上 下
96 / 129
第7章 空島世界

第7章 空島世界 14~怒れる竜王

しおりを挟む
第7章 空島世界 14~怒れる竜王


●S-1:青空

 巨大な竜が雲の上を遊弋していた。
 全長100mを超える体躯は流れるように優美で、魔素マナの包まれて光り輝く翼膜は赤い光粉を放つほどに眩しいほどだった。
 赤竜。
 それはこの世界に5体しかいない古竜エイシェントだった。
 生物の生存ピラミッドの最上位に位置するドラゴンの中でも最上位に位置する頂点ともいえる存在。
 
 それが今、激しい憤怒とともにどこか冷静な獲物を狙う狩人のような感情が渦巻いていた。

 ドラゴンたちも若いものはその姿を見たことはない。
 古竜エイシェントの空を飛ぶ姿は100年以上も現すことはなかったのだ。
 その理由に気付くものもいなかった。
 
「赤竜王が何故……?」

 常に竜の住処にいるはずの『彼』が。
 その怒りの感情も普段から激情家として知られた彼なら不思議なことではなかった。
 だからこそ誰も違和感を感じていなかったと言える。

 赤竜王……ヴァーシキー。
 帝国の伝説にも登場するドラゴンが活動的になったのは何世紀ぶりのことか。
 ヴァーシキーはとある空域に達すると大きく広げた翼を半分ほど畳み、降下態勢に入る。
 急降下ではない。
 あくまで優美で緩やかなその姿は地上に天使が降り立つようなものにも似ていたかもしれない。
 
 しかし、彼は確かに狙っていたのだ。
 獲物を。



●S-2:空島都市ライラナー

 人々は緩やかに下りてくる赤いドラゴンを最初は鳥か何かと思っていた。
 それが近づいてくるごとに巨大な姿を現すまでは。
 
「エルフどもよ」

 発せられた言葉はエルフ語とも互換性のある帝国共通語だった。
 
「盟約を破りし報いを受けるがよい」
 
 その声は何故かライラナー全体に響いていた。
 それが魔法に寄る技なのだと人々が理解するのはずっと後のことだ。
 ドラゴンは大きなトカゲという浅い認識の者も少なくないが、それは極めて若い姿のうちだけである。
 老成したドラゴンは数多の魔法を自在に使うことができ、飛行可能な巨大な肉体はそれだけでも凶器なのだった。

 ヴァーシキーは炎を吹いた。
 それは辺り一面を爆発させるような勢いだった。
 魔法により範囲を拡大させているのだ。
 ライラナーの港は一瞬にして炎の嵐に包まれた。

 何かが爆発した。
 ライラナーの軍港に停泊していた第2艦隊の一等戦列艦の1隻だった。
 砲窓をちゃんと塞いでいたにもかかわらず、ヴァーシキーの炎が中まで貫通して火薬に火を点けたのだ。
 火災は次々に他の炸薬にも誘爆していき、やがて一等戦列艦は真っ二つに裂けて爆沈した。
 わずか数十秒のことだ。

 膨大な弾薬を積んだ船の爆発は空気を振動させ、ライラナーの人々をパニックに陥れた。
 ヴァーシキーの怒りは本物だった。
 すぐに鋭利な爪が別の一等戦列艦を薄い布を破るように容易く引き裂いた。
 続いて咆哮をあげると、強大な魔法を放った。

 電撃連鎖チェーン・ライトニング

 あまりの高温からプラズマ化した火炎が連鎖爆発しながら辺りを燃やし尽くすのだ。
 伝説では帝国創成期の大魔術師が儀式魔法として使った空前の大魔法である。
 今でも魔術師たちの間では再現を試みようとするものが後を絶たないものだ。
 ただし、成功した例はない。
 それほどのものを苦も無く発揮したのだ。

 ドラゴンは全生物の頂点。
 そう再確認させる。


 港の飛行船を悉く焼き尽くすと、赤竜はライラナーに降り立ち街並みに向けて再び火炎を放つ。
 エルフたちは阿鼻叫喚で逃げ惑った。
 長らく巨大なトカゲ程度に思っていた相手が本来の姿を見せたことに恐怖した。
 この古竜エイシェントにはどれだけ戦闘用飛行船を集めても敵足りえないかもしれない。
 恐るべき力だった。

