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第9章 竜の世界
第9章 竜の世界 1~One Wild Oat
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第9章 竜の世界 1~~One Wild Oat
●S-1:アレキサンダー男爵領/飛空港
男爵領飛空港は設備というほどの物はほとんどない。
木製の見張り台……管制塔とか誘導灯を兼ねているのだが、開閉可能な蓋付きランタンと手回しで風と負圧を作るサイレンがあるだけだ。
紅白の旗などもあるが旗の信号自体が何も決まっていないので、存在するだけでしかない。
あとはだだっ広い空き地。
本来なら耕作地にしたいくらいなのだが、農業従事者の人手が足りないから何とか余裕があったのだった。
その広い発着場には5本のポールが立っている。
飛行船を係留するためのロープをつないでおく係船柱だ。
ここに飛行船の先端をロープで係留し、船体が上下しないようにするのだ。
気嚢の下にゴンドラのように船体がぶら下がる構造の飛行船は着陸ができない。
そのために少し空中に浮いた形で係留しなくてはいけない。
先端を一度固定すると、あとは風で左右に揺れないように船体後端から左右に2本のロープを伸ばして地面に釘状のペグを打ち込んで固定するという単純極まる仕組みだった。
そもそも金属のワイヤーはまだ開発中だ。
ロープを固定する方法や結び方は船と概ね同じである。
ルシエやラベルの知識と技術が役に立った。
彼らなら舫結びや南京結びはお手の物だ。
そして、2隻の飛行船が係留されていた。
一つは男爵家保有のペンギン……もとい希望号だった。
大きな車輪のような魔動推進機が左右に伸びているのが特徴である。
そこに空島にはなかった大きめの安定翼が付いているので、さながら鰭を広げたペンギンの様ではあった。
塗装も技術上2色しかないので上半分が黒に限りなく近い青と、下半分が白色なのだ。
また船首の1部分は魔素取り込み用のスクープがあり、その周囲が魔素の影響で白黄色に光っている。
つまり。
外見でいえば、沙那に言わせると「コウテイペンギン」なのだった。
沙那の希望でペンギンの絵が紋章のように描かれているのも少し問題かもしれない。
もう1隻はクローリーも見慣れた、というべきか乗ったこともある空島エルフの飛行船エーギル号だ。
こちらはディルクロよりもずっと洗練されてスマートな外観である。
長い時をかけて熟成されていた技術の結晶なのだから当たり前かもしれない。
エルフの技術を基に試行錯誤して、あまつさえ各自の趣味てんこ盛りなディルクロとは比ぶべくもない。
賢者に言わせれば「試作機こそ漢のロマン!」らしいのだが。
そこに馬に曳かれた荷車を改造したタラップが繋がれた。
現代の空港ではおなじみの搭乗橋などはない。
もしかしたら将来的には可能になるのかもしれなかったが、今はまだ遥か先のことになるだろう。
エーギル号の船体側面のハッチが開いて、エルフの少年が顔を出す。
「お。久しぶりっスなー」
クローリーがお気楽そうに手を振ってみせた。
「何かあったんスかー?」
エルフの少年、ルゥは小さく頭を下げた。
そのあたりは文化が違えども共通しているのかもしれない。
「お久しぶりです。クローリーさん」
人間でいえば10歳前半くらいの若々しい顔が笑顔になった。
そのまま木製のタラップを身軽に降り始める。
「……大丈夫なのか?これは」
続いて妙齢の女性が姿を現す。
エーギル号の船長であるアイリだった。
木製の間に合わせなタラップの強度を恐る恐るつま先で確認する。
「へーきだと思うっスよー。ルシエさんが何度となく使ってるけど事故は起きてねーっス」
「……そうか」
「あ、ただ……ルシエさんは軽そうっスからなー。体の大きい人だとなんとも」
クローリーは地雷を踏んだ。
「私が重いと言いたいのか!」
アイリが激怒した。
女性にとって体重は避けるべき話題である。
まさに空気を読まないクローリーだからこそかもしれない。
「ちげー。男だとわかんねーかな?って意味っスー。もっともシュラさんでも大丈夫だったからよほどのビヤ樽でもなければ……」
「フンッ!」
アイリは足音高くタラップを降りる。
「ひっさしぶりー!」
沙那が降りてきたルゥをむぎゅっと抱きしめた。
良いのか悪いのか、沙那の大きな胸を押し当てられたルゥが真っ赤になって狼狽える。
相変わらず無防備なのだ。
特に子供や年下の子に対してはそうなのかもしれない。
事実、クローリーに沙那が抱き着くことはない。
「今回はどーしたのー?こーいう時に電話があると良いのにねー」
スマホが当たり前の世界に住んでいた沙那はそこに不便を感じている。
さすがの男爵領でも電話はまだない。
携帯電話はともかく電話それ自体は構造も原理も簡単だ。
それでもまだ手付かずである。
やるべきことが多すぎて手が回らないのだ。
「あ。はい。改めて竜の国へ行くことになりまして」
ルゥは周りを見る。
知らない顔がまた増えている。
「その途中に生鮮食料品を分けてもらいたく、来訪した次第です」
「あー。食べ物かー」
「それと新鮮な水もです」
「なーるほどー」
沙那の足元でぺんぎんたちがキュッキュっと抗議の声を上げた。
自分たちではないものに御主人様が抱き着くことが不満らしい。
「ふーん。竜の国っスかー」
クローリーは頭を振った。
言葉としては判る。
しかし、小型のドラゴンしか見たことがない彼にとって、竜の国というのは想像を超えている。
「一体全体、どんな用事なんスかねー」
ルゥが困ったように笑った。
「前にも少しお話ししましたが、エルフからドラゴンへの使いです。どちらかというと生贄なのかもしれませんが」
「生贄たあ、穏やかな話じゃねぇなあ」
黙ってみていたシュラハトだが渋い顔をする。
人を犠牲にすることが嫌いなのだ。
「止むを得ませんよ。それが数世紀に渡ってのエルフとドラゴンの和平の条件ですから」
「なにそれ」
沙那がブンむくれた。
「生贄とかどんな古代の未開文明なのよー!」
「ああ。言い方が悪かったですね」
ルゥが謝罪した。
「名目上は大使なのです。ただ……」
一瞬言い淀む。
「過去にただの一人も戻ってきたことはないんです。あちらから亡くなったと連絡を受けたら次の大使を送るだけで」
「なんだぁ。そりゃあ」
シュラハトが気色ばむ。
「ですから、生贄として食されてる可能性も考えられています」
ルゥの顔には決意の色が見えた。
「それはない。エルフなんか食うか。バカが」
ヴァースが唸るように睨みつけた。
「身が少なくて腹の足しにもならんだろうぜ」
「それは、炎吐いて大暴れして街を焼くような暴虐無人なドラゴンもいるからじゃないかしら」
アイリのさらに後ろからすらりとした女性のエルフが顔を出した。
「コンコード!?」
ヴァースが素っ頓狂な声を上げた。
そこにいたのは空島ライラナーの管理官コンコードだった。
「……ちょ。あんたら知り合いだったんスか?」
クローリーがヴァースとコンコードの顔を交互に見た。
エルフ美女と怪しいおっさんに共通点が感じられない。
「ん。ちょっとね」
コンコードは微笑んで、そしてすぐに「プッ」と噴出した。
やがてそれはお腹を抱えて笑い出すほどになった。
「ヴァーシキー、なんであなたがここに?」
今にも転げだしそうだった。
「ほー?本当の名はそれなんスかー」
クローリーはヴァースをまじまじと眺める。
「ヴァースだ。今、ここではヴァースだ」
「バースかっとばせ!バァァァス!」
またしても賢者とマーチスだった。
肩を組んで歌い始める。
「ライトーへレフトへホームランッ!」
タイガース黄金期に過ごした2人なのだ。
「……何、これ?」
コンコードが笑いをやめて眉を顰めた。
「ずいぶんと人間たちの中に溶け込んでるのね」
彼女にとってはそうとしか取れなかった。
実際、名前が往年の名プロ野球選手に似てるというだけで盛り上がってるのは2人だけなのだけど。
「このしばらくの間に何があったの?」
「何もない!こいつらが……」
ヴァースが賢者とマーチスを指さした。
「おかしいだけだ!」
「やはり鳴り物が欲しいでスナ」
「虎の法被もでござるよ」
「3番バースで4番掛布。5番真弓でしタナ」
