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第一章 初めてのぬくもり
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湊が眠れなくなったのは、冬が近づき始めた頃だった。『Veil』を出して以来、『Port』には新作が生まれていない。制作を焦るほどにうまくいかず、睡眠不足で体の不調が無視できなくなっていた。アロマやヒーリングミュージックを試したが、改善はされなかった。睡眠外来にかかったことはあるが、医師に会うという行為に緊張してしまってあまり効果はなかった。出された薬も体に合わず、副作用が出てやめてしまった。
昼過ぎにはベッドに入ったが、横になっているだけで眠気はやってこない。藁にもすがる思いでスマートフォンを手に取る。何かいい方法がないかと検索していると、『添い寝屋』という言葉がヒットした。言葉の通り、スタッフが添い寝サービスをしているらしい。知らない人間が横にいたら余計に眠れるわけがない。それに何だか怪しい。ページを閉じようとしたが、体験談が目に入った。
「抱き締められて安心した」
「人の体温に触れて久しぶりに眠れた」
「ただ寄り添って話を聞いてくれた」
何をしても眠れなかった人が眠れたという書き込みを見ると、湊にも淡い期待が生まれた。少し見るだけならと詳しく店舗を探し始める。そこで『添い寝屋ぬくもり』に辿り着いた。自然なトーンのホームページは名前の通り温かさと清潔さが感じられた。スタッフは全員研修を受けていると書かれており、安心感がある。何より他と違ったのは、訪問サービスがあったことだ。自宅に人を招くのは抵抗があったが、もともと自室でないと寝つきが悪い。店舗を訪れても眠れない気がしていた。自宅に来てくれるなら、一度くらい試してもいいかもしれない。
もし頼むことになるとしたら、とスタッフ一覧を眺める。顔は映っていないが雰囲気の分かる写真と紹介文が何名分か並んでいた。その中で陽だまりのような写真にスクロールの指が止まる。明るい茶色の髪が陽の光に透けてそう思えたのだろう。寝具のそばに座り、カップを差し出す青年が写っている。目は伏せられているが横顔から優しげな空気が伝わってきた。彼の持っているカップの温かさまで感じられる。プロフィール欄には店からスタッフの紹介と、スタッフ自身のコメントが載っていた。
「元保育士。聞き上手で、リピーター様からの指名も多数。」
「お客さまが安心して眠れるよう、そばにいます。強くなれない日があっても、大丈夫。眠ることで、少しだけ力が戻ってきますように」
スタッフ名は『悠(ゆう)』。読み終える頃には添い寝サービスを躊躇していたことも忘れ、彼を指名しようという気持ちになっていた。この人なら安心できると直感が告げている。もしも眠れなかったとしても、少し楽になれるのではないかと思えた。
ベッドにいてもどうせ眠れないのだからと、その日のうちに『添い寝屋ぬくもり』に連絡を取った。店舗に行って面談と審査を受けると、睡眠外来にかかったことがあるということで訪問サービスが認められた。通常は二時間までが限度だが、不眠症など特別な事情があれば深夜対応や長時間利用も可能だという。湊は特別対応の対象者だった。
サービスの利用方法や注意事項の説明を受け、いつから眠れないか、どんな体験を希望しているかのカウンセリングを受ける。
「何か気を付けてほしいことはありますか。例えばスタッフの距離感や、音に過敏とか」
カウンセリング担当者に聞かれる。そう言われてもまだ想像が付かずにうまく答えられない。それでもひとつ気にかかることがあった。
「……匂いに、敏感で。強い香水など付けないでいただけると……」
どこまで要望を出していいのか分からず、控えめに伝える。担当者は丁寧に書き留めてくれた。理由を聞くことなく受け入れられて安心する。
「ホームページを見てくださったようですが、希望のスタッフはいますか?」
きちんと向き合ってくれているのが伝わり、素直に答えることができた。
「悠さんという方が気になって、指名したいと思っています」
湊の希望を伝えると、担当者は一週間以内で悠が空いている日を教えてくれた。
*
数日後、ついに予約した日がやってきた。時間が近付き、湊は落ち着かない気持ちでインターホンが鳴るのを待っていた。やがて来訪を告げる音が鳴り、湊は緊張と期待に胸を高鳴らせて扉を開く。冷たい冬の夜が流れ込んできた。それなのに、そこに立っていた青年は温かな春の陽射しを纏っているようだった。
「こんばんは。『ぬくもり』の悠です」
ホームページで見た通りの優しげな人だった。垂れ気味の瞳は大きく、顔立ちが幼く見える。実際湊よりも歳下だろう。元保育士と書いてあったのでそんなわけはないが、言われなければ大学生と間違えそうだった。悠の声は穏やかで、挨拶の一言だけで安心できる人だと思えた。初めて会ったはずなのに、どことなく懐かしさを感じる。
「湊です。よろしくお願いします」
招き入れると、悠は丁寧に靴を揃えて上がった。
「洗面所をお借りしてもいいですか。ちゃんと手洗いうがい、しますね」
悠はにこやかに言って両手を広げてみせた。意外だったのは、悠が湊よりも上背があり手のひらも大きいことだった。写真の印象ではもっと小柄だと思っていた。
