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1章 足音は彷徨す
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次の土曜日、彰と晴斗は店に「臨時休業」の札を出して羽島村に向かった。今回は現地集合で、奥野とは駅の前で落ち合った。スーツではなく、白いシャツに黒いジーンズ姿の奥野は、曇り空の下でぺこりと頭を下げた。三人で家まで向かう。
「ちょっと確認したいことがあるんで、待っててもらえませんかね」
玄関前で彰は奥野に言った。
「確認とは……」
「いえ、見ておきたいものがあるだけで。すぐ呼ぶので、そしたら中で話しましょう。恐らく、今日で解決しますよ」
彰の台詞に不思議そうな顔をしていたが、「解決」という言葉を聞いた彼は頷いた。やはり恐怖を抱いている彼は、家の中で待つという言葉を口にしなかった。
家に入り五分ほどで、彰は奥野を呼んだ。湿度の高い曇り空の下にいた彼は、恐る恐るという様子で敷居をまたいだ。
テーブルなどは残っていなかったので、彰と奥野は何もない六畳の和室で向かい合って座る。彰の横には、トートバッグを下げた晴斗が腰を下ろす。縁側に続く障子は開け放ち、彰の左手、奥野の右手側には荒れた庭の光景が広がる。風のない夏の午後だが、空気はいやに冷えていた。
「先ほど仰いましたが、解決とはどのように……」
奥野の台詞に、「成仏させる」と彰は被せる。
「そのために、いくつか質問させてください」
彼の静かな剣幕に、奥野は乗り出しかけた身を引いた。構わず続ける。
「この家に住んでいたのは、あなたたち家族の三人だけですか」
「……そうですが」
どうして、と言いたげな奥野に頷き、彰は晴斗に目配せした。彼はバッグから件の色鉛筆のケースを取り出す。それを奥野の方に向けて畳に置いた。
「この色鉛筆は、本当にあなたのものですか」
一度ケースに目を落とし、奥野は神妙な顔で頷いた。
「はい。前も言った通り、私のものです」
目の前で、彼は嘘を重ねる。晴斗が見て感じた思念の方が間違っているとは、彰は全く思わない。この色鉛筆の本当の持ち主。それが、悲しい寂しいと嘆く幽霊の正体。
「それじゃ、もう一つだけ」
訝しむ奥野の前で、晴斗は再度バッグを探った。先ほど見つけたそれを色鉛筆の横に置く。
黒い表紙が色褪せた、一冊のスケッチブック。
それを目にした男の表情がみるみる驚愕に染まった。恐ろしいものを見たというよりは、存在しないはずの、あり得ないものを目の当たりにした顔だ。何故ここにこれが。心の声が洪水のように流れてくる。
「この間、最後に見せてくれた子ども部屋で、先ほど見つけましてね」
話す彰の横で、奥野の方に向けたスケッチブックの表紙を晴斗がめくる。
色鉛筆で描かれた風景画。美術品と成り得なくとも、細部まで景色を書き留めた丁寧な絵。稲の実る水田、あぜ道を散歩する村人と飼い犬、古びた駅舎。ページをめくるたび、次々と鮮やかな色彩が瞳に写る。
「子ども部屋にあったのなら、これもあなたのものですよね」
絵を凝視する奥野は、彰の声に喉の奥で辛うじて「はい」と呻いた。それは嘘を認めたような、観念したような、抗いにもならない掠れた響きだった。
「綺麗な絵ですね。よっぽど描くことが好きだったみたいで」
返事どころか声すら発さない相手は、晴斗がめくったページを見て息を呑んだ。
先ほどの緻密さが嘘にも思える、幼い子どもが描いたような絵。スケッチブックの持ち主が変わったのではとも思わせる。
「そんなに絵を描くのが好きな人間が、使い込んだ色鉛筆を忘れて引っ越しますかね」
奥野の喉から「それは」とも「これは」ともつかない声が漏れた。
「いい加減に認めろ!」
その煮え切らない姿に彰は声を荒げる。
「自分の兄貴を二回も殺すんじゃねえ!」
奥野はそれを聞くと、やがてがくりと項垂れた。膝の上で握ったこぶしが微かに震える。
緑の木々に囲まれた赤い鳥居。おざなりに据えられた石の狐。石畳の上で笑っている男の子。笑顔の少年の首元には、短い線が一本カーブを描いている。
「ちょっと確認したいことがあるんで、待っててもらえませんかね」
玄関前で彰は奥野に言った。
「確認とは……」
「いえ、見ておきたいものがあるだけで。すぐ呼ぶので、そしたら中で話しましょう。恐らく、今日で解決しますよ」
彰の台詞に不思議そうな顔をしていたが、「解決」という言葉を聞いた彼は頷いた。やはり恐怖を抱いている彼は、家の中で待つという言葉を口にしなかった。
家に入り五分ほどで、彰は奥野を呼んだ。湿度の高い曇り空の下にいた彼は、恐る恐るという様子で敷居をまたいだ。
テーブルなどは残っていなかったので、彰と奥野は何もない六畳の和室で向かい合って座る。彰の横には、トートバッグを下げた晴斗が腰を下ろす。縁側に続く障子は開け放ち、彰の左手、奥野の右手側には荒れた庭の光景が広がる。風のない夏の午後だが、空気はいやに冷えていた。
「先ほど仰いましたが、解決とはどのように……」
奥野の台詞に、「成仏させる」と彰は被せる。
「そのために、いくつか質問させてください」
彼の静かな剣幕に、奥野は乗り出しかけた身を引いた。構わず続ける。
「この家に住んでいたのは、あなたたち家族の三人だけですか」
「……そうですが」
どうして、と言いたげな奥野に頷き、彰は晴斗に目配せした。彼はバッグから件の色鉛筆のケースを取り出す。それを奥野の方に向けて畳に置いた。
「この色鉛筆は、本当にあなたのものですか」
一度ケースに目を落とし、奥野は神妙な顔で頷いた。
「はい。前も言った通り、私のものです」
目の前で、彼は嘘を重ねる。晴斗が見て感じた思念の方が間違っているとは、彰は全く思わない。この色鉛筆の本当の持ち主。それが、悲しい寂しいと嘆く幽霊の正体。
「それじゃ、もう一つだけ」
訝しむ奥野の前で、晴斗は再度バッグを探った。先ほど見つけたそれを色鉛筆の横に置く。
黒い表紙が色褪せた、一冊のスケッチブック。
それを目にした男の表情がみるみる驚愕に染まった。恐ろしいものを見たというよりは、存在しないはずの、あり得ないものを目の当たりにした顔だ。何故ここにこれが。心の声が洪水のように流れてくる。
「この間、最後に見せてくれた子ども部屋で、先ほど見つけましてね」
話す彰の横で、奥野の方に向けたスケッチブックの表紙を晴斗がめくる。
色鉛筆で描かれた風景画。美術品と成り得なくとも、細部まで景色を書き留めた丁寧な絵。稲の実る水田、あぜ道を散歩する村人と飼い犬、古びた駅舎。ページをめくるたび、次々と鮮やかな色彩が瞳に写る。
「子ども部屋にあったのなら、これもあなたのものですよね」
絵を凝視する奥野は、彰の声に喉の奥で辛うじて「はい」と呻いた。それは嘘を認めたような、観念したような、抗いにもならない掠れた響きだった。
「綺麗な絵ですね。よっぽど描くことが好きだったみたいで」
返事どころか声すら発さない相手は、晴斗がめくったページを見て息を呑んだ。
先ほどの緻密さが嘘にも思える、幼い子どもが描いたような絵。スケッチブックの持ち主が変わったのではとも思わせる。
「そんなに絵を描くのが好きな人間が、使い込んだ色鉛筆を忘れて引っ越しますかね」
奥野の喉から「それは」とも「これは」ともつかない声が漏れた。
「いい加減に認めろ!」
その煮え切らない姿に彰は声を荒げる。
「自分の兄貴を二回も殺すんじゃねえ!」
奥野はそれを聞くと、やがてがくりと項垂れた。膝の上で握ったこぶしが微かに震える。
緑の木々に囲まれた赤い鳥居。おざなりに据えられた石の狐。石畳の上で笑っている男の子。笑顔の少年の首元には、短い線が一本カーブを描いている。
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