「む。違うでござる。3番が真弓で5番がバースでござろう」
「いえいえ。それは開幕直後でしタゾ」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
2人は取っ組み合いを始めた。
趣味が同じでも解釈の僅かな差は軋轢を生むのだ。
「……だから、何これ?」
コンコードの困惑は増す。
「俺にも判らん」
ヴァースもがっくりと肩を落とした。
●S-2:男爵邸
「と、だいたいこんなんで良いっスかねー」
執務机に置いた書類にサインしつつクローリーが訊いた。
エーギル号への補給物資の件だった。
食糧生産と供給がかなり安定してきた男爵領とはいえ、決して余裕があるわけでも裕福でもない。
それでも可能な限りの生鮮食料品を?き集めてきた。
飛行船への造詣は深くないが、船旅で新鮮な食料がどれほど有り難いかは船乗りであるルシエが強く主張してきた。
クローリーもかつての船旅で飲料水の制限や保存食ばかりの食事に辟易したものだった。
ならば……と領民に不便を起こさない程度に準備してみたのだ。
「充分です。助かりました」
アイリが礼を述べる。
エルフらしい高圧的な態度はない。
クローリーたちに染まってきたのかもしれない。
「それにルゥには最後の食事になるかもしれませんし……」
「そんなに待遇悪いんスか?生贄とか言ってたっスが」
アイリの様子に疑問を抱きかけたクローリーだった。
「正直なところは何もわからないんです」
困ったようにルゥが応える。
「誰も帰ってきていないということから想像の範疇でしかありません」
「そんなんでいいのー!?」
沙那が眉を吊り上げていた。
「特攻隊じゃあるまいしー!」
「特攻隊というのが何なのか判り兼ねますが……帰還を想定できないのです」
「おかしいよー!」
沙那が腕をぐるぐる回す。
「クレームつけなくちゃ!事情の説明を相手に要求すべきでしょー!」
「そうは言っても。ドラゴンの怒りは街をあっさり灰燼にします。対等とは呼べない関係なのです」
ルゥは下を向いた。
空島のエルフたちからみても、ドラゴン優位の関係なのだった。
竜族への反発を隠さないエルフ軍人が存在するのも、それに対する怒りからだった。
憎しみの連鎖である。
「そうねー。ライラナーの空島も暴れドラゴンに半壊させられたしね」
コンコードがしみじみと頷き、そしてヴァースにちらりと視線を飛ばす。
「ほんとに暴虐無人だわ」
「ぐぬぬ……」
ヴァースが唸る。
反論したいが、一定の事実でもあるのだ。
「誰かを犠牲にするくらいなら戦わないのー?」
沙那はそう考える。
「生贄とか、相手はどこの邪神なの!」
「僕が自ら志願したことです。エルフ一人で暫くの平和が確保できるなら、十分なのです」
ルゥが顔を上げる。
そこには決意の色が見える。
長命なエルフと言えど、種としてはまだ若く幼い者にそれほどの覚悟を要求するほどのものなのだろうか。
「さにゃ。世界には色んな常識があって、オレたちがその価値感を否定したりするものじゃないんスよ」
クローリーは優しく沙那を諭す。
現代日本から来た沙那の倫理観では理解できない。
だからこそか。
「ならばヨシ!」
沙那が現場猫的なポーズを取った。
「ボクたちも竜の国にいこー!ね?クロちゃん!」
「きゅー!」
「な、何言いだすんスか。このおっぱい娘は」
「そんな常識叩き潰す!」
「……ドラゴンがどれだけヤバい生き物か判ってるんスか」
呆れるクローリーをきっと睨む。
「この世界に男はいないの!?そーゆー蛮行は許しちゃいけないのよー!」
腕ぶんぶん。
「もちろん。いちおー話し合いだよ!取り合えずは」
「戦う気満々に見えるんスが……」
「あっはっはっはっ。良いじゃない。沙那ちゃんらしいー」
マリエッラが笑い始めた。
「クロ。行ってみるのはいいかもしれないわ」
「なんてこと言うんスか」
「絶対勝てないような巨大な相手にどう対処すればよいかのヒントにはなりそうじゃない?」
マリエッラが真っすぐクローリーを見る。
「例えば帝国王侯貴族。例えば教会」
そこにマリエッラの本音があった。
姉を死に至らしめ、数多くの犠牲を生み出してきた教会。
