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34 2つ目の用事
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「ジソウって何?」
私はパチッと目を開けた。そうだ、そこから説明しなくちゃいけないんだった。
「よくわからないんだけど……ユウマくんとタクマくんを、保護してくれる人たちがいるところ」
「ホ、ゴ?」
聞き返してきたユウマくんの声は、発音がちょっと変だ。
うまく聞き取れなかったのかもしれない。私は顔を上げて、さっきよりも声を張った。
「ほら、守るとかいう意味の保護だよ。勉強を教えてくれたり、ご飯をくれたりするんだ……と、思う」
「本当っ⁉︎」
部屋の奥から、舌足らずの声がした。さっきまで寝ていたタクマくんが、起き上がって、目をキラキラ輝かせている。
「本当? ご飯、食べられるの?」
「タクマ、静かに。もうちょっと寝てて」
ユウマくんが振り返って、人差し指を口に当てた。
だけど、タクマくんはキャアキャアはしゃぎながら、布団の上を転げ回っている。
ユウマくんはため息をつくと、台所の、私より背の低い冷蔵庫からペットボトルを取り出して、「飲んでて」とタクマくんに渡した。
それからまた、ちょっとだけ私のほうへ戻ってきた。なぜか、さっきよりも距離が空いている。
おうちに上がっていい? となんとなく聞きづらくて、私は玄関に立ったまま尋ねた。
「ユウマくん。それ、スポーツドリンク?」
タクマくんが飲んでいるペットボトルを指すと、うなずきが返ってきた。
「うん。甘いもの、めったに食べられないから、タクマが喜んじゃって。昨日、ちょうどムツバスーパーがセールだったから、安くなっててよかったよ」
お弁当を1つガマンしたら、3本も買えた──ユウマくんの疲れた声に、チクリと胸が痛んだ。
昨日のセールで、スポーツドリンクは半額になっていた。私の少ないお小遣いでも、3本くらい、余裕で買える値段だった。
ユウマくんは、たったそれだけのものさえ、気軽に買えなかったんだ。
薄暗い部屋にたたずむユウマくんは、力を使い尽くしてしまったのか、瞬きをするのもゆっくりだった。
対してタクマくんは、鼻息を荒くして、カッと目を見開き、タコみたいな口でスポーツドリンクを飲んでいる。
あまりの必死さに私が笑うと、ユウマくんもタクマくんの様子に気づいて、小さく声を立てて笑った。
ユウマくんの細い目が、やさしげな曲線を描いた。ひかえめに開いた口から覗き見える歯は、きれいに並んでいる。
初めて目にする表情に見とれていると、ユウマくんの顔は再びこわばっていった。
「それで、メイさん。保護っていうのは?」
「あ、うん……ご飯は食べさせてくれると思うんだけど、ユウマくんたちをほかの家に連れて行くみたい。それで……」
私はまた下を向いて、すがるように自分のTシャツを握った。
「ユウマくんとタクマくん、別々に暮らすことになるかもしれない」
言った瞬間、窓から差す夕日がかげったような気がした。たたきの四角から動けないまま、スニーカーについた土を見つめながら、ユウマくんの言葉をじっと待つ。
外から、楽しげな発着音が聞こえてくる。電車が駅に入ってきたらしい。その電車がまた駅からすべり出ていく、長い長い音がすっかり消えた頃、ようやくユウマくんはボソッと言った。
「ぼくたちの、お母さんは?」
さっきよりも低い声に、のどを絞められたような心地で、私は答えた。
「一緒に暮らすのはむずかしいかもって、お父さんが……」
「……そっか。お母さん、1人になっちゃうんだ」
うろたえ、たじろいでいたユウマくんが妙に静かなので、気になって顔を上げた。そして、息をのんだ。
私を見つめるユウマくんは、心をどこかへ落としてきたロボットみたいに、目が凍りついていた。ショッピングセンターのマネキンより、冷たい顔だった。
「ご飯が食べられるなら、タクマにとっては、そのほうがいいよね」
すべてを諦めたような、暗い深海を思わせる声に、私はゾッとした。
そして、その異様な落ち着きに、この日が来ることを彼はわかっていたんだ、と思った。
あまりにもあやうい今の生活は、いずれ崩れてしまうものだと、ユウマくんはわかっていたんだろう。お母さんとタクマくんのことを、懸命に守ろうとしながらも、いつか終わりの日が来ると、心のどこかで理解していたに違いない。
そして、それはすぐそこにまで迫っている。
終わりを悟って凍りついた目を、見つめ返すしかできないでいると、ユウマくんの目が、光を取り入れるように少しだけ大きくなった。
「でも、どこへ行っても、メイさんと電話はできるよね?」
ユウマくんの首が、部屋の隅を向いた。
ケースのないむき出しのケータイが、「いつでも電話できるよ」というように充電器に繋がれて、畳の床にぽつんと置かれていた。ケータイの下には、黒い染みが、泣いたように広がっている。
「それが……もう電話できないの」
そう言うと、ユウマくんは、引っぱたかれたような勢いで私を見た。
「な、なんで?」
「……ケータイ、お母さんに没収されちゃった。本当は、用のない時に使ったらダメだったんだ。でも、ユウマくんと電話してるのがバレて、『まだ芽衣には早かったね』って……」
