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魂魄編:ピュトア泉
ピュトア泉
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馬車の窓から眺める景色は、ポントワーブ町では見たことがない吹雪だった。地面も空も真っ白で、絶え間なく振り続ける雪で空気や風も白かった。
モニカはその景色を、ロイアーサーの手を握りならがぼんやりと眺めている。
彼女が何を感じているのか、ロイアーサーには分からなかったが、少なくとも落ち込んでいることだけは分かった。
彼はちらりと自分の手の甲に視線を落とす。そこには未だ消せない、黒い痣がくっきりと刻まれていた。
(顔や体の痣はなんとかぼやかせたけど、左腕だけはどうしても消えない)
セルジュが魔物の魂魄を封じ込めてから、ロイは自身の魂魄を削ってアーサーにつけられたマーキングを消そうとしていた。しかし彼の力では、痣がぼんやり薄まる程度しか消せなかった。特に左の手の甲から肩にかけてのマーキングは非常に濃くて、薄めることすらできなかった。
向かう先で、アーサーに刻まれた痣はちゃんと消すことができるのだろうかと、ロイアーサーは参った様子で背もたれにもたれかかった。ふと窓の外に目をやると、白く霞んだ空気の奥で、目的地であろう場所がぼんやりと影になっている。
「あ、あの山だよ。モニカさん」
ロイアーサーは小さな山を指さした。
バンスティン国最北部であり、ヴァランス国と隣り合っている、ブルタニー地区にある低山、ピュトア山。数百年に一度、山頂に湧く泉に神が降り立つと言い伝えられている。その聖地が今回の目的地であるピュトア泉だ。
「思ったより小さな山なのね」
「僕も初めて見たよ。わあ、これがお父さまとミモレスが暮らしていた山か……。それだけで神々しく感じるね」
目をキラキラさせながら窓を覗き込むロイアーサーに、モニカはクスっと笑う。彼女もつられてピュトア山を見た。
一見どこにでもあるような低い山だ。フォントメウのような神秘的な場所を想像していたので、彼女は少しがっかりした。
◇◇◇
ピュトア山の入り口には、朽ちた木の看板が立てられていた。
--------------
ピュトア山
聖地のため
ここから先
馬車禁ず
--------------
「ここからは歩かないといけないみたいだね」
「低い山だし、山頂まできっとすぐよ」
モニカとロイアーサーは馬車から降りて入山した。雪が覆い隠していたものの細い山道があったので、二人はその道に沿って歩いていく。
「うぅ……寒いね……」
モニカは手をこすり合わせながら呟いた。ポントワーブ町よりもずっと冷え込む。
山を登るごとに寒さは増し、風が強くなってきた。積雪に足をとられて転んでしまうこともあった。
「モニカさん。大丈夫?」
ロイアーサーが転んだモニカに手を差し出して立ち上がらせた。モニカはスカートについた雪を払いながらぼやいている。
「いつもなら火魔法であったまれるし、雪も溶かせるのになあ。魔法が使えないって不便」
「本当にね。自分の手で水も作り出せないだもん。不便だよね」
「ロイは、アーサーの体に入ってるから魔法が使えないの?」
「ううん、魔物の魂魄には魔力の器も入っているから、使おうと思えば使えるよ。でも、これ以上アーサーの体に負担はかけたくないから、魔法は使わない。ごめんね」
申し訳なさそうにしているロイアーサーに、モニカはブンブンと首を振る。
「ううん! ありがとう、アーサーの体を大切にしてくれて!」
ロイアーサーは微笑み、モニカと手を繋いで山を登る。
ピュトア山は、魔物がいない静かな山だった。時には白うさぎや鹿がひょっこり顔を出すことも。かわいい動物に心を奪われてしまったモニカは、ロイアーサーに手を引かれて歩いている間も、ずっとよそ見をして白うさぎを見つめていた。