彼女にとっては打倒したくとも手の出ない相手だった。
「ディルクロはいつでも出航できる状態にあるよ」
ルシエが三角帽を被りなおす。
「私も色んな世界を見てみたいな」
「遠い夜空に木霊するー竜の叫びを耳にしてー♪」
賢者とマーチスのおっさんコンビが歌いだす。
「ドラゴンズは倒すべき敵!恐れることは無し!」
「我らは虎!最強の生物でござる!」
「……あー」
クローリーは天を仰いだ。
「うちはバカばっかりっスなー」
そして、椅子から立ちあがる。
「じゃ。行くだけ行くっスよー。ただし、いきなり喧嘩売るようなことはしない!わかるっスな?」
クローリーも見てはみたいのだ。
地上で見ることが可能なドラゴンはせいぜいが幼竜どまり。
冒険者でもあり、知識を追求する」魔術師でもある彼が興味ないわけではない。
「おー!」
みんなが一斉に歓声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ルゥが慌てた。
「辿りつくのも大変だし、戻って還れるか未知数なのですよ?」
「んー。危険極まりないのは判るんスけどなー」
クローリーが周囲に視線を巡らす。
「オレはこれまでもさにゃたち異世界召喚者のエルフたちに随分と助けられてきたっス」
クローリーは自分の頭をこつんと叩く。
「だからってゆーか。さにゃたちのカンに賭けてみたいんスよなー」
「そんな無茶な」
「なんつーか。上手く行くんじゃねーかって気もするっス」
軽い、のかもしれない。
だが、人生は常に選択肢に立たされる。
選んだ道が最良かどうかは判らない。
滅亡が待っているのかもしれない。
それでも……。
「だいじょーぶ!どーせ夢の世界の話だしー!」
沙那は今でも夢の中にいると思い込んでいた。
人間たちの盛り上がりに小さく笑ったコンコード。
もしかしたら、数百年も待ち望んでいた大きな変化が起きるような予感がしていた。
ヒト……空のエルフ……異世界のエルフ……そしてドラゴン……。
様々な種族が一堂に会してお祭り騒ぎになる姿は、ある意味で彼女が長く望んでいた風景だった。
「何かが変わろうとしている」
青龍コンコードは願わずにはいられなかった。
●S-1:アレキサンダー男爵領/飛空港
男爵領飛空港は設備というほどの物はほとんどない。
木製の見張り台……管制塔とか誘導灯を兼ねているのだが、開閉可能な蓋付きランタンと手回しで風と負圧を作るサイレンがあるだけだ。
紅白の旗などもあるが旗の信号自体が何も決まっていないので、存在するだけでしかない。
あとはだだっ広い空き地。
本来なら耕作地にしたいくらいなのだが、農業従事者の人手が足りないから何とか余裕があったのだった。
その広い発着場には5本のポールが立っている。
飛行船を係留するためのロープをつないでおく係船柱だ。
ここに飛行船の先端をロープで係留し、船体が上下しないようにするのだ。
気嚢の下にゴンドラのように船体がぶら下がる構造の飛行船は着陸ができない。
そのために少し空中に浮いた形で係留しなくてはいけない。
先端を一度固定すると、あとは風で左右に揺れないように船体後端から左右に2本のロープを伸ばして地面に釘状のペグを打ち込んで固定するという単純極まる仕組みだった。
そもそも金属のワイヤーはまだ開発中だ。
ロープを固定する方法や結び方は船と概ね同じである。
ルシエやラベルの知識と技術が役に立った。
彼らなら舫結びや南京結びはお手の物だ。
そして、2隻の飛行船が係留されていた。
一つは男爵家保有のペンギン……もとい希望号だった。
大きな車輪のような魔動推進機が左右に伸びているのが特徴である。
そこに空島にはなかった大きめの安定翼が付いているので、さながら鰭を広げたペンギンの様ではあった。
塗装も技術上2色しかないので上半分が黒に限りなく近い青と、下半分が白色なのだ。
また船首の1部分は魔素取り込み用のスクープがあり、その周囲が魔素の影響で白黄色に光っている。
つまり。
外見でいえば、沙那に言わせると「コウテイペンギン」なのだった。
沙那の希望でペンギンの絵が紋章のように描かれているのも少し問題かもしれない。
もう1隻はクローリーも見慣れた、というべきか乗ったこともある空島エルフの飛行船エーギル号だ。
こちらはディルクロよりもずっと洗練されてスマートな外観である。
長い時をかけて熟成されていた技術の結晶なのだから当たり前かもしれない。
エルフの技術を基に試行錯誤して、あまつさえ各自の趣味てんこ盛りなディルクロとは比ぶべくもない。
賢者に言わせれば「試作機こそ漢のロマン!」らしいのだが。
そこに馬に曳かれた荷車を改造したタラップが繋がれた。
現代の空港ではおなじみの搭乗橋などはない。
もしかしたら将来的には可能になるのかもしれなかったが、今はまだ遥か先のことになるだろう。
エーギル号の船体側面のハッチが開いて、エルフの少年が顔を出す。
「お。久しぶりっスなー」
クローリーがお気楽そうに手を振ってみせた。
「何かあったんスかー?」
エルフの少年、ルゥは小さく頭を下げた。
そのあたりは文化が違えども共通しているのかもしれない。
「お久しぶりです。クローリーさん」
人間でいえば10歳前半くらいの若々しい顔が笑顔になった。
そのまま木製のタラップを身軽に降り始める。
「……大丈夫なのか?これは」
続いて妙齢の女性が姿を現す。
エーギル号の船長であるアイリだった。
木製の間に合わせなタラップの強度を恐る恐るつま先で確認する。
「へーきだと思うっスよー。ルシエさんが何度となく使ってるけど事故は起きてねーっス」
「……そうか」
「あ、ただ……ルシエさんは軽そうっスからなー。体の大きい人だとなんとも」
クローリーは地雷を踏んだ。
「私が重いと言いたいのか!」
アイリが激怒した。
女性にとって体重は避けるべき話題である。
まさに空気を読まないクローリーだからこそかもしれない。
「ちげー。男だとわかんねーかな?って意味っスー。もっともシュラさんでも大丈夫だったからよほどのビヤ樽でもなければ……」
「フンッ!」
アイリは足音高くタラップを降りる。
「ひっさしぶりー!」
沙那が降りてきたルゥをむぎゅっと抱きしめた。
良いのか悪いのか、沙那の大きな胸を押し当てられたルゥが真っ赤になって狼狽える。
相変わらず無防備なのだ。
特に子供や年下の子に対してはそうなのかもしれない。
事実、クローリーに沙那が抱き着くことはない。
「今回はどーしたのー?こーいう時に電話があると良いのにねー」
スマホが当たり前の世界に住んでいた沙那はそこに不便を感じている。
さすがの男爵領でも電話はまだない。
携帯電話はともかく電話それ自体は構造も原理も簡単だ。
それでもまだ手付かずである。
やるべきことが多すぎて手が回らないのだ。
「あ。はい。改めて竜の国へ行くことになりまして」
ルゥは周りを見る。
知らない顔がまた増えている。
「その途中に生鮮食料品を分けてもらいたく、来訪した次第です」
「あー。食べ物かー」
「それと新鮮な水もです」
「なーるほどー」
沙那の足元でぺんぎんたちがキュッキュっと抗議の声を上げた。
自分たちではないものに御主人様が抱き着くことが不満らしい。
「ふーん。竜の国っスかー」
クローリーは頭を振った。
言葉としては判る。
しかし、小型のドラゴンしか見たことがない彼にとって、竜の国というのは想像を超えている。
「一体全体、どんな用事なんスかねー」
ルゥが困ったように笑った。
「前にも少しお話ししましたが、エルフからドラゴンへの使いです。どちらかというと生贄なのかもしれませんが」
「生贄たあ、穏やかな話じゃねぇなあ」
黙ってみていたシュラハトだが渋い顔をする。
人を犠牲にすることが嫌いなのだ。
「止むを得ませんよ。それが数世紀に渡ってのエルフとドラゴンの和平の条件ですから」
「なにそれ」
沙那がブンむくれた。
「生贄とかどんな古代の未開文明なのよー!」
「ああ。言い方が悪かったですね」
ルゥが謝罪した。
「名目上は大使なのです。ただ……」
一瞬言い淀む。
「過去にただの一人も戻ってきたことはないんです。あちらから亡くなったと連絡を受けたら次の大使を送るだけで」
「なんだぁ。そりゃあ」
シュラハトが気色ばむ。
「ですから、生贄として食されてる可能性も考えられています」
