願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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ジャスミン3

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 エレベーターに乗り込み、最上階へ。すぐ正面にカウンターがあった。すぐに由紀子を見て、誰かわかったらしい。
「お待ちしておりました。影山様」
 スタッフが笑顔で、前を歩いていく。どうやらフレンチレストランらしい。メインディッシュを前に、ワインを嗜んでいる客を数人見かけた。その人たちを横目に、案内されるがままに進む。一般席の端にあるす個室へ通された。
 
 その部屋だけ前面ガラス張りで、東京の景色が一望できた。建物や人をすべてを見下ろすことができる。あまりの高さに足がすくみそうで、落ち着かない。この場所だけ切り離されたように感じる。岩国たちの姿はまだなかった。
「失礼は、絶対に許しませんからね」
 由紀子の強めの声が飛んだとき、個室のドアが開いた。
 
「お久しぶりです」
 前回と違って、入ってきたのは岩国社長と、息子の春樹二人だった。由紀子が立ち上がり、私も続いて立ち上がる。由紀子の前に岩国社長。私の前に、息子の春樹が立つ。
「このような不出来な娘とまた会いたいと、言ってくださるとは、夢にも思っておりませんでした。再びこのような機会をいただき、本当にありがとうございます」
 由紀子は頭を下げながら、私の脇を強めに肘で押してくる。私は、事前に言えと言われていたセリフを、再生させた。
「前回の時、あまりに突然のことで混乱してしまい、あのような失礼な行動をしてしまいました。もう二度とあのようなことは、致しません。大変、申し訳ございませんでした」
 私も続いて頭を下げる。
 岩国社長は、トレードマークの白髭を撫でつけて、まぁ、座りましょうと、空気を和らげた。
 由紀子と私は、促されるがままに、腰を下ろす。岩国社長はテーブルに両肘を置いて顎に手をやって、眉を下げた。テーブルの端に置いてある小瓶には、ジャスミンが生けられていた。ジャスミンの花言葉は、今の私の心境とは真逆。
 あなたと一緒にいたい。
 
「事前に話が通っていなかったのならば、混乱するのも仕方のないことでしょうね。私もかなり驚いたのは事実です。このお話は、なかったことにしようかとずっと考えておりました。しかし……せがれが、どうしてもこの話を続けてほしいと、懇願されまして。仕方なく私が折れて、今日に至るというわけです」
 それで、あの空白の時間ができたということか。
 それにしても春樹からの提案だったというのは、意外だった。
 正面に座っている春樹を見やる。
 初対面の時は、目も合わそうとしない無表情で興味なしだったが、今は愛想笑いを浮かべている。前回との違いは、そのくらいだ。彼の真意を見抜けるような要素はなかった。
 
「相当、紅羽さんのことを気に入ったみたいで」
「まぁ。春樹さんがそういってくださるのならば、今すぐに話を進めましょう。鉄は熱いうちに打てといいますから。式はいつにいたしましょうか?」
「由紀子さんは、気が早いですね。まだ食事が何も運ばれてきていないのに」
「即断即決。上に立つ者の鉄則ですわ」
「ここは、ビジネスの場ではありませんよ」
 岩国は、ハハッと笑う。由紀子は、それに同調して笑っていた。由紀子の笑い声は、甲高くよく通る。それが呼び鈴だったように、食事が運ばれてきた。サラダとスープを口にする時は、仕事の話で盛り上がっていた。私は黙々と食事を口に運ぶ。春樹は、二人の話の相槌を打ちながら、時々目が合った。どうやら観察しているらしい。
 そして、メインディッシュの牛フィレ肉ステーキが運ばれてきた。
「では、話題もメインディッシュといきましょうか」
「あら、お上手」
 由紀子は、上機嫌になり、再び春樹と私の話になった。視覚と聴覚の情報だけで、お腹いっぱいになる。一口食べただけで、胃が重い。
 
「式は早いほうがいいですわ」
 由紀子は、肉を頬張り前のめりになった。このチャンスを逃すまいと必死の様子。
 岩国は、居住まいを正して前傾姿勢になる。そこへ春樹が、待ってくださいと、口を挟んだ。
 
「彼女とのことは、前向きに考えるつもりです。しかし、もう少し時間をいただけませんか? もしかしたら、まだ知らない顔をお持ちの可能性があるかもしれないので」
 春樹がちらっと私を見る。ほんの少しだけ、口角を上がった。その申し出に、由紀子は口の中の肉をゴクリと飲み飲んだ。
「春樹さん、ご心配なく。以前の紅羽は、どうかしていただけで、普段は従順で大人しい娘です」
「僕も前回まったく同じことを聞きました。しかし、実際には違っていましたよね?」
 由紀子は、顔を強張らせて、唇を引き結んだ。私を憎々しいとばかりに横目で睨んでくる。
 それぞれの前で空になった皿を給仕の男性たちが、個室に入ってきた。重い空気が少しだけ、薄まった。皿をさげていく。肉が残っている私の皿だけ、そのままにしようとしたが、下げてほしいと、お願いする。
 私の前からも、皿が消える。
 最後のデザートが運ばれてくる。オレンジシャーベットのようだ。今までの濃い香りが消えて、さっぱりした香りに変わった。


「そんなに時間をかけるつもりはありません。見極める機会は、一度だけでいい。二人だけで出かける時間を、一日だけください。僕は一応、顔に泥をひっかけられた方ですから、そのくらいの時間をいただいても構いませんよね?」
 由紀子は、すぐに口を開こうとしたが、春樹はそれを黙らせるように「父さん」と、隣へ体を向けていた。

「まぁ、そうだな。二人だけになると、親でも知らない顔を見せてくれるかもしれんしな。そのくらい、いいだろう。由紀子さんも、いいですか?」
「……わかりました」
 由紀子の顔から不満が滲み出している。見ているのも不快だった。
 私は、シャーベットへ視線を落とし手をつける。脂っこい口の中が、少しだけ爽快になる。 

「あ、ちなみに。今回は、僕が紅羽さんの素顔を見極める時間です。邪魔は、絶対にご遠慮いただきたい。二人きりでお願いします。もし、密偵を放った場合は、この話はなかったということで」
「もちろん。そんなこと考えもしなかったですわ」
 由紀子の思考を先読みされ、阻止される。由紀子は無理やり笑みを浮かべていたが、こめかみに青筋が浮かんでいる。由紀子の前のシャーベットは、由紀子から発せられる怒りの熱で溶け出していた。
 帰宅した途端、ヒステリックに叫ぶ姿が目に見える。
 先ほどの肉の味が再び、口の中に広がり始めそうだ。私は、最後の一口を押し込み、水の入ったグラスで手を伸ばそうとした。その時、春樹が私へ話しかけてきた。 
「というわけで、紅羽さん。連絡先、教えてもらえますか?」
 当選の流れではある。しかし、今の私は目を瞬かせることしかできなかった。
「すみません……私、連絡手段を持っておりません」
 素直にそういう。余計な説明を加えないように由紀子は眼力を入れて、私を黙らせてくる。抵抗する気力もなく、私は素直に押し黙る。由紀子がその後を続けた。
「この前、紅羽はスマホを壊してしまったのです。ね、そうよね?」
「……はい」
「そういうことならば、今日程を決めてしまおう」
 春樹は、別に驚くでもなく流れるようにいった。岩国社長も、そこにのる。
「明日は、商談が入っている。明後日、あたりだったら、時間あるんじゃないか?」
 岩国社長がいうが、そこは予定がある、という。春樹はスマホを取り出して、操作する。スケジュールを確認しているのだろう。しばらくして、春樹がスマホの画面からこちらへ顔を向けた。
 
「一週間後は、どうですか?」
 春樹の提案。私の代わりに由紀子が答えた。
「もちろん、大丈夫です」
「待ち合わせ場所も、わかりやすくこの店で」
 春樹はそういって、きゅっと口角をあげた。
 岩国社長は、好きにしろと、笑う。由紀子もとりあえず、約束を取り付けられたことに安堵したようだ。笑みを浮かべていた。
 私は、何も答えなかったが決定となり、和やかな空気になっていた。春樹は満足そうな表情だ。そこから、真意を読み取ろうとしたが、私にはわかるはずもなく、その時を終えていた。
 

 それから一週間。
 私は、由紀子から二人で会った時の振る舞い、言動を呪文のように毎日唱え続けられていた。時々ものが飛んできて、直撃することもあったがもう痛みも感じない。
 
 そして、約束の日の朝がやってきた。
 由紀子から、スマホを手渡される。
「今時、スマホを持っていないと怪しまれます。持っていきなさい」
 新品のスマホを押し付けられる。電源を入れてみるが、制約ばかり。ネットさえもつながらない。私は鞄へ放り投げると、着物が押し付けられていた。
「ただ出かけるだけなのに、また着物ですか?」
「あなたを引き立てる服は、着物以外にありません」
 黒い生地に梅の柄。黒と赤のコントラスト。溜息をつかずにいられなかった。
 
 それから、家を出て用意された車へ乗り込もうとした。運転手がドアを閉めようとしたとき、母がそれを阻んだ。
「絶対に、失敗することは許しません。余計なことを口走るのも禁止です。約束を破れば、あなたが家出をしていた時、手助けした喫茶店を潰します」
 三浦店長の穏やかな笑顔が鮮やかに蘇り、真っ黒に塗りつぶされていくようだった。
 忘れていた痛覚が、一気に覚醒する。左腕が酷く痛みだしていた。
 その間に、ドアが閉まる。
 車は発進していく。窓越しから見えた最後の由紀子は、満面の笑みだった。


 車に揺られている間できたことと言えば、左腕の痛みを散らすことくらいだった。
 頭を働かせようとしても、もう何も思い浮かばない。それこそが、最善策だと、私の脳みそはそう判断しているのかもしれない。
 痛みもそれで、鈍っていくようだった。

 私は、ただ足を動かし、高層ビルに入る。エレベーターへ乗り込んで、一週間前と同じ店へ向かった。
 ウェイターが先導する。以前よりもさらに奥へ行くと、細い廊下があった。店はこんなに広かったのかと驚いていると、分厚いドアが現れた。防音設備となっているのだろうか。裏と表のある人が好みそうな作りだ。
 秘密を絶対に漏らさないようにという意図が、ありありと伝わってくる。ウェイターが、ドアの取っ手に手をかけて力を入れて開いた。
 一転、パノラマ風景があった。その正面にソファとテーブルがある。テーブルには、前回との同じジャスミンが生けられている。ソファには、春樹が足を組んで座っていた。

「こんな時まで、着物?」
 体は帳面の窓の方へ。顔だけ向けてきた。
「すみません……母がどうしても、と」
 春樹は、隣に座るように座面をポンポンと叩いて、再び外の景色の方へ顔を向ける。私はその通りにして、横に座る。頭を下げた。
「その節は、力をお貸しいただいてありがとうございました」
「いや、驚いたよ。てっきり、金を取られて大泣きしながら、とんぼ返りしてくるかと思っていたよ」
 春樹という人は、変わっている。初対面の頃から、感じていたことだ。春樹は、窓から私へと向き直った。興味津々という顔だ。
「その話を聞きたくて、わざわざ?」
「あのまま、破談にしてくれればよかったのにって顔だな?」
「はい」
 あの日、逃がしてくれたことには感謝している。しかし、元から縁談なんかどうでもよかった同士。それ以上関わる労力を割く必要はないだろう。
「ずいぶんと、はっきり言うようになったね」
 春樹は、人ってこんなに変われるものなんだと、嬉しそうに言う。
「その後どうしていたか、風の噂で聞いたよ。あんなに何も知らない箱入り娘の状況から、よくもまぁ、ずいぶんと波乱万丈な展開になったみたいで。僕は、感動したよ」

 波乱万丈。第三者の目から見れば確かにそう見えるだろう。
 窓の外を見やる。高い場所にあるこの場所は、下から見た景色と全く違う。
 私は何気なく歩いているとき、ふとコーヒーの香りがどこからかともなく漂ってくるような、そんな場所の方が、好きだ。
 私は、ずっと遠くへと視線を伸ばし、目を細めた。
「毎日、夢を見ているようでした。世界はこんなに広くて、美しくて、優しいものなのだと、みんなが教えてくれました」
 ぼつりと呟くと、湊の顔が浮かんだ。意識的にの外へ追いやっていた胸の痛みが、覆いかぶさってくるようだった。
 ぎゅっと胸を押しつぶしてくる。それ以上話せば、涙が出そうだった。
 私は唇を噛んで、全部飲み込む。

「その話をお聞くために、わざわざ?」
 伸ばしていた視線を春樹へと戻す。ずっと茶化していたような瞳が、引き締まっていた。
「それもある……けど、単純に君に興味がある」
 春樹の低い声が響いて、沈黙が落ちた。緊張感が高まって、いたたまれなくなる。
 私は、春樹から目をそらそうとしたが、それを止めるように手が伸びてきた。 春樹の手が、私の頬に触れる。あまりに予想外だった。ひたすら目を見開くことしかできない。
「それが、君との縁談を継続するように懇願した理由だ」
 春樹の顔が、近づく。
 私に選択肢はない。
 与えられた道を突きめば、物事は穏やかに進んで、何事もなくみんなが過ごせる。それが私の望んでいたこと。
 心を殺せ。思考を捨てろ。脳から指令が送られてくる。
 私は、その命令のままに目をぎゅっと瞑る。
 何も考えない。心を凍らせる。それだけに専念する。
 
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