「こっちです。好きに使ってください」
自宅に誰かが入るのは一年ぶりだった。ぎこちなく案内すると、悠は礼を言って丁寧に手を洗い始めた。リビングで待っていると悠はハンドソープの香りをさせて戻ってきた。湊の愛用するホワイトムスクが悠の優しく清潔な雰囲気に似合っていた。
昼過ぎにはベッドに入ったが、横になっているだけで眠気はやってこない。藁にもすがる思いでスマートフォンを手に取る。何かいい方法がないかと検索していると、『添い寝屋』という言葉がヒットした。言葉の通り、スタッフが添い寝サービスをしているらしい。知らない人間が横にいたら余計に眠れるわけがない。それに何だか怪しい。ページを閉じようとしたが、体験談が目に入った。
「抱き締められて安心した」
「人の体温に触れて久しぶりに眠れた」
「ただ寄り添って話を聞いてくれた」
何をしても眠れなかった人が眠れたという書き込みを見ると、湊にも淡い期待が生まれた。少し見るだけならと詳しく店舗を探し始める。そこで『添い寝屋ぬくもり』に辿り着いた。自然なトーンのホームページは名前の通り温かさと清潔さが感じられた。スタッフは全員研修を受けていると書かれており、安心感がある。何より他と違ったのは、訪問サービスがあったことだ。自宅に人を招くのは抵抗があったが、もともと自室でないと寝つきが悪い。店舗を訪れても眠れない気がしていた。自宅に来てくれるなら、一度くらい試してもいいかもしれない。
もし頼むことになるとしたら、とスタッフ一覧を眺める。顔は映っていないが雰囲気の分かる写真と紹介文が何名分か並んでいた。その中で陽だまりのような写真にスクロールの指が止まる。明るい茶色の髪が陽の光に透けてそう思えたのだろう。寝具のそばに座り、カップを差し出す青年が写っている。目は伏せられているが横顔から優しげな空気が伝わってきた。彼の持っているカップの温かさまで感じられる。プロフィール欄には店からスタッフの紹介と、スタッフ自身のコメントが載っていた。
「元保育士。聞き上手で、リピーター様からの指名も多数。」
「お客さまが安心して眠れるよう、そばにいます。強くなれない日があっても、大丈夫。眠ることで、少しだけ力が戻ってきますように」
スタッフ名は『悠(ゆう)』。読み終える頃には添い寝サービスを躊躇していたことも忘れ、彼を指名しようという気持ちになっていた。この人なら安心できると直感が告げている。もしも眠れなかったとしても、少し楽になれるのではないかと思えた。
ベッドにいてもどうせ眠れないのだからと、その日のうちに『添い寝屋ぬくもり』に連絡を取った。店舗に行って面談と審査を受けると、睡眠外来にかかったことがあるということで訪問サービスが認められた。通常は二時間までが限度だが、不眠症など特別な事情があれば深夜対応や長時間利用も可能だという。湊は特別対応の対象者だった。
サービスの利用方法や注意事項の説明を受け、いつから眠れないか、どんな体験を希望しているかのカウンセリングを受ける。
「何か気を付けてほしいことはありますか。例えばスタッフの距離感や、音に過敏とか」
カウンセリング担当者に聞かれる。そう言われてもまだ想像が付かずにうまく答えられない。それでもひとつ気にかかることがあった。
「……匂いに、敏感で。強い香水など付けないでいただけると……」
どこまで要望を出していいのか分からず、控えめに伝える。担当者は丁寧に書き留めてくれた。理由を聞くことなく受け入れられて安心する。
「ホームページを見てくださったようですが、希望のスタッフはいますか?」
きちんと向き合ってくれているのが伝わり、素直に答えることができた。
「悠さんという方が気になって、指名したいと思っています」
湊の希望を伝えると、担当者は一週間以内で悠が空いている日を教えてくれた。
*
数日後、ついに予約した日がやってきた。時間が近付き、湊は落ち着かない気持ちでインターホンが鳴るのを待っていた。やがて来訪を告げる音が鳴り、湊は緊張と期待に胸を高鳴らせて扉を開く。冷たい冬の夜が流れ込んできた。それなのに、そこに立っていた青年は温かな春の陽射しを纏っているようだった。
「こんばんは。『ぬくもり』の悠です」
ホームページで見た通りの優しげな人だった。垂れ気味の瞳は大きく、顔立ちが幼く見える。実際湊よりも歳下だろう。元保育士と書いてあったのでそんなわけはないが、言われなければ大学生と間違えそうだった。悠の声は穏やかで、挨拶の一言だけで安心できる人だと思えた。初めて会ったはずなのに、どことなく懐かしさを感じる。
「湊です。よろしくお願いします」
招き入れると、悠は丁寧に靴を揃えて上がった。
「洗面所をお借りしてもいいですか。ちゃんと手洗いうがい、しますね」
悠はにこやかに言って両手を広げてみせた。意外だったのは、悠が湊よりも上背があり手のひらも大きいことだった。写真の印象ではもっと小柄だと思っていた。
「こっちです。好きに使ってください」
自宅に誰かが入るのは一年ぶりだった。ぎこちなく案内すると、悠は礼を言って丁寧に手を洗い始めた。リビングで待っていると悠はハンドソープの香りをさせて戻ってきた。湊の愛用するホワイトムスクが悠の優しく清潔な雰囲気に似合っていた。
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