ルゥの顔には決意の色が見えた。
「それはない。エルフなんか食うか。バカが」
ヴァースが唸るように睨みつけた。
「身が少なくて腹の足しにもならんだろうぜ」
「それは、炎吐いて大暴れして街を焼くような暴虐無人なドラゴンもいるからじゃないかしら」
アイリのさらに後ろからすらりとした女性のエルフが顔を出した。
「コンコード!?」
ヴァースが素っ頓狂な声を上げた。
そこにいたのは空島ライラナーの管理官コンコードだった。
「……ちょ。あんたら知り合いだったんスか?」
クローリーがヴァースとコンコードの顔を交互に見た。
エルフ美女と怪しいおっさんに共通点が感じられない。
「ん。ちょっとね」
コンコードは微笑んで、そしてすぐに「プッ」と噴出した。
やがてそれはお腹を抱えて笑い出すほどになった。
「ヴァーシキー、なんであなたがここに?」
今にも転げだしそうだった。
「ほー?本当の名はそれなんスかー」
クローリーはヴァースをまじまじと眺める。
「ヴァースだ。今、ここではヴァースだ」
「バースかっとばせ!バァァァス!」
またしても賢者とマーチスだった。
肩を組んで歌い始める。
「ライトーへレフトへホームランッ!」
タイガース黄金期に過ごした2人なのだ。
「……何、これ?」
コンコードが笑いをやめて眉を顰めた。
「ずいぶんと人間たちの中に溶け込んでるのね」
彼女にとってはそうとしか取れなかった。
実際、名前が往年の名プロ野球選手に似てるというだけで盛り上がってるのは2人だけなのだけど。
「このしばらくの間に何があったの?」
「何もない!こいつらが……」
ヴァースが賢者とマーチスを指さした。
「おかしいだけだ!」
「やはり鳴り物が欲しいでスナ」
「虎の法被もでござるよ」
「3番バースで4番掛布。5番真弓でしタナ」
「む。違うでござる。3番が真弓で5番がバースでござろう」
「いえいえ。それは開幕直後でしタゾ」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
2人は取っ組み合いを始めた。
趣味が同じでも解釈の僅かな差は軋轢を生むのだ。
「……だから、何これ?」
コンコードの困惑は増す。
「俺にも判らん」
ヴァースもがっくりと肩を落とした。
●S-2:男爵邸
「と、だいたいこんなんで良いっスかねー」
執務机に置いた書類にサインしつつクローリーが訊いた。
エーギル号への補給物資の件だった。
食糧生産と供給がかなり安定してきた男爵領とはいえ、決して余裕があるわけでも裕福でもない。
それでも可能な限りの生鮮食料品を?き集めてきた。
飛行船への造詣は深くないが、船旅で新鮮な食料がどれほど有り難いかは船乗りであるルシエが強く主張してきた。
クローリーもかつての船旅で飲料水の制限や保存食ばかりの食事に辟易したものだった。
ならば……と領民に不便を起こさない程度に準備してみたのだ。
「充分です。助かりました」
アイリが礼を述べる。
エルフらしい高圧的な態度はない。
クローリーたちに染まってきたのかもしれない。
「それにルゥには最後の食事になるかもしれませんし……」
「そんなに待遇悪いんスか?生贄とか言ってたっスが」
アイリの様子に疑問を抱きかけたクローリーだった。
「正直なところは何もわからないんです」
困ったようにルゥが応える。
「誰も帰ってきていないということから想像の範疇でしかありません」
「そんなんでいいのー!?」
沙那が眉を吊り上げていた。
「特攻隊じゃあるまいしー!」
「特攻隊というのが何なのか判り兼ねますが……帰還を想定できないのです」
「おかしいよー!」
沙那が腕をぐるぐる回す。
「クレームつけなくちゃ!事情の説明を相手に要求すべきでしょー!」
「そうは言っても。ドラゴンの怒りは街をあっさり灰燼にします。対等とは呼べない関係なのです」
ルゥは下を向いた。
空島のエルフたちからみても、ドラゴン優位の関係なのだった。
竜族への反発を隠さないエルフ軍人が存在するのも、それに対する怒りからだった。
憎しみの連鎖である。
「そうねー。ライラナーの空島も暴れドラゴンに半壊させられたしね」
