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2 また電話をかけさせて
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「お、お母さんは?」
会話の相手は目の前にいないのに、つい学習机に身を乗り出してしまった。
『いるよ』
「なぁんだ」
ホッと息をついて、いすの背にもたれ直す。だけど次の言葉で、私はまた背筋を伸ばした。
『でも、ほとんど帰ってこない』
それからユウマくんは、いつ息をしているんだろう、と心配になるくらい、延々としゃべり続けた。
お父さんがいなくなってから、お母さんは外泊するようになった。今では月に1回しか帰らない。3万円を置いて、また出て行ってしまう。
ごはんは自分で用意しなくちゃいけない。だけど料理の仕方がわからない。ほかにも洗濯とか宿題とか、しなくちゃいけないことがたくさんあるから、朝と夜、スーパーのお弁当を弟と半分こしてる──。
「待って!」
ぎょっとした勢いで、思わずユウマくんの話をさえぎってしまった。
「お弁当ひとつを、2人で分けるの?」
『うん。夜の7時頃になったら、スーパーでいろいろ安くなるでしょ。それを待って、3百円か4百円くらいのお弁当をふたつ買って、朝と夜にひとつずつ、弟と食べるんだ』
「えー……お腹空きそう。それに、お昼ごはんは? 食べないの?」
『月曜日から金曜日は、給食があるから』
なるほど、とつぶやいた頭に何かが引っかかった。それが何なのか、しばらく考えて──天ぷらの油がはねるように、パチンと答えが飛び出した。
「学校!」
『え……な、何?』
どうして思いつかなかったんだろう。さっき、小学校の話だって出たのに。
「学校行ってるなら、クラスの子としゃべるじゃない!」
弟以外としゃべっていないなんて、やっぱりうそじゃないか。びっくりしたし、心配もしたのに。
私はちょっと腹を立てながら、ユウマくんを責めるように言った。
すると、小さな声が返ってきた。
『……しゃべらない』
怒られて気まずいというより、話すのが辛いみたいだ。私の方が気まずくなって、だけど引っこみがつかなくて、ぼそぼそと尋ねた。
「で、でも、クラスで友だちと会うでしょ?」
『そんなの……いないよ』
「ほかのクラスにも?」
『うん……』
ユウマくんの声は、どんどん沈んでいく。まずいことを聞いてしまったかもしれない。
「そ、それじゃあ、ほかの人……あっ、先生は?」
『先生、忙しいもん。メイさんだって、こんなふうにおしゃべりする? 先生と』
今度は向こうが、少し怒った声で尋ねてくる。私は急に怖くなって、肩を丸めた。
「しゃべらない……」
小さく答えると、ユウマくんは「ごめん」と焦り出した。
『ご、ごめんね。きついこと言って』
焦るというより、怯えている感じだ。こっちがいじめっ子になったような気がして、私も謝ることにした。
「ううん……私こそ、いろいろ聞いちゃってごめん。それじゃ──」
『あっ、ま、待って! お願い、待って! お願い……!』
「そ、そんなこと言われても」
早く電話を切らないと、お母さんにばれて怒られる。
「私、まだ宿題が終わってないし」
『じゃあ、明日また、電話をかけさせて……!』
そんなこと言われても。もう一度言いたかったけれど、今にも泣き出しそうな声でお願いされてしまったので、
「うん、まあ、夕方の5時くらいならいいよ」
と、答えてしまった。
『わかった、5時だね。絶対にかけるから。お願い、電話に出て……ぼくと話をして。絶対、約束だから。約束だからね』
ユウマくんは、何度も何度も「絶対」と「約束」をくり返して、ようやく電話を切った。
私は、耳からケータイを離した。桜色のそれを学習机に置いて、窓の外をぼんやり眺める。
夕陽の位置は、さっきとほとんど変わっていなかったけれど、ずいぶんと長い間、話していたような気がする。
(夢、見てたのかな……)
もう一度、ケータイへ手を伸ばす。あちこちいじって手間取りながら、着信履歴のリストを開いた。
知らない番号──ユウマくんの番号が、ちゃんとある。夢じゃない。本当に、知らない男の子から電話がかかってきたんだ。それも、信じられないような生活をしている子から。
(それにしても、びっくりしたなあ。いきなり『ピピピピ!』って鳴り出して……あ!)
手のひらで、パチンとひざを打った。大切なことを思い出した。
(音の消し方、お母さんに教えてもらわなくちゃ!)
桜色のケータイを手に、階段を降りて1階に行く。リビングのドアを開けると、食卓のさらに奥、台所で、お母さんが晩ごはんの支度をしていた。
トン、トンと包丁で何かを切る背中に話しかけようとした時──。
“ピピピピ、ピピピピ”
思わず「ひっ!」と飛び上がった。慌てて自分のケータイを見る。またユウマくんがかけてきたんだとしたら。
(お母さんに怒られる……!)
