファの表情は、怒気がありありとにじんでいた。

「いいえ、天野様。これは確かに、私の落ち度でございます。日本で、天野様の転居手続きをしていた際に、あの者から何度も妨害を受けたのです。勝手に荷物を持っていくなと、大騒ぎして。天野様の了解を得ていると言っても聞く耳持たずで。結局、三峰の者に間に入ってもらったという経緯がありました。なのでシマーム側では彼を要注意人物に指定していたのですよ」

 どういうつもりで課長がそんなことをしたのか、私はいまだにさっぱり察せられないが。
 なんとなく、もう、そういうふうに思っていては駄目な展開なのはわかった。
 すでにシマームの方たちに迷惑をおかけしているようですし。

 怒涛の展開でしたが、今までの流れを整理すると。
 紺野課長は私を恋人だと思い込んで、数々の暴挙に及んでいる、ということなのでしょう。ね?
 ううん、イマイチ、腑に落ちません。
 だって、告白とか、そういう話をされたこともありませんし。
 同性の上司と部下ですし。
 なにより、課長は既婚者なので。
 だから、ただのスキンシップが激しい、ちょっと変な上司だと、私は認識していたのです。

 するとムサファはさらに続けた。
「あなたには言うまいと思っておりました。怖がらせたくはなかったので。ですが、あの者の振る舞いは常軌を逸しているので、用心のためにも告げておきます。天野様の部屋からは、盗聴器が三台みつかりました。電波を発信するだけの安っぽい作りで、仕掛け人は特定できませんでしたが。あの男の仕業に違いないでしょう。だから、あの者が現れたときに、この事態は予見できたのです」

 上司が、そんなことをするとは考えたくなくて。すべてを誤解で終わらせたい気持ちがあるのですが。
 今回の暴挙は誤解で済ませられない、国際問題にも発展しかねない事態だし。
 そういえば、帰宅直後に電話が鳴って『おかえり』と言われたこともありました。
 他にも、仕事中に下ネタを振ってきて、困っているとニヤリと笑う奇行や。
 わざわざ顔を寄せて仕事の指示を耳元で囁いたり。
 肩や背中やお尻を意味もなく叩いてきたり。

 思い出せば出すほど、紺野課長のことが気持ち悪くなり。その異常ぶりに、今更ながらゾッとした。

 気のせいでも、誤解でもないのだと。もう認めるしかありませんね。
「三峰の社員には、基本、面会の制限を設けておりませんでしたが。あの者に限っては、王都への出入りを禁じておくべきでした。早急に対処いたします」
「あいつ…やはり斬るべきだったな」
 不穏に、ラダウィがぼそりとつぶやく。
 王の『斬る』は、本当の斬るです。

 別口で、またゾッとしました。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

好きになって貰う努力、やめました。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,797pt お気に入り:2,187

悪役令嬢の中身が私になった。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:191pt お気に入り:2,628

転生したら捨てられたが、拾われて楽しく生きています。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:11,551pt お気に入り:24,900

1年後に離縁してほしいと言った旦那さまが離してくれません

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,219pt お気に入り:3,762

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:26,965pt お気に入り:281

処理中です...