35 / 49
絵
しおりを挟む
千夏の家は、木更津の富士見にあった。富士見は、木更津駅の西側に位置する地域であり、ちょうど広希の家がある祇園地区とは正反対の方向になる。
江府高校からは充分徒歩圏内だったので、千夏と共に歩いて向かう。
十分ほどで、千夏の家へと到着した。
千夏の家を見た広希は、目を丸くする。高級住宅が聳え立っていたからだ。
フランスモダンなオフホワイトの塀と、それに囲まれた広希の家の倍はある邸宅。電動と思しきガレージまで備え付けてある。
千夏が富裕層の家庭だと知ってはいたが、いざ目の当たりにすると、住む世界が違う人種なのだと実感する。病院経営とはこれほど儲かるのか。
広希が呆然と立ち竦んでいると、千夏はおかしそうに微笑み、広希の手を取った。
「中に入ろう」
広希は手を引かれながら、門扉をくぐり、敷地内に入った。
邸宅に備え付けてある玄関扉も、豪奢な木製だった。銃弾くらいなら防げそうだ。
家の中に入ると、そこで千夏は手を離す。中は、外観通りに豪華だった。ソフトモダン風の廊下に、いくつもの扉が見える。右手側には、ムク材を使ったようなシックな階段が伸びていた。階段ですら高級感が溢れているから驚きだ。
「今は誰もいないから、緊張せず、ゆっくりしてね」
千夏はローファーを脱ぎながら言った。
広希が通された先は、二階にある千夏の部屋だった。上品そうな白い壁紙に、広希の家の居間ほどもある広さ。置かれている小物類は、女の子らしく、ぬいぐるみやキャラクターグッズなど、多様なものがあった。
「そこに座って待っててね」
千夏は部屋の中央に置かれたガラステーブルを指し示し、部屋を出ていく。
広希は千夏の言葉に従い、ガラステーブルの前に置かれた、ネコのキャラクターを模したクッションの上に座る。
部屋を見渡す。隅には学習机と、その対称にピンクのベッドがある。部屋の入り口の真横にはクローゼットが敷設されていた。
やがて、千夏は、盆を持って戻ってきた。盆の上には、オレンジジュースが入った二つのグラスが載っている。
千夏はテーブルにそれを置くと、広希の正面に座った。
広希は、オレンジジュースには手を付けなかった。
広希は、ストレートに話を切り出す。
「例の油絵はどこにあるの? それを貰うためにここにきたんだけど……」
千夏はすぐには答えず、ゆっくりとオレンジジュースを飲む。そして、口を開いた。
「ねえ、前に私が話した肖像画についての知識、覚えている?」
「え? あ、ああ覚えているけど」
突然、脈絡のない話が始まり、広希は困惑する。千夏が発した、肖像画の知識とは確か、近代以前と以降では作風の趣が違うとか、芸術性がどうとかの内容だったような気がする。絵は、心のフィルターだとも言っていた。
「広希君の肖像画を描いた後、仕上げをしているとね、何か違うなって、思い始めたんだ」
千夏は、落ち着いた口調で話している。面談中の教師のような雰囲気だ。
「それでね、描き直したの。ここ数日の話」
何を話しているんだろう。広希は訝る。
そこで、千夏は、切れ長の瞳を真っ直ぐこちらに向けた。鈍い光を放つステンレス鋼を付き付けられたような、冷たい感覚が広希の全身を走る。
「……それで、絵は?」
広希は、唾を飲み込みながら訊く。何だか怖い。いざとなったら、オレンジジュースのグラスを投げ付けて逃げよう。
千夏は頷くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、学習机の影から、布に包まれた四角い板を取り出す。
キャンバスだろう。それを持ったまま、こちらに歩み寄り、広希に手渡した。
「布を解いてみて」
再度正面に座った千夏は、そう言った。
広希はキャンバスを覆っている布を外した。中の油絵が露わになる。
目に飛び込んできたのは赤色だった。前に見た、黄色とブラウンを基調にした色合いとは違い、前面を血潮のような赤色が支配していた。
描かれた自分自身の姿は以前のままだが、蛇のように赤い手が首元に伸び、そこに喰らい付いている。そして、その地点から、まるで切り裂かれたかのように、赤い絵の具が、背景へと広がっていた。
胴体も血に濡れており、ホラーめいた、おどろおどろしい絵と変貌していた。あまりにも趣味が悪い。
広希は、混迷を極めた目で、千夏を見た。
千夏は、優しげに口角を上げている。
「それが、ここ数日の、私の心の中」
広希は、再び、油絵に目を落とす。そこには、千夏の欲望が渦巻いている。エリザベート・バートリが描いたような、血染めの世界だ。
広希はキャンバスを脇に置くと、立ち上がった。もう付き合ってはいられない。きたことが、やはり間違いだったのだ。
「帰るよ。そして絵はいらない」
広希は、千夏を見下ろしながら言う。千夏は笑顔を崩さない。
広希は、部屋の扉に向かおうとした。そこで、驚くべきものを目にする。
扉の横にあるクローゼットが、独りでに開いたのだ。もちろんそんな現象は起きない。中から誰かが押し開けたのだ。
広希は目を疑った。クローゼットの中から姿を現したのは、達夫と茂だった。つまり、広希がここにくるより前に、クローゼットの中に潜んでいたことになる。
「なぜ……」
驚愕に広希が硬直していると、目の前まできた達夫が、ニヒルな笑いを浮かべた。今まで何度も見た、お馴染みの表情。
「ごめんな。広」
達夫はそう言い、茂と共に、こちらに組み付いた。
江府高校からは充分徒歩圏内だったので、千夏と共に歩いて向かう。
十分ほどで、千夏の家へと到着した。
千夏の家を見た広希は、目を丸くする。高級住宅が聳え立っていたからだ。
フランスモダンなオフホワイトの塀と、それに囲まれた広希の家の倍はある邸宅。電動と思しきガレージまで備え付けてある。
千夏が富裕層の家庭だと知ってはいたが、いざ目の当たりにすると、住む世界が違う人種なのだと実感する。病院経営とはこれほど儲かるのか。
広希が呆然と立ち竦んでいると、千夏はおかしそうに微笑み、広希の手を取った。
「中に入ろう」
広希は手を引かれながら、門扉をくぐり、敷地内に入った。
邸宅に備え付けてある玄関扉も、豪奢な木製だった。銃弾くらいなら防げそうだ。
家の中に入ると、そこで千夏は手を離す。中は、外観通りに豪華だった。ソフトモダン風の廊下に、いくつもの扉が見える。右手側には、ムク材を使ったようなシックな階段が伸びていた。階段ですら高級感が溢れているから驚きだ。
「今は誰もいないから、緊張せず、ゆっくりしてね」
千夏はローファーを脱ぎながら言った。
広希が通された先は、二階にある千夏の部屋だった。上品そうな白い壁紙に、広希の家の居間ほどもある広さ。置かれている小物類は、女の子らしく、ぬいぐるみやキャラクターグッズなど、多様なものがあった。
「そこに座って待っててね」
千夏は部屋の中央に置かれたガラステーブルを指し示し、部屋を出ていく。
広希は千夏の言葉に従い、ガラステーブルの前に置かれた、ネコのキャラクターを模したクッションの上に座る。
部屋を見渡す。隅には学習机と、その対称にピンクのベッドがある。部屋の入り口の真横にはクローゼットが敷設されていた。
やがて、千夏は、盆を持って戻ってきた。盆の上には、オレンジジュースが入った二つのグラスが載っている。
千夏はテーブルにそれを置くと、広希の正面に座った。
広希は、オレンジジュースには手を付けなかった。
広希は、ストレートに話を切り出す。
「例の油絵はどこにあるの? それを貰うためにここにきたんだけど……」
千夏はすぐには答えず、ゆっくりとオレンジジュースを飲む。そして、口を開いた。
「ねえ、前に私が話した肖像画についての知識、覚えている?」
「え? あ、ああ覚えているけど」
突然、脈絡のない話が始まり、広希は困惑する。千夏が発した、肖像画の知識とは確か、近代以前と以降では作風の趣が違うとか、芸術性がどうとかの内容だったような気がする。絵は、心のフィルターだとも言っていた。
「広希君の肖像画を描いた後、仕上げをしているとね、何か違うなって、思い始めたんだ」
千夏は、落ち着いた口調で話している。面談中の教師のような雰囲気だ。
「それでね、描き直したの。ここ数日の話」
何を話しているんだろう。広希は訝る。
そこで、千夏は、切れ長の瞳を真っ直ぐこちらに向けた。鈍い光を放つステンレス鋼を付き付けられたような、冷たい感覚が広希の全身を走る。
「……それで、絵は?」
広希は、唾を飲み込みながら訊く。何だか怖い。いざとなったら、オレンジジュースのグラスを投げ付けて逃げよう。
千夏は頷くと、ゆっくりと立ち上がった。そして、学習机の影から、布に包まれた四角い板を取り出す。
キャンバスだろう。それを持ったまま、こちらに歩み寄り、広希に手渡した。
「布を解いてみて」
再度正面に座った千夏は、そう言った。
広希はキャンバスを覆っている布を外した。中の油絵が露わになる。
目に飛び込んできたのは赤色だった。前に見た、黄色とブラウンを基調にした色合いとは違い、前面を血潮のような赤色が支配していた。
描かれた自分自身の姿は以前のままだが、蛇のように赤い手が首元に伸び、そこに喰らい付いている。そして、その地点から、まるで切り裂かれたかのように、赤い絵の具が、背景へと広がっていた。
胴体も血に濡れており、ホラーめいた、おどろおどろしい絵と変貌していた。あまりにも趣味が悪い。
広希は、混迷を極めた目で、千夏を見た。
千夏は、優しげに口角を上げている。
「それが、ここ数日の、私の心の中」
広希は、再び、油絵に目を落とす。そこには、千夏の欲望が渦巻いている。エリザベート・バートリが描いたような、血染めの世界だ。
広希はキャンバスを脇に置くと、立ち上がった。もう付き合ってはいられない。きたことが、やはり間違いだったのだ。
