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第二章
ちょっと分からないけど頑張りましょう
しおりを挟むあの日と同じように顔に化粧を施されながら、アリアは鏡越しにその女を盗み見る。丁寧に少女の顔に白粉を塗っていた女性は、その視線に気がついてにこりと微笑んだ。その凛とした花のように美しい微笑みにアリアは曖昧な笑みを返した。
(うーん?)
彼女はカトレア。美しい見た目に反して、冷酷無悲な暗殺者、で間違いない。小説の中では後半によく登場してくる人物だ。
夜の暗闇の中、頬に飛んだ血を拭いながら彼女は、美しい微笑を浮かべて「なぜ自分の命を狙うのか」と問いかける暗殺対象者に言うのだ。
『ただ、我が君の為に』と。
彼女の世界の中心は全てリュシアン殿下であり、それ以外はありえない。彼の傍を一時も離れることはなく、まるで影のように寄り添う。
(の、はずなのですがーー??あれーー???)
「あの、カトレアさん。」
「カトレア、とお呼びくださいませ。我がお嬢様。」
「我が…?」
そういえば小説の第三章で、カトレアが自分に懐いてくれる主人公に『我がお嬢様』って言ってたな…、とふとアリアは思い出す。
生まれも育ちも孤独な暗殺者であり、拾われた先でもまた、命令であれば簡単に人を殺めていたカトレア。
けれど彼女は、リュシアン皇太子を通して遠くから見つめていた主人公の純粋さや優しさに、最初は所詮は綺麗事だと反発するものの、暗殺者としての自分を恐れず真っ直ぐに自分を見つめる少女に心を開くようになり…ああ、この時思ったものだわ、カトレアが男性で男主人公の一人だったなら……って違う違う、何故わたしが『我がお嬢様』?!
ちょっと意味がわからないのですが…。
「あ、あの、カトレア…は、アレキサンドラト皇太子殿下の侍女をされているんですよね…?」
「左様でございます。」
「どうして、わたしの侍女になっておられるのでしょうか?」
「我が君のご命令によるものでございます。」
「で、殿下の?」
「左様です。」
(もしかして、あの庭園でリュシアンに出会う裏のストーリーがあったのでしょうか?)
小説の内容では、アリアは断罪された後、本当に一切出てこないのだ。何処かの修道院に入ったとか、後妻として嫁いだとか、そういった情報もなくただ最初からナディアが悪役令嬢である事を印象づける為の駒でしかない。
物語の終盤、マテオが主人公の気を引くために『僕を好いてくれる令嬢もいたんだよ』という台詞で、アリアの事を少しだけ仄めかすシーンがある。でも、それだけ。
主人公はそれを聞いても焼きもちも焼かず、かるーく流されていて、その箇所を読んだ時にはわたしも「そういえばそんなストーカーいたな」くらいの感じだった。
つまりそれくらい影の薄い人物なのだ、後半のアリアは。もう前半で(悪い意味で)目立ちすぎたし、このままのんびり領地で過ごすのもいいかと思っているのだが。
カトレアがいると、何はなくとも不穏な出来事がこの先待っているような…?でもそれも、元々の小説には載っていない内容なので真相が分からない事が、不安要素ではあるが。
ふと、アリアは疑問に思い彼女に尋ねた。
「そ、そう言えば皇太子殿下はこちらの学園へ編入学されたのですか?」
「…?いいえ、我が君は特にそのようなことはなさっておりません。」
「あ、そ、そうなんですね…。」
アリアはリュシアンがあの学園へと編入学するのは、主人公が入学した後少し時間を置いてだったのでこの時期だと思っていたのだが。まだ先なのかな?とアリアは首を傾げる。
その前に、主人公はマテオ、この国の王子、魔法使い、騎士見習い、色気ムンムンな先生と出会い物語は進んでゆくのだ。
「出来上がりました。我がお嬢様。いかがで御座いましょう?」
「…何度見ても別人ね…。」
考え込んでいる内に化粧が終わったらしい。
声をかけられ鏡を見てみて、こちらを見返す美しい少女にアリアはそっと息をついた。少女の瞼には、本日は淡く滲む金色のアイシャドウが煌めいている。瞬きをする度にアリアの紫水晶の瞳をより神秘的なものに見せた。
「別人ではございません。我がお嬢様はとても美しいのです。」
「…ありがとうございます。」
自分の施した化粧の出来栄えに満足しているのであろうカトレアは、にこにこと嬉しそうに微笑みながらこちらを見ている。こうやって見ると、普通の綺麗お姉様だなぁとアリアは思った。
「アリアお嬢様は、本当にエルシア様に生き写しでございます…。」
化粧を施されたアリアを見て、ナージャが少し涙ぐみながら微笑んだ。
エルシアはアリアの母の名前だ。領地に帰ってきた当日、乳母は成長したアリアを驚いたように目を見開いて見つめて、そして今のように涙を流した。
「生きる宝石」「月の妖精」「白銀の姫」など、美しい容姿を讃える数々の二つ名を持っていた母は、子どもであったアリアの目から見てもとても儚げで美しかった。
アリアはそんな美しい母の子としてプレッシャーはあったが、父や母の恥にならないようにお作法や所作は一生懸命習った。
そもそも少女は自分の容姿に自信がなかった。幼い頃から母と比べられた所為もあったし、元来の引っ込み思案な性格の所為でもあった。
アリアは母のような銀髪ではなかったし顔立ちも母と比べると平凡な範疇だと思っていたからだ。だから、乳母の反応にもカトレアの言葉にも、困ったように微笑むだけだった。
歩いて廊下を歩きながら、アリアは少し後ろを歩くカトレアに問いかけた。同じくらいの位置にナージャも一緒にいる。
「殿下の侍女になられてからは長いのですか?」
「はい。幼少期よりお側仕えをさせて頂いておりますので、かれこれ十年程になります。」
「十年ですか?!」
「なるほど。だから若いのに手際が良いのねえ。」
「とんでもございません。」
ナージャが感心したように言うと、カトレアは畏まって謙遜をした。
確か原作の中ではカトレアは二十歳前後との記載があったから、十歳~十一歳の頃に拾われた計算になる。一生涯を主であるリュシアンの為に過ごし、今後も未婚であったはずだ。つまり、凄腕の暗殺者としてずーっと彼のそばに付き添い続けるはずなのだが。
アリアは足を止めて不安げに目を揺らしながら、カトレアを見た。最後の確認である。
「でも、本当によろしいのですか?」
「もちろんです、我がお嬢様。」
「本っ当に…?」
「はい。」
「(本来殿下の側近であり一流の暗殺者である貴女に)本当にパン作りのお手伝いをして頂いてもよろしいんでしょうか…?」
「はい、むしろ喜んでお手伝い致します。我がお嬢様。」
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