買った天使に手が出せない

キトー

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1巻

1-3

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 ウェーブがかったつややかで長いピンクブロンドの髪をポニーテールにした彼女は少女のようにも見える。しかし彼女もやはり零より背が高い。彼女がかかとの高い靴を履いているせいでさらに身長差が離れていた。彼女はダイヤの妹のハートだ、と即座にジンラミーが零の耳に囁いた。零はダイヤ・ハートという名前の並びにトランプのスートを思い出した。もしかすると後二人兄弟がいるのかもしれない、と心のメモに書き付け、零はハートを見上げる。

「ハート様おはようございます。この者は新しい従者で零と申します」

 それからハートへと向き直り腰を折るジンラミーにならい、零も深く頭を下げた。

「初めまして、零と申します!」

 元気よく挨拶した零にハートはゆっくり近づき顔を覗き込む。

「あらこの子……」

 ハートが目を細める。ダイヤの瞳とは違う赤色が零を射貫く。
 不興を買っただろうか、と一瞬零が身を固くした瞬間。

「……可愛い‼」
「んぐ……っ」

 ハートはぱあっと表情を明るくすると思い切り零を抱きしめた。身長差により零の顔はハートのふくよかな胸に埋まる。

「零っていうのね、とっても可愛いわ! ジンラミーが世話をしてるってことはダイヤ兄さんの所の子ね。ねぇジンラミー。この子、兄さんが飽きたら私にちょうだい?」
「それまで零が存命していればいいのですが……」
「まぁ! もぉエバに目を付けられてるの?」
「いえ、今現在ハート様によって零に危機が訪れております」
「え? あ、あら」

 ハートは自分の胸が零を窒息させていることに気づき、零を慌てて放した。

「ぷはっ!」

 解放され、零は顔を真っ赤にして荒い呼吸を繰り返す。そんな零の頭を撫でながらハートは眉を下げる。

「ごめんね零、つい興奮しちゃったみたい」
「だい……大丈夫です。どうか、お気になさらず」
「ふふ、優しいのね」

 自分に直接返事をした零に驚き、ハートがジンラミーに視線を送る。ジンラミーはそれにこたえるようにわずかに頷いた。同時にハートの顔が、心底嬉しそうに輝く。
 この宮殿のような屋敷において、末っ子のハートより年下の者は従者でも少ない。
 また、数少ない年下の者は大抵表に出せるほど教育が済んでいない。そのため、屋敷の裏方に徹していることが多く、ハートの目につくことはないというわけだ。
 よって、自分とちゃんと話のできる年下の者が屋敷にいることが、ハートは嬉しかったのだ。

「ねぇ零、今度一緒にお茶でも飲みましょう? シダーム家のこといろいろ教えてあげるわ」

 末っ子であるハートはみんなから可愛がられている。
 しかし、ハートだって可愛がりたい、お姉ちゃんぶりたいのである。

「服も選んであげる。零は甘いものは好きかしら? 私のお気に入りのお菓子を一緒に食べましょう。とっておきがあるのよ。そうだわ! 勉学も教えてあげましょうか!」

 早くも『年下』認定した零をかまい倒すハートに、零は付いて行けずに困惑した視線を向けるが、ジンラミーはそれも仕事ですと生暖かい視線で零にエールを送るだけだった。
 零の日常にハートが組み込まれた瞬間であった。


     ※ ※ ※


 零がシダーム家に来て、早くも一週間経った。
 午前はジンラミーや年輩の侍女と共に小間使いとして働き、昼間はハートに構い倒される。
 だが、ありがたいことにハートは初対面で宣言した通り勉強も零に教えてくれた。
 零は飲み込みが早く、今では簡単な単語の読み書きが出来る。ハートは自分の教え方が上手いからだと喜んでいる。
 そして夜はダイヤのところに行き、夜のお相手として……ダイヤを寝かしつけていた。

「これは由々しき事態だ、ラミー」
「左様でございますかダイヤ様、仕事をなさってください」

 議案書の山に埋もれながら、いつになく真剣な目とどうでもよさそうな目がかち合う。
 いわずもがな、ダイヤとジンラミーの視線だ。ダイヤはジンラミーの言葉を無視して、ぎちりと膝の布に爪を立てる。

