1 / 23
雨の日の思い出
一話
しおりを挟む
午後五時過ぎ、並木通り、花壇に埋まった色とりどりの花は、幾度も天から落ちてくる大粒の雨で大きく揺れた。何か嫌なことが起きそうな、不吉な空。私は、今にも折れそうな萌葱色の茎をぼんやりと眺めながら、早足に帰路を辿る。
踵でアスファルトにたまった水を蹴散らすと、一緒になって花柄の傘が頭上をさまよう。その度に漆黒のスーツに、傘が散らせた雫が模様のように広がった。
鼻腔を刺す嫌な匂いがする。私はこの雨の独特な匂いが、はっきりいって嫌いだ。別に幼い頃から苦手意識を持っていた訳じゃない。むしろ雨の日は好きだったし、この匂いも実のところちょっと好きだった。けど、あのいやな出来事を思い出してしまうせいか、いつぞや毛嫌いするようになった。ただ、ちょっとひどい過去。克服したはずなんだけどな、とふと気まぐれに顔を上げる。
男が居た、泥で汚れた花壇の縁に座っている。長い足をだらしなく伸ばし、決して弱くはない雨が降っているのにも関わらず傘も刺さずにぼんやりと空を仰ぎ見ている。安物のスーツに土をつけた小汚い男だった。手入れされていない無精髭が、一層悪目立ちする。ただでさえ、汚い、安っぽい男だというのに、よりみっともない。
私は、嫌悪感を込めたため息をつく。こんなところで、一体なにをしているのだろうか。男を侮蔑するようにぐっ、と品定めする。
雨が男の、痛んだ頬から垂れる。
うつくしい。
おかしなことに、そう形容しても間違いではない気がしてしまう。
血迷ったか、と己を軽蔑してその場を離れようとした。得体の知れない、変な空気が漂う。足が思うように動かない。底がすり減った革靴を、仕方なく眺める。
「まこと…、だよな」
聞き慣れた声が、男のほうからした。嫌な予感がして、恐る恐る顔をあげる。灰色の、潤んだ瞳がそこにあった。私は、驚いて、
「よう、ちゃん、なの…」
男は、ふざけた声で、短く、よぉ、と返す。含み笑いを浮かべている。
「ようちゃん、なんでっ、こんなところに…。ていうか、今までどこいって…」
「まぁ、ちょっと東北の方にね」
十年前、とつぜん姿を消したくせに、悪びれる様子もなくあっさりと答える。恋人を捨てて、いつのまにこんなに汚い男に変わってしまって。腹が立ってしまった。私の知らないところで、こんなになってしまって。身がよじれる思いで、毎晩、果てしない夜空を眺め、涙した時間が惜しくなった。
踵でアスファルトにたまった水を蹴散らすと、一緒になって花柄の傘が頭上をさまよう。その度に漆黒のスーツに、傘が散らせた雫が模様のように広がった。
鼻腔を刺す嫌な匂いがする。私はこの雨の独特な匂いが、はっきりいって嫌いだ。別に幼い頃から苦手意識を持っていた訳じゃない。むしろ雨の日は好きだったし、この匂いも実のところちょっと好きだった。けど、あのいやな出来事を思い出してしまうせいか、いつぞや毛嫌いするようになった。ただ、ちょっとひどい過去。克服したはずなんだけどな、とふと気まぐれに顔を上げる。
男が居た、泥で汚れた花壇の縁に座っている。長い足をだらしなく伸ばし、決して弱くはない雨が降っているのにも関わらず傘も刺さずにぼんやりと空を仰ぎ見ている。安物のスーツに土をつけた小汚い男だった。手入れされていない無精髭が、一層悪目立ちする。ただでさえ、汚い、安っぽい男だというのに、よりみっともない。
私は、嫌悪感を込めたため息をつく。こんなところで、一体なにをしているのだろうか。男を侮蔑するようにぐっ、と品定めする。
雨が男の、痛んだ頬から垂れる。
うつくしい。
おかしなことに、そう形容しても間違いではない気がしてしまう。
血迷ったか、と己を軽蔑してその場を離れようとした。得体の知れない、変な空気が漂う。足が思うように動かない。底がすり減った革靴を、仕方なく眺める。
「まこと…、だよな」
聞き慣れた声が、男のほうからした。嫌な予感がして、恐る恐る顔をあげる。灰色の、潤んだ瞳がそこにあった。私は、驚いて、
「よう、ちゃん、なの…」
男は、ふざけた声で、短く、よぉ、と返す。含み笑いを浮かべている。
「ようちゃん、なんでっ、こんなところに…。ていうか、今までどこいって…」
「まぁ、ちょっと東北の方にね」
十年前、とつぜん姿を消したくせに、悪びれる様子もなくあっさりと答える。恋人を捨てて、いつのまにこんなに汚い男に変わってしまって。腹が立ってしまった。私の知らないところで、こんなになってしまって。身がよじれる思いで、毎晩、果てしない夜空を眺め、涙した時間が惜しくなった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる