あなたの血を飲み干したなら

佐久間 譲司

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別の顔

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 美術室で過ごす時間は、淡々と過ぎていった。途中、広希は、千夏の側を離れ、他の部員の絵も見て回った。

 美術部員達は、千差万別の絵を描いていた。千夏のような肖像画から、抽象画なのだろうか、人物を崩れたように描いている具象的な絵や、国旗のデザインのようなアート的な絵画まで、多岐に渡っていた。モチーフも様々であり、中には何も見ずにただキャンバスに絵を描き続けている者もいた。

 さすがに風景画などは、外に出る必要があるため、それを描いている生徒は、ここにはいなかったが。

 そして、部員達は、熱心に画筆を走らせながら、時々思い出したように、血を飲んでいた。これは、授業中の風景と同じである。そして、広希がそばに寄って来たことに気が付くと、大抵の部員達は、広希を強く意識した行動を取った。戸惑っているような反応や、熱っぽい視線を向けて来る者など十人十色だった。

 そのような中、先ほど自己紹介を交わした部長の加奈子の元へ、広希は近付く。加奈子も、他の部員同様、キャンバスを前に熱心な表情で作業に取り組んでいた。対象は机の上に置かれた果物類である。

 加奈子は、元々、大人びた雰囲気を纏っており、こうして真剣な顔付きだと、凛々しさも相まって、さらに年上に見える。大学生のようだ。

 加奈子のすぐ側まで行くと、加奈子は広希に気が付いた。すぐに明るい表情になる。

 「どう広君。楽しんでる?」

 加奈子は、脇に立てた椅子の上に置いてあるパレットに、画筆を伏せながら、訊く。

 「ええ。お陰さまで。色々と勉強になります」

 「そう。それならよかった」

 加奈子は、薄手の黒ストッキングに包まれた足を組むと、こちらに顔を傾けた。ポニーテールが揺れる。

 「それで、どう?」

 「どう、と言うと?」

 「美術部に入る気になった?」

 加奈子の質問に、広希は肩をすくめて言う。

 「まだ決められないですよ」

 「私としては今すぐ頷いて欲しいんだけどなー」

 期待がこもった目が、広希を射抜く。

 「困ります。まだ待ってください」

 広希は、両手を振って、加奈子を宥めた。

 「私も架柴先輩に入部して欲しいです!」

 そう横から口を挟んだのは、最初に話をした快活な一年生だ。いつの間にか隣におり、手に血の入ったペットボトルを持っている。

 「多分、皆そう思っていますよ」

 そう言いながら、その一年生は、血を飲んだ。

 「こら美樹みき、広君の目の前でしょ」

 加奈子が、美樹と呼んだ一年生を嗜める。

 「我慢できなくて。ごめんなさいー」

 美樹は、舌を出し、惚けたように笑った。

 「僕はもう見慣れているから、気にしなくていいよ」

 広希は美樹にそう言う。だが、答えたのは、加奈子だった。

 「あら、そう。じゃあ私も頂くわ」

 加奈子は、足元のデイパックから、水筒を取り出し、蓋に注ぐ。そして、それを飲み干した。うっとりとした表情になる。

 「架柴先輩! 先輩って自分の血を人に飲ませたりするんですか?」

 美樹の不躾な質問に、広希は、面食らう。思わず息が詰まった。

 「美樹、失礼だよ」

 近くで話を聞いていたのだろう、お下げ髪の女子生徒が口を挟んでくる。

 「だって、小夜さや、気になるじゃん」

 美樹は、小夜と呼ばれたお下げの女子生徒に向かって、あっけらかんとした顔を向けた。

 「もう」

 小夜は、呆れたように言いながも、興味津々の様子は隠しきれていなかった。

 「それで架柴先輩、答えは?」

 美樹は、勢い込んで訊く。目が爛々と輝いていた。

 「飲ませないよ。今まで飲ませたこともない」

 広希は、戸惑いながら、答えた。

 「なーんだ」

 美樹は落胆した声を上げる。

 やはり、秘密協定が結ばれているクラスメイト達とは違い、他の生徒は、遠慮なく広希の血について、強い関心を寄せて来ていた。

 思えば、発覚以降、クラスメイト以外と長く接する機会はなかった。せいぜい、続々と行われている告白の時くらいだったが、それは即座に断っていたため、会話が長引くことがなかったのだ。

