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23 意味がよくわからない
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◆意味がよくわからない
王宮の執事に手で示され、私は応接室に入っていった。
三峰からの使者は、玄関ホールに近い部屋に通されている。王宮に入って、一番目の部屋だ。
椅子に座る人物を見て、私は驚いた。
てっきり、平川本部長か営業一課の誰かだと思っていたのに。予想外の人物だったからだ。
「紺野課長…」
訪問者は、今回のシマームとの契約には関わりのないホン課の課長、紺野だった。
「天野くん、無事だったかい? あぁ、少しやつれたなぁ。ぼくの部下を、勝手にこんな偏境に飛ばすなんて…ここに来るのに、ほぼ一日がかりだったよ。全く、会社も横暴が過ぎる」
早速、ヒヤリとさせられる。
王宮に勤める使用人は、高学歴の者が多く。執事や私のそばで働く使用人は、日本語に精通しています。
偏境とか、言わないでほしい。
そう、胸の内でつぶやき。私は彼の対面に腰かけた。
「あの…どういうご用件でしょうか?」
「ぼくはねっ、営業一課の都合でこの国に売り飛ばされた君を救いに来たんだよ? 着替えは…ないのかい? 君にはそんな服似合わないよ」
神経質そうな細い目を吊り上げ、私の姿をけなして、勢い込んで言う課長。
失礼ですね、民族衣装が似合わなくてすいませんね。
と思うとともに、私の頭の中に疑問符がいっぱい浮かんだ。
「天野くんが通訳として連れ出され、ぼくは本当に腹立たしかったんだよ。だって君は、ぼくのそばにずっといるべきなんだ。君もそれを望んでいただろう?」
前から紺野課長の言うことは、よくわからないことが多かったが。
今言っている言葉は、本当に、さっぱりわかりません。
思い込みの激しい言動に、ちょっと鳥肌が立つ。
どう訂正すればいいか、悩んだ。
「紺野課長、おっしゃっていることの意味がよくわからないのですが。私は三峰商事から派遣されて、こちらに来ているのです。正式な契約ですから、日本に帰るわけにはいきません」
「そうだよね? 日本に帰りたいのに、契約で縛られて帰れないんだよね? なんの用意もなく、その日のうちに連れ去るなんて。これは、拉致だよ。犯罪だっ」
また、過激なことを言い出した課長を、顔を青くしながら訂正する。
「そのようなことはありません。この件は同意の上です。私のスキルアップのためにも、ここに来ることは…」
私とラダウィの関係性がなくても。
三峰の社員が今回のことでシマームに出向したら、普通に考えても栄転になります。
しかし、そのような私の言葉をさえぎって。紺野課長は席を立った。
「あぁ、もう時間だ。この便に乗らないと、月曜日までに帰れないんだよ。全く、辺鄙なところだ。それより、天野くん。いつまでぼくを課長なんてよそよそしく呼ぶんだい? ぼくのことは正樹と、名前で呼んで構わないよ?」
課長が照れ笑いしながらそんなことを言い、私の左手を握る。
「なんだ、これは?」
そこにはラダウィから贈られた金の腕輪がはまっていて。
私の袖の隙間から腕輪を見やった課長が、笑みをスッと消した。
「なに、こんな下品でセンスのない腕輪をつけられてんだぁッ、はぁぁっ?」
突然キレて、それに触ろうとしたから。
本能的にゾワッと、背筋があわ立ち。課長の手を咄嗟に払った。
慌てて席を立ち、彼と距離を取る。
ラダウィから贈られた腕輪が下品だなんて。なんたる暴言。許せませんっ。
「シマームの野蛮人は、私の天野くんに妙な手枷をはめやがったのかぁぁ? 許せないよなぁッ!」
許せないのはこちらですっ、と怒る私に。課長は腕輪を目がけて手を伸ばしてくる。
絶対に彼に触らせたくなくて、右手で払うと。
その右手首をきつく掴んできた。
「私がその腕輪を外してやるから、早く手を出しなさい」
課長の手の力は、思いのほか強く。
失礼ながら、気配も狂気じみていて、寒気がしてしまいました。
一緒に室内にいる執事も、仲裁に入るタイミングを伺い始めています。
「やめてください、課長。手を、離してっ」
困り果て、とにかく左手は背中に隠し、掴まれた右腕を引いて、拒んだ。
そこに、慌てた様子でムサファが入ってきて。課長の手を払いのけてくれました。
「汚い手で天野様に触れるなっ!」
ムサファは課長から私を引き離し、背中に隠すようにする。
彼の日本語はいつもとても丁寧な言葉遣いなのだが。
言葉も視線も尖り。柔らかい眼差しが標準装備なのに、今は全く目が笑っていませんっ。
「な、なんだ、おまえは…」
「覚えていませんか? 日本でお会いしていますが」
ムサファのことを、紺野は睨みつける。
やめてぇ、ムサファはシマームの宰相様ですよっ。
あああぁ、会社の契約がぁ…。
「そこをどけ、おまえこそ、ぼくの天野くんに触るな」
強引にムサファを押しのけようとする課長を。彼がいなしていると。
応接室の扉が壊れそうな勢いで開いた。
金の瞳を怒りに燃え立たせたラダウィが、長い剣を手にして立っている。
「無礼者。我が妻に触れた罪深きその腕、斬り落としてくれる」
ラダウィは流ちょうな日本語で叫び、唸り声をあげて剣を振り下ろした。
間一髪、課長が手を引いて、惨劇は免れたが。
「妻? 笑わせるな。天野くんはぼくの恋人だぞ? ぼくたちは一緒に日本へ帰るんだ。シマームの獣め、私たちの邪魔をして、天野くんを食い荒らすつもりだな?」
課長の言葉は、王の火に油を注ぐ。
「恋人だと? 貴様…」
王は完全に憤激し。再び剣を振り上げる。
かなりの修羅場になってしまったが、どうにか場をおさめないと。
国が、会社が、危機ですっ。
思い切って、私はラダウィの懐に飛び込んで、剣をおろせないように、きつく抱きついた。
「いけません、どうか怒りを御鎮めください。三峰の不祥事は調整役の私がおさめますから」
懸命にとりなすと、ラダウィはギリと奥歯を噛みしめるが。剣はおろしてくれた。
「紺野課長、この方はシマーム国の国王陛下です。三峰商事がシマーム国と大きな契約を結んだことを、ご存じないのですか? 彼の差配ひとつで、会社は大きな損害を被るのです。それを承知で、そんなくだらないことを言いに来たというのなら、私は会社にこのことを伝えなければなりません。課長の行為は、迷惑です。日本にはひとりでお帰りください」
課長が間違った解釈をしないよう、私はきっぱりと言い渡した。
ここまで言えば、私の気持ちは伝わるでしょう。
そう思っていたのだが。課長はなぜか、目を輝かせた。
「あぁ、なんて素敵なんだ? 命を懸けて、この乱暴者からぼくを救ってくれたんだね? 君の愛は確かに受け取ったよ」
課長は、どうしてそんな風に受け取ったのでしょう?
もう、どう言えば、迷惑とか気持ち悪いという想いを伝えられるのか、私には思いつきません。
「ムサファ、ゴミを早くつまみ出せ。そして二度と王宮に踏み入れさせるな」
ラダウィの指示で、ムサファは護衛官を中に入れる。
執事や護衛官らに部屋から引きずり出されていく課長は、叫んだ。
「必ず、この悪の巣窟から君を救い出して見せるっ。ぼくを信じて、待っていてくれ、天野くーん」
最後の最後まで、爆弾を投下していく課長に、私は呆れて言葉を失った。
それでも、課長の姿が見えなくなって、ホッとする。
せっかく上手く行きかけている仕事に、味噌をつけないでほしいです。
そう思っていたら、ラダウィが額にチュウしてきたから。
ハッと我に返った。王に抱きついたままでしたっ。
「ご無礼いたしました、ラダウィ様。それに、お騒がせして、申し訳ありません」
王に、許しもなく抱きついた非礼を詫び、彼から離れる。
すると彼は鼻で息をついて、剥き身の剣を鞘におさめた。
「でも、どうしてこちらに?」
ラダウィもムサファも、まるで私の窮地がわかっていたかのように、応接室に入ってきました。
あまりにもタイムリーで不思議に思い、問いかけると。ムサファが答えた。
「執事や天野様担当の使用人には、緊急時に対応できるよう、レシーバーを持たせています。三峰の社員と面会だと聞いていたのですが、天野様が紺野課長と、要注意人物の名を呼んだので、駆けつけた次第でございます」
なるほど、それで課長が私に触ったことを、ラダウィも知っていたのですね?