「零を連れてきて一週間……一週間も経つ! なのにだ。毎晩ねやを共にしているのになぜ私は零にキスの一つも出来ていないんだ。たかだかただの天使……じゃない性奴隷に、私が手を出せないとはどういうことだ? 零は私の物だろう? なのにまだあの白くて柔らかくて手触りのいい太腿を撫で回すだけで終わっているのはなぜだ⁉」
「左様でございますかダイヤ様、仕事をしてくださいますかな?」

 ジンラミーの返答は、この問答が長く続く中でずいぶんおざなりなものになっているが、もはや今のダイヤにはそんなことはどうでもよかった。


 ダイヤの言葉通り、零にまだキスすらできていない。
 毎晩欠かさずベッドを共にしているし、ダイヤとて毎晩零を自分の物にする気は満々だ。
 引き寄せ、腕に閉じ込め、ベッドに優しく押し倒し、頬を撫でればくすぐったそうに笑うというところまでは上手くいく。組みしいた零の姿にゴクリと息を呑むのも毎晩だ。
 しかしそこからが上手くいかない。
 ダイヤを見る零の瞳は慈愛に満ちていて、そんな零にそっと手で促されると、ダイヤは簡単にベッドへ横になってしまう。

「今日はなんの話をしましょうか」

 ダイヤを見つめながら微笑む零は警戒心の欠片かけらもなくて、純粋無垢なその瞳はダイヤを信用しきっている。すると、ダイヤの下半身の中心には熱が集まっているはずなのに、どうしても手が出せなくなってしまうのだ。
 零の目がいけないのだと、細い体を抱きしめて彼の目から視線を逸らした夜もあるが、そんな時でも零のことはいつもダイヤを包み込み、夢中にさせてしまう。
 幼い子供に物語を聞かせるような優しい声はいつだって心地よくて、ずっと聴いていたくなる。そう、零はとても知識が豊富だった。そのことがさらにダイヤを夢中にさせた。彼が奴隷であることを忘れてしまうほど様々な話でダイヤを楽しませるのだ。
 そして、最終的にダイヤは毎日清々すがすがしい朝を迎える。
 おかげで最近のダイヤは体調だけで言えば絶好調なのである。
 だがそんなことで諦めるダイヤではない。夜が駄目なら日中に! と挑んだこともあるが、昼間はもっとだめだった。光をまとった零は、それこそ手など出せるはずがないほど神聖な生き物に思えてしまうのだ。

「ところでラミー、そろそろ零にはキミの指導は必要ないんじゃないか?」

 日中の零を考えていてふと思い立ち、ダイヤはジンラミーに批難の言葉を向ける。

「もう零はある程度一人で動けるし、ラミーが自ら教えなくても侍女に任せておけばいいだろう。午前中ラミーはずっと零の側で丁寧で細かな指導をして、零が出来る度に頭を撫でているだろう? 撫でられた零の嬉しそうな顔は可愛いが、さすがに五分に一度は撫ですぎだと思うよ」
「なるほど、午前中にダイヤ様の仕事が進まない理由がよく分かりました」

 仕事を放ったらかして零のストーカーをしていたのかこの主人は、とジンラミーは呆れてため息を漏らすが、ダイヤの指摘にも身に覚えがある。

「確かにわたくし自ら教える必要などないでしょうな。ごもっともでこざいます。しかしついつい構いたくなってしまうと言いましょうか、まだシダーム家に来て日は浅いですがすでに零が『息子』のように思えてしまいましてな……」

 しみじみとあごをなぞりながら呟くジンラミーに、『孫』の間違いだろ、と言う言葉をダイヤはなんとか呑み込んだ。
 しかし午前中はジンラミーが、昼間はハートが零を独占してしまうから私が零との時間をとれないんじゃないかとダイヤが不満に思っていた時、控えめなノック音が部屋に響いた。
 同時に柔らかな声が部屋に落ちる。

「失礼いたします、零です」
「零?」

 予想外の訪問者に驚きながらも心が浮き立つ。
 ジンラミーが扉を開けると、零は礼をして入ってきた。その顔は我々の手をわずらわせるのが申し訳ないと言うように、困ったように眉を下げていた。

