この度、結婚していました

雨宮 瑞樹

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答え合わせ5

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 重なっていた影が、ゆっくりと二つに戻る。
 
 この後、普通ならば、甘い余韻に浸るところだろう。
 だが、彩芽には世間一般的な基準など当てはまる訳もなく、甘い空気など寒々とした夜空の星の彼方まで飛んで行ってしまう。その代わりといわんばかりに、彩芽の耳や顔が今まで見たことがないほど、真っ赤にさせて頭上から湯気を出しながら、叫んでいた。
「い、いきなりなんて……順番おかしいでしょ! 会って……いきなり、なんて……普通は、ご飯食べて、落ち着いたところでとか……そういう……」
 彩芽はそこまでいうとまた恥ずかしくなったのか。唇を一旦引き結んで顔全体を両手で覆うと、しゃがみ込んで、膝を抱えて丸く小さくなっていく。声も比例するように、どんどん萎んでいく。
「ともかく……心の準備がなさすぎて、心臓が破裂しそうなんだけど」
 彩芽の言動は予想外ではあるが、反応は何となく予測できていたことだ。しかし、そこまで照れられると、まるで悪いことをしてしまったような気分になってくるし、こっちまで恥ずかしくなってくる。
 陽斗がそっぽを向いて、ぼそっと「……彩芽がいきなりそういう雰囲気にもっていったから、こうなったんだろ」呟くと、縮こまっていた彩芽が急に勢いよく立ち上がる。そして、恨めしそうな顔をして、睨んでいた。
「そういう雰囲気って……私は、そんなこと、しようなんて一ミリも思ってなかったし」
 彩芽は「暑い」と、両手で顔へ風を送りながら、また明後日の方向へ顔を向けようとする。
 まだ、彩芽と会ってから数十分程しか経ってたっていないというのに、これ以上引きずり、引きずられても。せっかくお互いの気持ちを知り、跳ね上がった気分まで手放すのは少し、名残惜しいが、仕方ない。ともかく、今は違う方向へ気を紛らわせることにしよう。陽斗は、ふうっと息を吐きながら、スマホを取り出す。
 
「とりあえず、何か食いに行こうぜ」
 事前に調べておいたところでいいかと思いながら、陽斗は指先を滑らすとその流れに乗るように、彩芽は急にパッと笑顔に変わって、手を叩いていた。
「せっかくだし、昔陽斗が連れて行ってくれたレストランへ行こうよ」
 さっきまでのしおらしさはどこにいったんだと思うほど、いつもの彩芽に戻っていく。
 この感じ。さっきのことは、彩芽の頭の片隅に追いやられて、忘れる方向に処理されたなような予感がする。
 まぁ、いいか。……いや、よくはないけれど。せっかく晴れ晴れとした気分だったのに、煙たくなりそうだ。だが、今はともかく彩芽の思考回路へと添うことにする。
 
「もう、八年も前だからな。飲食店って、入れ替わり激しいし、まだあるかどうか……」
 あの店は、思い出したくないものとして扱っていたから、記憶が曖昧になっているかと思いきや、苦い思い出は逆に鮮明に焼き付いているものらしい。スマホに触れてみると、どうやって検索したのか指先が覚えていて、勝手に動いていた。そこから何ページか捲り、飛び込んできた写真。
「ここだな」
 陽斗が確信して呟くと、彩芽がスマホを覗き込んできて、「そう! ここ!」興奮気味に、頷いていた。
 
 やけに落ち着いた空間。薄暗い照明に、バーカウンターが映る。間違いないが、高校生当時の自分はとんでもないところを選んだなと思う。写真にアップされている食事も、やけに手の込んだ洒落たものばかり。
 何を血迷って高校生がこんな店を選んだのか。まるで、昔書いたラブレターが、数年後に突然出てきて、読み直しているような気分だ。若さの勢いは、とんでもない。彩芽は、当時を思い出してニコニコし始めている一方で、陽斗は当時の気分まで鮮明に思い出されて、どうしても沈黙が落ちてしまっていた。それに気づいた彩芽は「どうしたの?」と、丸い瞳を向けていた。
 少し躊躇しながらも、陽斗は何とか声を絞り出した。

「今だから、フラれた気分だったって、サラッと言えてるけどさ。俺、あの時、結構傷ついたんだぜ? 当時も食事の味もゴムみたいな味しかしなくてさ。当時を思い出して、楽しめない気がする……」
 女々しい言葉が出てきて、情けない。
 だが、それが本音だ。あの日止まってしまった時間。再び、動かすとしたら、もう一度ここに立ち戻る必要があるとは思っていた。だから、お台場に誘った訳だが、そこまで忠実に再現しようとは思っていなかった。むしろ、その周辺に近寄るのはやめようと思っていたくらいだ。上がっていた気分が、落ちていきそうだ。
 彩芽のことだ。古傷を抉るように「バカじゃないの」とか、茶化してくるだろうなと、覚悟をする。
 だが、彩芽は笑い飛ばすようなこともせず、白い息をふわっと吐いて、微笑んでいた。
 
「私だって、同じような感じだったよ。当時は、陽斗に彼女がいるって、信じ切ってたから『今日が、お互いの誕生日を祝える最後の日になるかもしれないな』って思ってた。だから、もう最悪な気分だったし、全然美味しいって思えなかった。だから、上書きしに行こうよ。最悪の思い出を、最高の思い出になるようにさ」
 彩芽は、落ちそうな心を掬い上げるようにいう。ずっと痛んでいた傷が、優しく撫でられて、薄れていく。
 そして、陽斗は思う。こういうことを、さらっと言ってしまえる彩芽だからこそ、俺はどうしようもなく好きになったんだ、と。
 昔はよく周囲から「マンションの隣に住んでいる子が、かわいい女子だったら、誰だってそれなりに意識するよな」と、軽々しく言われていた。だが、そうじゃないといつも思っていた。
 サッカーの大きな大会で、大敗を喫したとき。大怪我をして病院に担ぎ込まれ、まともにサッカーはできないといわれたとき。次の目標を見失って、半ば自暴自棄になりそうだったとき。救ってくれたのは、いつも彩芽だった。
 
 彩芽は、にっこりと笑う。膨れ上がっていくこの思いのまま、腕の中に引き込んでしまいたいと思った。が、また石のように固まってしまったら、大変だ。何とかぐっと堪えて頷く。
「そうだな。じゃあ、行ってみるか」
 陽斗は、地図を開いて、何とかスマホで気を散らす。
「あっちだな」
 余計な邪念を追いやって、その方向を指さす。そして、人の流れに戻ろうと一歩踏み出したとき。ふわっと手のひらに温もりを感じて、はっとして、その方向を見やる。確かに陽斗の手のひらに、一回り小さく細い彩芽の手が、遠慮がちに絡み付いていた。
 すぐ横にある彩芽の横顔を見れば、恥ずかしそうに長い睫を伏せて、一度収まっていたはずの熱が、再び彩芽の横顔を赤く染めている。緊張が冷えきった細い指先から伝わってくる。視線も合わせてくれなさそうだった。羞恥ですぐ真っ赤になってしまう彩芽から、相当な勇気が垣間見えて、何とも言えない気持ちになる。

 彩芽の中で、忘れる方向に処理されたのではなく、ちゃんと彩芽の心に刻まれてくれたことを知って、また心が躍りだして制御できないほどのところまで心がふわふわと飛んでいきそうになる。
 そうならないように、陽斗は彩芽の手をぎゅっと握り返した。

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