しかし、となると。
課長のシマームへの暴言も、王と宰相の耳に入ってしまいましたね。
これは、まずいことになりました。
「おまえの失態だな、ムサファ」
王が睨むと、ムサファは深く頭を下げた。
紺野課長のせいでムサファが怒られてしまっては、なりません。なんとか庇おうと思い、口にした。
「恐れながら、陛下。私は紺野課長がなぜあのようなことを言い出したのか、理解できないのです。課長の行動は、予期できない事態でした。なのでムサファのせいでは…」
しかし。私の言葉を受けてゆるりと顔を上げたムサファの表情は、怒気がありありとにじんでいた。
「いいえ、天野様。これは確かに、私の落ち度でございます。日本で、天野様の転居手続きをしていた際に、あの者から何度も妨害を受けたのです。勝手に荷物を持っていくなと、大騒ぎして。天野様の了解を得ていると言っても聞く耳持たずで。結局、三峰の者に間に入ってもらったという経緯がありました。なのでシマーム側では彼を要注意人物に指定していたのですよ」
どういうつもりで課長がそんなことをしたのか、私はいまだにさっぱり察せられないが。
なんとなく、もう、そういうふうに思っていては駄目な展開なのはわかった。
すでにシマームの方たちに迷惑をおかけしているようですし。
怒涛の展開でしたが、今までの流れを整理すると。
紺野課長は私を恋人だと思い込んで、数々の暴挙に及んでいる、ということなのでしょう。ね?
ううん、イマイチ、腑に落ちません。
だって、告白とか、そういう話をされたこともありませんし。
同性の上司と部下ですし。
なにより、課長は既婚者なので。
だから、ただのスキンシップが激しい、ちょっと変な上司だと、私は認識していたのです。
するとムサファはさらに続けた。
「あなたには言うまいと思っておりました。怖がらせたくはなかったので。ですが、あの者の振る舞いは常軌を逸しているので、用心のためにも告げておきます。天野様の部屋からは、盗聴器が三台みつかりました。電波を発信するだけの安っぽい作りで、仕掛け人は特定できませんでしたが。あの男の仕業に違いないでしょう。だから、あの者が現れたときに、この事態は予見できたのです」
上司が、そんなことをするとは考えたくなくて。すべてを誤解で終わらせたい気持ちがあるのですが。
今回の暴挙は誤解で済ませられない、国際問題にも発展しかねない事態だし。
そういえば、帰宅直後に電話が鳴って『おかえり』と言われたこともありました。
他にも、仕事中に下ネタを振ってきて、困っているとニヤリと笑う奇行や。
わざわざ顔を寄せて仕事の指示を耳元で囁いたり。
肩や背中やお尻を意味もなく叩いてきたり。
思い出せば出すほど、紺野課長のことが気持ち悪くなり。その異常ぶりに、今更ながらゾッとした。
気のせいでも、誤解でもないのだと。もう認めるしかありませんね。
「三峰の社員には、基本、面会の制限を設けておりませんでしたが。あの者に限っては、王都への出入りを禁じておくべきでした。早急に対処いたします」
「あいつ…やはり斬るべきだったな」
不穏に、ラダウィがぼそりとつぶやく。
王の『斬る』は、本当の斬るです。
別口で、またゾッとしました。
王宮の執事に手で示され、私は応接室に入っていった。
三峰からの使者は、玄関ホールに近い部屋に通されている。王宮に入って、一番目の部屋だ。
椅子に座る人物を見て、私は驚いた。
てっきり、平川本部長か営業一課の誰かだと思っていたのに。予想外の人物だったからだ。
「紺野課長…」
訪問者は、今回のシマームとの契約には関わりのないホン課の課長、紺野だった。
「天野くん、無事だったかい? あぁ、少しやつれたなぁ。ぼくの部下を、勝手にこんな偏境に飛ばすなんて…ここに来るのに、ほぼ一日がかりだったよ。全く、会社も横暴が過ぎる」
