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前日、旧友に頼み込み、「レディーロラン」に入ったことがある。
ジュリアの行き先が気になり、あの手この手と探しあて女学生向けの喫茶店に彼女が給仕していた。
自分と離婚して喫茶店に給仕するなんて。
やはり迎えに行くべきだと思ったが、妙にジュリアの笑顔が気になる。
彼女のこんな笑顔を見たのは初めてで気になってしまった。
友人に中の様子をみると毎日女学生と楽しく談義しているという。古典や現代文学の話、時には学校の課題について。
ジュリアはすぐにヒントになりそうな書籍を口にして、学生たちに頼られていた。
あの社交界の薔薇姫と呼ばれるアルマ令嬢もジュリアに懐いているという。
淑女たちのコーヒーブームの先駆けとなったのもアルマ令嬢だったはずだ。
気になり、友人のお供に変装して店を訪れたこともある。
学生たちとジュリアは楽しげに会話していた。
アベルでも知っている古典について知らない令嬢がいて、アベルは思わず笑ってしまった。
エリザベス学園はこんな令嬢でも通えるんだなと。
ジュリアは笑うことなくわかりやすく解説していた。
「たとえばこの本はどうでしょう。まずはこの方の注釈があるものの方が読みやすいと思います」
本棚にある書籍を令嬢に薦めた。
しばらく彼女たちの会話を聞きながらアベルは自分を恥いった。
ジュリアは相手の無学を笑わない。少しでも学びたい、知りたいという姿勢を見せればほんの少し後押しをしてくれた。
自分にそれがあっただろうか。
少しでもジュリアを理解しようとすればジュリアは答えてくれただろう。
少しでもジュリアの知識に理解を示したいと思えばジュリアは楽しい会話をしてくれたかもしれない。
そのどちらもしていなかった自分はジュリアに離婚を突きつけられてしまった。
自業自得だ。
自分はジュリアの聡明さから目を背け、耳を塞ぎ、彼女の口を塞いだ。
自分の惨めさから逃げる為に。
一度としてジュリアはアベルを嘲笑することはなかったのに。
そして自分の浅はかな行為がジュリアを惨めな伯爵夫人にした。
ジュリアが周りから嘲笑されるのを許してしまった。
◆◆◆
フラン王妃のサロンが終わり、アベルは決意したことを報告した。
「私は殿下の護衛を辞退いたします。後任は国王陛下が改めて殿下と相談して決める予定です」
突然の報告に女官たちは騒ぎ始めた。
フラン王妃はちらりと目配せして彼女たちを黙らせる。
「理由を聞いても?」
「全ては私の不甲斐なさ故です」
アベルは淡々と報告した。
自分の過ちについてまず語った。
「私は長らく殿下の元を逃げ場にしてきていました」
「逃げ場とは?」
「家と妻から……少し長くなりますが」
アベルは恥ずかしながらも語る。
「私は騎士の家系ですが、父は珍しく古典学者でした。昔の軍記を勉強してからどんどん古典にのめり込み、かなりの古典マニアで。ですが、私はこの通り学より武を極めるのを好み、勉学から逃げてきました。父が私に用意した妻はジュリア・ベルティー。亡きベルティー男爵の末娘でした」
「ええ。知っているわ。ベルティー男爵の著書は私の故郷でも教材に使われる程のものだったから。確か詩人でもありましたね」
アベルはこくりと頷いた。
「妻、元妻は聡明な女性でした。ベルティー男爵がずっと傍でさまざまな勉学を教授し、ベルティー男爵の知識を全て引き継いだといっていいほど。頭の回転も早く、我が家に嫁いですぐに家政を回してくれていました。私は怖くなりました。あまりに完璧な頭の良い令嬢は、私を馬鹿にしているのではないかと」
「実際は?」
アベルは首を横に振った。
「そんなことはありません。私の被害妄想です。そんな時に王命を受けました。あなたの護衛にと……まだ幼い、この国について詳しくない王妃の存在はありがたく感じました。私が必死にあなたを守れば体裁は整えられ、妻と一緒にいるのは最低限で済むと……とんでもない不敬です。私はあなたの護衛に相応しくない。自分の立場を見つめる為辺境の紛争地帯に行きます」
アベルはただ頭を下げた。
「そして、私の軽はずみな行動でイレイン殿に期待を持たせてしまった。私は……」
「少し待って」