「赤竜王!」

 そこにエルフの女性が飛び出した。
 決死の表情であった。

「怒りを鎮めてください!」

「コンコード管理官!死ぬ気か!?」
 ハウプトマンが悲鳴のように叫んだ。 
 部下たちが避難するのを確認してから、最後に退出しようとして矢先だった。
 コンコードはその細い体で両手をいっぱいに広げていた。

「コン……コード……?」
 巨竜ヴァーシキーの表情がほんの少しだけ変わった。
「何故、止めるのだ!?」

「これは無駄な争いだからです!」
 コンコードは退かない。
 自分の数十倍もの大きさの竜と向かい合っても怯まない。
「知恵深きあなたなら不自然さに気付くはずです!」

「貴様……裏切るつもりなのか」
「いいえ!」
 甲高いソプラノで否定した。
「今の私はかつてのあなたと似た立場です!」

「同胞を殺したやつらを許すことはできぬ」
「それは私も同じです!……が」
 コンコードは視線を逸らさない。
「昔のあなたは……人族の中で暮らしたあなたなら!判るはずです!」

「彼女は何を言っているのだ?……人族?ドラゴンが?」
 ハウプトマンが唸った。
 聞き逃すわけにはいかない気がした。

「軍船を焼き払ったならもう十分でしょう。あの中にも少なくない数のエルフたちが乗っていたのですよ」
「当然の報いだ」
「戦闘員はまだしも更に市民まで殺すことはないはずです!」
「本当に裏切る気か……?」
「いいえ!」

 コンコードは言葉を探したが思いつかない。
 感じたままに言うしかない。
「エルフにはドラゴンを襲う理由がないからです」
「そのような言い訳を……」
「いいえ!」

 交渉に弱みを見せることは敗北と同じである。
 それでも内情を明かす必要があると思った。
「エルフもドラゴン同様に滅亡の危機に瀕しているからです!」
「我々よりは多い」
「それでも!」
 コンコードは見てきた。
 エルフが急速に人口を減らしていることを。

「以前は20以上あった空島が今では僅か10を数えるのみなのです。維持できず、漂うことすらできずに地上に墜ちたものもあります」   
「……知らぬな」
「いいえ。竜城へに派遣されるエルフが、最初は数年おきであったものが……前任者の死亡をもって交代するようになっていることは御存知のはず!」
「ふむ……」
「今回も前任者の死亡の報告を受けてから、やっと候補者が決められ……そして向かっている矢先だったのです」

 ヴァーシキーは逡巡した。
 彼は単に戦闘好きなドラゴンではないのだ。
 激情家であるとともに竜族きっての下界を知るものとして知られていた。
 長命のエルフと言えどもドラゴンに比べれば遥かに短い。
 それ故に時間の感覚は鈍いが、確かにエルフの使者の頻度は激減していた。
「……聞こう」

「ありがとうございます」
 コンコードは胸を撫でおろした。
「エルフ族の高齢化と人口減少は竜族にも劣らないほどです。彼らもまた我らと同じ異世界の住人だったものですから、この世界に適合しづらくなってきたのかもしれません」
「……ほう」
「子供が生まれにくくなている原因はいまだに具体的な説明は出来かねますが……常に種族滅亡の危機に怯えているほどです」
「それは我らドラゴンの方が切実である!」
 ヴァーシキーは咆えた。

「ドラゴンの営巣地であるヌーシャティオの位置を知っているのはエルフどもくらいなのだ。それが孵化前の卵を盗み、雛を攫うなど……空を飛ぶことのできるエルフ以外にいるものか!」
 コンコードは小さく首を振る。
「絶滅を恐れるエルフたちが我らとの全面戦争を覚悟でそのような暴挙を行うとは考えられません。なにより……」
 彼女は自分の襟章を指さした。
「軍管区管理官である私に何の報告もないのです。そのような軍事行動を起こして耳に入らないはずがありません」
「……信用できぬな」
「我が名に誓います」
 ドラゴン族にとって名前は特別な意味を持つ。
 違えることは名前の呪いを受けるだろう。

「では、改めて問おう。ならば誰が犯人だというのだ?」
 これにはコンコードも答えられない。
「判りません。皆目見当がつかないのです。だからこそ……」
「今しばらく調査をしたいというのだな?」
「は、はい」

「甘いことだ」
 ぶしゅぅとヴァーシキーは小さく炎を吐いた。
 溜息のようなものだ。
「調和と協調の名を持つ青竜王コンコード。今しばらくだけ待っておこう。長命のドラゴンとはいえあまり待てぬぞ?」
「ありがとうございます。……ヴァル」

「その名で呼ぶな!」
 ヴァーシキーの炎がコンコードを掠めた。
 普通のエルフならただでは済まないはずだが、コンコードは古竜エンシェントらしく体の周囲に防護膜があった。
「……照れなくても」
「もう一度言ったら、エルフの前にお前を殺す」
 巨大なドラゴンがどこか照れた少年のように見えた。
 ヴァーシキーは翼を広げる。

「ただし!降りかかる火の粉は払うぞ。ドラゴンを狙うものは事情あるなしに全て敵だ!」
「それは私も同じです」
「……ふん!」
 ヴァーシキーは轟音を立てて飛びあがる。
「良いか。長くは待てぬぞ!」

 巨大な赤い金属光沢の巨竜は辺りを睥睨しながら飛び去って行った。


「……コンコード管理官」
 様子を観察していたハウプトマンが声を掛けた。
 ドラゴンを目の前にして逃げなかったのはなかなかの胆力だと言えた。
「今のはどういうことかね?聞き捨てならない話でもあったが」

「長官。……お聞きの通りです」
 コンコードは頭を下げた。
「このような姿を呈しておりますが竜の一族に連なる者です。エルフ族を監視するために内偵していました」
「……なるほど」
 ハウプトマンは小さく頷いた。
「正体を知られたからにはお暇をしたく……」

「待ちたまえ」
「は?」
 コンコードは首を傾げた。
「ルゥがあちらに辿り着いていない以上、竜族との交渉の窓口が別に必要なのだ」
「はあ?」
「察しが悪いな?」
 ハウプトマンは悪戯っぽく笑った。

「コンコード管理官。これは軍管区長官としての命令であると同時に個人的な依頼でもある」
「はい?」
「今しばらくは現状を維持し、竜族とエルフ族との交渉役として働いて欲しいのだ」
「……本気ですか?」
 これにはコンコードが驚いた。
 今まさにドラゴンによりライラナーは半ば壊滅したのだ。
 その同族の自分を?
 そもそもコンコードは彼にあまり好かれていないはずだった。

「胡散臭い女性だと前々から思っていたのだ」
 ハウプトマンはコンコードの心の内を見透かすように言った。
「いったいいつから潜り込んでいたかは知らないが……一定期間ごとに関係者の記憶を改竄していたのは魔術かね?」
「……」
 コンコードは答えない。
 それが事実であったからだ。

「君は覚えていないと思うがね。記憶を消しそこなった対象もいたのだよ。だから色々と疑ってはいた。まさか竜族とは思いもしなかったが……」
 コンコードは眉を顰めた。
 どこでミスをしたのだろうか。
 思いつかなかった。

「200年前、小さな私は君に会ったことがあるのだ。軍船の公開乗船の時だったが」
 ハウプトマンは不器用にウインクした。
「子供なら覚えていないと思っただろうね」
  
 そう。彼は年を取らない年上のエルフを不気味に思っていたのだった。
 その長年の謎が解けて何処か晴れやかだった。



●S-3:男爵領上空

 ヴァーシキーは考え事をしながら宛もなく飛行していた。
 地上の人々が見たら大恐慌になるであろう。
 それを配慮することもなかった。
 ある意味隙だらけの瞬間だっただろう。

「ヴァル……行くよ」

 遠い遠い1000年も前の記憶が蘇る。
 肩に掛かりそうなほどの豊かな金髪の少年騎士の姿。
 自分を呼ぶ声。
 全てが懐かしい。
 当時は自分も若く希望に燃えていた。

「調べる時は第三者の目から。……だったな」
 遥かな昔の友の言葉。
 眼下に広がるのはその友と共に守った大地。

「第三というなら、今回はさしずめ人族かな?」

 彼は本来全てを人任せにするのが大嫌いだった。
 コンコードには悪いがこちらも調べさせてもらおうと思った。


 赤竜王古竜エイシャントヴァーシキーは1000年ぶりに大地に降り立った。
 かつてと同じ、人の姿を取って。
 
しおりを挟む

処理中です...