26 / 47
26 無力
しおりを挟む
お腹を空かせたユウマくんに申し訳ないから、私もごはんを食べない──そんなことをしても無駄だ。ユウマくんのお腹はふくれない。
無駄だとわかっているのに意地を張り続けるなんて、幼稚な子どものすることだ。
そんな子どもになるのが怖いから、私はお母さんに言われるまま、ごはんを食べているんだ。
だけど、もうわかってしまった。私は子どもだ。力がない。お姉ちゃんたちの言う「かわいそう」という壁を崩す力を持っていない。
壁の向こう側にいる「かわいそうな子」たち──ユウマくんたちに、何もしてあげられない。
お父さんやお母さんみたいに、仕事をして手に入れたお金は1円もない。半額シールの貼られたお弁当1つさえ、買えない。
そのことを認めたくなかった。友だちの力になれていると信じたかった。いざという時は友だちを助けられると思いたかった。
弱い自分を受け入れることを、無意識に体が拒否していた。
だからいつも、うっすらとした吐き気を覚えていたのだ。お母さんたちが美咲のことを、「かわいそうな子」あつかいするたびに。
しばらくして、廊下にいるお父さんが、「よろしくお願いします」と言うのが聞こえた。
リビングのドアが開く。お母さんが顔を上げる。
「ありがと。どうだった?」
お父さんは自分の席につくと、お箸を手に取って、
「大丈夫、すぐに動いてくれるらしい。一刻も早く住所を特定して、48時間以内には、ユウマくんの家を訪問するように努めるって」
と、言った。
✳︎
「あー、もう! 月曜から雨なんて、最悪!」
校舎の昇降口を出た美咲が、青いカサをパッと広げた。私の花柄のカサも、パラパラ、タタン、と雨に打たれ始める。
「最悪といえば、新しいお父さんのことなんだけど」
私の隣でぶすくれる美咲は、こっちをチラチラと見ながら話を続ける。
「『お父さん』って呼んでみたら、ものすごく恥ずかしそうにするんだよ。何なの? いい大人が。こっちまで恥ずかしくなるじゃん。せっかく呼んであげたのに、もうちょっとこう、芽衣みたいにさ。ふつうにしててくれないと、気まずくてしょうがないよ」
「ふうん……」
私は、ぼんやりと応えた。
体の中を重苦しい空気が支配していて、音も光も、美咲の話も、まともに頭へ入ってこない。昨日の夜からずっとだ。
「芽衣、どうかした?」
ハッとして美咲を見ると、立ち止まって私を見ていた。少し首を傾けて、探るように目を細めている。
「今日、ずーっと落ちこんでるね。朝からずっと」
「そう……かな」
「うん。おばさんに怒られた? それとも、ほかの友だちとケンカした?」
友だち、と言われて、ユウマくんのことが頭をよぎった。ケンカじゃないけれど、ケンカのほうがマシだったかもしれない。
考えていたことが顔に出たのか、美咲は細めていた目をパチッと開いた。
「あ、友だち関係の悩みなんだ。誰とケンカしたの? ナッちゃん? ミーちゃん?」
「……美咲の知らない子」
「え! 誰? 誰?」
「最近知り合った子で……あと、ケンカじゃない」
その友だちとの約束を破ってしまった。謝りたいけれど、もう会えない。
そう言って、私は目を伏せた。
(家に行くって、ユウマくんに言ったのに。それに、勝手にジソウへ通報しちゃった)
通報したのはお父さんだけど、きっかけをつくったのは私だ。
(いきなり知らない人が家へ来るなんて、ショックだろうな……)
せめて、人が来ることだけでも伝えられたら。閉じた目に、ぎゅっと力を入れると、美咲の不思議そうな声が降ってきた。
「会えないなら電話すれば? その子の番号、知らないの?」
私が目を開けると、美咲はひょいと片眉を上げた。
「電話番号は、ケータイに入れてたから……あ、ケータイはね、お母さんに没収されちゃったんだ。だから電話もできなくて……」
「没収⁉︎ 早くない? 芽衣、何かやばいことしたの?」
「やばいことっていうか……『芽衣にはまだ早かった』って言われた」
肝心なところは隠して、私はお母さんの言葉を美咲に伝えた。
──ケータイ、渡すのは早かったわね。使い方は少しずつ学べばいいと思ってたけど、しっかり教えてからにすればよかったわ。まさか、買ってすぐにこんなことになるなんて──
昨晩、お母さんはそう言って、桜色のケータイも、算数のテストも、ぜんぶ持って行ってしまった。
私とユウマくんをつないでいた、ぜんぶを。
長い息を吐き出すと、美咲もつられたようにため息をついて、しみじみと言った。
「そっか……そうなんだ。いろいろあったんだねえ。今日、あんなにいいことがあったのに、全然うれしくなさそうだから変だと思った」
無駄だとわかっているのに意地を張り続けるなんて、幼稚な子どものすることだ。
そんな子どもになるのが怖いから、私はお母さんに言われるまま、ごはんを食べているんだ。
だけど、もうわかってしまった。私は子どもだ。力がない。お姉ちゃんたちの言う「かわいそう」という壁を崩す力を持っていない。
壁の向こう側にいる「かわいそうな子」たち──ユウマくんたちに、何もしてあげられない。
お父さんやお母さんみたいに、仕事をして手に入れたお金は1円もない。半額シールの貼られたお弁当1つさえ、買えない。
そのことを認めたくなかった。友だちの力になれていると信じたかった。いざという時は友だちを助けられると思いたかった。
弱い自分を受け入れることを、無意識に体が拒否していた。
だからいつも、うっすらとした吐き気を覚えていたのだ。お母さんたちが美咲のことを、「かわいそうな子」あつかいするたびに。
しばらくして、廊下にいるお父さんが、「よろしくお願いします」と言うのが聞こえた。
リビングのドアが開く。お母さんが顔を上げる。
「ありがと。どうだった?」
お父さんは自分の席につくと、お箸を手に取って、
「大丈夫、すぐに動いてくれるらしい。一刻も早く住所を特定して、48時間以内には、ユウマくんの家を訪問するように努めるって」
と、言った。
✳︎
「あー、もう! 月曜から雨なんて、最悪!」
校舎の昇降口を出た美咲が、青いカサをパッと広げた。私の花柄のカサも、パラパラ、タタン、と雨に打たれ始める。
「最悪といえば、新しいお父さんのことなんだけど」
私の隣でぶすくれる美咲は、こっちをチラチラと見ながら話を続ける。
「『お父さん』って呼んでみたら、ものすごく恥ずかしそうにするんだよ。何なの? いい大人が。こっちまで恥ずかしくなるじゃん。せっかく呼んであげたのに、もうちょっとこう、芽衣みたいにさ。ふつうにしててくれないと、気まずくてしょうがないよ」
「ふうん……」
私は、ぼんやりと応えた。
体の中を重苦しい空気が支配していて、音も光も、美咲の話も、まともに頭へ入ってこない。昨日の夜からずっとだ。
「芽衣、どうかした?」
ハッとして美咲を見ると、立ち止まって私を見ていた。少し首を傾けて、探るように目を細めている。
「今日、ずーっと落ちこんでるね。朝からずっと」
「そう……かな」
「うん。おばさんに怒られた? それとも、ほかの友だちとケンカした?」
友だち、と言われて、ユウマくんのことが頭をよぎった。ケンカじゃないけれど、ケンカのほうがマシだったかもしれない。
考えていたことが顔に出たのか、美咲は細めていた目をパチッと開いた。
「あ、友だち関係の悩みなんだ。誰とケンカしたの? ナッちゃん? ミーちゃん?」
「……美咲の知らない子」
「え! 誰? 誰?」
「最近知り合った子で……あと、ケンカじゃない」
その友だちとの約束を破ってしまった。謝りたいけれど、もう会えない。
そう言って、私は目を伏せた。
(家に行くって、ユウマくんに言ったのに。それに、勝手にジソウへ通報しちゃった)
通報したのはお父さんだけど、きっかけをつくったのは私だ。
(いきなり知らない人が家へ来るなんて、ショックだろうな……)
せめて、人が来ることだけでも伝えられたら。閉じた目に、ぎゅっと力を入れると、美咲の不思議そうな声が降ってきた。
「会えないなら電話すれば? その子の番号、知らないの?」
私が目を開けると、美咲はひょいと片眉を上げた。
「電話番号は、ケータイに入れてたから……あ、ケータイはね、お母さんに没収されちゃったんだ。だから電話もできなくて……」
「没収⁉︎ 早くない? 芽衣、何かやばいことしたの?」
「やばいことっていうか……『芽衣にはまだ早かった』って言われた」
肝心なところは隠して、私はお母さんの言葉を美咲に伝えた。
──ケータイ、渡すのは早かったわね。使い方は少しずつ学べばいいと思ってたけど、しっかり教えてからにすればよかったわ。まさか、買ってすぐにこんなことになるなんて──
昨晩、お母さんはそう言って、桜色のケータイも、算数のテストも、ぜんぶ持って行ってしまった。
私とユウマくんをつないでいた、ぜんぶを。
長い息を吐き出すと、美咲もつられたようにため息をついて、しみじみと言った。
「そっか……そうなんだ。いろいろあったんだねえ。今日、あんなにいいことがあったのに、全然うれしくなさそうだから変だと思った」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる