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ジャスミン
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それから私は家に連れ戻されて早々、自室へ押し込められ、外からカギをかけられていた。もう自分の意志では、外へ出られない。
覚悟していたことではあったが、その閉塞感は予想をはるかに超えて、どうしようもない絶望で追いつめらて行く感覚だった。
人と接触できるのは、鏡花が食事を運んでくるときだけ。ドアの外では、監視が必ず立っていて、他愛のない話もすることができない。当然、食欲は沸くはずもなく、窓際が私の定位置となっていた。
私の大演説から、三カ月。あのあと、みんなは大丈夫だっただろうか。何事もなく、平穏に過ごせているだろうか。情報が何もないから、マスコミに騒がれたりしていないかもわからない。
いくら思い悩んでも、答えがでない。
朝が来て、夜が来て、また朝が来るように、毎日その繰り返しだった。
ただ生きていく。人間という生き物は不思議なもので、あれだけ絶望感があったのに、過ぎていく時間の中で薄れていく。
しかし、外が夕方にさしかかる時だけは、薄れていた喪失感が色濃くよみがえった。
この時間になると時折、左腕に鈍い痛みが走ると、どうしても腕を切られ、病室にいるときことを思い出してしまう。
ベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めていると、空は黄昏色をしていて、空に見入っていた。
そんな時、湊は突然私の前に現れた。
映画の最後の仕事を終えて一緒に走った時も、こんな空だった。
燃えるようなオレンジ色から強いピンクになって、青が混ざりあい淡い紫に変化していく。
こんな時間は、人の心を感傷的にさせるらしいが、あの時の私は、むしろ逆だったように思う。いくら空が暗い世界へ誘われて行っても、暗い空を明るくする星のように、私の心は華やいでいた。私はいつも笑顔でいられた。
だけど、今は。
湊の笑顔は、あっという間に夜の闇と涙の奥へにじんでいってしまう。
思い出だけあれば、大丈夫。そう思っていたのに、涙が止まらなくなる。
膝を抱えることしかできない。
「紅羽さん」
優しく名前を呼ばれて、ドキッと心臓が跳ねる。ハッとして顔を上げる。
そこにいたのは、鏡花だった。急いで目元の水をふき取る。
「夕食お持ちしました」
台車に乗せて、運んでくる。乗っているのは、食事の乗ったトレイと、生け花。いつも通りの季節外れの梅だ。
「ありがとうございます」
鏡花は、私への心配の視線を向けてくるが、その彼女自身も暗い目をしていた。
なにかったのだろうか。
「紅羽さん、私でできることがあれば何でも言ってください」
そういう鏡花の声に覇気がなかった。花瓶をテーブルへ置く手が震えていた。
梅は、その震えなど関係ないように、真っ赤に花をつけている。
「いつもありがとうございます。鏡花さんこそ、大丈夫ですか?」
鏡花の目の下に、濃い隈ができていた。何かあったのかもしれない。
鏡花は大きく目を見開くと、その眼にうっすらと涙が浮かんでいた。
「私がいない間も、風当り強かったでしょう? 勝手なことをして、本当にごめんなさい」
「そんなこと」
鏡花は俯く。肯定の意味だ。鏡花は、私のことが心配で辞めずにいられることを私は知ってる。
私は窓際から離れて、鏡花の横へ立つ。私より小柄で背が低い鏡花は、いつも以上に小さく見えた。
本当に申し訳ないと思う。
「鏡花さんは、とっても仕事ができるから、どこでだってやっていける。もうここから、離れた方がいい」
「え……」
鏡花は、一瞬言葉を詰まらせる。
「……でも、私、ずっと住み込みで働いていて、他の仕事なんかしたことなくて……私ができることは、紅羽さんのお世話をすることくらいで、ほかに雇ってくれる人なんかいないです」