コンコードがしみじみと頷き、そしてヴァースにちらりと視線を飛ばす。
「ほんとに暴虐無人だわ」
「ぐぬぬ……」
ヴァースが唸る。
反論したいが、一定の事実でもあるのだ。
「誰かを犠牲にするくらいなら戦わないのー?」
沙那はそう考える。
「生贄とか、相手はどこの邪神なの!」
「僕が自ら志願したことです。エルフ一人で暫くの平和が確保できるなら、十分なのです」
ルゥが顔を上げる。
そこには決意の色が見える。
長命なエルフと言えど、種としてはまだ若く幼い者にそれほどの覚悟を要求するほどのものなのだろうか。
「さにゃ。世界には色んな常識があって、オレたちがその価値感を否定したりするものじゃないんスよ」
クローリーは優しく沙那を諭す。
現代日本から来た沙那の倫理観では理解できない。
だからこそか。
「ならばヨシ!」
沙那が現場猫的なポーズを取った。
「ボクたちも竜の国にいこー!ね?クロちゃん!」
「きゅー!」
「な、何言いだすんスか。このおっぱい娘は」
「そんな常識叩き潰す!」
「……ドラゴンがどれだけヤバい生き物か判ってるんスか」
呆れるクローリーをきっと睨む。
「この世界に男はいないの!?そーゆー蛮行は許しちゃいけないのよー!」
腕ぶんぶん。
「もちろん。いちおー話し合いだよ!取り合えずは」
「戦う気満々に見えるんスが……」
「あっはっはっはっ。良いじゃない。沙那ちゃんらしいー」
マリエッラが笑い始めた。
「クロ。行ってみるのはいいかもしれないわ」
「なんてこと言うんスか」
「絶対勝てないような巨大な相手にどう対処すればよいかのヒントにはなりそうじゃない?」
マリエッラが真っすぐクローリーを見る。
「例えば帝国王侯貴族。例えば教会」
そこにマリエッラの本音があった。
姉を死に至らしめ、数多くの犠牲を生み出してきた教会。
彼女にとっては打倒したくとも手の出ない相手だった。
「ディルクロはいつでも出航できる状態にあるよ」
ルシエが三角帽を被りなおす。
「私も色んな世界を見てみたいな」
「遠い夜空に木霊するー竜の叫びを耳にしてー♪」
賢者とマーチスのおっさんコンビが歌いだす。
「ドラゴンズは倒すべき敵!恐れることは無し!」
「我らは虎!最強の生物でござる!」
「……あー」
クローリーは天を仰いだ。
「うちはバカばっかりっスなー」
そして、椅子から立ちあがる。
「じゃ。行くだけ行くっスよー。ただし、いきなり喧嘩売るようなことはしない!わかるっスな?」
クローリーも見てはみたいのだ。
地上で見ることが可能なドラゴンはせいぜいが幼竜どまり。
冒険者でもあり、知識を追求する」魔術師でもある彼が興味ないわけではない。
「おー!」
みんなが一斉に歓声を上げた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ルゥが慌てた。
「辿りつくのも大変だし、戻って還れるか未知数なのですよ?」
「んー。危険極まりないのは判るんスけどなー」
クローリーが周囲に視線を巡らす。
「オレはこれまでもさにゃたち異世界召喚者のエルフたちに随分と助けられてきたっス」
クローリーは自分の頭をこつんと叩く。
「だからってゆーか。さにゃたちのカンに賭けてみたいんスよなー」
「そんな無茶な」
「なんつーか。上手く行くんじゃねーかって気もするっス」
軽い、のかもしれない。
だが、人生は常に選択肢に立たされる。
選んだ道が最良かどうかは判らない。
滅亡が待っているのかもしれない。
それでも……。
「だいじょーぶ!どーせ夢の世界の話だしー!」
沙那は今でも夢の中にいると思い込んでいた。
人間たちの盛り上がりに小さく笑ったコンコード。
もしかしたら、数百年も待ち望んでいた大きな変化が起きるような予感がしていた。
ヒト……空のエルフ……異世界のエルフ……そしてドラゴン……。
様々な種族が一堂に会してお祭り騒ぎになる姿は、ある意味で彼女が長く望んでいた風景だった。
「何かが変わろうとしている」
青龍コンコードは願わずにはいられなかった。
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