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エピローグ
エピローグ
恋人となった悠を、湊は自宅に招いていた。悠は新しく仕事を探す多忙な日々の中でも、湊から連絡があると二つ返事で来てくれる。悠は今度こそ子供たちともっと深く関われるように、家庭に問題を抱えた子どもたちの助けになれるような仕事を見つけたいと話していた。
湊が緊張の面持ちで悠を待っているのには理由がある。ついに、新作の香水が完成したのだ。名前は『ひだまり』。表記はローマ字で『HIDAMARI』としたが、ブランドで初めての和名だった。もちろん悠をイメージして作った『安らぎ』がコンセプトの香水だった。
トップノートにカモミールとグリーンアップル。ミドルノートにすずらんとキンモクセイ。ラストノートにホワイトムスクとシダーウッド。そして、最後にムスクをほんの少し加えた。
ムスクは『Veil』にも使われていた。媚薬のような甘く重たい余韻は、湊をいつも過去の記憶へと引き戻していた。『Veil』に使われた香料は意図的に避けていたのだが、悠と繋がった時に気がついた。過去さえ包み込む悠の優しさなら、ムスクも毒にはならない。むしろ長続きする穏やかな香りは肌馴染みがよく、深い夜を共に過ごすお守りになる。湊が過去を受け入れ、自ら避けていた香料を選び取れた時、香水はようやく完成した。
悠はどんな顔をするだろう。気に入ってくれるだろうかという不安と、やっと悠に見せられるという期待で胸が高鳴る。落ち着かない思いで待っていると、悠は約束の時間通りにやってきた。
「実は、新作ができたんだ」
湊が早速打ち明けると、悠の顔に喜びが広がっていく。
「おめでとうございます!」
明るい声に湊まで笑顔になる。自分のことのように祝福してくれる姿に胸が温かくなった。
「悠くんに、試してほしい」
いつか新作ができたらつけてほしいと伝えたのを、悠は覚えていた。身構えた顔で頷くので、緊張することはないのにと笑ってしまう。
「俺つけたことないので、お任せしますね」
そう言って人形のように両手を広げてさあどうぞと差し出す仕草がおかしい。湊がくすくすと笑うのを、悠は緩んだ顔で見守っていた。
悠の手を取り、初めての香水を手首に乗せる。雫が触れる瞬間、手が震えそうになった。悠に初めて香水をつけるのは自分がいいと思っていた。その願いが今叶おうとしている。悠の肌に香水が触れると、ふわりとトップノートが立ち上がった。その香りに、湊は感慨深く目を細めた。ずっとこの時を夢に見ていた。悠を思って作られた香水は、悠が一番よく似合った。
「なんだか、安心します」
悠はゆっくりと深呼吸をして、柔らかな声を出した。角のない丸い声音は眠りに落ちる前のようで、悠の心拍が落ち着いているのが伝わってくる。
「湊さんらしい匂いですね。あったかくて、優しくて」
続く悠の言葉に湊は驚いて声が出せなかった。自分らしい香りなんてもう分からなくなっていた。『湊らしい』という表現は、従順であるという意味で、今まで自分を否定するために使われてきた。悠が優しく言った言葉は違っている。悠にとって湊はこんな香りなのかと信じられない気持ちだった。だってこれは、悠自身を表した香りなのだ。
湊の持っている香水瓶は、柔らかい曲線を描いた透明なガラス製で、中には薄黄色の液体が揺れていた。照明に透かすと、まるで春のひだまりのように優しく光を放っていた。そのボトルの底に書いてある文字を、悠に差し出す。よく見なければ気が付かない場所に、『for you』の刻印がされていた。
「これは、眠れない夜を過ごす『あなた』に。そして、『悠』くんに、作った香水だよ」
見開かれた悠の瞳に『ひだまり』がキラキラと反射する。ずっと悠のことを思って作っていたと知り、頬が紅潮していく。照れくさそうに口元を押さえ、鼻先に広がった香りに柔く目元を溶けさせた。
「湊さんと過ごした夜を、思い出したんです。一緒に寝ていた時のこと……」
添い寝屋として隣にいた頃がずいぶん昔に思えた。悠は遠くを見るような目をする。湊は目の奥が熱くなるのを感じていた。この香水瓶には、まさにその時間が閉じ込められていた。湊の感じた『安らぎ』の時間。それを悠も、同じように感じていたなんて。二人はあの頃から時間も思いも共有していた。湊が救われたあの夜は、悠にとっても安らぎになっていた。
「……ありがとう、悠くん」
香水瓶を受け取ったのは悠の方なのに、礼を言われて不思議そうに首を傾げていた。悠にどれだけのものを貰っているか、言葉では言い表せない。悠の纏う『ひだまり』は、湊がずっと探していた香りだった。
やがてこの『HIDAMARI』は、『Port』の新たな看板商品となる。不眠に効く安らぎの香りとして評判が広がり、多くの人のそばにお守りのように置かれることになる。売り上げナンバーワンが『Veil』から変わる日も近いかもしれない。
まだそんな未来が訪れるとは知らず、湊は悠の腕の中で幸福を噛み締めていた。ラストノートが消えるまで、悠自身の香りに戻っても、朝まで離れるつもりはなかった。安心しきった寝顔が寄り添っている。調香師は今夜もよく眠れる。
湊が緊張の面持ちで悠を待っているのには理由がある。ついに、新作の香水が完成したのだ。名前は『ひだまり』。表記はローマ字で『HIDAMARI』としたが、ブランドで初めての和名だった。もちろん悠をイメージして作った『安らぎ』がコンセプトの香水だった。
トップノートにカモミールとグリーンアップル。ミドルノートにすずらんとキンモクセイ。ラストノートにホワイトムスクとシダーウッド。そして、最後にムスクをほんの少し加えた。
ムスクは『Veil』にも使われていた。媚薬のような甘く重たい余韻は、湊をいつも過去の記憶へと引き戻していた。『Veil』に使われた香料は意図的に避けていたのだが、悠と繋がった時に気がついた。過去さえ包み込む悠の優しさなら、ムスクも毒にはならない。むしろ長続きする穏やかな香りは肌馴染みがよく、深い夜を共に過ごすお守りになる。湊が過去を受け入れ、自ら避けていた香料を選び取れた時、香水はようやく完成した。
悠はどんな顔をするだろう。気に入ってくれるだろうかという不安と、やっと悠に見せられるという期待で胸が高鳴る。落ち着かない思いで待っていると、悠は約束の時間通りにやってきた。
「実は、新作ができたんだ」
湊が早速打ち明けると、悠の顔に喜びが広がっていく。
「おめでとうございます!」
明るい声に湊まで笑顔になる。自分のことのように祝福してくれる姿に胸が温かくなった。
「悠くんに、試してほしい」
いつか新作ができたらつけてほしいと伝えたのを、悠は覚えていた。身構えた顔で頷くので、緊張することはないのにと笑ってしまう。
「俺つけたことないので、お任せしますね」
そう言って人形のように両手を広げてさあどうぞと差し出す仕草がおかしい。湊がくすくすと笑うのを、悠は緩んだ顔で見守っていた。
悠の手を取り、初めての香水を手首に乗せる。雫が触れる瞬間、手が震えそうになった。悠に初めて香水をつけるのは自分がいいと思っていた。その願いが今叶おうとしている。悠の肌に香水が触れると、ふわりとトップノートが立ち上がった。その香りに、湊は感慨深く目を細めた。ずっとこの時を夢に見ていた。悠を思って作られた香水は、悠が一番よく似合った。
「なんだか、安心します」
悠はゆっくりと深呼吸をして、柔らかな声を出した。角のない丸い声音は眠りに落ちる前のようで、悠の心拍が落ち着いているのが伝わってくる。
「湊さんらしい匂いですね。あったかくて、優しくて」
続く悠の言葉に湊は驚いて声が出せなかった。自分らしい香りなんてもう分からなくなっていた。『湊らしい』という表現は、従順であるという意味で、今まで自分を否定するために使われてきた。悠が優しく言った言葉は違っている。悠にとって湊はこんな香りなのかと信じられない気持ちだった。だってこれは、悠自身を表した香りなのだ。
湊の持っている香水瓶は、柔らかい曲線を描いた透明なガラス製で、中には薄黄色の液体が揺れていた。照明に透かすと、まるで春のひだまりのように優しく光を放っていた。そのボトルの底に書いてある文字を、悠に差し出す。よく見なければ気が付かない場所に、『for you』の刻印がされていた。
「これは、眠れない夜を過ごす『あなた』に。そして、『悠』くんに、作った香水だよ」
見開かれた悠の瞳に『ひだまり』がキラキラと反射する。ずっと悠のことを思って作っていたと知り、頬が紅潮していく。照れくさそうに口元を押さえ、鼻先に広がった香りに柔く目元を溶けさせた。
「湊さんと過ごした夜を、思い出したんです。一緒に寝ていた時のこと……」
添い寝屋として隣にいた頃がずいぶん昔に思えた。悠は遠くを見るような目をする。湊は目の奥が熱くなるのを感じていた。この香水瓶には、まさにその時間が閉じ込められていた。湊の感じた『安らぎ』の時間。それを悠も、同じように感じていたなんて。二人はあの頃から時間も思いも共有していた。湊が救われたあの夜は、悠にとっても安らぎになっていた。
「……ありがとう、悠くん」
香水瓶を受け取ったのは悠の方なのに、礼を言われて不思議そうに首を傾げていた。悠にどれだけのものを貰っているか、言葉では言い表せない。悠の纏う『ひだまり』は、湊がずっと探していた香りだった。
やがてこの『HIDAMARI』は、『Port』の新たな看板商品となる。不眠に効く安らぎの香りとして評判が広がり、多くの人のそばにお守りのように置かれることになる。売り上げナンバーワンが『Veil』から変わる日も近いかもしれない。
まだそんな未来が訪れるとは知らず、湊は悠の腕の中で幸福を噛み締めていた。ラストノートが消えるまで、悠自身の香りに戻っても、朝まで離れるつもりはなかった。安心しきった寝顔が寄り添っている。調香師は今夜もよく眠れる。
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