願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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あざみ7

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 湊は、鋭い。名乗った名前で、今の状況を悟ったようだった。
 しばらく見せていた驚きを上手に消して、立ち上がっていた。湊は、口角を上げていく。警戒の色を濃くしながら、にっこりとほほ笑んでいた。テーブルを挟んで二人は向かい合う形になる。
 そんな湊へ、由紀子が笑顔を浮かべていた。
「あなたが佐藤蓮さんですね。岩国社長から、お噂は聞いております。やはりテレビよりも素敵だわ」
 由紀子らしい、ゆったりとした粘ついてくるような独特な言い回しだ。
 由紀子は、手を差し出していく。湊は、その手を取った。
「ああ、岩国ホテルの。以前ドラマの撮影していた時、よく食事へ誘っていただきました。お元気にされていますか?」
 握手を交わし、手を放す。湊は、カメラ以外の社交の場でも完璧に演じ切る人だ。
 しかし、今は目が笑っていなかった。緊張がある。
 由紀子の登場で、会場のちらこちらで聞こえていた和やかさは薄れていた。盛り上がっていた雰囲気は、沈み込んで、沈黙していた。なるべく、関わらない方がいい。だけど、気になる。そんな空気だ。
 
「私も、最近はお会いできていないのですよ。娘が縁談中に逃げ出したせいで」
 みんながハッとした顔をする。その中に湊もいた。隠すつもりはなかった。しかし、こうやって暴かれてしまえば、結果的に隠していたことになる。湊には、常に誠実でありたかった。そんな思いを砕かれてしまったような気持ちになる。
 私は、俯くことしかできなかった。
 そんな私を踏みつけるように、由紀子は言葉を重ねた。
「岩国社長の顔に泥を塗ったにもとどまらず、その後佐藤さんにも多大なご迷惑おかけしているなんて、夢にも思いませんでしたわ」
 悪意に慣れている。特に、今この人の言葉は。
 だから、私は大丈夫。私は心の中で何度も唱え続ける。
 気づかれない程度に何度も深呼吸を繰り返していると、川島が声をあげた。
「……娘って……まさか? まつりちゃん?」
 川島が目を丸くしていた。由紀子がふっと笑う。
「ええ。ここで突っ立っているのが、私の娘。影山紅羽です」
「あ、みんな知らなかったんですか? カゲは影山グループの社長令嬢なんですよ」
 リコが強調する。違うテーブルからも、えっと驚きの声が上がった。視線が一気に集まる。
 
 リコは、私の腕に自分の腕を絡ませて、驚きました? と、よくわからない優越感を醸し出している。蛇のように、まとわりついてくる腕の感触が不快で仕方なかったが、そのままにさせておく。
 今は、リコなどどうでもいい。
 
「皆様、娘がたくさんご迷惑おかけしたでしょう? 本当に申し訳ありませんでした。今まで、ろくに働いたこともない温室育ちだったものですから。すぐに連れ帰って、しっかり教育しなおしますので、ご容赦ください」
 そういうと、由紀子はリコ目を合わせた。リコは、頷いて示し合わせたように私の腕を引こうとする。
 湊は、その手を離せと言わんばかりに鋭く言い放っていた。
「紅羽さんには、いつも助けられてばかりです。いなくなられては、困ります」
 湊は、私を庇う。その目に怒りが滲んでいた。
 それに気づいてしまえば、がっちりと固めたはずの心が、溶け出しそうだった。湊の優しさだけは、せっかく築いた防御壁が役立たずになってしまいそうになる。
 それじゃダメだ。私は、胸の痛みを唇を噛んで、すり替える。
 私の腕を引っ張っていたリコの手が止まっていた。その代わりに、腕を掴んでいるリコの手に力が入る。腕の骨がぎりぎりと軋む。
 由紀子のターゲットが、変わる気配がした。
「佐藤さんは、お優しいのですね。ですが、そのような優しさは、この娘には不要です。つけあがるだけですので」
 由紀子が最後に付け加えた言葉は、ずっと我慢していた感情がにじみ出ていた。
 由紀子の大きく鋭い声が、会場にいっぱいに響いく。
 こちらに向けられている視線が、凍り付いていた。
 湊の目は一層鋭くなる。応戦の準備をいるようだった。
 これ以上、由紀子を刺激させるとまずい。
 私を庇い続けたら、湊へ飛び火してしまう。私は絡みついていたリコの腕を振り払った。
 
 そこで初めて、私が由紀子の方へ振り返る。
 由紀子の目は、ぎょろりとこちらを向いた。氷のように冷たい。記憶にあるものよりも何倍も鋭く研ぎ澄まされている。少し触れただけで、すぐに切れてしまう刃物のようだった。
 少しだけ落ち着いていた心臓が、再び走り出そうとする。それを何とか押しとどめて、私は由紀子を見据えた。
 怯むわけにはいかない。私が大きく息を吸い込もうとしたとき、ふわっと煙草の残り香が漂った。
 
「せっかくの楽しい打ち上げの空気を悪くされては困りますよ。影山社長さん」
 会場に入ってきたのは、ポケットに手を突っ込んでいる小早川社長だった。
 思いがけない人物の登場だった。小早川は、この異様な雰囲気にのまれることなく、平然と私を守るように横に立っていた。 
「小早川社長……こんな騒ぎになって、申し訳ありません」
 リコと何かしらあるとは思っていたが、まさかここまで大事になるなんて思いもしなかった。一重に私の責任だ。
「なんで謝るんだ? お前は、悪いこと何もしてねえだろ?」
 小早川のぶっきらぼうな優しさが、私の胸を突いてくる。
 勢いよく顔を上げる。視界に入ったのは、普段通りの小早川だった。

「あー煙草吸いてぇな。灰皿ある?」
「ここは禁煙です」
 緊迫した空気なのに、湊から突っ込みまで入る。
 ちっと舌打ちする小早川はいつも通り過ぎて、私は思わず苦笑してしまっていた。
 そうしたら、一気に肩の力が抜けていた。突然の状況に、事故を起こし渋滞していた思考回路が、さっと流れていく。
 
「影山紅羽は、うちの社員だ。俺は一応会社のトップに立つ人間なんでね。社員を守る義務がある。だから、はっきり言わせていただきます。うちの社員を勝手に拉致するような真似は、やめていただきたい」
 小早川の毅然とした態度に、由紀子は無表情になる。
 遠巻きで見ていたホテルのスタッフの顔が凍り付いていた。
 
「紅羽は、私の娘です。親子の問題に、会社は関係ありません。赤の他人が口出しされないでください」
 由紀子の答えに、小早川は、ガシガシと頭をかいた。
「親子ねぇ……。親っていうのは、子供の幸せを願う生き物なのだとばかり思っていました。でも、あなたを見ていると、真逆だ。幸せどころか、子供を追い詰める」
 小早川の目は、驚くほど鋭かった。敵意を隠そうともしない。由紀子は当然のように売られた喧嘩をかう。 
「何がおっしゃりたいの?」
「親の仕事は、子供にたくさんの愛情を注いでやることだ。親元から飛び立とうとする時は、喜んで見送ってやることだ。それをせずに、子供を支配し続け、従わせ、利用することばかり考えていては、子供は何時までたっても幸せにはなれない。それが親のすることか?」
 真正面からぶつかる小早川に、由紀子は嫌悪を隠すことなく目尻を歪ませていた。
「愛だの、幸せだの……くだらない話はやめてくださりませんか? 私は、精神論というものが大嫌いですの」
 由紀子は、煩わしいと言いながら、しっしと手で払う。そして、呆れたように先を続けた。
「道端で愛なんか語っても、何の足しにもなりやしないでしょ。『私の子供とてもかわいいです』『私はとても幸せです』 そんな滑稽なこと主張して、社会で通用しますか? ただ、愛を叫んだって、何の得にもなりやしない。労力の無駄。人間の頭の中は、いつも損得勘定の計算機がある。得と判断すれば、いかに相手を上手く利用するかを考え、役立たないと判断すれば、切り捨てる。親子だって所詮、人間同士。結局は、ビジネス世界と同じです」
 由紀子は、肩をすくめる。周囲は、由紀子の価値観に驚くばかりのようだったが、私にとってはすべて今更だ。いちいち傷つくような繊細な心は、疾うの昔に捨てている。
 ただ冷えた目で、由紀子を見ていると、ずっと小早川へ向いていた顔が、こちらを向いた。
「私は、紅羽を苦労しながら育てたのですから、私の苦労に報いるのは当然のこと。仇で返すなど、あってはならない」
 睨みつけてくる由紀子の目は、血走っていた。
 私の心は冷え切りすぎて、何も感じなかった。
 
「最悪な家の典型だな。虫唾が走る」
 小早川が、発した怒りが伝染したように、湊の拳を握る手も震えていた。
 由紀子は、二人の怒りを目の前にして、朱色の唇が激怒を表すように戦慄いていた。
 二人には不愉快な思いをさせて、心から申し訳ないと思う。本来ならば、この二人だけは巻き込んではいけなかったというのに。
 突如、由紀子の歪んでいた真っ赤な唇が、不気味なほどゆったりと上向いた。
 嫌な予感がした。
  
「ならば、あなたの理想の親の目線で言わせていただきます。うちの娘に怪我を負わせたと聞きました。どういうことでしょうか? 何でも、佐藤蓮のストーカーにやられたんだとか。でも、不思議なことにその話がニュースにもならなければ、警察にも届けられていなかった」
 
 私が怪我を負った時、犯人を警察へ突き出さなかったことは事実だ。私自身、由紀子に居場所を知られたくなかったから好都合だった。なんとなく三浦から話を聞いただけで、詳細を知ろうなんて、考えもしなかった。由紀子の独壇場から、私の知らない事実が飛び出していた。

「私は違和感を覚え、調べさせたところ、どうやらそのストーカーは、あなたの会社の従業員だったようですね? そのこと紅羽は、知ってたの?」 
 小早川の顔色が変わっていた。苦虫を潰したような顔になる。湊も険しい表情をしている。事実ということなのだろう。
 私にその事実を隠していたことは、仕方のないことだろう。真実を知る人は、最小限の方がいい。
 私は肯定も否定もしない。
 黙り込む私を見て、由紀子は、勝ちほこったような顔をしていた。
 私から意識を外した由紀子は、小早川の前に出る。
 
「赤の他人ならまだしも、自分の従業員が佐藤蓮に傷を負わせたとなれば、世間はどんな反応するでしょうか。会社の管理がなっていない。まずはそこを指摘されることでしょう。そして、人間というのは、想像力豊かな生き物ですから、なぜそんなことになったのかと、様々なストーリーが勝手に出来上がって広まっていく。真っ先におもいつくのは、佐藤蓮との痴情のもつれというものでしょうね。そうなれば、佐藤蓮という商品には大きな傷がついてしまいます。だから、あなたは、この事件を隠蔽した。違いますか?」 
 随分と流暢で、まるでドラマに出てくる探偵のような言い方だった。身ぶり手ぶりを大げさにしていて、まとめ上げた髪が乱れている。自分に酔っている。
 
「そのせいで被害者である紅羽は、一生残る傷を負わされながらも、犯人は捕まることなくこれまでどおり。こんな酷い話ありますか?」
 由紀子の目は乾ききっていて、むしろ笑っているのに、目もとをハンカチで拭った。
「私は紅羽のことを、とても愛している親ですから、娘が不憫で仕方ありません。この件を相談し、公表しようと思っております。親として、当然の行動ですよね?」
 由紀子は、この上なく楽しそうだった。会場はどんよりと重苦しい空気なのに、由紀子だけは生き生きとしている。
 ここにいる人間とは、まったく違う生物のようにみえた。
 
 こんな形で逆手に取られるとは思いもしなかった小早川は、チっと舌打ちをしていた。返す言葉がない。そこまで調べられているのは、想定外だったのだろう。由紀子を知らない人であれば、仕方のないことだ。
 
 だが、私は由紀子の娘だ。だから、私は誰よりも由紀子のことを知っている。そこまでする人だということくらい。


 
 
「お母さま。そのお話、まんまと信じたのですか?」
 私から由紀子を嘲るような言葉が出る。由紀子の目は一瞬で血走っていた。
「隠しておくのもいい加減、馬鹿馬鹿しくなってきてしまいましたので、真実を申し上げます」
 私は、ふふっと笑う。そして、大きく息を吸い込んだ。
「あの一件は、私が仕組んだことです」
 思いがけない私の発言に、由紀子の米神に青筋が浮かんだ。
「私がストーカーを唆し、私を傷つけるように命令しました」
 同時に、私の声がすべての人々の鼓膜に響いていく。会場がざわめき始めていた。
 湊と小早川は、言葉を失っていた。ただただ目を見開いている。
 そう、それでいい。その反応で。
 私を守ろうなんて、してくれなくていい。
 私は、堂々と左腕の袖をまくってみせた。くっきりとのこっている傷跡が露わになる。
 会場がどよめいていた。

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