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爺婆の戦国レシピ
爺婆の戦国レシピ
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「名無しシリーズ甚兵衛さん」
「爺婆の戦国時代のレシピ」
原作者 筑波太郎
夫婦とは不思議だ、面白い、、、夫婦とは長くやっていると、いつも一緒にいるので、空気のような感じがしてしまう、、、いつもいるので、透明人間のような、、、有難みが薄く、それが普通の夫婦のような感じがする、夫婦とは片方が居なくなって、初めて「大切さ」「必要さ」「大事な人」気が付くようだ。
それが夫婦のようなもの、、、、
そんなことで夫婦関係は始末が悪い。
早く気が付き、精神的にも肉知的にも元気で、健全な内に出きればいいような、、、気が付いて「思いやり」「やさしさ」が夫婦には必要なもの。。。
特に、名無しの甚兵衛さんは爺になって、つくづく思い知らされた。
1)初めて作る三度の食事
名無しの甚兵衛さんは、自分も病気持ちであり、「ディs-ビス」に通っていた。
「末期の腎臓炎」であり、「大腸がん」を三度、手術して。心不全や肝硬変や「パーキンス病」を患い、歩行困難を起こしていた。それでも、妻が「喘息」で「精神的な疾患」を持っていたので、名無しの甚兵衛さんが看護をしなくてはならなかった。
妻は自宅の二階で寝起きをしていたので、三度の食事を作って、運ばねばならなかった。。。当初は然程に難しいこととは思わずに、食事を作り、一階から運んだ。
しかし、毎日の事なので、結構、きつかった。人とは勝手なもの、我儘なもの、、、
出来ると思ったことが、非常に大変だった。
夫婦とは不思議なもの、、其れ位できると思ったことが、病気の妻は動てくれない。
甚兵衛さんは、ついつい、妻が病気であることを忘れる、、、
そして、言葉の端に愚痴や文句を云ってしまうのだった。
「おい、、そんくらい、分かるだろう、、自分で用意してくれ、、」と、、怒らなければいいのに、、つい、言ってしまう、、、
名無しの甚兵衛さんは「おかず造り」で忙しい、、そんなことで、小さな喧嘩をしてしまうのだった、
やってみて、分かったことは毎日の三度の食事の準備が、どれほど大変なことなのかが、やってみて分かった。
365日、妻は苦労していたんだと、、食事以外に「洗濯」「掃除」「買い物」と、本当に大変だったと、おもわせられた。
「本当にご苦労様、、ただ、感謝だけだよ、、」
そう思いながら、今は病気の妻の家政婦をしていたのであった。
夫婦とは、、妻とは大変な職業であると、考えさせられた。
「もっと、もっと、、」感謝をしながら、日々今までの分まで,妻の「義」に尽くさなければ、、
2)やってみて、わかったこと。。
日々の三度の食事程、やってみて、大変なことが理解できた。夫婦の生活で、平凡な食事の支度、用意することが、どれほど大変かを思い知らされたのだった。
食事なんて、軽く思ってた自分に怒りを覚えた。。。こんなにも買いものから、準備っそして、作って食べるまでが大変だったと、やってみて気が付いた。
今まで、済まなかったと反省する自分であった。
自分も病に侵されているから、余計に食事の用意をすることが辛かった。
増してや、一階から2階まで運ぶのがきつかった。ついつい、、愚痴を言ってしまっていた。
そんなことも有って、夫婦とは面白いというか、不思議だ。
妻を大事に思うことはあるのだが、つまらない言動に腹が立つのであった。言うつもりはないのだが、、、
「もう少し、俺が二階まで運ぶのが、どれだけ大変かわかっているのかな、」とか、「男が料理を毎日、三度の支度をすることが、どれだけ大変か理解してるのか、」と、愚痴を言ってしまう。
バカな言葉であり、愚か者だ。
「それでは、今までに作ってくれた妻はどうするんだよ、、」と、言いたい筈だ。
愚痴っておいて、自分の言葉がはずかしかった。
名無しの甚兵衛さには「愚痴る」資格があるのかるのか、、、今までの人生道を振り返ると、まるっりない。
もぅともっと、尽くさなければ「罰」があたるような、、、、。
3)料理は楽しい反面、苦痛でもある。