私が話すごとに、ユウマくんの目の光は、みるみるしぼんでいく。その光を何とかよみがえらせようと、私は慌ててズボンのポケットに手を突っこんだ。
私はパチッと目を開けた。そうだ、そこから説明しなくちゃいけないんだった。
「よくわからないんだけど……ユウマくんとタクマくんを、保護してくれる人たちがいるところ」
「ホ、ゴ?」
聞き返してきたユウマくんの声は、発音がちょっと変だ。
うまく聞き取れなかったのかもしれない。私は顔を上げて、さっきよりも声を張った。
「ほら、守るとかいう意味の保護だよ。勉強を教えてくれたり、ご飯をくれたりするんだ……と、思う」
「本当っ⁉︎」
部屋の奥から、舌足らずの声がした。さっきまで寝ていたタクマくんが、起き上がって、目をキラキラ輝かせている。
「本当? ご飯、食べられるの?」
「タクマ、静かに。もうちょっと寝てて」
ユウマくんが振り返って、人差し指を口に当てた。
だけど、タクマくんはキャアキャアはしゃぎながら、布団の上を転げ回っている。
ユウマくんはため息をつくと、台所の、私より背の低い冷蔵庫からペットボトルを取り出して、「飲んでて」とタクマくんに渡した。
それからまた、ちょっとだけ私のほうへ戻ってきた。なぜか、さっきよりも距離が空いている。
おうちに上がっていい? となんとなく聞きづらくて、私は玄関に立ったまま尋ねた。
「ユウマくん。それ、スポーツドリンク?」
タクマくんが飲んでいるペットボトルを指すと、うなずきが返ってきた。
「うん。甘いもの、めったに食べられないから、タクマが喜んじゃって。昨日、ちょうどムツバスーパーがセールだったから、安くなっててよかったよ」
お弁当を1つガマンしたら、3本も買えた──ユウマくんの疲れた声に、チクリと胸が痛んだ。
昨日のセールで、スポーツドリンクは半額になっていた。私の少ないお小遣いでも、3本くらい、余裕で買える値段だった。
ユウマくんは、たったそれだけのものさえ、気軽に買えなかったんだ。
薄暗い部屋にたたずむユウマくんは、力を使い尽くしてしまったのか、瞬きをするのもゆっくりだった。
対してタクマくんは、鼻息を荒くして、カッと目を見開き、タコみたいな口でスポーツドリンクを飲んでいる。
あまりの必死さに私が笑うと、ユウマくんもタクマくんの様子に気づいて、小さく声を立てて笑った。
ユウマくんの細い目が、やさしげな曲線を描いた。ひかえめに開いた口から覗き見える歯は、きれいに並んでいる。
初めて目にする表情に見とれていると、ユウマくんの顔は再びこわばっていった。
「それで、メイさん。保護っていうのは?」
「あ、うん……ご飯は食べさせてくれると思うんだけど、ユウマくんたちをほかの家に連れて行くみたい。それで……」
私はまた下を向いて、すがるように自分のTシャツを握った。
「ユウマくんとタクマくん、別々に暮らすことになるかもしれない」
言った瞬間、窓から差す夕日がかげったような気がした。たたきの四角から動けないまま、スニーカーについた土を見つめながら、ユウマくんの言葉をじっと待つ。
外から、楽しげな発着音が聞こえてくる。電車が駅に入ってきたらしい。その電車がまた駅からすべり出ていく、長い長い音がすっかり消えた頃、ようやくユウマくんはボソッと言った。
「ぼくたちの、お母さんは?」
さっきよりも低い声に、のどを絞められたような心地で、私は答えた。
「一緒に暮らすのはむずかしいかもって、お父さんが……」
「……そっか。お母さん、1人になっちゃうんだ」
うろたえ、たじろいでいたユウマくんが妙に静かなので、気になって顔を上げた。そして、息をのんだ。
私を見つめるユウマくんは、心をどこかへ落としてきたロボットみたいに、目が凍りついていた。ショッピングセンターのマネキンより、冷たい顔だった。
「ご飯が食べられるなら、タクマにとっては、そのほうがいいよね」
すべてを諦めたような、暗い深海を思わせる声に、私はゾッとした。
そして、その異様な落ち着きに、この日が来ることを彼はわかっていたんだ、と思った。
あまりにもあやうい今の生活は、いずれ崩れてしまうものだと、ユウマくんはわかっていたんだろう。お母さんとタクマくんのことを、懸命に守ろうとしながらも、いつか終わりの日が来ると、心のどこかで理解していたに違いない。
そして、それはすぐそこにまで迫っている。
終わりを悟って凍りついた目を、見つめ返すしかできないでいると、ユウマくんの目が、光を取り入れるように少しだけ大きくなった。
「でも、どこへ行っても、メイさんと電話はできるよね?」
ユウマくんの首が、部屋の隅を向いた。
ケースのないむき出しのケータイが、「いつでも電話できるよ」というように充電器に繋がれて、畳の床にぽつんと置かれていた。ケータイの下には、黒い染みが、泣いたように広がっている。
「それが……もう電話できないの」
そう言うと、ユウマくんは、引っぱたかれたような勢いで私を見た。
「な、なんで?」
「……ケータイ、お母さんに没収されちゃった。本当は、用のない時に使ったらダメだったんだ。でも、ユウマくんと電話してるのがバレて、『まだ芽衣には早かったね』って……」
私が話すごとに、ユウマくんの目の光は、みるみるしぼんでいく。その光を何とかよみがえらせようと、私は慌ててズボンのポケットに手を突っこんだ。
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