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第2章 ハイリスク・ハイリターン

恋人が恋敵

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 先とは反対に、汗ばむくらいの暖かさに、ラドラムは目を覚ました。
 腕の中には、じっと前を見詰めている長い黒髪の青年が居て、ラドラムは初めての失恋にツキンと痛む心を感じた。

「ラドラム。夜は明けました。大丈夫ですか?」

「ああ……。もう暖まった。ヒーターモードはいい。サンキュ、プラチナ」
 
 切なく胸は痛むのに、長年の習慣で、身を離しながらその名を呼ぶ。

「どういたしまして」

 いつものように、プラチナが返す。その姿が、長身な青年であるという事以外は、何も変わらない。
 なのに、酷く感傷的な気分だった。

「先ほど、キトゥンの声が聞こえました。まだ近くにいます。後を追いますか?」

 だがその言葉に、ラドラムはハッと顎を上げた。

「キトゥンの? みんな無事か?」

「多数の生命反応があり、キトゥンの声が聞こえたので、おそらく無事かと。この山には特殊な磁場があり、ウェアラブル端末の認識が出来ません」

「待て。こんな山奥に沢山人が居るって事は……追っ手じゃないのか」

「いえ。キトゥンは、地球発祥の人類では出せない音階で鳴き、応えたのも、同じ声です。イエティと呼ばれる、この惑星の先住民族だと思われます」

 ラドラムは、顔を綻ばせて、短く笑う。

「はっ……そうだ、全員助かるには、イエティの力を借りるしかない。運が向いてきたな。プラチナ、俺はジャケットの温度調整センサーが壊れてる。ヒーターモードのまま、移動できるか?」

「はい、ラドラム。体温を保ったまま素早く移動するには、私がラドラムを抱き上げて運ぶ必要がありますが」

 二人は顔を見合わせて、しばし沈黙した。
 ラドラムのこめかみに、暑さのせいではない汗が、じわりと滲む。

「……担ぐんじゃ駄目か?」

「それでは接触面積が少なく、体温は下がってしまいます」

「いわゆる……『お姫様抱っこ』だよな?」

「そう呼称される事もあります」

「うう……野郎にお姫様抱っこ……」

 頭を抱えるラドラムを見て、プラチナが心配そうな声音を出した。

「大丈夫ですか、ラドラム? 頭が痛いのですか?」

「ああ、痛いよ……」

「治療を……」

「あー、そういう『痛い』じゃないから、安心しろ」

「ラドラム。今すぐ追いかけないと、私の生命反応センサーから、キトゥンたちが消えてしまいます」

 振り切るように、ふうっとラドラムが一息吐いた。

「分かった! 合流する。外に出るぞ」

「はい、ラドラム」

 プラチナがタッチパネルを操作して、脱出ポッドの扉を開ける。
 寒さは一気に厳しくなって、びょうびょうと雪が入ってきた。
 先にプラチナが深い雪に一歩を踏み出して足跡をつけると、アルミブランケットにくるまったままのラドラムを横抱きにさらって胸の中に収め、雪に足を取られる事もなく、粛々と歩き出した。

「ヒーターモードに入ります。ラドラム、寒くありませんか」

「うー……寒い……」

「ではあと二℃、温度を上げます。目標までおよそ四十七分四十秒、耐えてください」

「ああ」

 物心ついてから、ミハイルに頭を撫でられる事さえ拒否してきたラドラムだったから、その移動形態は全くもって不本意だったが、こう寒くては動けない。
 味わった事のない抱き上げられる感触は、ふわふわとして、どうにも居心地が悪かった。
 だが、身体は疲れ切っている。ラドラムは、いつしかその暖かな胸板に頬を預けて、軽い寝息を立てていた。

    *    *    *

「頭の傷はもう塞がってるワ。あとは、水で清潔にしとけば大丈夫。ロディ、レスキューキットから、被覆テープ出して頂戴」

「ああ」

「水は何処? ……ああ、外? 雪解け水カシラ。ロディ、先に水汲んできて」

「へいへい。人使い荒ぇな」

「え? なぁに、この葉っぱ。……貼るの? あ……すり潰して……塗るの? プラチナ。この葉っぱの成分、人体に有害じゃないかどうか、調べられる?」

「はい、マリリン。……外傷に効能のある、アントラキノンが含まれています。有害な成分はありません」

「ありがと。キトゥン、使わせて貰うワ、って伝えてくれる?」

「ダ……ダァ」

「水汲んできたぜ、マリリン」

「ありがと、ロディ。やれば出来るじゃない」

「一言多いな」

「アンタだって文句言ってたデショ」

 遠くの方では、ざわざわと言葉が飛び交っている。
 いや……言葉? 何と言っている。聞き取れない。連邦標準語でも、辺境訛りでもない言葉……。
 そう頭の片隅で思っていると、こめかみに、身も凍るような冷水がかけられた。

「んっ……!」

 ラドラムは、三たび目を覚まし瞼を開けた。上から覗き込んでいる、顔、顔、顔……。
 見慣れたものもあれば、今まで見た事もない白いおもてもあった。

「あ、ラド、気が付いた?」

「マ……マリリン」

「ごめんなさい、ビックリした? 雪解け水しかないのヨ。ちょっとジッとしてて。傷を綺麗にするから」

「……プラチナは?」

「ここに居ます、ラドラム」

 脳天の方から、プラチナの顔が覗き込んできた。
 首の辺りが暖かいと思ったのは、プラチナの膝枕のせいだと気付いた途端、ラドラムは弾かれたように跳ね起きた。

「キャッ。ちょっと、ラド!」

 木の桶がひっくり返って、獣の皮の絨毯を濡らす。
 先のざわざわが大きくなって、口々に何かを語り合っていた。

「ここは……。イエティ?」

 身を起こすと、そこは木と草と獣の皮で形作られた、大きな雪洞のようだった。
 雪の中は、暖かいと聞いた事がある。火は焚かれていなかったが、そこここに大小のぼうと光る発光石が置かれていて、それが仄かに熱と光を発しているのだった。

「そうヨ。アタシたちを助けてくれたの。もう安心ヨ、ラド」

 ラドラムが急に身を起こしたので、覗き込んでいた白い顔は、遠巻きに彼を窺っている。
 キトゥンとは違い、全身を白く滑らかな長い毛で覆われたしなやかな姿は神秘的だったが、大きな瞳がキトゥン・ブルーなのは、彼女と揃いだった。

「アンタが桶をひっくり返すから、ビックリしてるワヨ。ちゃんと謝って」

「あ……悪い。ありがとう……って言っても、伝わらないか」

「キトゥンが通訳してくれるワ」

 見ると、キトゥンは一人のイエティに抱えられ、授乳されているのだった。
 そのイエティが、何事かを語る。
 すると一人の、やや大柄なイエティが近寄ってきて、木製の臼の中ですり潰された緑色の粘着質な塊を示して、マリリンに話しかけた。

「ありがと。ラド、彼はドクターよ。これは、傷の治りを早くする薬草。つけるワヨ?」

「あ……ああ……」

 マリリンの手当てを受けながら、ラドラムは辺りを見回した。
 その直径十五メートルほどの雪洞には、二十人余りのイエティが、物珍しそうにこちらを見ているのだった。

「マリリン、言葉、分かるのか?」

「分かんないワヨ。ドクター同士、何となく言わんとしてる事が分かるだけ。ロディ、被覆テープ」

「ほいよ」

 白い包帯状のテープでラドラムの頭を巻くと、マリリンは彼の額をひとつ、ぺしっと叩いた。

「はい、終わり!」

「ってーな、マリリン。慰謝料は何処に請求したらいい?」

 マリリンは白い歯を見せた。

「いつものラドね。頭部打撲による脳へのダメージも心配なし!」

「乱暴な診察だな」

 ラドラムは叩かれた額を押さえて苦笑した。

「ラドラム。安心しました」

 後ろから声をかけられて、ハッと我に返った。

「プラチナ」

 振り返るとプラチナが、膝をついて座っていた。

「男とは握手もしないお前さんが、奴に……プラチナに抱えられてきた時は、驚いたぜ。ちゃんと『失恋』したか?」

 ラドラムは再び前を向くと軽く肩を竦めて、

「ただ今、絶賛傷心中」

 と皮肉った。
 短い無精髭を撫でながら、ロディが笑う。

「冗談にする気力があるなら、大丈夫だな。俺ぁまた、お前さんがショックで首でもくくるかと思ったぜ」

「知ってたのか?」

「まさか。ガキの頃から乗ってるお前さんが知らねぇのに、知るもんか」

「声色を聞くまでは、アタシたちも信じられなかったワヨ。まさかプラチナが、メールタイプだったなんて」

「だよ、な……」

 一瞬シン……と沈黙が落ちた後、何処か不安げな声が上がった。

「ラドラム、やはり私のボディに問題があるのですね。私は今でも、貴方を愛しています」

 ロディとマリリンが、ラドラムの『笑ったら殺す』といった視線に射ぬかれて、慌てて明後日の方を向いて肩を振るわせた。
 ブロンドをガシガシとかき乱して、ラドラムは大きく息をつく。

「……プラチナ。俺も愛してるけど、もう『愛してる』とは言わない。だからお前も言うな。分かったな」

「それは命令ですか?」

 ラドラムはしばし目を瞑って考えたが、やはりもうひとつ息をついて、プラチナとしっかりフォレストグリーンの視線を合わせて言った。

「いや。お願いだ」

「……分かりました」

 ロディが呟く。

「忠犬みてぇだな」

「ホント。ブンブン振ってる尻尾が見えるワ、アタシ」

 それは耳に入っていたが、すっぱり無視して、ラドラムは声を高くした。

「腹が減っては何とやらだ。まず、飯! それから作戦会議だ!」
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