「帰るよ。そして絵はいらない」
広希は、千夏を見下ろしながら言う。千夏は笑顔を崩さない。
広希は、部屋の扉に向かおうとした。そこで、驚くべきものを目にする。
扉の横にあるクローゼットが、独りでに開いたのだ。もちろんそんな現象は起きない。中から誰かが押し開けたのだ。
広希は目を疑った。クローゼットの中から姿を現したのは、達夫と茂だった。つまり、広希がここにくるより前に、クローゼットの中に潜んでいたことになる。
「なぜ……」
驚愕に広希が硬直していると、目の前まできた達夫が、ニヒルな笑いを浮かべた。今まで何度も見た、お馴染みの表情。
「ごめんな。広」
達夫はそう言い、茂と共に、こちらに組み付いた。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】ホラー短編集「隣の怪異」
シマセイ
ホラー
それは、あなたの『隣』にも潜んでいるのかもしれない。
日常風景が歪む瞬間、すぐそばに現れる異様な気配。
襖の隙間、スマートフォンの画面、アパートの天井裏、曰く付きの達磨…。
身近な場所を舞台にした怪異譚が、これから続々と語られていきます。
じわりと心を侵食する恐怖の記録、短編集『隣の怪異』。
今宵もまた、新たな怪異の扉が開かれる──。
視える僕らのシェアハウス
橘しづき
ホラー
安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。
電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。
ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。
『月乃庭 管理人 竜崎奏多』
不思議なルームシェアが、始まる。
呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~
ひろ
ホラー
二年前、何者かに妹を殺された―――そんな凄惨な出来事以外、主人公の時坂優は幼馴染の小日向みらいとごく普通の高校生活を送っていた。しかしそんなある日、唐突に起こったクラスメイトの不審死と一家全焼の大規模火災。興味本位で火事の現場に立ち寄った彼は、そこでどこか神秘的な存在感を放つ少女、神崎さよと名乗る人物に出逢う。彼女は自身の身に宿る〝霊力〟を操り不思議な力を使うことができた。そんな現実離れした彼女によると、件の火事は呪いの力による放火だということ。何かに導かれるようにして、彼は彼女と共に事件を調べ始めることになる。
そして事件から一週間―――またもや発生した生徒の不審死と謎の大火災。疑いの目は彼の幼馴染へと向けられることになった。
呪いとは何か。犯人の目的とは何なのか。事件の真相を追い求めるにつれて明らかになっていく驚愕の真実とは―――
終焉列島:ゾンビに沈む国
ねむたん
ホラー
2025年。ネット上で「死体が動いた」という噂が広まり始めた。
最初はフェイクニュースだと思われていたが、世界各地で「死亡したはずの人間が動き出し、人を襲う」事例が報告され、SNSには異常な映像が拡散されていく。
会社帰り、三浦拓真は同僚の藤木とラーメン屋でその話題になる。冗談めかしていた二人だったが、テレビのニュースで「都内の病院で死亡した患者が看護師を襲った」と報じられ、店内の空気が一変する。
怪奇蒐集帳(短編集)
naomikoryo
ホラー
この世には、知ってはいけない話がある。
怪談、都市伝説、語り継がれる呪い——
どれもがただの作り話かもしれない。
だが、それでも時々、**「本物」**が紛れ込むことがある。
本書は、そんな“見つけてしまった”怪異を集めた一冊である。
最後のページを閉じるとき、あなたは“何か”に気づくことになるだろう——。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/1/23:『でんとう』の章を追加。2026/1/30の朝頃より公開開始予定。
2026/1/22:『たんじょうび』の章を追加。2026/1/29の朝頃より公開開始予定。
2026/1/21:『てがた』の章を追加。2026/1/28の朝頃より公開開始予定。
2026/1/20:『ものおと』の章を追加。2026/1/27の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/19:『みずのおと』の章を追加。2026/1/26の朝4時頃より公開開始予定。
2026/1/18:『あまなつ』の章を追加。2026/1/25の朝8時頃より公開開始予定。
2026/1/17:『えれべーたー』の章を追加。2026/1/24の朝8時頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる