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第一章

9.桜迷宮

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 あれから、お祖父ちゃんが道の駅に迎えにきてくれて家に戻った。カレーパンはお祖父ちゃんが迎えに来てくれるまでにペロリと食べてしまった。

 サクリと噛み付くと、スパイシーな香りと共に口の中でトロリとした甘くて辛い濃厚なカレーの味と肉や野菜の複雑な感触と旨味が広がり、後は夢中でバクバク食べた。たまらない美味しさだ。満足、満足。

 そして、マスクで口元は隠れていたけど、あのひょろっと痩せぎすのお兄さんが漏らした笑い・・・。

 なんていうのか、嬉しくて、ほっとしたのだ。ああよかったって・・・。変なの。どっから湧いてくる感情なのか?まるで私とは切り離されたどこかから出て来る感情だと思った。

 

 軽トラで家に帰ると、着替えて出掛ける用意をする。内側が起毛したグレーのトレーナーはとても地味な感じが気に入っていて、その上にお母さんが先月の給料日に新しく買ってくれたフード付きの薄手のジャンバーを着た。これもお気に入りだ。色は黄色で、私にはちょっと派手目だけど形はシンプル。お母さんが働いて買ってくれた物だから、全部お気に入り。あたりまえだ。

 下はスキニータイプのジーンズだ。伸びが良くて履き心地がいい。全部ヨネクロの物だ。ヨネクロ万歳。私は動きやすい服装が一番好きだった。

「お祖父ちゃんお待たせ、用意出来たよ」

「おお、ほいじゃあ行くかの」

 縁側に座って庭を見ていたお祖父ちゃんは両ひざをパンと叩いて立ち上がる。

「今日は満開じゃ。天気も良くて麻美は運がええな」

「ほんとだよ」

 スニーカーを履いて玄関の引き戸をガラガラと音をたてて開ける。外に出て飛び石の上を踏んで少し下った所にある駐車スペースまで行く。道路とは垣根で遮られていて、車が二台入れられる車庫になっている。

 古い木で建てられたかなりガタが来た車庫だが、屋根が付いていると雪が降っても雨が降っても、乗り降りを気にしなくて良いのがいいとおもう。

 たまに、タヌキやイタチだとかが、ねぐらにしたらどうかなと思ったのか入り込んでいて、車を入れると飛び出て来る事があるのでびっくりするけどね。ツバメも巣を作ろうと狙っているようなので、お祖父ちゃんが時期が来たら倉庫の中に、目玉模様の風船や鳥を模った黒い模型をぶら下げると言っていた。ツバメが車庫に巣を作ると、車の上にフンを落とすので車を中に置けなくなるらしい。

 そうなると巣立ちまで車庫が使えないので、巣を作らせない様にする必要があるのだ。

 この地方は4月の半ば位に桜が見ごろになる。まだ朝、霜が降りて地面や屋根の上が白くなる事もあるので朝晩が寒いのだ。今日は快晴だったし、朝の天気予報で、『気温が18度くらいに上がるでしょう』と言っていた通りになった様だ。風はきつく時折ザアッと樹々をゆらして通って行く。

 お祖父ちゃんの家がある山川集落から、軽トラでいつもの様に東神さんの屋敷がある東神村に行くのだ。
 
 今日は、タナカのお婆ちゃんの店を通り越してもっと先の突き当りにある、稲荷神社に連れて行ってもらう約束をしている。ものすごく桜が綺麗なのだそうだ。

 途中であちこちに桜は咲いているが、山を被るように背にした朱塗りの神社は、桃色に霞むような桜の山を背にして、幽玄とした美しさがあった。

 遠目に見ても美しかったが、近くに行くとそれはもう薄桃色の濃淡に彩られた美しい桜迷宮の様だった。

「麻美、お参りを先にしてから、じいちゃんはちょっとお宮(みや)さんに挨拶してくるから、好きに見て回れ。見終わったらまたここに戻ってきたらええからな。ゆっくり見てええぞ」

 このお宮の跡取りは、お祖父ちゃんよりも2つ年上の先輩だと言っていた。小中までは同じ学校だったそうだ。

「うん、わかった。見終わったら軽トラに乗って待ってるよ」

「おお、そうしといてくれ」

 鳥居は神域と俗世界の境界だという。つまりは結界で、神域に悪い物が入らない様にという魔除けの意味があるらしい。ま、本の受け売りだけどね。

 二人で鳥居の前で一礼してから、赤い鳥居をくぐり手水舎(ちょうずや)で手と口を漱ぐ。私はその辺りの作法を知らないので、お祖父ちゃんがやっているのを見様見真似した。

 拝殿で賽銭箱に小銭を入れて、綱に付いた鈴を鳴らした。参拝の仕方も全部お祖父ちゃんのするのを真似する。

 ニ礼二拍手一礼だそうだ。

 (普通一般の神社はそうらしい。お母さんが後日教えてくれたけど、出雲大社は二礼四拍手一礼なのだそうだ)

「ここのお稲荷さんて、どんな神様?」

「わしもようは知らんがの、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛いうて聞いたがの」

「わあ、幅広い後利益だね」

「ありがたや、ありがたやじゃの」

 わはは、と二人並んで笑った。

 稲荷と言えば狐と思うけれど、稲荷神は狐ではなく、御使いが白い狐なのだそうだ。

 だから稲荷神社は狛犬ではなく白狐の像がだいたい置かれているらしい。

 これはお祖父ちゃんに聞いた話だ。お祖父ちゃんも先輩に教えてもらったそうだ。

 じゃあ稲荷神って何かと聞くと、『稲荷』とは稲がなるという意味が込められた言葉で、神様の名前は『宇迦之御魂御大神』(うかのみたまのおおかみ)という神様だそうだ。何か他にも違う名前の神様もあるそうだけど、お祖父ちゃんは覚えられなかったそうだ。うん、分かる。

 

 

 それからお祖父ちゃんと別れて私は社(やしろ)の周りを見て回った。

 白狐の像は二体あり、対になっていた。口に鍵を咥えているのと珠を咥えている。白狐といっても石で作られているので白くはないけど。そして、赤い布で作った前掛けがどちらにも着けられている。風雨にさらされて色は褪せていた。

 圧巻なのは、裏山は低い山だけど、その山頂へと続く小さめの赤い鳥居だ。気が遠くなるような数の小さい鳥居が列をなす光景だった。その鳥居に薄桃色の桜が覆いかかる様は、怖さを感じる位に美しい。何の為の鳥居のなんだろうか?

 だけどなぜか初めて見る光景なのに、不思議にも懐かしさを感じたのだった。

 奥の本殿を回ると、御神木だろうと思われる大きな大きな桜の樹があった。注連縄が張られていかにもな雰囲気だった。それになんていうかそこは聖域なのだと感じた。

「あ・・・」

 思わず声を出したのは仕方ないと思う。

 御神木の傍の生垣から見覚えのある人物が出てきたのだ。

 それはもう、この景色にピッタリのイケメン。百家斜陽クンだった。

 
 







 
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