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専門学校を卒業し、寮付き制服ありの学校が運営する美容室に入社した。
専門学校を卒業したからといってすぐに美容師になれるわけでなく、お客様に施術ができるスタイリストについて補助を行なうアシスタントからスタートする。
平均して三年、店ごとに年数はまちまちだけど、店長のテストに合格していけば、五年ほどでスタイリストとして店に立てる。
しかし、それはまだ先の話。私はようやく三年目。同期入社した子は、二年も経たずに夢と現実のギャップに挫折した。念入りな掃除はもちろん、シャンプー剤やその他の補充、先輩たちのお昼や夜食の買い出し、お使いなどの補助して、閉店後は練習。休日は練習と講習会。相変わらずお金はないけれど、親しい間柄の人はいないし、やることだらけなのであっという間の三年だともいえる。
「井上さん、こっちお願い」
スタイリストの河田千夏さんに言われ、私は短い返事をする。
注文されたカラーの指示を貰い、薬剤を準備する。お客様のご要望はナチュラルブラウン。赤みが出やすいのが悩みということで、緑系を混ぜる。
もう一人のアシスタントの飯田|愛桜(ねお)さんが、お客様の頭皮付近に保護剤を塗っている。ワゴンに薬剤の入った小さなボウルを二つ用意し、飯田さんの隣に行った。
お客様の髪の毛を分け、毛束に薬剤を塗布して刷毛で梳く。色の出やすいサイドの前面は慎重に、カットされた毛束の流れに注意しながら、塗り終わったら櫛目の粗いブラシで充分に梳かし、ラッピングをする。遠赤外線の促進機、ローラーボールをセットして、あとは二十分待つ。ローラーボールをセットしながら、飲み物を聞く。注文された白桃の香りのするルイボスティーは一番人気だ。
バックヤードに行き、お茶を淹れる。スタイリストの吉沢悠斗さんが入ってきて、お疲れと言った。
彼は、この店のトップスタイリストで、全日本美容技術選手権大会のカット&ブロー競技の部で最優秀賞を受賞している。つまり、サロンスタイルを極めた人だということ。正直、もっと他にも待遇のいいところはありそうだけど、彼は、自分を育ててくれた母校の後輩たちのためにも、ここに留まっているという話だ。
「お疲れ様です」
「ずいぶんいい感じだったな。カラーリングの手際よかったよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
「今日店終わったあと練習見ようか?」
願ったり叶ったりだ。吉沢さんに直接指導してもらえるなんて。
「是非お願いします」
「ん」
お茶の蒸らし時間を見計らい、ティーパックを捨てて、耐熱ガラスのカップとソーサーをトレイに乗せ、フロアに戻る。
お客様がファッション雑誌を眺めながら、ティーカップに手を伸ばした。
「あ。あぶない」
咄嗟に手を出してしまった。お客様の指を滑り、傾いたティーカップから熱いルイボスティーが零れた。
私はそれを掌で受け止めた。我ながら意味の無いことをしてしまったと思う。お客様の足にかかったら大変だと瞬時に慌ててしまったのだ。
私を見て、小さな悲鳴を上げ、お客様が、大丈夫? と声をかけてくれた。
「大丈夫です。橋本様はいかがですか?」
「私は大丈夫。ごめんなさいね」
「いいえ。とんでもないです」
「早く冷やしてきて」
河田さんにいわれ、私はバックヤードに戻る。カップや床は飯田さんが片付けてくれていた。
「どうした?」
と、怪訝な顔の吉沢さん。
「お茶がこぼれて慌てて手で受け止めてしまいました」
「意外にそそっかしいんだな」
「お恥ずかしい限りです」
シンクで手を冷やしたが、全然大したことは無い。手荒れにしみるくらいだ。
新しいお茶を淹れたところで、河田さんがやってきて、シャンプー剤の補充と違うブースの掃除を言づかった。
お客様に余計な気遣いをさせないよう離れて作業するためだ。淹れなおしたお茶を持ってお客様のところへ行き、何ともなかったことを伝えた。
床や道具の消毒をして、ほかのブースの床に落ちた髪を掃除する。
お昼休憩をもらったので、バックヤードに行くと、もう誰もいなかった。持ってきた塩おにぎりと、お店で自由に飲んでいいお茶とお茶請けの梅干しをもらって五分ほどの昼食を済ませる。シャンプー剤とスタイリング剤の発注をして、また掃除と消毒をする。慌ただしく日中が過ぎ、日が暮れる頃には気だるさも出てくる。そこから閉店間際にはもう足が浮腫んでパンパンだ。
でも疲れている場合じゃない。閉店後には吉沢さんが指導してくれる。作業の合間につい彼の手技を盗み見てしまう。指先はしなやかでシザーの使い方は絶妙だ。
見ているだけではわからない。実際に触らせてもらって細部まで見せてもらいたい。カットモデルを使った指導だと尚いい。
先週の休みの火曜日に、飯田さんの練習に付き合い、肩甲骨下まで伸びた幅の大きな緩いパーマをかけ、チョコレートブラウンに染めてもらった。
似合うと思って、とお礼にくれたバレッタで一つにまとめているのだけれど、これだけで、崩れたりほつれたりせずに一日髪にわずらわされることがない。それに、タイトな白いシャツに太めのウエストベルトに細身の黒いパンツ。シンプルな制服だから、ヘアスタイルのゴージャスさが引き立つ。
人付き合い下手はプライベートだけにして、お店ではなるべく本来の二割増で明るめのトーンで人と関わる。接客業なのでお店に出ている間はありのままの自分は封印だ。