そう思ったけれど、画面は黒いまま。落ち着いて耳を澄ませると、着信音は別のところで鳴っていた。
会話の相手は目の前にいないのに、つい学習机に身を乗り出してしまった。
『いるよ』
「なぁんだ」
ホッと息をついて、いすの背にもたれ直す。だけど次の言葉で、私はまた背筋を伸ばした。
『でも、ほとんど帰ってこない』
それからユウマくんは、いつ息をしているんだろう、と心配になるくらい、延々としゃべり続けた。
お父さんがいなくなってから、お母さんは外泊するようになった。今では月に1回しか帰らない。3万円を置いて、また出て行ってしまう。
ごはんは自分で用意しなくちゃいけない。だけど料理の仕方がわからない。ほかにも洗濯とか宿題とか、しなくちゃいけないことがたくさんあるから、朝と夜、スーパーのお弁当を弟と半分こしてる──。
「待って!」
ぎょっとした勢いで、思わずユウマくんの話をさえぎってしまった。
「お弁当ひとつを、2人で分けるの?」
『うん。夜の7時頃になったら、スーパーでいろいろ安くなるでしょ。それを待って、3百円か4百円くらいのお弁当をふたつ買って、朝と夜にひとつずつ、弟と食べるんだ』
「えー……お腹空きそう。それに、お昼ごはんは? 食べないの?」
『月曜日から金曜日は、給食があるから』
なるほど、とつぶやいた頭に何かが引っかかった。それが何なのか、しばらく考えて──天ぷらの油がはねるように、パチンと答えが飛び出した。
「学校!」
『え……な、何?』
どうして思いつかなかったんだろう。さっき、小学校の話だって出たのに。
「学校行ってるなら、クラスの子としゃべるじゃない!」
弟以外としゃべっていないなんて、やっぱりうそじゃないか。びっくりしたし、心配もしたのに。
私はちょっと腹を立てながら、ユウマくんを責めるように言った。
すると、小さな声が返ってきた。
『……しゃべらない』
怒られて気まずいというより、話すのが辛いみたいだ。私の方が気まずくなって、だけど引っこみがつかなくて、ぼそぼそと尋ねた。
「で、でも、クラスで友だちと会うでしょ?」
『そんなの……いないよ』
「ほかのクラスにも?」
『うん……』
ユウマくんの声は、どんどん沈んでいく。まずいことを聞いてしまったかもしれない。
「そ、それじゃあ、ほかの人……あっ、先生は?」
『先生、忙しいもん。メイさんだって、こんなふうにおしゃべりする? 先生と』
今度は向こうが、少し怒った声で尋ねてくる。私は急に怖くなって、肩を丸めた。
「しゃべらない……」
小さく答えると、ユウマくんは「ごめん」と焦り出した。
『ご、ごめんね。きついこと言って』
焦るというより、怯えている感じだ。こっちがいじめっ子になったような気がして、私も謝ることにした。
「ううん……私こそ、いろいろ聞いちゃってごめん。それじゃ──」
『あっ、ま、待って! お願い、待って! お願い……!』
「そ、そんなこと言われても」
早く電話を切らないと、お母さんにばれて怒られる。
「私、まだ宿題が終わってないし」
『じゃあ、明日また、電話をかけさせて……!』
そんなこと言われても。もう一度言いたかったけれど、今にも泣き出しそうな声でお願いされてしまったので、
「うん、まあ、夕方の5時くらいならいいよ」
と、答えてしまった。
『わかった、5時だね。絶対にかけるから。お願い、電話に出て……ぼくと話をして。絶対、約束だから。約束だからね』
ユウマくんは、何度も何度も「絶対」と「約束」をくり返して、ようやく電話を切った。
私は、耳からケータイを離した。桜色のそれを学習机に置いて、窓の外をぼんやり眺める。
夕陽の位置は、さっきとほとんど変わっていなかったけれど、ずいぶんと長い間、話していたような気がする。
(夢、見てたのかな……)
もう一度、ケータイへ手を伸ばす。あちこちいじって手間取りながら、着信履歴のリストを開いた。
知らない番号──ユウマくんの番号が、ちゃんとある。夢じゃない。本当に、知らない男の子から電話がかかってきたんだ。それも、信じられないような生活をしている子から。
(それにしても、びっくりしたなあ。いきなり『ピピピピ!』って鳴り出して……あ!)
手のひらで、パチンとひざを打った。大切なことを思い出した。
(音の消し方、お母さんに教えてもらわなくちゃ!)
桜色のケータイを手に、階段を降りて1階に行く。リビングのドアを開けると、食卓のさらに奥、台所で、お母さんが晩ごはんの支度をしていた。
トン、トンと包丁で何かを切る背中に話しかけようとした時──。
“ピピピピ、ピピピピ”
思わず「ひっ!」と飛び上がった。慌てて自分のケータイを見る。またユウマくんがかけてきたんだとしたら。
(お母さんに怒られる……!)
そう思ったけれど、画面は黒いまま。落ち着いて耳を澄ませると、着信音は別のところで鳴っていた。
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