「それ、誰が言ったんですか?」
私が問うと、鏡花はドアの外を気にするそぶりをする。
答えは明白だった。
母や兄ずっとそうやって、いわれ続けたのだろう。だから、本当に行きたい場所へ行けずにいる。
「私ね、外に出てみてよくわかったんです。世界はとっても広くて、いろんなもので満ち溢れている。困っていれば、手を差し伸べてくれる人もたくさんいる。素敵なことは、たくさんある。短い間だったけれど、こんな私でもなんとかやっていけたんです。でも、鏡花さんは、私とは全然違う。仕事がちゃんとできる人だから、絶対に大丈夫」
私とそれほど年齢は離れていないのに、手は荒れていて、ガサガサしている。
私のために、ずっと頑張ってきてくれた手だ。鏡花の手をきゅっと握る。
「チャンスを逃したら、次はないかもしれない。今の二人は、私に目が向いているから、他のことには緩くなっているはずです。鏡花さん一人のために、追いかけてくる余裕はない。だから、出るのなら今。辞表は、私が預かるから」
「……そんなことしたら、紅羽さんが」
「私は、大丈夫」
「でも」
「変な気を起こすなんて、考えている? 大丈夫。そんなことしません」
「本当ですか?」
「はい。約束します」
そんなやり取りを小声でやっていたら、ドアが叩かれた。鏡花がびくっと肩を震わせた。早く来いという合図なのだろう。
鏡花は、後ろ髪をひかれるように私を見る。私は、迷いなく頷く。
そして、翌日の朝。母たちがいない時間帯を選んで鏡花が、私のもとへやってきた。手にはこんなに荷物は鞄と封筒がある。
決意で身を固めた、いい表情をしていた。
「本当に、いいんですか?」
この期に及んでそういうから、私は笑ってしまう。
私は、辞表を持ったままの手から、そっと抜き取る。
「鏡花さん。今まで、本当にありがとうございました。私は、鏡花さんにたくさん助けられました。これからは、何にも遠慮することなく、自分らしくいてください。どうかお元気で」
私が笑顔でそういうと、鏡花の目にみるみる涙が溜まって、頬に涙の道筋を作っていた。
「私、紅羽さんに、いつも優しい声をかけていただいてばかりで……何も返せていなくて……」
鏡花が、言葉を詰まらせる。
「それは、私も同じです。……何も、返せなかった」
恩を返したいと思っていても、一瞬でその機会を失ってしまうことは、たくさんあって、今も本当はあの時どうしたらよかったのかよくわからない。だけど、私はこう思う。
「私は、鏡花さんがそう思ってくれるだけで、十分報われているんです。それでも、鏡花さんが、後ろめたい気持ちなるのなら……その分を違う誰かに、返してあげてください」
鏡花が肩を震わせて泣きじゃくる。私はそっと抱きしめる。その涙が、どうしても伝染してきてしまう。
私も、涙が溢れてきて仕方なかった。
この家にいる間、どれだけ鏡花の存在が支えになったのかわからない。
鏡花の流す涙は辛いことの方が多かったけれど、その中でもほんの少しだけ嬉しいこともあったと、そう思いたかった。
私は、そっと身を離す。涙を拭いながら、笑う。
「ほら、もう行かないと。誰か帰ってくる」
鏡花は、頷く。持っていた鞄を手にした。
「差し入れできるのが、いつも梅ばっかりで……すごく嫌だった。だから、最後はこれを」
そういって、鞄から取り出す。出てきたのは、黄色の大輪。私は大きく目を見開いた。
「紅羽さん、青いお花が好きだから、そうしようと思ったんですけれど、時期的にお花屋さんにおいてなくて……。お店の人と相談して、ヒマワリにしました。お好きでしたか?」
遠慮がちに問われ、私は答えた。
「私の大好きな花です」
受け取ると、ずっと忘れていたきゅっと締め付けてくる痛みが全身に覆いかぶさってくるようだった。
太陽の光をいっぱい吸い込んで花開いた、ぱっと華やぐような雰囲気。
