トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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中里修二の回想①

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亜里沙ありさ、小腹が減ってないかい? お茶にしようか」
「……うん。ありがとう、お父さん」
「じゃあ、用意してくるね。ちょっと待ってて」
 
 部屋の外の廊下からドア越しに声を掛けた修二しゅうじ
 部屋の中から聞こえてきた亜里沙……由依香ゆいかと呼ばれていた娘の声は元気がなさそうに思えた。
 それはそうかと、ため息をつく。
 
 もう1週間以上、部屋に閉じこもっている状態だ。
 誰だって気は滅入るだろう。
 正直、修二自身も、まるで夢の中にいるかのように、フワフワした現実味のない感覚の中にいる。
 
 なんでこんなことになってしまったのか。
 少し前までは17年ぶりに本当の娘と過ごせることの幸福感に包まれていたのに。
 
 考えてみれば、阿比留あびるに依頼した時点で運命の歯車は狂っていたのかもしれない。
 いや、運命の歯車はすでに17年前の入れ替えのときから狂ってしまっていたのだろう。
 
 修二はキッチンでお湯を沸かしながら、お茶菓子を用意していく。
 手を動かしながらの方が、考えがまとまるタイプの修二は頭を振って、思考を切り替える。
 
 考えるべきは過去のことではなく、これからのことだ。
 ずっとここにいるわけにもいかない。
 じきに警察にもここを見つけられるだろう。
 
 いや、もしかすると桐ケ谷きりがや沙都希さつきがここを嗅ぎつけているかもしれない。
 おそらく、あの死体は本当の自分の娘だと気づいているはずだ。
 
 お湯が沸いたので、コーヒーが入ったカップに注いでいく。
 亜里沙のにはミルクと砂糖を入れる。
 
 17年間、自分の娘だと思い込んでいた女の子が、実は血の繋がらない人間だと気づいたとき、警察に相談していれば、結果は違ったのだろうか。
 
 いや、そうとは思えない。
 そんな小さな事件など、警察は本気で取り合ってはくれない。
 実際、相談に行った際に、適当にあしらわれている。
 
 じゃあ、どうすればよかったのだろうか。
 
 亜里沙を……いや、あの子を自分の娘だと言い聞かせ、育て続けるべきだったのか。
 いや、それはあり得ない。
 
 修二はため息をついて、無意識にコーヒーを口に運ぶ。
 
 亜里沙は亜衣加の忘れ形見だ。
 諦めるなんてあり得ない、と修二は強く思う。
 
 どんなに時間と金がかかっても見つけると誓った。
 現にそれで亜里沙を見つけ出すことに成功したのだ。
 
 だが、その代償は大きかった。
 一人の人間を殺し、一人の女の子を死に追いやってしまったのだ。
 
 父親が娘と一緒に暮らしたいと思うことが、そんなにも悪いことなのだろうか。
 最愛の人を亡くし、その人が残してくれた娘と一緒に過ごしたい、ただそれだけだったのに。
 
 修二には自分の破滅がわかっていた。
 もう、会社は手放さないとならないどころか、そもそも警察に捕まり服役することになるだろう。
 
 それまで、ほんの少しの時間を亜里沙と過ごしたい。
 ただ、それだけだった。
 
 本当にこの17年間は地獄そのものだったと思う。
 だが、亜里沙と過ごした2ヶ月は、その17年間分の幸せを貰ったような気がしていた。
 
 亜里沙には亜衣加あやかの面影がある。
 亜里沙を亜衣加に会わせてあげたかった。
 お墓に連れて行ってあげたかったが、今、外に出るわけにはいかない。
 
 亜衣加、俺はどうすればいいんだ?
 
 修二はすでに空になっているカップをさらに傾けた。
 
 
 
「亜衣加。何も言わず、俺と別れてくれ」
「ヤダ!」
 
 23歳の頃、修二は亜衣加に別れを告げようとした。
 だが、亜衣加は頑なに別れてくれない。
 
「あのさあ、何回言わせるわけ? 苦しいときこそ支えるのが妻の役目でしょ!」
「あー、いや、まだ結婚するとまでは言ってないぞ?」
「はあ? この期に及んで、ヤリ捨てする気?」
「いや、ヤリ捨てって……」
「でも、そうなるじゃん」
「まあ、そうだけどさ」
 
 亜衣加は修二の頬をぎゅっとつねる。
 
「いててて!」
「どうせ、起業したいとかそんなとこでしょ?」
「え? なんで知ってるんだ?」
「やっぱり……。あれでしょ? もし、失敗したら多額の借金を背負うことになるから、別れてくれ、なんて言ってるんでしょ?」
「うっ……」
「あんたと何年、付き合ってると思ってるのよ。バレバレだっての!」
「すげー、苦労させることになるぞ?」
「その分、すごーーーく、幸せにしてよ」
 
 亜衣加のこの言葉で修二は吹っ切れた。
 そう。失敗しなければいいだけだ。
 絶対に亜衣加を幸せにする。
 
 その決意を胸に、1ヶ月後、修二は亜衣加にプロポーズした。
 
 
 結婚して3年が過ぎた頃、亜衣加が身ごもった。
 最初は正直、戸惑った。
 この状況で子供を育てることができるだろうか、と。
 
「最近さー、この貧乏生活にも慣れてきたと思うんだよね」
 
 亜衣加が得意げに笑って言う。
 確かに、亜衣加のやりくりは驚くほど上手かった。
 どうやっているのかわからないが、食費を始め、生活費がかなり節約されている。
 
 会社はまだまだ安定していなく、給料が少なくても苦にならないくらいだった。
 
「だから、難易度をちょっと上げたいんだよね」
 
 思わず修二は笑ってしまった。
 子供を産んで育てることを、ちょっとの難易度と言ってのけたのだ。
 
「……亜衣加。ありがとう」
「この子も、ちゃんと幸せにしてね」
「任せろ!」
 
 
 それからの日々はすぐに過ぎ去っていった。
 身重でありながらも、今までと変わらない家事をする亜衣加に、修二は驚きっぱなしだった。
 
「まあ、手を抜くところはちゃんと抜いてるんだけどね」
 
 そう言って笑う亜衣加はすっかり母親の顔になっていた。
 
 修二は、出産の予定日が1ヶ月を切った頃、亜衣加を山城病院に入院させることにした。
 亜衣加はギリギリまで家にいると言ったが、そうなると頑張り過ぎるので、無理やり入院させたのだ。
 
「同室にね、沙都希ちゃんって言って、可愛い子がいるんだよ。高校生みたいな顔しててさ、私、なんだかお姉さんになった気分」
 
 亜衣加は一人っ子で、ずっと妹に憧れていた。
 なので、同室の沙都希のことを妹がいたらこんな感じかと言って、可愛がっているようだった。
 
 修二が見舞いに行くと、亜衣加は妙に大人っぽく振舞っていたのが、なんだか可愛くて笑ってしまった。
 逆に沙都希の方が雰囲気的に大人のように見えたほどだ。
 
 出産の予定日が近づくにつれて、会社の業績も上がっていっていた。
 まるで生まれてくる子供に対して、準備が出来ていくように。
 
 修二は何としても出産には立ち会うつもりだった。
 そのために、毎日夜遅くまで仕事をして、出産予定日の前後は休めるようにスケジュールを立てていた。
 
 そんなある日のこと。
 大口の契約が決まる会議の前に、突然、病院から電話がかかってきた。
 亜衣加が産気づいたのだという。
 
 予定日はまだ先だったはずなのに。
 さらに、会議の後は接待があるため、今日中には病院に行けそうにもない。
 
 修二はすぐに思考を切り替える。
 出産に立ち会えないのは残念だが、生まれてからあの子を幸せにするため、今は仕事に集中しよう、と。
 
 車に乗り、相手の会社へ向かう。
 その途中、ラジオではオージーモールの火災事故のニュースが流れていた。
 
 
 
「……どういうことですか?」
「それが……我々も手を尽くしたのですが」
 
 次の日の朝。
 修二は亜衣加と子供に会えると心を躍らせて山城やましろ病院にやってきた。
 
 大口の受注のため、打ち合わせが終わった後は接待で深夜まで飲んでいた修二。
 家に着いたときには深夜の2時近くだった。
 この時間から病院に行くわけにはいけない。
 なので、朝まで待ってから病院を訪れたというわけだ。
 
 出産に立ち会えなかった代わりに、大口の仕事の受注でかなりの利益を上げられるというのを土産に2人に会いに来た。
 
 しかし、受付で中里だと名乗ると、別室に通された。
 修二は早く2人に会いたいと思っていたので、少しイライラして医師を待つ。
 
 そして、医師がやってきて、言ったことが「亜衣加が死んだ」ということだった。
 
 最初、修二は医師が何を言っているのかわからなかった。
  
 ――死んだ?
 
