逆転の娼婦姫

ほか

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第2章 あじさい革命

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「王妃さま! オルタンシア様」





 人々との歓談中、広場の隅に響いた切迫した女性の声に、パエリエはふいに耳を止めた。

 向きなおると、楽を奏でるオーケストラの下、皇后が十代後半ほどと思われる民衆の娘と対峙している。

 チャコールグレイに黒いリボンを結んだ、質素ながら持っている服の中で一等のものを選んできたのだろう娘にも、呼び止められた皇后は丁重に頭を下げた。





「ようこそ、今宵の宴へ。なにかお話があるのですか」

 微笑みはごく抑え三分ほど。輝きを抑えたシャドウが縁取る目元は賢し気な光を湛えている。

 その気品と威厳に娘は一度躊躇するも、思い切ったようにその場に膝を折る。

「あの。……あたしのような者が直々に訴えかけるご無礼をお許しください」

 硬く両手を組み合わせ、彼女は皇后に向けて差し上げた。

「切にお願いいたします。隣国ブレスレイに我が国医師団の援助の手を!」





 話しかけてくる人々に応対しながら意識を傾けそう言えば、とパエリエは思考する。

 我が国アッセンブル皇国専属医師団は少数精鋭の組織で、数年前の立ち上げ以来、諸外国の戦場や発展途上の地にも果敢に赴き、伝染病の蔓延を食い止めたり、水質や環境汚染の改善など数々の功績を上げ、世界中から評価されていると、新聞で日々取りざたされている。





「労働者たちをむしばむ感染症は日に日に悪化してきており、多数の死者を出しております。あたしの兄もかの国に働きに出ているのです」

 知らず、観察しているパエリエの瞳も眇められる。

 王妃教育の一環で、隣国の人々の状況の過酷さも聞き及んでいる。

 ちら、と視線を泰然とたたずむ王妃に向ける。

 オルタンシアは、リカルドの母という人はこの問題に、どう出るか。





「お兄様のこと、痛み入ります」

 真珠の飾りが傾ぐのもかまわず深々と頭を下げ、彼女は難く握った娘の拳に口づける。

 娘は面を上げ、瞳を輝かせた。

「では……!」

「しかし」





 そっと手を離すと、数歩下がり、王妃は娘を正面から見据えた。

 表情から憐憫の色を消し去り、きっぱりと告げるのは。

「ブレスレイは我が国と親交のあつい大国キャッスベルと敵対関係にあります」

 それは無情の宣告。

「表立っての援助は難しいと答えざるをえないでしょう」

 あまりな回答に、パエリエは息を呑む。

「そんな……! そんなことって……!」

 頽れる娘を背に、失礼と、頭を下げ去っていく皇后を見送るパエリエの心中も同種の嘆きを呟いていた。

「ごめんなさい」

 無意識に、歓談中の人々の輪から離れ、取り残された娘ものとに駆け寄っていく。

「う、ううっ……。兄さん……」





 王妃の決定した事項に、皇太子の婚約者に過ぎない自分ができることなどなにもない。

 だがそれでも。

 あまりに放っておけず、娘に駆け寄って水を含ませる。

 だいじょうぶ? という一言すらかけるのははばかられた。

 一口水を含むと、床に拳を叩きつけながら、娘は嘆く。





「うううっ。この国が大国に媚びなきゃならないから? こんなことで兄さんは死んでいくの?」

 その背にそっと手を添える。

 その通りだ。だが、痩せた背を撫でることしかできない。

 政治のことに口を出すには自分はあまりに無知だった。

 娘の抑えた口から漏れるのは、残骸のような。

 無力でもれっきとした慟哭。

 いつだってそうだ。





 貧しき者は、病める者は、女は。

 弱者はこうして、聞き入れられない絶叫を漏らす。

 潰された声を聴きながらふいに思った。





 もし自分があの地位にいたら?

 いや、このままうまくやればそうなる。

 皇太子の婚約者たる自分は未来の王妃なのだ。

 そうしたら、汲んでやることもできるのか。

 一人嗚咽を噛み殺す、この少女の意図も。

 いや。

 社会の底辺で泣く、あらゆる者たちの涙を。



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