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魂魄編:ピュトア泉
ピュトア泉の聖女と少年
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ピュトア泉は、まるで人に見捨てられた村のようだった。山頂には古びた小屋が何軒か立っていたが、その朽ち果て具合からは人が住んでいるとはとても思えない。窓が割れているどころか、屋根が崩れ落ちている小屋まであった。
小屋の他にあるものと言えば、今にも枯れそうな泉だけだ。
「これが……ピュトア泉……?」
フォントメウの泉にはキラキラ輝く聖水がたっぷりと湧いていた。泉の周りには幻想的な草花が覆い茂り、とても美しかったことをモニカはよく覚えている。
しかし、ピュトア泉はそのようなところではなかった。遠くから見るだけでは枯れているようにしか見えないほど水位が低く、泉のまわりには雪が載った枯草しか生えていない。モニカはその光景を見て、ちょっとした失望と悲しさで胸が痛んだ。
「とりあえず行こう、モニカさん」
ロイアーサーに手を引かれて、モニカは泉へ向かって歩いた。
「あれ、誰かいる」
泉には、縁で腰かけている少女と少年の後ろ姿があった。腰まで伸びる銀色の髪を見て、モニカは無意識に自分の短くなった髪に触れる。
ロイアーサーが、モニカの耳元でこっそり囁く。
「あの女の子がたぶんピュトア泉の聖女だね。白い質素なドレスを着ているし、髪色もまさにヴァルタニア家だ」
「うん。私の髪色とそっくりだわ」
「声をかけてみようか」
「で、でも、隣の男の子とお話し中だわ。待った方がいいんじゃない?」
この寒さにもかかわらず泉に足を浸けている聖女の隣には、くすんだ金髪をした少年がいた。二人が何を話しているかは分からないが、穏やかで落ち着く時間を過ごしているように見える。
邪魔になると思い、モニカとロイアーサーが少し離れているところで待っていると、ふと聖女が何かに気付いたようだった。少年の方を向いていた彼女は、何かを目で追うようにゆっくりと振り返った。
モニカとロイアーサーが視界に入った聖女は、目を細めてじっと二人を見つめてから、首を傾げてこう言った。
「あら。あなたの言っていた通りだわ」
「?」
聖女とモニカの目が合った。聖女の瞳は、ほんのり赤みがかった黄色をしている。モニカはその瞳の色をどこかで見たことがあるような気がした。
「ようこそピュトア泉へ。それで、このような枯れかけた聖地へどのようなご用?」
聖女の声色は、透き通っていて柔らかかったが、気の強さがじんわりと滲んでいる。彼女は言葉に詰まっているモニカから視線を外し、ロイアーサーを見て眉をひそめる。
聖女につられて隣に座っていた少年も振り返り、彼の緑色の瞳にモニカとロイアーサーの姿が映り込む。少年は二人に小さく微笑みかけ、そっと聖女の手を握った。
聖女と少年はどこか浮世離れしていた。まるでこの世の生き物ではないような、彼らの姿から向こう側が透けてしまいそうな。人というよりも、アヤカシに雰囲気が似ているとモニカは感じた。
気圧されていたモニカだが、勇気を振り絞って聖女の問いに応えた。
「あ、あのっ。ピュトア泉の聖女さんに、お願いがあって来ました!」
「聖女様であれば、今の僕たちの状況はお分かりになるでしょう?」
ロイアーサーがそう続けると、聖女がゆっくり立ち上がってわざとらしく会釈をする。
「言い換えます。魔物とそれを使役している少女が、この泉に何の御用でしょうか?」
「っ……」
モニカの心臓は冷水をかけられたように凍り付いた。彼女の表情は、明らかにモニカとロイアーサーを歓迎していないものだった。
「シチュリア。仮にも君は聖女なのだから、もう少し柔らかく言ってあげたらどうかな」
聖女の隣に座っている少年がは初めて口を開いた。そんな彼に、聖女がクスクス笑う。
「あら、ごめんなさい。でもねフィック。聖地に現れる魔物というのは、たいがい聖女を殺しに来るものよ? 警戒したって仕方ないでしょ?」
「そうなんだ。じゃあ仕方ないね」
のほほんと微笑み合う二人に、モニカは切羽詰まった声を出す。
「わ、わたしたち、急いでるの! 時間がないの。死にそうなの」
聖女は微笑みをやめ、モニカを冷ややかな目で一瞥する。
「そりゃ、3体の魔物が一人の人の体に憑依したら、体の持ち主はもちろん死にますし、魔物も2体は死んでしまいますよね。たしか魔術にそんな術があったわ。蟲術……でしたっけ」
「……? (コジュツ?)」
「そんなおぞましい術を用いる魔女が、何の用です?」
「ま、魔女ぉ!?」
魔女呼ばわりをされて、モニカはひっくり返りそうになった。
「あら、違うのかしら? あなたからは反魔法を感じます。つまり魔物……魔女でしょう」
「それは違うんじゃない? だって魔女はだいたい黒髪だし顔色が悪いよ」
フィックが口を挟むと、聖女はまた柔らかい表情に戻り「確かにそうね」と応えた。
「じゃあ何かしら。フィックは何だと思う?」
「魔女じゃないなら、淫魔とか?」
「違うわ。淫魔は反魔法なんて高度魔法を使えないもの」
「そっかあ。じゃあ、やっぱり魔女かなあ」
「魔女の変異種かもしれないわね」
聖女と少年が、またほわわんとした空気に包まれる。焦っているモニカは、その和やかな空気に耐えられずに声を荒げた。
「違うの! わたしは反魔法をかけられたの! 悪い人に魔法を封じ込められた、いたいけな女の子よ!!」
「そうですか。そしてその”いたいけな女の子”は、その少年を器として蟲術をしようとしている、と」
蔑みの目を向けてクスクス笑う聖女に、モニカが反論する。
「それもちがう! アーサーが一体の魔物に憑依されちゃって、アーサーを守るために味方の魔物が二体憑依してくれたの!!」
「味方の魔物……。やはり、使役しているではありませんか」
ピキピキとモニカのこめかみに青筋が立つ。全然分かってもらえない。聖女は分かろうともしてくれない。それだったら、分かってくれなくてもいい。
「もうなんだっていいわ! とにかくアーサーの体を清めて! おねがい! わたしはあとでいいから!」
「あら」
モニカの言葉に目をしばたき、聖女はまじまじとモニカとロイアーサーを見た。そしてにっこりと笑う。
「清めてもいいですが、そしたら今憑依している魔物はすべて消滅してしまいますけど」
「かまわないわ! ……え?」
「ピュトア泉と私の聖魔法によって、そちらの少年の体を清めますと、憑依している魔物はみな消滅します。魂魄もろとも。つまり蟲術は失敗に終わりますよ?」
「コジュツがなんなのか分かんないけど! ちょ、ちょっと待って! ロ、ロイ!」
モニカは慌ててロイアーサーの肩を掴む。ロイは「ん?」と普段通りの表情をしている。
「ど、どういうことなの?」
「彼女の言っている通りだよ。アーサーは泉と聖女の力で清められる」
「そ、そうじゃなくて。セルジュとロイ……消えちゃうの?」
「うん。消える」
「そ、そんな……」
小屋の他にあるものと言えば、今にも枯れそうな泉だけだ。
「これが……ピュトア泉……?」
フォントメウの泉にはキラキラ輝く聖水がたっぷりと湧いていた。泉の周りには幻想的な草花が覆い茂り、とても美しかったことをモニカはよく覚えている。
しかし、ピュトア泉はそのようなところではなかった。遠くから見るだけでは枯れているようにしか見えないほど水位が低く、泉のまわりには雪が載った枯草しか生えていない。モニカはその光景を見て、ちょっとした失望と悲しさで胸が痛んだ。
「とりあえず行こう、モニカさん」
ロイアーサーに手を引かれて、モニカは泉へ向かって歩いた。
「あれ、誰かいる」
泉には、縁で腰かけている少女と少年の後ろ姿があった。腰まで伸びる銀色の髪を見て、モニカは無意識に自分の短くなった髪に触れる。
ロイアーサーが、モニカの耳元でこっそり囁く。
「あの女の子がたぶんピュトア泉の聖女だね。白い質素なドレスを着ているし、髪色もまさにヴァルタニア家だ」
「うん。私の髪色とそっくりだわ」
「声をかけてみようか」
「で、でも、隣の男の子とお話し中だわ。待った方がいいんじゃない?」
この寒さにもかかわらず泉に足を浸けている聖女の隣には、くすんだ金髪をした少年がいた。二人が何を話しているかは分からないが、穏やかで落ち着く時間を過ごしているように見える。
邪魔になると思い、モニカとロイアーサーが少し離れているところで待っていると、ふと聖女が何かに気付いたようだった。少年の方を向いていた彼女は、何かを目で追うようにゆっくりと振り返った。
モニカとロイアーサーが視界に入った聖女は、目を細めてじっと二人を見つめてから、首を傾げてこう言った。
「あら。あなたの言っていた通りだわ」
「?」
聖女とモニカの目が合った。聖女の瞳は、ほんのり赤みがかった黄色をしている。モニカはその瞳の色をどこかで見たことがあるような気がした。
「ようこそピュトア泉へ。それで、このような枯れかけた聖地へどのようなご用?」
聖女の声色は、透き通っていて柔らかかったが、気の強さがじんわりと滲んでいる。彼女は言葉に詰まっているモニカから視線を外し、ロイアーサーを見て眉をひそめる。
聖女につられて隣に座っていた少年も振り返り、彼の緑色の瞳にモニカとロイアーサーの姿が映り込む。少年は二人に小さく微笑みかけ、そっと聖女の手を握った。
聖女と少年はどこか浮世離れしていた。まるでこの世の生き物ではないような、彼らの姿から向こう側が透けてしまいそうな。人というよりも、アヤカシに雰囲気が似ているとモニカは感じた。
気圧されていたモニカだが、勇気を振り絞って聖女の問いに応えた。
「あ、あのっ。ピュトア泉の聖女さんに、お願いがあって来ました!」
「聖女様であれば、今の僕たちの状況はお分かりになるでしょう?」
ロイアーサーがそう続けると、聖女がゆっくり立ち上がってわざとらしく会釈をする。
「言い換えます。魔物とそれを使役している少女が、この泉に何の御用でしょうか?」
「っ……」
モニカの心臓は冷水をかけられたように凍り付いた。彼女の表情は、明らかにモニカとロイアーサーを歓迎していないものだった。
「シチュリア。仮にも君は聖女なのだから、もう少し柔らかく言ってあげたらどうかな」
聖女の隣に座っている少年がは初めて口を開いた。そんな彼に、聖女がクスクス笑う。
「あら、ごめんなさい。でもねフィック。聖地に現れる魔物というのは、たいがい聖女を殺しに来るものよ? 警戒したって仕方ないでしょ?」
「そうなんだ。じゃあ仕方ないね」
のほほんと微笑み合う二人に、モニカは切羽詰まった声を出す。
「わ、わたしたち、急いでるの! 時間がないの。死にそうなの」
聖女は微笑みをやめ、モニカを冷ややかな目で一瞥する。
「そりゃ、3体の魔物が一人の人の体に憑依したら、体の持ち主はもちろん死にますし、魔物も2体は死んでしまいますよね。たしか魔術にそんな術があったわ。蟲術……でしたっけ」
「……? (コジュツ?)」
「そんなおぞましい術を用いる魔女が、何の用です?」
「ま、魔女ぉ!?」
魔女呼ばわりをされて、モニカはひっくり返りそうになった。
「あら、違うのかしら? あなたからは反魔法を感じます。つまり魔物……魔女でしょう」
「それは違うんじゃない? だって魔女はだいたい黒髪だし顔色が悪いよ」
フィックが口を挟むと、聖女はまた柔らかい表情に戻り「確かにそうね」と応えた。
「じゃあ何かしら。フィックは何だと思う?」
「魔女じゃないなら、淫魔とか?」
「違うわ。淫魔は反魔法なんて高度魔法を使えないもの」
「そっかあ。じゃあ、やっぱり魔女かなあ」
「魔女の変異種かもしれないわね」
聖女と少年が、またほわわんとした空気に包まれる。焦っているモニカは、その和やかな空気に耐えられずに声を荒げた。
「違うの! わたしは反魔法をかけられたの! 悪い人に魔法を封じ込められた、いたいけな女の子よ!!」
「そうですか。そしてその”いたいけな女の子”は、その少年を器として蟲術をしようとしている、と」
蔑みの目を向けてクスクス笑う聖女に、モニカが反論する。
「それもちがう! アーサーが一体の魔物に憑依されちゃって、アーサーを守るために味方の魔物が二体憑依してくれたの!!」
「味方の魔物……。やはり、使役しているではありませんか」
ピキピキとモニカのこめかみに青筋が立つ。全然分かってもらえない。聖女は分かろうともしてくれない。それだったら、分かってくれなくてもいい。
「もうなんだっていいわ! とにかくアーサーの体を清めて! おねがい! わたしはあとでいいから!」
「あら」
モニカの言葉に目をしばたき、聖女はまじまじとモニカとロイアーサーを見た。そしてにっこりと笑う。
「清めてもいいですが、そしたら今憑依している魔物はすべて消滅してしまいますけど」
「かまわないわ! ……え?」
「ピュトア泉と私の聖魔法によって、そちらの少年の体を清めますと、憑依している魔物はみな消滅します。魂魄もろとも。つまり蟲術は失敗に終わりますよ?」
「コジュツがなんなのか分かんないけど! ちょ、ちょっと待って! ロ、ロイ!」
モニカは慌ててロイアーサーの肩を掴む。ロイは「ん?」と普段通りの表情をしている。
「ど、どういうことなの?」
「彼女の言っている通りだよ。アーサーは泉と聖女の力で清められる」
「そ、そうじゃなくて。セルジュとロイ……消えちゃうの?」
「うん。消える」
「そ、そんな……」
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