 俺は生まれた子供を見に来たはずだ。
 つい数日前、亜衣加は元気に笑っていた。
 生まれてくる子供について、どうやって育てるかを嬉しそうに語っていたのだ。
 亜衣加には持病なんてない。
 お腹の中の子供も順調に育っていると言っていた。
 
 それがどうして?
 
「亜衣加さんの死因としては……」
 
 医師が長々と話していたが、まったく頭に入ってこなかった。
 頭の中は真っ白で、思考が全くできない。
 まるで夢の中にいるような、そんな不思議な感覚だった。
 
 悪い夢。
 そう言われた方が、よっぽど納得できた。
 
「お子さんに会われますか?」
 
 不意に説明に立ち会っていた看護師が言った。
 その言葉で修二の意識はかろうじて、現実に戻ってくる。
 
「あ、はい……。会わせてください……」
 
 修二の口から出た言葉は途切れそうなほどかすれていた。
 
 
 修二は何度も看護師に確認した。
 本当にこの子が自分と亜衣加の子供なのか、と。
 
「ええ。そうです」
 
 修二は我が子を見下ろす。
 その子は上唇がパックリと割れていた。
 医師の言うには口唇口蓋裂《こうしんこうがいれつ》というものなのだという。
 手術をすれば治ると言っていた。
 
 子供には悪いが、修二には生まれてきてくれたことに全く感動しなかった。
 それどころか、この子のせいで亜衣加が死んだと考えると、憎しみさえ芽生える。

 修二にとって、子供よりも亜衣加の存在の方が大きかった。
 大き過ぎた。
 
 心がマヒするほどに。
 いや、心をマヒさせなければ壊れていたかもしれない。
 
 その後のことは修二自身、ほとんど覚えていない。
 亜衣加の葬式を上げ、お墓に入れた。
 あっという間に49日を迎え、1周忌が過ぎ去っていった。
 
 その間、亜里沙をどうやって育てていたのかが思い出せない。
 覚えていることといえば、仕事に夢中になっていたことだけだ。
 
 おそらく、社員の人間が気を利かせて面倒を見てくれたのだろう。
 大げさではなく、そうでなければ亜里沙は死んでいたはずだ。
 そのくらい、修二は亜里沙に向き合おうとしなかった。
 
 亜衣加の1周忌、つまりは亜里沙の誕生日に社員の1人に家政婦を付けたらどうかと提案された。
 その頃には会社は軌道に乗り、金銭的にかなり余裕が出来ていた。
 家も新しく、広いところに引っ越している。
 修二はその社員の言う通り、家政婦を雇った。
 そして、その家政婦にすべてを任せ、仕事に没頭した。
 
 だから、亜里沙が初めて立ち上がったことも、しゃべったことも全く覚えていない。
 家政婦から何か必要な物があると言われれば、お金を渡していた。
 
 幸い、家政婦は亜里沙を可愛がってくれ、仕事の時間以上にも面倒を見てくれた。
 本当にその家政婦には感謝しかないと思っていた。
 
 そして、亜里沙が3歳になったときだ。
 
「手術は受けさせてあげないんですか?」
 
 その家政婦の言葉に、最初はなんのことかわからなかった。
 
「……早めに受けさせた方がいいと聞いたんですけど」
 
 そのとき、口唇口蓋裂のことを思い出した。
 修二は家政婦に病院探しと手続きをお願いできないかと頼み込んだ。
 
 それから数ヶ月後、亜里沙の手術は行われ、避けていた唇は塞がれた。
 だが、時間が経っていたことと、縫合が上手くいかなかったのか、うっすらと傷口が見えてしまっている。
 
 そして、亜里沙が小学校に入学する年。
 長年、仕えてくれた家政婦は仕事を辞めて隠居するということで、家に来なくなった。
 
 家政婦が家に来る最後の日。
 亜里沙が家政婦にすがりつき、ずっと泣いていた。
 さらに亜里沙はその家政婦の家の子供になる、なんてことも言い出す。
 
 そのときは、そんなことできるわけないだろうと苦笑いをした。
 だが、修二の本心ではそれもいいかもな、と無意識に考えていた。
 
 そして、家政婦が家に来なくなって1ヶ月後。
 
 家事の全てを家政婦に任せていたせいで、修二は家のことが全くわからなかった。
 何がどこに置いてあるのか、全然わからない。
 
 そして、なにより……。
 
 亜里沙が生まれてから、亜里沙とほとんど話したことがないことに気づいたのだった。
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