早速、ヒヤリとさせられる。
王宮に勤める使用人は、高学歴の者が多く。執事や私のそばで働く使用人は、日本語に精通しています。
偏境とか、言わないでほしい。
そう、胸の内でつぶやき。私は彼の対面に腰かけた。
「あの…どういうご用件でしょうか?」
「ぼくはねっ、営業一課の都合でこの国に売り飛ばされた君を救いに来たんだよ? 着替えは…ないのかい? 君にはそんな服似合わないよ」
神経質そうな細い目を吊り上げ、私の姿をけなして、勢い込んで言う課長。
失礼ですね、民族衣装が似合わなくてすいませんね。
と思うとともに、私の頭の中に疑問符がいっぱい浮かんだ。
「天野くんが通訳として連れ出され、ぼくは本当に腹立たしかったんだよ。だって君は、ぼくのそばにずっといるべきなんだ。君もそれを望んでいただろう?」
前から紺野課長の言うことは、よくわからないことが多かったが。
今言っている言葉は、本当に、さっぱりわかりません。
思い込みの激しい言動に、ちょっと鳥肌が立つ。
どう訂正すればいいか、悩んだ。
「紺野課長、おっしゃっていることの意味がよくわからないのですが。私は三峰商事から派遣されて、こちらに来ているのです。正式な契約ですから、日本に帰るわけにはいきません」
「そうだよね? 日本に帰りたいのに、契約で縛られて帰れないんだよね? なんの用意もなく、その日のうちに連れ去るなんて。これは、拉致だよ。犯罪だっ」
また、過激なことを言い出した課長を、顔を青くしながら訂正する。
「そのようなことはありません。この件は同意の上です。私のスキルアップのためにも、ここに来ることは…」
私とラダウィの関係性がなくても。
三峰の社員が今回のことでシマームに出向したら、普通に考えても栄転になります。
しかし、そのような私の言葉をさえぎって。紺野課長は席を立った。
「あぁ、もう時間だ。この便に乗らないと、月曜日までに帰れないんだよ。全く、辺鄙なところだ。それより、天野くん。いつまでぼくを課長なんてよそよそしく呼ぶんだい? ぼくのことは正樹と、名前で呼んで構わないよ?」
課長が照れ笑いしながらそんなことを言い、私の左手を握る。
「なんだ、これは?」
そこにはラダウィから贈られた金の腕輪がはまっていて。
私の袖の隙間から腕輪を見やった課長が、笑みをスッと消した。
「なに、こんな下品でセンスのない腕輪をつけられてんだぁッ、はぁぁっ?」
突然キレて、それに触ろうとしたから。
本能的にゾワッと、背筋があわ立ち。課長の手を咄嗟に払った。
慌てて席を立ち、彼と距離を取る。
ラダウィから贈られた腕輪が下品だなんて。なんたる暴言。許せませんっ。
「シマームの野蛮人は、私の天野くんに妙な手枷をはめやがったのかぁぁ? 許せないよなぁッ!」
許せないのはこちらですっ、と怒る私に。課長は腕輪を目がけて手を伸ばしてくる。
絶対に彼に触らせたくなくて、右手で払うと。
その右手首をきつく掴んできた。
「私がその腕輪を外してやるから、早く手を出しなさい」
課長の手の力は、思いのほか強く。
失礼ながら、気配も狂気じみていて、寒気がしてしまいました。
一緒に室内にいる執事も、仲裁に入るタイミングを伺い始めています。
「やめてください、課長。手を、離してっ」
困り果て、とにかく左手は背中に隠し、掴まれた右腕を引いて、拒んだ。
そこに、慌てた様子でムサファが入ってきて。課長の手を払いのけてくれました。
「汚い手で天野様に触れるなっ!」
ムサファは課長から私を引き離し、背中に隠すようにする。
彼の日本語はいつもとても丁寧な言葉遣いなのだが。
言葉も視線も尖り。柔らかい眼差しが標準装備なのに、今は全く目が笑っていませんっ。
