願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

文字の大きさ
37 / 46

ジャスミン2

しおりを挟む
 鏡花がこの家を去ってから、しばらくすると階下にいた家政婦がバタバタと走り回っている音がした。
 由紀子が帰宅してくる前触れだ。
 私は、窓際から離れる。ずっと部屋の外のドアに張り付いているであろう誰かに声をかけた。
「お話がありますと、母に伝えてください」
 返事はなかった。しかし、離れていく足音がする。了解したという意味なのだろう。
 
 それからだいぶ時間が経った。
 もう今日は来ないのかと思い始めた頃、由紀子が部屋のドアをけ破るようにして飛び込んできていた。すでに、お怒りのようだ。
「鏡花が突然辞めると言い出して、出て行ったと聞いたわ! 説得したのは、あなたね!」
 外の見張りが、由紀子へ告げ口したのかもしれない。まぁ、どこでもいいことだ。溜息をつかずにはいられなかった。私は、ずっと手に持っていた託されていた辞表を差し出した。
「鏡花さんには、もうずいぶんと長くここで働いてくださりました。私にとっても彼女の存在は、とても大切な方。だからこそ、これ以上この家に縛り付けておくのは、間違っていると思い、助言いたしました」
 由紀子の頭の血管がプツっと、切れる。実際、本当に切れたんじゃないかと思う。
 それくらい、わかりやすく顔が真っ赤になった。

「本当なら! あなたのような出来損ない、捨て置いたってかまわなかった! 苦労や恥ばかり掛けられてただけで、で私は何も返されていない! いい加減、返してもらうわ!」
「もう、私にできることは残っていないと思いますが」
 社長がいくら箝口令を敷いたといっても、ホテル内にはたくさんのスタッフがいる。完全に止めることはできないだろうし、由紀子はずっと岩国に執着していた。彼らは、大企業。当然、私の件は耳に入っていることだろう。
 そんな悪い噂が纏わりついている人間との結婚など、相手にメリットどころかデメリットしかない。
 岩国も企業を束ねるトップ。由紀子ほどの極端な考え方の持ち主ではないだろうが、損得勘定は必ずする。
 破談となったとみて、間違いない。現に連れ戻されて三か月間、音沙汰もなく、ひたすらこの場所に閉じ込められていることが、何よりの証拠だろう。
 そう確信していたのだが。
 
「あなたを岩国のところへ何としても出します!」
 唐突に、由紀子が言い放った。
 ならば、なぜ一気に話を進めていなかったのだろうか。なぜこんなに時間が空いたのか。
「先方から断りがきていたのでは、ないのですか? お母さまが頭を下げたのですか?」
 そういってみて、笑ってしまった。由紀子が自ら頭を下げることなど、天地がひっくり返ってもない。
 今の私は、そうやってなんの遠慮なく吐き出せてしまう。冷静に考えれば、単にずっと部屋に押し込められ続けていて、思考力が低下していたせいかもしれない。
 
 由紀子の顔はみるみるうちに赤くなり、耳まで赤くなっていた。
 今は、もう鏡花はいない。彼女は、由紀子の抑止力でもあった。面倒なことになったなと、他人事のように思う。
「むしろ岩国から、私に頭を下げてきたのよ! あんたに会わせろって!」
 由紀子はカッと目を見開き、傍にあった花瓶を私へ思い切り投げつけてきていた。
 私の真横を飛んで、壁にぶつかる。花瓶は派手な音を立てて、粉々に砕けた。生けられていた梅の花の先端はもげて、花瓶のガラス片が散らばった。破片が飛んできて、私の足首を掠めた。ぴりっとした痛みとともに、液体が流れる。それに気を取られすぎた。様々なものを投げつけてくる中、エアコンのリモコンが真正面に迫っていた。咄嗟に顔を守った左腕に直撃していた。
 足の痛みなんかとは比べ物にならないくらいの激痛が走った。
 歯を食いしばって、痛みを何とか散らしても、どうにもならずその場に蹲る。
 由紀子は、物を壊したお陰で、ある程度のストレスが発散されたのだろう。由紀子は、上がった息を整えていた。
 赤かった目が、真っ白になっている。
「岩国のところへ行ったら、岩国グループの営業秘密情報を私へ流してもらう。それが、あんたが私にでいる唯一の恩返しよ!」
 由紀子は、吐き捨てるようにそういって出て行った。
 なるほど、そういうことだったのか。
 私の縁談は、結婚による裏切りのない結びつきを得るため、だと思っていた。しかし、そこにはまだ思惑があった。
 私が岩国の内部に入れて、内部情報を由紀子へ流す。得た情報を利用して、影山グループを大きく成長させ、岩国を蹴落とす。
 どうしたら、そこまであくどくなれるのだろう。
 そんな血が自分にも流れていると思うと、身の毛もよだつのに、左腕の痛みは引いていた。
 
 しんと静まり返った部屋を見渡す。
 散々な有様だった。部屋中にガラスの破片が散乱しているし、床は水浸し。その上に梅の花弁の赤が散らばっている。水を吸い込んで、梅の甘いが立ち込めてくるようだった。
 私は嘆息して、立ち上がる。切れた足首がずきずき痛んだが、片づけを優先する。
 ビニールの中へ拾えそうなものを拾って、投げ入れていく。
 こんなこと些末なことだ。
 どうせ私はここを出るのだろう。何があろうが、もうどうでもいいことだ。
 
 部屋の中にハンカチタオルで、床を拭いているとき、ガラスの破片が刺さった。ぷっくりと浮き上がった赤い玉が、ポタっと落ちる。痛みはなかった。
 指先から赤い雫が、零れ落ちていく。

 
 散々な出来事の翌日、再び由紀子が部屋にやってきた。由紀子と接触したのは、昨日が久々だったのに、今日もか。窓際の椅子に座りながら、仕方なく、由紀子の方へ顔だけ向ける。
 昨日は、顔を出して早々から鬼の形相だったが、今回は上機嫌のようだ。薄く赤い唇の両端が上を向いている。
 
「岩国さんと、今日会うことになりました」
 由紀子は、私へ着物を投げてよこす。
 前回の縁談の時に来た着物以上のド派手に描かれた梅だった。どす黒い赤い色をしている。
 趣味が悪い。声に出そうだったが、今回は飲み込む。
「早く用意しなさい。三十分後に家を出ます」
 由紀子が、出ていく。私は、大きくため息をつき、膝の上にある着物を手にする。
 
 そして、家の前でスタンバイしている黒塗りの車へ押し込まれた。
 車の中で、自分の手へと目を落とす。昨日の指先の傷は、まだ治りきっていない上に、左腕が痛い。
 どうせなら、切り傷や痛みが引いてからにしてほしかった。揺れるたびに、不快な痛みが時折襲ってくる。
 
 無機質に流れていく車窓から、外を眺め続け、閑静な住宅街を出て、都内の中心部へと入っていく。
 人が賑わう街へと、景色が変わった。
 楽しそうな笑顔が、溢れている。それを見ているのも億劫になって、私は瘡蓋になっている指先を撫でた。
 車が停車する。止まった勢いで、かさぶたを爪でひっかけた。
 じわっと、血が再び滲んでいくのを、じっと見つめていた。
 
 しばらくすると、ドアが開かれた。
 促されるがままに、両足を地面に下ろす。
 前回は、料亭だったから、似たような場所を想像していたのだが。
 目の前にあったのは、高層ビルだった。

 ふと縁談を飛び出したソメイヨシノが、脳裏に浮かぶ。
 しかし、今の季節は、冬を迎えようとしているところだ。そんな季節に桜など咲くはずもない。
 そもそも、都会のど真ん中の高層ビル群の中に桜どころか木々はほとんどない。こじんまりと植えられている生垣くらいだ。逃げ出した庭の勝手口は、ここにはない。
 もう、逃げ場はない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

⚪︎
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】

iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。 小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

次は絶対に幸せになって見せます!

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢マリアは、熾烈な王妃争いを勝ち抜き、大好きな王太子、ヒューゴと結婚したものの、結婚後6年間、一度も会いに来てはくれなかった。孤独に胸が張り裂けそうになるマリア。 “もしもう一度人生をやり直すことが出来たら、今度は私だけを愛してくれる人と結ばれたい…” そう願いながら眠りについたのだった。 翌日、目が覚めると懐かしい侯爵家の自分の部屋が目に飛び込んできた。どうやら14歳のデビュータントの日に戻った様だ。 もう二度とあんな孤独で寂しい思いをしない様に、絶対にヒューゴ様には近づかない。そして、素敵な殿方を見つけて、今度こそ幸せになる! そう決意したマリアだったが、なぜかヒューゴに気に入られてしまい… 恋愛に不器用な男女のすれ違い?ラブストーリーです。

いつも隣にいる

はなおくら
恋愛
心の感情を出すのが苦手なリチアには、婚約者がいた。婚約者には幼馴染がおり常にリチアの婚約者の後を追う幼馴染の姿を見ても羨ましいとは思えなかった。しかし次第に婚約者の気持ちを聞くうちに変わる自分がいたのだった。

処理中です...