料理は日々により、その創る気持ちというか「心構え」が変わるようだ。
気分がいい時や苦痛を感じることがある。
これも不思議な事だった。
料理を作る気持ちが何となく、分かるような気もするし、まったくわからない時があるのも不思議だ。
それは人の持つ我儘か、、、気分の良い時には「ノリがいい」というのか、旨いもの、味がいいものが出来る。気持ちが乗らない時には作った料理がいまいちだ、習ったわけではないので不味い。
名無しの甚兵衛さんの料理は習ったわけでもなく、自己流、、、今までに食べたもの、見たのをなんとなく、思い付きで作っているので、味が落ちつかない。
高齢者の名無しの甚兵衛さん、パーキンス
病や糖尿病、末期腎臓炎などの複数の病を持っており、「老々介護」の上に入院していなければならない男が、病身の妻の看病であり、初めから無理であった。
事業に失敗した名無しの甚兵衛さんは、金も使い果たし、今は「年金暮らし」だ。
その中での生活は苦しい。。。。
金回りが良い時に創った家であり、少々、贅沢につくっていまった。
その為に「固定資産税」に苦しみ、行政に相談して、分割払いをしている。それでも年金自給者には地獄で、、「ひーひー」している。年間「36万円」だ、、、
事業している時には「何でもなかlyぷあったが、、」今では悲鳴をあげている。
その上に「電化オート」にしたので、毎月の電気代が、、「おったまげ」なのだ。
こればっかりは分割払いが利かない、、、そのために名無しの甚兵衛さんは電気のスイッチを切るために、毎晩、大忙しだ。
病身の妻はエアコンや電気のスイッチは居れるのだが、切りことを忘れる。
「精神面の病気」を持っているので、何でもやりっぱなしが多い。そのために名無しの甚兵衛さんは、愚痴が多くなる。
「使ったら、元へ戻す、電気は付けたら消す、、、」を連発している状況だ。
すると、娘に云われる。
「お父さん、ダメだよ、、お母さんは認知症が少しあるみたいだから、、」と。。。
その都度、名無しの甚兵衛さんも反省したいた。
一番の原因は「90坪(297平方m)」の鉄骨木造の3階建てをつくったためだ、、、後の祭りだったと後悔している。
まったく「バカな男だ」
4)名無しの甚兵衛さんの料理始まる
名無しの甚兵衛さんの無計画な自宅をつくったために、、その後の「年金生活」に支障を来して、生活費が非常に厳しくなった。
「自宅の固定資産税」「オート電化の為の電気代」「水道代」で精一杯だ。
食費は一か月で「15000円から20000円」何とかやりくりしなければならない。
「ひーひー」だ、、、それでも人は食べないと生きて往けない。
自分が悪いのだから仕方がないが、、、そこで名無しの甚兵衛さんは考えた。
名無しの甚兵衛さんは食べてはいけない、カリウムの多い、野菜を工夫して料理をした。
その結果血液検査でもそれ以前の「カリウム処理数値」が変わらずに維持できた。
そこで「天ぷら」を創る。
(1)野菜を全て水で洗い流す。
(2)野菜を全て別々に煮る。
(3)煮た野菜を天ぷらに。
(4)野菜とシイタケ、白魚のかき揚げを
作る。
(5)作った天ぷらを「冷凍」で保存。
(6)食べる時に解凍して、マヨネーズ、
醤油またはソースをかけて食べる
(7)挙げた天ぷらを「ラーメン」などに
入れて食べる
(8)この天ぷらを「10日から15日」
食べられる。
その後に「豚のバラ肉」「豚のひき肉」を冷凍にして保存、、そして、、、
(1)玉ねぎを細切れにして、あく抜きを
して、冷蔵で保存。
(2)シイタケやキノコ類を細切れにして
冷蔵で保存
(3)上記の材料をご飯と混ぜて、ちゃー
はん、焼き飯を創る。
*油またはバターで炒める、醤油、
塩味
簡単な「男料理」であり、、「糖尿病」や「腎臓炎」の病には数値を挙げることなく食べることが出来る。
5)男料理のいろいろ。。。。
爺婆の料理は量もも少なく、さほどに品数も少なくて済む、、、名無しの甚兵衛さんは、病身の妻の為に毎さんにしても昼、夕食と考えた。病のせいか、その時の気分ではほとんど食べないこともあった。
甚兵衛さんとしては食べて欲しかった。
よく考えてみれば、名無しの甚兵衛さんでも、体調の悪い時には食欲がなくなる。それなのに、「せっかく作ったのだから、食べろ、、」と、ついつい言ってしまう、自分勝手な言い草だった。そして、イライラする。