専門学校を卒業したからといってすぐに美容師になれるわけでなく、お客様に施術ができるスタイリストについて補助を行なうアシスタントからスタートする。
平均して三年、店ごとに年数はまちまちだけど、店長のテストに合格していけば、五年ほどでスタイリストとして店に立てる。
しかし、それはまだ先の話。私はようやく三年目。同期入社した子は、二年も経たずに夢と現実のギャップに挫折した。念入りな掃除はもちろん、シャンプー剤やその他の補充、先輩たちのお昼や夜食の買い出し、お使いなどの補助して、閉店後は練習。休日は練習と講習会。相変わらずお金はないけれど、親しい間柄の人はいないし、やることだらけなのであっという間の三年だともいえる。
「井上さん、こっちお願い」
スタイリストの河田千夏さんに言われ、私は短い返事をする。
注文されたカラーの指示を貰い、薬剤を準備する。お客様のご要望はナチュラルブラウン。赤みが出やすいのが悩みということで、緑系を混ぜる。
もう一人のアシスタントの飯田|愛桜(ねお)さんが、お客様の頭皮付近に保護剤を塗っている。ワゴンに薬剤の入った小さなボウルを二つ用意し、飯田さんの隣に行った。
お客様の髪の毛を分け、毛束に薬剤を塗布して刷毛で梳く。色の出やすいサイドの前面は慎重に、カットされた毛束の流れに注意しながら、塗り終わったら櫛目の粗いブラシで充分に梳かし、ラッピングをする。遠赤外線の促進機、ローラーボールをセットして、あとは二十分待つ。ローラーボールをセットしながら、飲み物を聞く。注文された白桃の香りのするルイボスティーは一番人気だ。
バックヤードに行き、お茶を淹れる。スタイリストの吉沢悠斗さんが入ってきて、お疲れと言った。
彼は、この店のトップスタイリストで、全日本美容技術選手権大会のカット&ブロー競技の部で最優秀賞を受賞している。つまり、サロンスタイルを極めた人だということ。正直、もっと他にも待遇のいいところはありそうだけど、彼は、自分を育ててくれた母校の後輩たちのためにも、ここに留まっているという話だ。
「お疲れ様です」
「ずいぶんいい感じだったな。カラーリングの手際よかったよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
「今日店終わったあと練習見ようか?」
願ったり叶ったりだ。吉沢さんに直接指導してもらえるなんて。
「是非お願いします」
「ん」
お茶の蒸らし時間を見計らい、ティーパックを捨てて、耐熱ガラスのカップとソーサーをトレイに乗せ、フロアに戻る。
お客様がファッション雑誌を眺めながら、ティーカップに手を伸ばした。
「あ。あぶない」
咄嗟に手を出してしまった。お客様の指を滑り、傾いたティーカップから熱いルイボスティーが零れた。
私はそれを掌で受け止めた。我ながら意味の無いことをしてしまったと思う。お客様の足にかかったら大変だと瞬時に慌ててしまったのだ。
私を見て、小さな悲鳴を上げ、お客様が、大丈夫? と声をかけてくれた。
「大丈夫です。橋本様はいかがですか?」
「私は大丈夫。ごめんなさいね」
「いいえ。とんでもないです」
「早く冷やしてきて」
河田さんにいわれ、私はバックヤードに戻る。カップや床は飯田さんが片付けてくれていた。
「どうした?」
と、怪訝な顔の吉沢さん。
「お茶がこぼれて慌てて手で受け止めてしまいました」
「意外にそそっかしいんだな」
「お恥ずかしい限りです」
シンクで手を冷やしたが、全然大したことは無い。手荒れにしみるくらいだ。
新しいお茶を淹れたところで、河田さんがやってきて、シャンプー剤の補充と違うブースの掃除を言づかった。
お客様に余計な気遣いをさせないよう離れて作業するためだ。淹れなおしたお茶を持ってお客様のところへ行き、何ともなかったことを伝えた。
床や道具の消毒をして、ほかのブースの床に落ちた髪を掃除する。
お昼休憩をもらったので、バックヤードに行くと、もう誰もいなかった。持ってきた塩おにぎりと、お店で自由に飲んでいいお茶とお茶請けの梅干しをもらって五分ほどの昼食を済ませる。シャンプー剤とスタイリング剤の発注をして、また掃除と消毒をする。慌ただしく日中が過ぎ、日が暮れる頃には気だるさも出てくる。そこから閉店間際にはもう足が浮腫んでパンパンだ。
でも疲れている場合じゃない。閉店後には吉沢さんが指導してくれる。作業の合間につい彼の手技を盗み見てしまう。指先はしなやかでシザーの使い方は絶妙だ。
見ているだけではわからない。実際に触らせてもらって細部まで見せてもらいたい。カットモデルを使った指導だと尚いい。
先週の休みの火曜日に、飯田さんの練習に付き合い、肩甲骨下まで伸びた幅の大きな緩いパーマをかけ、チョコレートブラウンに染めてもらった。
似合うと思って、とお礼にくれたバレッタで一つにまとめているのだけれど、これだけで、崩れたりほつれたりせずに一日髪にわずらわされることがない。それに、タイトな白いシャツに太めのウエストベルトに細身の黒いパンツ。シンプルな制服だから、ヘアスタイルのゴージャスさが引き立つ。
人付き合い下手はプライベートだけにして、お店ではなるべく本来の二割増で明るめのトーンで人と関わる。接客業なのでお店に出ている間はありのままの自分は封印だ。
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