不思議なことに、中腹から山頂へ進むにつれて雪が少なくなってきた。風は止み、雪はちらちらと舞い散っている。地面には雪が薄く積もっているだけだった。そして、心なしか少し空気も暖かく感じる。厳しい真冬に突然春先が訪れたような感覚だった。
二人はまた朽ちた看板を見つけた。
--------------
山頂
聖地ピュトア泉
ここから先
武器禁ず
--------------
「武器禁ず……」
モニカは腰に差しているワキザシと杖を見た。これらは当然、武器に分類されるだろう。
看板の下には金属製の籠が設置されており、”泉に滞在中は大切に預かり、お帰りの際お返しいたします”と彫られている。
ロイアーサーは持っていたナイフを籠に放り投げながら、アサギリと藍を手放そうとしないモニカに声をかける。
「モニカさん。嫌だと思うけど従った方がいいよ。聖地へ足を踏み入れるためには、聖地のルールに従わないといけない。でないと聖女や神の怒りを買うからね。厄介だよ、聖なるものの怒りは」
「わ、わかった……。藍、アサギリ、ごめんね。ちょっとの間、離れ離れになっちゃうけど」
《仕方あるまい。だが、必ず手元に戻すと約束するのだ》
杖はしょんぼりしながらも、事態の重さを分かっているのか、一時的に手放すことを承諾した。モニカは「絶対に約束する」と応え、杖をぎゅーっと抱きしめてから籠に入れた。
《なにちんたらしてんだ! さっさと行ってアーサー元に戻してやれ! んで、絶対に戻って来いよ!》
アサギリも意外にあっさりと受け入れた。彼らなりにアーサーのことを心配してくれているようだ。モニカは瞳を潤ませ、目じりを下げてアサギリのことも抱きしめる。当たり前のようにずっとそばでいてくれた杖とワキザシを手放すことで、思っていたよりもひどく不安になった。
そして、モニカとロイアーサーは山頂へと足を踏み入れる。
木々はなくなり、柔らかい土が広がる山頂には、きらきら輝く泉……ではなく、今にも枯れてしまいそうなほど水位の低い泉があった。
モニカはその景色を、ロイアーサーの手を握りならがぼんやりと眺めている。
彼女が何を感じているのか、ロイアーサーには分からなかったが、少なくとも落ち込んでいることだけは分かった。
彼はちらりと自分の手の甲に視線を落とす。そこには未だ消せない、黒い痣がくっきりと刻まれていた。
(顔や体の痣はなんとかぼやかせたけど、左腕だけはどうしても消えない)
セルジュが魔物の魂魄を封じ込めてから、ロイは自身の魂魄を削ってアーサーにつけられたマーキングを消そうとしていた。しかし彼の力では、痣がぼんやり薄まる程度しか消せなかった。特に左の手の甲から肩にかけてのマーキングは非常に濃くて、薄めることすらできなかった。
向かう先で、アーサーに刻まれた痣はちゃんと消すことができるのだろうかと、ロイアーサーは参った様子で背もたれにもたれかかった。ふと窓の外に目をやると、白く霞んだ空気の奥で、目的地であろう場所がぼんやりと影になっている。
「あ、あの山だよ。モニカさん」
ロイアーサーは小さな山を指さした。
バンスティン国最北部であり、ヴァランス国と隣り合っている、ブルタニー地区にある低山、ピュトア山。数百年に一度、山頂に湧く泉に神が降り立つと言い伝えられている。その聖地が今回の目的地であるピュトア泉だ。
「思ったより小さな山なのね」
「僕も初めて見たよ。わあ、これがお父さまとミモレスが暮らしていた山か……。それだけで神々しく感じるね」
目をキラキラさせながら窓を覗き込むロイアーサーに、モニカはクスっと笑う。彼女もつられてピュトア山を見た。
一見どこにでもあるような低い山だ。フォントメウのような神秘的な場所を想像していたので、彼女は少しがっかりした。
◇◇◇
ピュトア山の入り口には、朽ちた木の看板が立てられていた。
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ピュトア山
聖地のため
ここから先
馬車禁ず