その度に甚兵衛さんは怒ることもあった。大きな声で怒鳴ってしまう。
そんなことが多く成れば、病身の妻も「ありがたい、、」と、思っていることが逆切れを起こす。
「もう、お腹がいっぱいだと、、」言って,寐てしまう。
その都度、名無しの甚兵衛さんも反省し、後悔する。
世間でいうように老々介護は難しい。
分かっていることをやってしまう、、、、名無しの甚兵衛さんは優しく,仕様と食事の支度をして、病身お妻のベットにいくのだが、どうしてか忘れてしまう。
バカな男と、、甚兵衛さんは気を執りのして、食事をさせる。
どんな食事でも妻が食べてくれると嬉しい。そして、病身の妻も「ありがとう」を云ってくれる。
特に果実のジュースは美味しそうに飲んでくれる。
牛乳、」バナナ,イチゴのジュースは好きだった。
果物も好きだった、、、名無しの甚兵衛さんが果物は「林檎」だけであり、他の果物は「缶詰」に限られているので、買い物も「林檎」以外は缶詰が多くなってしまう。
その点はすまないと思っている。
名無しの甚兵衛さんは「糖尿病」「末期の腎臓炎」の為に「カリウム」を含んだ食べ物がだめだったので。。。
この病気は食べるものが無くなる、、、
例えば体にいい。。「カリウムを含む野菜」
食べれる野菜は「玉ねぎ」だけだ。「野菜ジュース」「納豆などの乳酸菌を含む食べ物」
「鶏肉」「牛肉」そして。「豚肉は60g]までとか、、、「更に塩分」と制約が多い。
そんな男が病身の妻の食事をつくるのだから、難しい。
しかし、病身の妻にいい食べ物を作らないと、日々、悪戦苦闘している。
6)今までに見なかった「料理番組」をみるようになった。
名無しの甚兵衛さん、病身の妻の料理を作る様になって、テレビ番組で「料理」に関する番組を見ている。
また。最近は食べる番組が多く成って来た。今の世の中、「食べる、旅行、クイズ番組」が多い。
食べる関連の番組は毎日、どこかで放送している。一番、安上がりな番組なのかも知れない。
最近では「モーニングショウ」で、北里柴三郎研究所の専門職が、糖尿病と食べ物の因果関係を話していた。
SNSとは違い、本音が聞けて参考になった。
20世紀の考え方と21世紀の考えでは、研究結果やデーターが違ってくるので、
名無しの甚兵衛さんにとっては中身の濃い話が聞けて、納得した。
20世紀の話だと「糖尿病」になると、食べるものが無くなるようだったが、違って来た。「肉も魚も、、、驚嘆でなければ食べることが良く成り、野菜も大丈夫だと、、、」
油類もO-Kで、オリーブ油は良しと云われていた。
朝は「タンパク質」をとり、「野菜などの繊維もの」を、、、夜には「炭水化物」などを食べると良いとされていた。
今までは「カリウム」の野菜や、ジュース類は駄目とされていたが、余り気にすることはないようだ。
この事実を知った名無しの甚兵衛さんは気持ちが、心があかるくなった。
これからは知識を広め、料理についても勉強しないと。。。。高齢者も棄てたもんじゃ
ないな、、、、、
7)食べる物の範囲が広がり、嬉しくもあり、楽しみがでた。
北里柴三郎研究所の研究担当者の話を聞くと、21世紀には「糖尿病」でも、今までの習慣からすると、食事制限が厳しかったが、緩やかになった。
現在は食事の制限が余りなく成り、何でも食べることができるような、、、、
名無しの甚兵衛さんは気持ちが楽になった。それでも注意しながら食事をすることに心掛けた。
地代が変われば、病気対応の食事が変わるものであり、世の中の情報にはアンテナを張ってないと、、、、時代の流れに付いて行けない。
世の中の「糖尿病の人たちには嬉しいニュース」であり、食事制限で悩んでいる人には知ってもらいたい。
「おーい、糖尿病達よ、、、、何でもたべられうぞ、、、」と、叫びたい。
今まで、不足していた「野菜類」も「野菜ジュース」も食べれる、飲めるのだ、、、
名無しの甚兵衛さん、今は毎日「キャベツ」を食パンに挟んで食べている。
「旨い、、、生野菜をオーブンで少しだけ,熱を通して、、、というより「あぶって」マヨネーズを付けて食べている」
やはり旨いものだ。
制限がなくなり、嬉しく試食している。
今日で試食して「20日間」南下、」体調が良くなったような気がする。
これから「野菜ジュース」も試してみようと思う。
8)21世紀の食べ物に挑戦。。。。。
「人間の 欲望超えて 挑戦を」
「いつの世も人は望む
駄目という世界を超えて
命かけて どこまでも」
名無しの甚兵衛さんは糖尿病にになり、他に検査の結果「末期の腎臓炎」「パーキンス病」「大腸がん」「心不全」が見つかり、以前からの病「肝硬変」「前率腺」「高血圧」と、多数の病気を持っていた。
食べるものがないくらいに制限されていた。まるで食生活に楽しみがなかったぐらいであった。
お先真っ暗で、、、、食べるものを選ぶのに悩んでいた。
しかし、北里柴三郎研究所の食品担当者の話をきいて、人生が明るくなった。
これからは挑戦だ。。。。生きる楽しみができたのであった。
食べることに神経質になっていた、名無しの甚兵衛さんは、好きな野菜や肉類を食べることに、今までの知識を参考に、料理を楽しんだ。「ステーキ」も、、、「鶏肉」も、、、家でも焼いて食べた、、、、病院の帰りにも外食で「ステーキ」や「桃焼き」を食べた、、、旨かった。
一人で食べることに後ろめたさがあったので、、、スーパーで「ステーキ用の牛肉」かかって、病身の妻にも焼いた。
予算の許す限り、ステーキを食べたい、、、食べさせたい。
⑨)病気で制限される食生活と、絶対的に制限さない、、、21世紀の自由食生活、、、
名無しの甚兵衛さんは、北里柴三郎研究所の研究員の話を聞くまでは、糖尿病や末期の腎臓炎などの病気から、病院の健康指導員の指導から、食べることから、かなり厳しい制限をされていた。
更にパソコンなどの情報からも、名無しの甚兵衛さんは、そう思い、実行していた。
しかし、21世紀の健康指導が変化していった。過度の量の取り過ぎが無ければ、どの食料も平均して、接種すれば問題がない、、、考え方が変わった。
其のことを知った名無しの甚兵衛さんは、野菜類の「カリウム」も、牛肉、豚肉、鶏肉も食べるようになった。
「旨い、ステーキも鳥の桃焼きや焼き鳥」も、と、、、適度な量を食べるようになった。
又、「野菜も美味しい、、、トマトもキュウリも、、」決して、バクバクは食べないが、、、
「ヨーグルトも牛乳も旨い」
名無しの甚兵衛さんは生き返った、、、、ただし、、腎臓炎が悪いので、食べ物が、まだまだ、、不味い。。。
もう少し、頑張らないと,、、まだまだだ、、、
82歳、、、今少し、人生旅をしたい。
88歳の「米寿」まで、、、
やるぞ、、、思ったことがある。
「人は駄目だと思うと駄目になるような。。。」
毎朝、目が覚めた時に「やるぞ、、、」「病、何者ぞ」との意気込みを、自分の心に言い聞かせている。
高齢者に成れば、「清々しい気分」はなかなか感じられない、、、気持ちで、心で、思わないと。。。
今日も一日、、、「おはよう、、」から「おやすみ」まで、「生きるぞの一心で」。。。
「爺婆の戦国時代のレシピ」
原作者 筑波太郎
夫婦とは不思議だ、面白い、、、夫婦とは長くやっていると、いつも一緒にいるので、空気のような感じがしてしまう、、、いつもいるので、透明人間のような、、、有難みが薄く、それが普通の夫婦のような感じがする、夫婦とは片方が居なくなって、初めて「大切さ」「必要さ」「大事な人」気が付くようだ。
それが夫婦のようなもの、、、、
そんなことで夫婦関係は始末が悪い。
早く気が付き、精神的にも肉知的にも元気で、健全な内に出きればいいような、、、気が付いて「思いやり」「やさしさ」が夫婦には必要なもの。。。
特に、名無しの甚兵衛さんは爺になって、つくづく思い知らされた。
1)初めて作る三度の食事
名無しの甚兵衛さんは、自分も病気持ちであり、「ディs-ビス」に通っていた。
「末期の腎臓炎」であり、「大腸がん」を三度、手術して。心不全や肝硬変や「パーキンス病」を患い、歩行困難を起こしていた。それでも、妻が「喘息」で「精神的な疾患」を持っていたので、名無しの甚兵衛さんが看護をしなくてはならなかった。
妻は自宅の二階で寝起きをしていたので、三度の食事を作って、運ばねばならなかった。。。当初は然程に難しいこととは思わずに、食事を作り、一階から運んだ。
しかし、毎日の事なので、結構、きつかった。人とは勝手なもの、我儘なもの、、、
出来ると思ったことが、非常に大変だった。
夫婦とは不思議なもの、、其れ位できると思ったことが、病気の妻は動てくれない。
甚兵衛さんは、ついつい、妻が病気であることを忘れる、、、
そして、言葉の端に愚痴や文句を云ってしまうのだった。
「おい、、そんくらい、分かるだろう、、自分で用意してくれ、、」と、、怒らなければいいのに、、つい、言ってしまう、、、
名無しの甚兵衛さんは「おかず造り」で忙しい、、そんなことで、小さな喧嘩をしてしまうのだった、
やってみて、分かったことは毎日の三度の食事の準備が、どれほど大変なことなのかが、やってみて分かった。
365日、妻は苦労していたんだと、、食事以外に「洗濯」「掃除」「買い物」と、本当に大変だったと、おもわせられた。
「本当にご苦労様、、ただ、感謝だけだよ、、」
そう思いながら、今は病気の妻の家政婦をしていたのであった。
夫婦とは、、妻とは大変な職業であると、考えさせられた。
「もっと、もっと、、」感謝をしながら、日々今までの分まで,妻の「義」に尽くさなければ、、
2)やってみて、わかったこと。。
日々の三度の食事程、やってみて、大変なことが理解できた。夫婦の生活で、平凡な食事の支度、用意することが、どれほど大変かを思い知らされたのだった。
食事なんて、軽く思ってた自分に怒りを覚えた。。。こんなにも買いものから、準備っそして、作って食べるまでが大変だったと、やってみて気が付いた。
今まで、済まなかったと反省する自分であった。
自分も病に侵されているから、余計に食事の用意をすることが辛かった。
増してや、一階から2階まで運ぶのがきつかった。ついつい、、愚痴を言ってしまっていた。
そんなことも有って、夫婦とは面白いというか、不思議だ。
妻を大事に思うことはあるのだが、つまらない言動に腹が立つのであった。言うつもりはないのだが、、、
「もう少し、俺が二階まで運ぶのが、どれだけ大変かわかっているのかな、」とか、「男が料理を毎日、三度の支度をすることが、どれだけ大変か理解してるのか、」と、愚痴を言ってしまう。
バカな言葉であり、愚か者だ。
「それでは、今までに作ってくれた妻はどうするんだよ、、」と、言いたい筈だ。
愚痴っておいて、自分の言葉がはずかしかった。
名無しの甚兵衛さには「愚痴る」資格があるのかるのか、、、今までの人生道を振り返ると、まるっりない。
もぅともっと、尽くさなければ「罰」があたるような、、、、。
3)料理は楽しい反面、苦痛でもある。
料理は日々により、その創る気持ちというか「心構え」が変わるようだ。
気分がいい時や苦痛を感じることがある。
これも不思議な事だった。
料理を作る気持ちが何となく、分かるような気もするし、まったくわからない時があるのも不思議だ。
それは人の持つ我儘か、、、気分の良い時には「ノリがいい」というのか、旨いもの、味がいいものが出来る。気持ちが乗らない時には作った料理がいまいちだ、習ったわけではないので不味い。
名無しの甚兵衛さんの料理は習ったわけでもなく、自己流、、、今までに食べたもの、見たのをなんとなく、思い付きで作っているので、味が落ちつかない。
高齢者の名無しの甚兵衛さん、パーキンス
病や糖尿病、末期腎臓炎などの複数の病を持っており、「老々介護」の上に入院していなければならない男が、病身の妻の看病であり、初めから無理であった。
事業に失敗した名無しの甚兵衛さんは、金も使い果たし、今は「年金暮らし」だ。
その中での生活は苦しい。。。。
金回りが良い時に創った家であり、少々、贅沢につくっていまった。
その為に「固定資産税」に苦しみ、行政に相談して、分割払いをしている。それでも年金自給者には地獄で、、「ひーひー」している。年間「36万円」だ、、、
事業している時には「何でもなかlyぷあったが、、」今では悲鳴をあげている。
その上に「電化オート」にしたので、毎月の電気代が、、「おったまげ」なのだ。
こればっかりは分割払いが利かない、、、そのために名無しの甚兵衛さんは電気のスイッチを切るために、毎晩、大忙しだ。
病身の妻はエアコンや電気のスイッチは居れるのだが、切りことを忘れる。