湊の笑顔が脳裏に浮かんで、重なっていく。
この花がどこかで咲き続ける限り、私はきっと思い出し続ける。
光を抱きしめて、私は生きていく。
覚悟していたことではあったが、その閉塞感は予想をはるかに超えて、どうしようもない絶望で追いつめらて行く感覚だった。
人と接触できるのは、鏡花が食事を運んでくるときだけ。ドアの外では、監視が必ず立っていて、他愛のない話もすることができない。当然、食欲は沸くはずもなく、窓際が私の定位置となっていた。
私の大演説から、三カ月。あのあと、みんなは大丈夫だっただろうか。何事もなく、平穏に過ごせているだろうか。情報が何もないから、マスコミに騒がれたりしていないかもわからない。
いくら思い悩んでも、答えがでない。
朝が来て、夜が来て、また朝が来るように、毎日その繰り返しだった。
ただ生きていく。人間という生き物は不思議なもので、あれだけ絶望感があったのに、過ぎていく時間の中で薄れていく。
しかし、外が夕方にさしかかる時だけは、薄れていた喪失感が色濃くよみがえった。
この時間になると時折、左腕に鈍い痛みが走ると、どうしても腕を切られ、病室にいるときことを思い出してしまう。
ベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めていると、空は黄昏色をしていて、空に見入っていた。
そんな時、湊は突然私の前に現れた。
映画の最後の仕事を終えて一緒に走った時も、こんな空だった。
燃えるようなオレンジ色から強いピンクになって、青が混ざりあい淡い紫に変化していく。
こんな時間は、人の心を感傷的にさせるらしいが、あの時の私は、むしろ逆だったように思う。いくら空が暗い世界へ誘われて行っても、暗い空を明るくする星のように、私の心は華やいでいた。私はいつも笑顔でいられた。
だけど、今は。
湊の笑顔は、あっという間に夜の闇と涙の奥へにじんでいってしまう。
思い出だけあれば、大丈夫。そう思っていたのに、涙が止まらなくなる。
膝を抱えることしかできない。
「紅羽さん」
優しく名前を呼ばれて、ドキッと心臓が跳ねる。ハッとして顔を上げる。
そこにいたのは、鏡花だった。急いで目元の水をふき取る。
「夕食お持ちしました」
台車に乗せて、運んでくる。乗っているのは、食事の乗ったトレイと、生け花。いつも通りの季節外れの梅だ。
「ありがとうございます」
鏡花は、私への心配の視線を向けてくるが、その彼女自身も暗い目をしていた。
なにかったのだろうか。
「紅羽さん、私でできることがあれば何でも言ってください」
そういう鏡花の声に覇気がなかった。花瓶をテーブルへ置く手が震えていた。
梅は、その震えなど関係ないように、真っ赤に花をつけている。
「いつもありがとうございます。鏡花さんこそ、大丈夫ですか?」
鏡花の目の下に、濃い隈ができていた。何かあったのかもしれない。
鏡花は大きく目を見開くと、その眼にうっすらと涙が浮かんでいた。
「私がいない間も、風当り強かったでしょう? 勝手なことをして、本当にごめんなさい」
「そんなこと」
鏡花は俯く。肯定の意味だ。鏡花は、私のことが心配で辞めずにいられることを私は知ってる。
私は窓際から離れて、鏡花の横へ立つ。私より小柄で背が低い鏡花は、いつも以上に小さく見えた。
本当に申し訳ないと思う。
「鏡花さんは、とっても仕事ができるから、どこでだってやっていける。もうここから、離れた方がいい」
「え……」
鏡花は、一瞬言葉を詰まらせる。
「……でも、私、ずっと住み込みで働いていて、他の仕事なんかしたことなくて……私ができることは、紅羽さんのお世話をすることくらいで、ほかに雇ってくれる人なんかいないです」
「それ、誰が言ったんですか?」
私が問うと、鏡花はドアの外を気にするそぶりをする。
答えは明白だった。
母や兄ずっとそうやって、いわれ続けたのだろう。だから、本当に行きたい場所へ行けずにいる。
「私ね、外に出てみてよくわかったんです。世界はとっても広くて、いろんなもので満ち溢れている。困っていれば、手を差し伸べてくれる人もたくさんいる。素敵なことは、たくさんある。短い間だったけれど、こんな私でもなんとかやっていけたんです。でも、鏡花さんは、私とは全然違う。仕事がちゃんとできる人だから、絶対に大丈夫」
私とそれほど年齢は離れていないのに、手は荒れていて、ガサガサしている。
私のために、ずっと頑張ってきてくれた手だ。鏡花の手をきゅっと握る。
「チャンスを逃したら、次はないかもしれない。今の二人は、私に目が向いているから、他のことには緩くなっているはずです。鏡花さん一人のために、追いかけてくる余裕はない。だから、出るのなら今。辞表は、私が預かるから」
「……そんなことしたら、紅羽さんが」
「私は、大丈夫」
「でも」
「変な気を起こすなんて、考えている? 大丈夫。そんなことしません」
「本当ですか?」
「はい。約束します」
そんなやり取りを小声でやっていたら、ドアが叩かれた。鏡花がびくっと肩を震わせた。早く来いという合図なのだろう。
鏡花は、後ろ髪をひかれるように私を見る。私は、迷いなく頷く。
そして、翌日の朝。母たちがいない時間帯を選んで鏡花が、私のもとへやってきた。手にはこんなに荷物は鞄と封筒がある。
決意で身を固めた、いい表情をしていた。
「本当に、いいんですか?」
この期に及んでそういうから、私は笑ってしまう。
私は、辞表を持ったままの手から、そっと抜き取る。
「鏡花さん。今まで、本当にありがとうございました。私は、鏡花さんにたくさん助けられました。これからは、何にも遠慮することなく、自分らしくいてください。どうかお元気で」
私が笑顔でそういうと、鏡花の目にみるみる涙が溜まって、頬に涙の道筋を作っていた。
「私、紅羽さんに、いつも優しい声をかけていただいてばかりで……何も返せていなくて……」
鏡花が、言葉を詰まらせる。
「それは、私も同じです。……何も、返せなかった」
恩を返したいと思っていても、一瞬でその機会を失ってしまうことは、たくさんあって、今も本当はあの時どうしたらよかったのかよくわからない。だけど、私はこう思う。
「私は、鏡花さんがそう思ってくれるだけで、十分報われているんです。それでも、鏡花さんが、後ろめたい気持ちなるのなら……その分を違う誰かに、返してあげてください」
鏡花が肩を震わせて泣きじゃくる。私はそっと抱きしめる。その涙が、どうしても伝染してきてしまう。
私も、涙が溢れてきて仕方なかった。
この家にいる間、どれだけ鏡花の存在が支えになったのかわからない。
鏡花の流す涙は辛いことの方が多かったけれど、その中でもほんの少しだけ嬉しいこともあったと、そう思いたかった。
私は、そっと身を離す。涙を拭いながら、笑う。
「ほら、もう行かないと。誰か帰ってくる」
鏡花は、頷く。持っていた鞄を手にした。
「差し入れできるのが、いつも梅ばっかりで……すごく嫌だった。だから、最後はこれを」
そういって、鞄から取り出す。出てきたのは、黄色の大輪。私は大きく目を見開いた。
「紅羽さん、青いお花が好きだから、そうしようと思ったんですけれど、時期的にお花屋さんにおいてなくて……。お店の人と相談して、ヒマワリにしました。お好きでしたか?」
遠慮がちに問われ、私は答えた。
「私の大好きな花です」
受け取ると、ずっと忘れていたきゅっと締め付けてくる痛みが全身に覆いかぶさってくるようだった。
太陽の光をいっぱい吸い込んで花開いた、ぱっと華やぐような雰囲気。
湊の笑顔が脳裏に浮かんで、重なっていく。
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