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「ここからは歩かないといけないみたいだね」
「低い山だし、山頂まできっとすぐよ」
モニカとロイアーサーは馬車から降りて入山した。雪が覆い隠していたものの細い山道があったので、二人はその道に沿って歩いていく。
「うぅ……寒いね……」
モニカは手をこすり合わせながら呟いた。ポントワーブ町よりもずっと冷え込む。
山を登るごとに寒さは増し、風が強くなってきた。積雪に足をとられて転んでしまうこともあった。
「モニカさん。大丈夫?」
ロイアーサーが転んだモニカに手を差し出して立ち上がらせた。モニカはスカートについた雪を払いながらぼやいている。
「いつもなら火魔法であったまれるし、雪も溶かせるのになあ。魔法が使えないって不便」
「本当にね。自分の手で水も作り出せないだもん。不便だよね」
「ロイは、アーサーの体に入ってるから魔法が使えないの?」
「ううん、魔物の魂魄には魔力の器も入っているから、使おうと思えば使えるよ。でも、これ以上アーサーの体に負担はかけたくないから、魔法は使わない。ごめんね」
申し訳なさそうにしているロイアーサーに、モニカはブンブンと首を振る。
「ううん! ありがとう、アーサーの体を大切にしてくれて!」
ロイアーサーは微笑み、モニカと手を繋いで山を登る。
ピュトア山は、魔物がいない静かな山だった。時には白うさぎや鹿がひょっこり顔を出すことも。かわいい動物に心を奪われてしまったモニカは、ロイアーサーに手を引かれて歩いている間も、ずっとよそ見をして白うさぎを見つめていた。
不思議なことに、中腹から山頂へ進むにつれて雪が少なくなってきた。風は止み、雪はちらちらと舞い散っている。地面には雪が薄く積もっているだけだった。そして、心なしか少し空気も暖かく感じる。厳しい真冬に突然春先が訪れたような感覚だった。
二人はまた朽ちた看板を見つけた。
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山頂
聖地ピュトア泉
ここから先
武器禁ず
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「武器禁ず……」
モニカは腰に差しているワキザシと杖を見た。これらは当然、武器に分類されるだろう。
看板の下には金属製の籠が設置されており、”泉に滞在中は大切に預かり、お帰りの際お返しいたします”と彫られている。
ロイアーサーは持っていたナイフを籠に放り投げながら、アサギリと藍を手放そうとしないモニカに声をかける。
「モニカさん。嫌だと思うけど従った方がいいよ。聖地へ足を踏み入れるためには、聖地のルールに従わないといけない。でないと聖女や神の怒りを買うからね。厄介だよ、聖なるものの怒りは」
「わ、わかった……。藍、アサギリ、ごめんね。ちょっとの間、離れ離れになっちゃうけど」
《仕方あるまい。だが、必ず手元に戻すと約束するのだ》
杖はしょんぼりしながらも、事態の重さを分かっているのか、一時的に手放すことを承諾した。モニカは「絶対に約束する」と応え、杖をぎゅーっと抱きしめてから籠に入れた。
《なにちんたらしてんだ! さっさと行ってアーサー元に戻してやれ! んで、絶対に戻って来いよ!》
アサギリも意外にあっさりと受け入れた。彼らなりにアーサーのことを心配してくれているようだ。モニカは瞳を潤ませ、目じりを下げてアサギリのことも抱きしめる。当たり前のようにずっとそばでいてくれた杖とワキザシを手放すことで、思っていたよりもひどく不安になった。
そして、モニカとロイアーサーは山頂へと足を踏み入れる。
木々はなくなり、柔らかい土が広がる山頂には、きらきら輝く泉……ではなく、今にも枯れてしまいそうなほど水位の低い泉があった。
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