「突然申し訳ありません。ハート様にお客様がお見えになったもので……」

 皆まで聞かずとも二人は零の言いたいことを理解した。いつもこの時間はハートが零に勉強を教えている。だからハートが来客の対応で不在になってしまった今、零がどう動くべきか指示を仰ぎに来たのだろう。
 すぐにジンラミーが前に進み出て零の手を取る。

「なるほど、でしたらたまにはわたくしが勉強を見てさしあげましょう」
「いえ、ジンラミー様にそのようなことをしていただくわけには……! 何か仕事を申し付けていただければと思い、こちらまで来ただけですので」

 零は慌てたように首を振る。その可憐さに惚れ惚れとしながら、ダイヤは勢いよく立ち上がった。

「だったら私が見よう!」
「えっ」

 突然のダイヤの提案に、零は驚き声を漏らす。
 そんな零にダイヤは嬉しそうに近づき、肩を抱いてニッコリと笑いかけた。

「ハートから話は聞いてるよ。勉強熱心でもういろいろな言葉を覚えているそうだね? 今日はぜひその成果を私に見せてくれないかな」
「しかしダイヤ様は、お忙しいのでは」
「あぁ、だから少し息抜きがしたくてね。付き合ってくれるかい零?」

 そうお願いするように言えば零が断れないのをダイヤは知っている。
 思惑通り、零は少し戸惑いながらも頷いた。肩を抱かれたまま微笑む零に、ダイヤは内心でガッツポーズを決める。もちろん勉強も見るつもりだ。
 ――ただそのついでに様々な知識を教えるつもりなのだ。そう、様々な知識を。
 この少年はあまりにも無垢すぎる。ならば実践よりまずは知識から教えてみてはどうだろうとたった今思いついた。
 なかなかいい考えではないかと薄く笑みを浮かべ、零を促す。

「零に教えたいこともあるんだ。きっと零も気に入るよ」
「教えたいこと?」

 げんそうに零が首を傾げると、栗色の髪がさらりと揺れる。
 さて、今から行う少々過剰な性教育に零はどのような反応をするだろうか。
 きっと初めは意味が分からないだろうが、それでも理解しようと真剣に聞くはずだ。しかし徐々に理解が深まれば、戸惑い、慌てて顔を赤らめうつむいてしまうかもしれない。
 それからはダイヤの言動に過剰に反応し、少し触れただけで恥ずかしがるほど意識しだすかもしれない。
 それは想像するだけでわくてきで、ダイヤの鼓動は速くなった。細い肩を抱く手に力が入る。
 まずは今のうちにわいぼんをジンラミーに用意させようか、それとも言葉だけでこと細かく話して聞かせようか、なんならベッドで勉強してもいいが――
 そんなダイヤの夢想が大きく膨らみ切る前に、ジンラミーがうっすらと微笑んだ。

「では我が国の歴史の教材を準備いたします」
「えっ、歴史ですか⁉」
「いや、ちが――……」
「僕、歴史大好きなんです!」
「はは、そうだろうと思っていたよ!」

 心底嬉しそうに笑顔を輝かせる零を見て、ダイヤは即座に手の平を返す。デレっとだらしなく緩んだダイヤの顔を、ジンラミーは無表情で見送った。
 その後、書斎ではダイヤが零を膝に乗せて国史について丁寧に教える様子を、侍女たちが微笑ましく見守っていた。尊い、そんな言葉を囁きあいながら。
 後日ハートから、私が最初に零に歴史を教えるはずだったのに! と激怒されたが、ダイヤは後悔していない。


     ※ ※ ※


 零がシダーム家に来て一月ほど経つ。今では一人で仕事を任せられることも多くなり、零は今日も広い屋敷内を走り回っていた。とはいえ屋敷内は広すぎて、まだ零の相手をしてくれているダイヤとハートがいる部屋周辺しか把握できていないのだが。
 さて、朝に零が一人で仕事をしていると、大抵ジンラミーが様子を見に来てくれる。それから零のちょっとしたことを褒めては、頭を撫でてお菓子をくれる。
 完全に子供扱いをされているのが恥ずかしい。しかし零には前世では祖父母がいなかったため、祖父がいたらこんな感じなんだろうかと思い、嫌ではなかった。
 そして昼間はほぼハートの部屋にいることになる。
 色鮮やかなフラワーティーを飲みながら話をする時間が一番多いが、時には少し伸びてきた髪をいじられたり、着せ替え人形のように様々な服を着せられたりもしている。
 着せられる服はハートの昔の物らしく女性物なのだが、ハートが楽しそうにしているので零は黙って着せ替え人形となっていた。
 ハートは背が高く、メリハリのいた体型であるため大人びて見えるが、言動は年ごろに可愛らしい。だからついついハートが嬉しそうにしていると、ハートが望むことを全部叶えてあげたくなる。零の兄心がうずいてしまうのだ。
 それに、ハートといると時々文字の読み書きやこの世界の歴史を教えてもらえるので、零にとってとても楽しい時間だった。
 実のところ、高校に行けなかった零は密かに学校に憧れていた。特に歴史は大好きな教科だったので、義務教育が終わった後ももっと学ぶことができればと密かに思っていた。
 それがこんな形で叶っているのだから不思議なものだと時折感じている。
 そして、夜は相変わらずダイヤの相手だ。この世界に来て毎晩欠かさず行っている。
 ステンドグラスから漏れる美しい月明かりの中、静かに語りかける。
 ベッドの上に座ったダイヤに背後から抱きしめられた状態でお話をすることが多い。
 癖のない零の髪に指を絡め、耳元で息を吹きかけるようにダイヤは言葉を紡ぐ。それから首元やうちももに手のひらを這わせ、零を優しく撫でることが多い。
 だが零は気にしていなかった。全くと言っていいほど気にしていない。
 この世界の人はスキンシップが過剰なんだな、と最初に考えただけでもう慣れてしまった。
 零にしても、ダイヤに抱きしめられるのは嫌いではなく、むしろ心地よいと思っている。時折、見たこともない世界で生きることを心細く思う。ハートの無邪気な姿に存在したはずの妹が重なると胸が痛む。そんな夜にダイヤに抱きしめられることが零の心の慰めだった。だから、零を抱きしめるダイヤの腕を抱きしめ返して微笑む。するとダイヤがあやしく這わせていた手の動きがにぶった。
 零は今自分はとても恵まれていると感じている。
 衣食住を保証され、勉学も受けられて人間関係も良好だ。
 しかも保証されている環境が、昔テレビで見た高級リゾート地のような待遇である。
 衣の部分が女物であることを気にしなければ、昔の零からすればとんでもなく恵まれた環境だ。
 雇われている身で、本当にそれでいいのかと一度ジンラミーに相談したが、主たちがそう望んでいるのだから気にせず受け入れるように言われた。ジンラミーが言うのであればそうなのだろうと、零は素直に受け入れ、今日も午前の仕事をこなしていく。
 突然の来客があったのはそんな時だ。

「あなたが零?」

 棚の前でしゃがみ込み、ワイングラスを磨いていた零の背後から若い女の声がかかった。
 振り向くと、女は若くわくてきな姿をしていた。長く癖のない黒髪は豊満な体に沿ってつやめかしく流れ、目鼻立ちがはっきりした整った顔は赤いルージュがよく似合う。薄く露出の多い服に繊細なアクセサリーをいくつも重ねて体を飾っている。それらのアクセサリーは彼女の動きに合わせてシャラリと鳴った。
 男をき付ける女の瞳は髪と同じ黒色で、品定めするような視線で零を捕らえている。

「はい、零です。初めまして」

 零はグラスを置いて、女の問いを肯定した。その声がやや緊張しているのは、女性の瞳に敵意が宿っているように感じたからだ。それは零の直感だ。零自身も気づいていなかったが、無意識に零の体は緊張していた。

「ふーん……まだ子供じゃない。私はエバよ。ダイヤの特別な人って言えば分かるかしら?」

 あでやかに微笑む女性に言われ、零は考えた。
 そして、結論をだす。特別な人――つまり、ダイヤの親友だと。
 零はほっと体をかんさせて、まばゆいほどの笑みを浮かべる。

「そうなんですね! とても可愛らしい人でびっくりしました。今日はダイヤ様に会いにいらしたのですか? 僕でよければお茶をご用意します」
「えっ、あ、あらそぉ?」

 零の『可愛らしい』の言葉にエバは動揺する。美しい、美人だ、エバをたたえる言葉はいつもそれだったからだ。だから零からの言われ慣れない褒め言葉に、エバは動揺しつつも上機嫌になった。
 もちろん零はエバの機嫌を取ろうとしたわけではない。零にとってエバはハートと同じくおそらく妹と同年代だろう年下の女性であり『可愛らしい』の対象だった。
 一瞬の緊張も、優しく素晴らしい人間であるダイヤの友人と聞いてすぐに消え去った。
 そう思えばツンとした態度にぼんやりと年頃になった頃の妹を思い出し、零の中のおぼろ気な記憶が熱を持つ。零は、お姫様扱いを喜んだ妹を思い出しながら極力丁寧に振舞った。するとエバはそんな零に首を振った。

「お茶はいいわ。すぐ帰るから」
「かしこまりました、ダイヤ様にお伝えすることはございますか?」
「いいえ、どうせいつでも会えるもの」
「仲がよろしいんですね!」
「……まぁね」

 夜はずっと零の側にいてくれるダイヤが、いつ交友関係を持っているのかは謎だったが、こうして女性の友人もいるのだな、と零は微笑んだ。エバはその屈託のない零の対応にわずかに顔をしかめたがすぐにきびすを返した。

「また来るわ」
「はいエバさん」

 深々と礼をしたあと零はしばらくエバを見送り、またグラスを磨く作業に戻った。


     ※ ※ ※


 深々と頭を下げる零を横目にエバは出ていく。エバを見送る零の顔にはまっすぐな好意があった。その笑顔を最後に見て、まあそれなりに可愛いわねとエバは零への認識をほんの少し改めた。
 実はエバは今日、零という人物を排除するつもりだった。
 邪魔だから、理由はそれだけだ。

「愛人は私一人でいいのよ……」

 ダイヤの特別は自分だけでいい。そしてゆくゆくは正妻になって財産を自分の物に……そんな分かりやすくよくあるような思惑がエバにはあった。
 それはダイヤに近づく者が一度は思い描く理想だ。
 しかし理想は理想のままみんな夢破れて去っていく。
 だけど私は違う、とエバは思っていた。

「私なら……、いえ、私だから可能なのよ」

 美貌も知恵も経験もある。何よりダイヤを……自分よりダイヤの財産を愛してる人間はいない。金が目当てなのかと他の男にそしられることもあったが、それの何が悪いのか教えてほしい。
 この世界ではお金が全てなのだ、世の中は全てお金でまわっているのだから。お金があれば全て上手くいく。これは、絶対だ。
 邪魔な存在はさっさと排除しておくに限る。だからダイヤが新しく囲っているという人物も早々に追い出しておこうとエバは零に会いに行った。しかし、実際は毒気のない笑顔に拍子抜けしただけだった。

「まぁ……、焦る必要はなさそうね」

 エバはダイヤの屋敷を離れ、一人呟いた。どうも自分に害があるとは思えない、いや、そう思いたいのかもしれない。今まで、エバは自分の利益を邪魔する者には思いつく限りの手段を尽くしていた。だから、あの無垢な少年に何事かをする自分を想像したくなかったのかもしれない。

「そうよ、今私が動かなくったってどうせすぐ飽きられるわよ」

 今までだってそうだったのだから、と今までの相手を思い返し、薄く微笑む。
 今までダイヤの前に現れた女性たちは勝手に消えていった。
 彼は誰にも本気にはならないからだ。
 でも私は諦めない、絶対に。けれど、とエバは呟いた。

「あの子はちょっとぐらい可愛がってあげてもいいけどね」

 ダイヤは譲れないけれど、側に置くぐらいはしてあげてもいい。
 私の邪魔をしない限りはね。


   ※ ※ ※


 エバが去ってすぐに年輩の侍女とハートが血相を変えてやって来た。
 零の顔をみると安堵したように胸をなでおろし、エバに関わってはいけないと鬼気迫る表情で二人に説かれた。
 エバがどこの誰かも知らないし、自分から関わりに行くつもりはなかったので、二人の勢いに押されるように零は何度も頷いた。それでハートと侍女は満足したようだ。
 悪い人には見えなかったがなぜだろうと零は首を傾げるが、いつものごとく、深くは考えずに二人の言葉に従うことにした。
 そしてその日の昼前、ジンラミーから嬉しい知らせが届いて、零は目を丸くした。

「街にですか?」
「はい、ダイヤ様が零を連れていくとおっしゃっています」

 突然ではあったが、この世界に来てここに連れてこられてからはいまだこの屋敷内しか知らない。零は顔を輝かせた。その様子にジンラミーは頬を緩め、控えていた侍女たちに支度に取り掛からせる。数分しない内に支度は終わり、胸をおどらせながら零は黒塗りの立派な馬車に乗り込んだのだった。

「すごい……」

 零はダイヤの片腕に抱えられたまま、人々が行き交う街中で呟いた。
 ダイヤの腕に抱えられて馬車から降りた時は驚いたが、人ごみの多さを見ると確かに降ろされた瞬間に迷子になりそうだと納得する。零は改めてダイヤの腕をつかむ力を強くした。
 それでも好奇心には勝てず、街を見回す。
 石造りの街には露店が並び、見たこともない鮮やかな果物が木箱に乱雑に積まれている。
 布を積んでいる店は服を作るための物だろうか、やはり色鮮やかでしゅうが美しかった。
 人々はみな褐色の肌に長身で、髪色も様々だ。どこを見渡しても見慣れぬ物、見慣れぬ風景で、やはりここは日本ではないのだと実感する。一瞬それが胸を締め付けたが、ダイヤが振り向き微笑んだため、零は慌てて笑顔を作った。

「街は気に入ってくれたかな?」
「はい! すごく素敵な街ですね!」


 笑顔で話す零につられるようにダイヤは頬を緩めた。
 同時に、ホッとする。零の喜ぶ物が分からない、それが最近のダイヤの悩みだった。というのも、零は何をあげても喜ぶからだ。食べ物に好き嫌いはなく、なんでも美味しそうに完食するし、服も与えられた物に文句は言わない。宝石を見せてみても、綺麗だと喜びはするが手には取らない。
 最終的には直接尋ねてみたわけだが、自分は恵まれているしここで十分贅沢な生活をしていると微笑むばかりだ。
 ならば、とダイヤが考えついたのがこれである。
 本当は街で直接欲しい物を選ばせようと考えていたのだが、街に出ること自体が零には嬉しかったようだ。目を輝かせてあちこちを見渡す様子に、思惑とは少々違うものの喜ばせることが出来たようだと、ダイヤはいつになく満足感を覚えた。
 今日の零はフード付きのローブを羽織っている。零の白い肌を日焼けさせたくない思いと、他の者に見せたくない思いからダイヤが用意させた。
 零を片腕に抱いたままなのは、人混みではぐれないようにするためだと説明しているが、実のところ単にダイヤがそうしたいからである。
 一応、少し離れて護衛もついてきている。いつものダイヤは護衛も付けずに好き勝手出歩いているが、今日は零がいる。危険な目に遭わせるわけにはいかない。
 護衛の影を眺めていると零がダイヤの袖を引いた。

「あれは木を切って何をしているんでしょう?」

 その言葉に視線をやると、ダイヤにとっては見慣れた光景だった。若木に見えて、地上から見えている全体が果実になる植物だ。皮を絞れば甘酸っぱい果汁があふれる。

「木に見えるけどヤロンという果物だよ。ああしてジュースを作っているんだ。果物の皮がそのまま器になる。飲んでみるかい?」
「いえ、喉は渇いていませんから……」
「では私が飲もう。ちょうど喉が渇いてたんだ」

 遠慮がちだが、零の瞳は興味で輝いているように見える。ダイヤがついでだからと零の分も購入し手渡すと、零は味を確かめるように淡いピンク色の果汁を一口飲んだ。

「美味しい……」

 するとそんな呟きとともに、勢いよく飲み始めた。やはり遠慮していたのだろう。
 ダイヤは零の様子を微笑ましく見ていたが、その裏で零の言動に疑問を抱いていた。


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