一度私が振ったらしい美形の歳下ワンコくんが溺愛してきます。

森野きの子

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 会計を済ませ(もちろんちゃんと割り勘にした)、外に出ると、肌寒くて上着を持ってくるべきだと後悔した。
「うわ。また冬って感じ」
 小野塚くんはそういいながら、ジャケットを私の肩にかけた。
「え。いいよ。小野塚くんのほうが寒そう」
「肩出してる方が寒そう」
 七分丈の袖も寒そうだけど。小野塚くんを見上げてると、ニッと笑い返される。
「井上さんがおれの腕をギュッ♡ としてくれたらいーかも」
「こう?」
 試しに両腕で小野塚くんの腕を抱いてみる。
「アッ、まじか!」
 小野塚くんは空いてる左の手で額を叩いた。
「んんー! 井上さん、そして神様ありがとう!」
 ぎゅーっと目を瞑ったまま天を仰いで言った。
「あはは。面白い」
「あ。そだ、会計で貰ったガム」
 と、今どき珍しい板ガムを一枚差し出す。
「おれさ、冬の寒い時にめっちゃスースーする辛いガム噛むの好きなんだ」
「へえ」
 私は腕を離して、ガムの包装紙を剥がして板ガムを口に入れた。
「こう噛んでさ、深呼吸すると喉の奥まで凍りそうじゃない? 頭の心が冷えて目が覚める感じ! 口ん中雪降りそー!」
 真似して息を吸い込むと確かに喉の奥まで冷たい。身体が冷えそう。
「これになんのメリットが?」
 と、小野塚くんを見ると、彼は少し背中を丸めて、私に短いキスをした。
「あったかいキスができる」
 なんつって。と続けて踵を返し、先を歩き出す。私の手をしっかり握ってひっぱっていく。一瞬すぎて実感がない。でもファーストキス。大きな手は少し冷たくて骨ばっている。すごく自然にキスされた。今まで何度もキスをしてきたんだろうな。まだ二十歳なのに。個人差ってすごいなあ。と感心の眼差しを向けてみる。夜の冷え込みで耳が赤く凍えている。
「嫌じゃなかった?」
 急に立ち止まって小野塚くんが振り向いた。
「あ。キス? うん。大丈夫」
「大丈夫、か。動じないなぁ」
 ちょっと悔しそうにいう。そうでもなくて目白押しの展開に感情がついていけてないだけだ。もっと照れたり慌てたりしたほうが可愛げがあってよかったのかもしれない。いや、四つも年上の女が照れたり慌てたりするのって、可愛いのか? さっきの服装の件でもそうだったけれど、二十歳の感覚はわからない。当たり障りなく過ごそう。

 小野塚くんは駅前のマンションに住んでいた。吹き抜けのロフトがあるようなオシャレで広いつくりの部屋。そしてなんとスタジオ顔負けの練習室があって、Ry.oはもちろん、雑誌かウインドーショッピングでしか見たことのないハイブランドの化粧品が並んでいた。
「みんなこれ目当てでおれんちに遊びにくるんだ。まあ、お互い練習台にするんだけどさ。今度また近々集まるから、よかったら井上さんもおいでよ」
「あー。うん。時間が合えば」
「あはは。来ないヤツだそれ」
「そうは言ってないよ」
 リビングに行き、一人用のベッドくらいありそうなソファに座ると、照明が落とされた。すぐに目の前の白い壁が四角に照らされ、古い映画が始まった。
「なにもないけど」
 と、手渡されたのは、緑色の瓶に入ったジンジャーエール。どさっと隣が沈んだ。横を向くと、反対側に頬杖をついた小野塚くんと目が合った。
「井上さんってさ、まったく飲み会とか来ないって聞いてたんだけど」
「あー。うん。まあ、そうだね」
 目をまっすぐ見られるのって緊張する。
「ずっと前から原田に飲みに誘われてて、井上さん呼んでくれるなら行ってもいいよって言ったんだ」
「え?」
「井上さん、原田と同じグループだったじゃん」
「あ、ああ。うん」
「まさか本当に来るなんて思わなかった」
 話が読めない。本当は原田さんの誘いを断りたくて私を呼んだってことだろうか。
「そう? もうすぐ卒業だし、もうバイトも辞めたから」
「バイトしてたの?」
「うん」
「なんの?」
「短時間だけど深夜のコンビニ」
「えー。もっと早く知りたかった」
「なんで」
「なんでって――」
 笑ってみたけど、小野塚くんは半笑いだ。
「あしらわれてるなぁ……」
 と、後頭部を掻く。
「井上さんからしたらおれも糞ガキ?」
「え?」
「はぐらかさないでよ」
 覆いかぶさってくるみたいに身を乗り出して、黒い瞳が至近距離で迫ってくる。あまりの迫力に気管がギュッと締まって呼吸ができない。怒らせた? 美男子のプライドを傷つけた?
「小野塚くん――」
「井上さん」
 あー。これは来る。私の人生初の異性との交わり。よりによってこんなにハイレベル。まさにビギナーズラック。恋愛感情がなくても、プロセスをすっ飛ばしても、行き着く男女はいる。経験はなくても、情報はある。
 黒い瞳に気を取られていたら、キレイな二重が刻まれたツルッとした瞼が下りてしまった。なんて滑らかな肌。艶がいい。あ。真似しなきゃ。唇が合わさる。今度は長いキス。唇の周りを突っつかれる。服がするすると脱がされていく。上下は合ってるけど、黒いシームレス。こんなんでよかったのかな。つくづく色気とか可愛げとかほど遠いな。
「口開けてよ」
 キスが止まって、少し目を開けた小野塚くんが拗ねた声でいう。
「え。んんっ……」
 舌を絡めながら肌をまさぐられる。
 そして。しばらくして――。
「ごめん……」
 小野塚くんは完全にキスを止めて、がっくりと肩を落とした。ボクサーパンツ一枚で私もショーツ一枚。なかなかシュールなワンシーンだ。
「……調子悪い、みたい……」
「そうなんだ。わかった」
「ごめん……」
「ううん。大丈夫」
 やはり、私は魅力に欠けているのだろう。下着や衣類をかき集めて、なるべく早く着替えて帰り支度を整える。
「待って待って。今日はもう遅いから泊まっていけば? メイク道具もクレンジングも山ほどあるよ」
 一度も使ったことのないハイブランドの化粧品は魅力的だったけれど、それ以上に一緒にいるのが気まずい。
「明日早いんだ。だから帰る」
「じゃあ送ってく」
「いいよ。気にしないで」
「心配だから」
 気を使われると余計にみじめになる。
「迷惑なの」
 小野塚くんの動きが止まった。私はその隙に部屋を出た。
 はしゃいじゃってバカみたい。今までもこれからも接点のない華やかな男の子に浮かれて、結局、私には縁がなかったのを知っただけ。身の程知らずは欲をかいて自滅する。
 自己嫌悪に陥れば陥るほど、自分が小野塚くんに惹かれていたのを思い知った。
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