友だちは君の声だけ

山河千枝

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35 最後の用事

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 折りたたんだ便箋を、ポケットから引っ張り出す。表彰状を渡すように、ユウマくんのほうへ両手を伸ばす。

「これを渡すのが、3つ目の用事。住所を書いてきたの。話したいことがあったら、電話する代わりに手紙を書いて」

 ユウマくんの目に、かすかな光が戻った。
 もし「いらない」と言われたら──正直、そんな不安もあったけれど、やっぱり用意してよかった。安心と喜びが、フワッと心へあふれてきて、自然と笑顔がこぼれた。

「返事、書くから。ね?」
「う、うん。ありがとう」

 ユウマくんは、ほっぺたを桃色に染めてうなずいた。だというのに、便箋を受け取りに来るどころか、

「じゃあ、そこに置いてくれる?」

 と、背中に回した手をモジモジさせながら、後ずさってしまった。
 どうしたんだろう。どうして、こっちに来てくれないんだろう。私がここに来てから、ずっとそうだ。どうしてユウマくんは、私から離れたがっているんだろう。

「なんで取りに来ないの?」
「今は、ちょっと……」

 ユウマくんはうつむいて、また1歩さがった。あと少しで、タクマくんがいる布団を踏んづけそうだ。

 そのタクマくんは、スポーツドリンクの飲み口を、名残惜しそうにペロペロとなめていたけれど、急にボトルを放り出して、せわしなく頭をかきむしり始めた。

「にいちゃん、お風呂入りたい!」

 屈託のない声に、ユウマくんの顔がこわばる。
 その様子から、ああそういうことだったのか、と私は察した。なぜユウマくんが私から離れようとするのか、わかってしまった。

『そばを通った時、たまににおいが気になるの』
『人から離れるってことは、学校で何か言われてるのかもね』

 ムツバスーパーの前で、おばさんたちが気まずそうに言っていた。
 今、ユウマくんは公園にいる時と同じことをしているんだ。私を不快にさせるんじゃないかと心配して、離れようとしているんだ。

 察したものの、私は立ち尽くしていた。どう言えばいいか、考えあぐねていた。
 ムツバスーパーの前で会ったおばさんたちは、ためらいがちな声で、少し遠回しな言い方をしていた。きっとあの時、おばさんたちも、私みたいに言葉を探していたんだろう。

 だけど、小さなタクマくんは、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出してしまった。

「にいちゃんもお風呂入ろうよ! くさい! くーさーいー!」
「タクマっ‼︎」
 
 半ばふざけて喚き散らすタクマくんに、ユウマくんが本気で怒鳴った。顔が桃色を通り越して、真っ赤になっている。

 すると、壁がドンッ! と鳴った。
 隣の家の人だ。私たちは即座に口を──ユウマくんはタクマくんのも──手でふさいだ。
 
 家の中は静かになったけれど、ナカムギ駅を通過する電車も、アパートのそばを通るバイクも、はるか遠くで音を立てているように感じた。

 それよりもずっと強いものが、ユウマくんから伝わってきた。外の世界がぼやけるほど、強いものが。
 タクマくんの前でしゃがみこむ彼の、丸まった背中から、息が苦しくなるほどの感情が放たれている。
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