フラン王妃はふうとため息をついた。
「イレインについては私にも責任があるわ。私の故郷は男女関係が奔放な、一夫多妻制だからイレインの初恋につい熱を上げてしまったの」
フラン王妃はイレインに目配せして、イレインは困った表情で前へ出た。
「ちなみにあなたはイレインを振ったそうね」
そう捉えられるだろう。
「申し訳ありません」
「あなたの妻の座は空白よね。イレインでは不満?」
「いいえ、私には勿体無いです」
アベルの言葉にイレインは叫んだ。
「それならいいじゃないですか。私はあなたのことが……」
「私はあなたを幸せにすることはできません。何しろ8年間妻を惨めにさせた男です」
「私は大丈夫よ!」
「他の女性しか見れない男に嫁ぐほど惨めなことはありませんよ」
そこまで言われてイレインは口を閉ざした。
「イレイン、あなたの負けよ。諦めなさい」
フラン王妃が言うとイレインは涙ぐみその場を走り去った。
「誰か、追いかけてあげて」
一人の女官がイレインを追いかけた。
「私が悪かったわ。イレインがあなたの恋人になればイレインはこのまま私のそばにいるとあなたにあれこれアプローチしてしまった。ジュリア・ベルティーに謝るべきなのは私だわ」
彼女が果たしてフラン王妃の謝罪を聞いてくれるかわからないが、機会は設けたいという。
「イレイン殿は」
「故郷の実家から戻るように言われているの。縁談があって、来年には帰らせるわ」
イレインは故郷では子爵令嬢である。
「大丈夫よ。イレインのことは故郷に任せて」
フラン王妃は笑った。
「あなたにも謝らなければ」
「いいえ。全ては私の不甲斐なさ」
「それを言うなら私の不勉強さにも責任はあるわ」
何しろまだ遊びたい盛りに姉王女の代わりに他国の王妃になれと駆り出されたのだから、意地でも勉強しなかった。
「あなたの恋を終わらせたことは私の恥ずべきこと。あなたが戦場に赴くという話もなしにするように取り計らうわ」
「いいえ」
アベルは首を横に振った。
「私はしばらく戦場に行きます。そうした方が色々考えがまとまるので」
もとより体を動かす方が性に合っていた。
ジュリアの行き先が気になり、あの手この手と探しあて女学生向けの喫茶店に彼女が給仕していた。
自分と離婚して喫茶店に給仕するなんて。
やはり迎えに行くべきだと思ったが、妙にジュリアの笑顔が気になる。
彼女のこんな笑顔を見たのは初めてで気になってしまった。
友人に中の様子をみると毎日女学生と楽しく談義しているという。古典や現代文学の話、時には学校の課題について。
ジュリアはすぐにヒントになりそうな書籍を口にして、学生たちに頼られていた。
あの社交界の薔薇姫と呼ばれるアルマ令嬢もジュリアに懐いているという。
淑女たちのコーヒーブームの先駆けとなったのもアルマ令嬢だったはずだ。
気になり、友人のお供に変装して店を訪れたこともある。
学生たちとジュリアは楽しげに会話していた。
アベルでも知っている古典について知らない令嬢がいて、アベルは思わず笑ってしまった。
エリザベス学園はこんな令嬢でも通えるんだなと。
ジュリアは笑うことなくわかりやすく解説していた。
「たとえばこの本はどうでしょう。まずはこの方の注釈があるものの方が読みやすいと思います」
本棚にある書籍を令嬢に薦めた。
しばらく彼女たちの会話を聞きながらアベルは自分を恥いった。
ジュリアは相手の無学を笑わない。少しでも学びたい、知りたいという姿勢を見せればほんの少し後押しをしてくれた。
自分にそれがあっただろうか。
少しでもジュリアを理解しようとすればジュリアは答えてくれただろう。
少しでもジュリアの知識に理解を示したいと思えばジュリアは楽しい会話をしてくれたかもしれない。
そのどちらもしていなかった自分はジュリアに離婚を突きつけられてしまった。
自業自得だ。
自分はジュリアの聡明さから目を背け、耳を塞ぎ、彼女の口を塞いだ。
自分の惨めさから逃げる為に。
一度としてジュリアはアベルを嘲笑することはなかったのに。
そして自分の浅はかな行為がジュリアを惨めな伯爵夫人にした。
ジュリアが周りから嘲笑されるのを許してしまった。
◆◆◆
フラン王妃のサロンが終わり、アベルは決意したことを報告した。
「私は殿下の護衛を辞退いたします。後任は国王陛下が改めて殿下と相談して決める予定です」
突然の報告に女官たちは騒ぎ始めた。
フラン王妃はちらりと目配せして彼女たちを黙らせる。
「理由を聞いても?」
「全ては私の不甲斐なさ故です」
アベルは淡々と報告した。
自分の過ちについてまず語った。
「私は長らく殿下の元を逃げ場にしてきていました」
「逃げ場とは?」
「家と妻から……少し長くなりますが」
アベルは恥ずかしながらも語る。
「私は騎士の家系ですが、父は珍しく古典学者でした。昔の軍記を勉強してからどんどん古典にのめり込み、かなりの古典マニアで。ですが、私はこの通り学より武を極めるのを好み、勉学から逃げてきました。父が私に用意した妻はジュリア・ベルティー。亡きベルティー男爵の末娘でした」
「ええ。知っているわ。ベルティー男爵の著書は私の故郷でも教材に使われる程のものだったから。確か詩人でもありましたね」
アベルはこくりと頷いた。
「妻、元妻は聡明な女性でした。ベルティー男爵がずっと傍でさまざまな勉学を教授し、ベルティー男爵の知識を全て引き継いだといっていいほど。頭の回転も早く、我が家に嫁いですぐに家政を回してくれていました。私は怖くなりました。あまりに完璧な頭の良い令嬢は、私を馬鹿にしているのではないかと」
「実際は?」
アベルは首を横に振った。
「そんなことはありません。私の被害妄想です。そんな時に王命を受けました。あなたの護衛にと……まだ幼い、この国について詳しくない王妃の存在はありがたく感じました。私が必死にあなたを守れば体裁は整えられ、妻と一緒にいるのは最低限で済むと……とんでもない不敬です。私はあなたの護衛に相応しくない。自分の立場を見つめる為辺境の紛争地帯に行きます」
アベルはただ頭を下げた。
「そして、私の軽はずみな行動でイレイン殿に期待を持たせてしまった。私は……」
「少し待って」
フラン王妃はふうとため息をついた。
「イレインについては私にも責任があるわ。私の故郷は男女関係が奔放な、一夫多妻制だからイレインの初恋につい熱を上げてしまったの」
フラン王妃はイレインに目配せして、イレインは困った表情で前へ出た。
「ちなみにあなたはイレインを振ったそうね」
そう捉えられるだろう。
「申し訳ありません」
「あなたの妻の座は空白よね。イレインでは不満?」
「いいえ、私には勿体無いです」
アベルの言葉にイレインは叫んだ。
「それならいいじゃないですか。私はあなたのことが……」
「私はあなたを幸せにすることはできません。何しろ8年間妻を惨めにさせた男です」
「私は大丈夫よ!」
「他の女性しか見れない男に嫁ぐほど惨めなことはありませんよ」
そこまで言われてイレインは口を閉ざした。
「イレイン、あなたの負けよ。諦めなさい」
フラン王妃が言うとイレインは涙ぐみその場を走り去った。
「誰か、追いかけてあげて」
一人の女官がイレインを追いかけた。
「私が悪かったわ。イレインがあなたの恋人になればイレインはこのまま私のそばにいるとあなたにあれこれアプローチしてしまった。ジュリア・ベルティーに謝るべきなのは私だわ」
彼女が果たしてフラン王妃の謝罪を聞いてくれるかわからないが、機会は設けたいという。
「イレイン殿は」
「故郷の実家から戻るように言われているの。縁談があって、来年には帰らせるわ」
イレインは故郷では子爵令嬢である。
「大丈夫よ。イレインのことは故郷に任せて」
フラン王妃は笑った。
「あなたにも謝らなければ」
「いいえ。全ては私の不甲斐なさ」
「それを言うなら私の不勉強さにも責任はあるわ」
何しろまだ遊びたい盛りに姉王女の代わりに他国の王妃になれと駆り出されたのだから、意地でも勉強しなかった。
「あなたの恋を終わらせたことは私の恥ずべきこと。あなたが戦場に赴くという話もなしにするように取り計らうわ」
「いいえ」
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「私はしばらく戦場に行きます。そうした方が色々考えがまとまるので」
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