「な、なんだ、おまえは…」
「覚えていませんか? 日本でお会いしていますが」
ムサファのことを、紺野は睨みつける。
やめてぇ、ムサファはシマームの宰相様ですよっ。
あああぁ、会社の契約がぁ…。
「そこをどけ、おまえこそ、ぼくの天野くんに触るな」
強引にムサファを押しのけようとする課長を。彼がいなしていると。
応接室の扉が壊れそうな勢いで開いた。
金の瞳を怒りに燃え立たせたラダウィが、長い剣を手にして立っている。
「無礼者。我が妻に触れた罪深きその腕、斬り落としてくれる」
ラダウィは流ちょうな日本語で叫び、唸り声をあげて剣を振り下ろした。
間一髪、課長が手を引いて、惨劇は免れたが。
「妻? 笑わせるな。天野くんはぼくの恋人だぞ? ぼくたちは一緒に日本へ帰るんだ。シマームの獣め、私たちの邪魔をして、天野くんを食い荒らすつもりだな?」
課長の言葉は、王の火に油を注ぐ。
「恋人だと? 貴様…」
王は完全に憤激し。再び剣を振り上げる。
かなりの修羅場になってしまったが、どうにか場をおさめないと。
国が、会社が、危機ですっ。
思い切って、私はラダウィの懐に飛び込んで、剣をおろせないように、きつく抱きついた。
「いけません、どうか怒りを御鎮めください。三峰の不祥事は調整役の私がおさめますから」
懸命にとりなすと、ラダウィはギリと奥歯を噛みしめるが。剣はおろしてくれた。
「紺野課長、この方はシマーム国の国王陛下です。三峰商事がシマーム国と大きな契約を結んだことを、ご存じないのですか? 彼の差配ひとつで、会社は大きな損害を被るのです。それを承知で、そんなくだらないことを言いに来たというのなら、私は会社にこのことを伝えなければなりません。課長の行為は、迷惑です。日本にはひとりでお帰りください」
課長が間違った解釈をしないよう、私はきっぱりと言い渡した。
ここまで言えば、私の気持ちは伝わるでしょう。
そう思っていたのだが。課長はなぜか、目を輝かせた。
「あぁ、なんて素敵なんだ? 命を懸けて、この乱暴者からぼくを救ってくれたんだね? 君の愛は確かに受け取ったよ」
課長は、どうしてそんな風に受け取ったのでしょう?
もう、どう言えば、迷惑とか気持ち悪いという想いを伝えられるのか、私には思いつきません。
「ムサファ、ゴミを早くつまみ出せ。そして二度と王宮に踏み入れさせるな」
ラダウィの指示で、ムサファは護衛官を中に入れる。
執事や護衛官らに部屋から引きずり出されていく課長は、叫んだ。
「必ず、この悪の巣窟から君を救い出して見せるっ。ぼくを信じて、待っていてくれ、天野くーん」
最後の最後まで、爆弾を投下していく課長に、私は呆れて言葉を失った。
それでも、課長の姿が見えなくなって、ホッとする。
せっかく上手く行きかけている仕事に、味噌をつけないでほしいです。
そう思っていたら、ラダウィが額にチュウしてきたから。
ハッと我に返った。王に抱きついたままでしたっ。
「ご無礼いたしました、ラダウィ様。それに、お騒がせして、申し訳ありません」
王に、許しもなく抱きついた非礼を詫び、彼から離れる。
すると彼は鼻で息をついて、剥き身の剣を鞘におさめた。
「でも、どうしてこちらに?」
ラダウィもムサファも、まるで私の窮地がわかっていたかのように、応接室に入ってきました。
あまりにもタイムリーで不思議に思い、問いかけると。ムサファが答えた。
「執事や天野様担当の使用人には、緊急時に対応できるよう、レシーバーを持たせています。三峰の社員と面会だと聞いていたのですが、天野様が紺野課長と、要注意人物の名を呼んだので、駆けつけた次第でございます」
なるほど、それで課長が私に触ったことを、ラダウィも知っていたのですね?
しかし、となると。
課長のシマームへの暴言も、王と宰相の耳に入ってしまいましたね。
これは、まずいことになりました。
「おまえの失態だな、ムサファ」
王が睨むと、ムサファは深く頭を下げた。
紺野課長のせいでムサファが怒られてしまっては、なりません。なんとか庇おうと思い、口にした。
「恐れながら、陛下。私は紺野課長がなぜあのようなことを言い出したのか、理解できないのです。課長の行動は、予期できない事態でした。なのでムサファのせいでは…」
しかし。私の言葉を受けてゆるりと顔を上げたムサファの表情は、怒気がありありとにじんでいた。
「いいえ、天野様。これは確かに、私の落ち度でございます。日本で、天野様の転居手続きをしていた際に、あの者から何度も妨害を受けたのです。勝手に荷物を持っていくなと、大騒ぎして。天野様の了解を得ていると言っても聞く耳持たずで。結局、三峰の者に間に入ってもらったという経緯がありました。なのでシマーム側では彼を要注意人物に指定していたのですよ」
どういうつもりで課長がそんなことをしたのか、私はいまだにさっぱり察せられないが。
なんとなく、もう、そういうふうに思っていては駄目な展開なのはわかった。
すでにシマームの方たちに迷惑をおかけしているようですし。
怒涛の展開でしたが、今までの流れを整理すると。
紺野課長は私を恋人だと思い込んで、数々の暴挙に及んでいる、ということなのでしょう。ね?
ううん、イマイチ、腑に落ちません。
だって、告白とか、そういう話をされたこともありませんし。
同性の上司と部下ですし。
なにより、課長は既婚者なので。
だから、ただのスキンシップが激しい、ちょっと変な上司だと、私は認識していたのです。
するとムサファはさらに続けた。
「あなたには言うまいと思っておりました。怖がらせたくはなかったので。ですが、あの者の振る舞いは常軌を逸しているので、用心のためにも告げておきます。天野様の部屋からは、盗聴器が三台みつかりました。電波を発信するだけの安っぽい作りで、仕掛け人は特定できませんでしたが。あの男の仕業に違いないでしょう。だから、あの者が現れたときに、この事態は予見できたのです」
上司が、そんなことをするとは考えたくなくて。すべてを誤解で終わらせたい気持ちがあるのですが。
今回の暴挙は誤解で済ませられない、国際問題にも発展しかねない事態だし。
そういえば、帰宅直後に電話が鳴って『おかえり』と言われたこともありました。
他にも、仕事中に下ネタを振ってきて、困っているとニヤリと笑う奇行や。
わざわざ顔を寄せて仕事の指示を耳元で囁いたり。
肩や背中やお尻を意味もなく叩いてきたり。
思い出せば出すほど、紺野課長のことが気持ち悪くなり。その異常ぶりに、今更ながらゾッとした。
気のせいでも、誤解でもないのだと。もう認めるしかありませんね。
「三峰の社員には、基本、面会の制限を設けておりませんでしたが。あの者に限っては、王都への出入りを禁じておくべきでした。早急に対処いたします」
「あいつ…やはり斬るべきだったな」
不穏に、ラダウィがぼそりとつぶやく。
王の『斬る』は、本当の斬るです。
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