 だから、こうやって、自身が非感染者であることによる、質問攻めを受けるのは初体験と言えた。戸惑いが大きい。

 感染者にとって、やはり非感染者の血は、どうしようもなく魅力的なのだろう。興味を抑えることが難しいのだ。

 しかし、考えてみると、それはクラスメイト達も同様のはずである。にも関わらず、皆広希の血には関心を寄せていなかった。それは如何にクラスメイト達が気を使って、広希の血を気にしないようにしているかの証明でもあった。

 「でも広君、例えば、彼女が出来て、その人が血を飲ませてってお願いして来たら、飲ませるでしょ?」

 加奈子は、悪戯っぽい目付きで、広希の顔を覗き込む。

 広希は、加奈子の質問に、虚を突かれた気がした。これまで全く、想像もしなかった考えだった。だが、確かに、その状況は起こり得るのだ。正しくは、彼女に限らず『大切な人』からの血の要求は、いずれあるかもしれない。そうなったら、自分はどうするのだろうと思う。

 少し、想像したものの、答えは出なかった。

 「わかりませんよ」

 広希は首を振って、正直に返答する。

 「そう」

 加奈子は、立ち上がった。加奈子は、身長が高く、広希とほぼ同じだった。

 「ねえ、広君。私と付き合ってみない?」

 加奈子は、広希の肩に手を置いた。それを見ていた美樹と小夜が、同時に驚いた反応をとった。

 突然の告白を受け、広希は、息を飲む。表情を見ても、加奈子は本気だとわかる。

 広希は困った。断ろうと思うものの、これまで面識のない感染者の告白とは違い、加奈子とはすでに繋がりが出来ている。中々きっぱりと拒否し辛かった。

 困惑している広希に、加奈子は、微笑みかける。

 だが、その表情が、苦痛に歪んだ。

 誰かが、広希の肩に置いた加奈子の手を掴んだのだ。しかも、相当力を込めて。
 その手の主は、千夏だった。いつの間にか広希達の元へとやって来ていたのだ。
 千夏は、聖母のように、穏やかに微笑んでいる。

 「加奈子さん。何度言わせるんですか? 広希君に血を催促するなって釘を刺しましたよね。忘れたんですか?」

 「別に血を求めていないわ」

 加奈子の反論は、最後まで発せられなかった。途中で小さい呻き声に変わったせいだ。千夏は、握り締めている加奈子の手に、さらに力を込めたのだろう。

 「あなたが広希君に言った言葉は、血を求めることと同じでしょ? ふざけないでください」

 研ぎ澄まされた刃物のような鋭い口調に、加奈子は酷く怯んでいるようだった。後輩にもかかわらず、加奈子は千夏に頭を下げる。

 「ごめんなさい。もうやらないわ」

 加奈子の悲痛な感情が入り混じった謝罪に、千夏はようやく手を離した。千夏が握り締めていた部分が、赤くなっている。

 「あなた達も、不躾な質問はやらないこと。いい?」

 千夏は、隣で固まっている美樹と小夜に、毅然と言い放った。

 二人は、こけおどしのように、何度も頷く。

 「広希君、絵が進んだから、見て欲しいの。来てくれる?」

 打って変わって、広希には、優しそうな声で語りかけた。

 千夏はクラスメイトであり、広希の身を案じた末の助け舟であろう。と、広希はそう思った。

 しかし、抱いていたイメージとは違う千夏の言動に、面食らうばかりだった。

 広希は、大人しく千夏に付き従った。
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