「精神面の病気」を持っているので、何でもやりっぱなしが多い。そのために名無しの甚兵衛さんは、愚痴が多くなる。
「使ったら、元へ戻す、電気は付けたら消す、、、」を連発している状況だ。
すると、娘に云われる。
「お父さん、ダメだよ、、お母さんは認知症が少しあるみたいだから、、」と。。。
その都度、名無しの甚兵衛さんも反省したいた。
一番の原因は「90坪(297平方m)」の鉄骨木造の3階建てをつくったためだ、、、後の祭りだったと後悔している。
まったく「バカな男だ」
4)名無しの甚兵衛さんの料理始まる
名無しの甚兵衛さんの無計画な自宅をつくったために、、その後の「年金生活」に支障を来して、生活費が非常に厳しくなった。
「自宅の固定資産税」「オート電化の為の電気代」「水道代」で精一杯だ。
食費は一か月で「15000円から20000円」何とかやりくりしなければならない。
「ひーひー」だ、、、それでも人は食べないと生きて往けない。
自分が悪いのだから仕方がないが、、、そこで名無しの甚兵衛さんは考えた。
名無しの甚兵衛さんは食べてはいけない、カリウムの多い、野菜を工夫して料理をした。
その結果血液検査でもそれ以前の「カリウム処理数値」が変わらずに維持できた。
そこで「天ぷら」を創る。
(1)野菜を全て水で洗い流す。
(2)野菜を全て別々に煮る。
(3)煮た野菜を天ぷらに。
(4)野菜とシイタケ、白魚のかき揚げを
作る。
(5)作った天ぷらを「冷凍」で保存。
(6)食べる時に解凍して、マヨネーズ、
醤油またはソースをかけて食べる
(7)挙げた天ぷらを「ラーメン」などに
入れて食べる
(8)この天ぷらを「10日から15日」
食べられる。
その後に「豚のバラ肉」「豚のひき肉」を冷凍にして保存、、そして、、、
(1)玉ねぎを細切れにして、あく抜きを
して、冷蔵で保存。
(2)シイタケやキノコ類を細切れにして
冷蔵で保存
(3)上記の材料をご飯と混ぜて、ちゃー
はん、焼き飯を創る。
*油またはバターで炒める、醤油、
塩味
簡単な「男料理」であり、、「糖尿病」や「腎臓炎」の病には数値を挙げることなく食べることが出来る。
5)男料理のいろいろ。。。。
爺婆の料理は量もも少なく、さほどに品数も少なくて済む、、、名無しの甚兵衛さんは、病身の妻の為に毎さんにしても昼、夕食と考えた。病のせいか、その時の気分ではほとんど食べないこともあった。
甚兵衛さんとしては食べて欲しかった。
よく考えてみれば、名無しの甚兵衛さんでも、体調の悪い時には食欲がなくなる。それなのに、「せっかく作ったのだから、食べろ、、」と、ついつい言ってしまう、自分勝手な言い草だった。そして、イライラする。
その度に甚兵衛さんは怒ることもあった。大きな声で怒鳴ってしまう。
そんなことが多く成れば、病身の妻も「ありがたい、、」と、思っていることが逆切れを起こす。
「もう、お腹がいっぱいだと、、」言って,寐てしまう。
その都度、名無しの甚兵衛さんも反省し、後悔する。
世間でいうように老々介護は難しい。
分かっていることをやってしまう、、、、名無しの甚兵衛さんは優しく,仕様と食事の支度をして、病身お妻のベットにいくのだが、どうしてか忘れてしまう。
バカな男と、、甚兵衛さんは気を執りのして、食事をさせる。
どんな食事でも妻が食べてくれると嬉しい。そして、病身の妻も「ありがとう」を云ってくれる。
特に果実のジュースは美味しそうに飲んでくれる。
牛乳、」バナナ,イチゴのジュースは好きだった。
果物も好きだった、、、名無しの甚兵衛さんが果物は「林檎」だけであり、他の果物は「缶詰」に限られているので、買い物も「林檎」以外は缶詰が多くなってしまう。
その点はすまないと思っている。
名無しの甚兵衛さんは「糖尿病」「末期の腎臓炎」の為に「カリウム」を含んだ食べ物がだめだったので。。。
この病気は食べるものが無くなる、、、
例えば体にいい。。「カリウムを含む野菜」
食べれる野菜は「玉ねぎ」だけだ。「野菜ジュース」「納豆などの乳酸菌を含む食べ物」
「鶏肉」「牛肉」そして。「豚肉は60g]までとか、、、「更に塩分」と制約が多い。
そんな男が病身の妻の食事をつくるのだから、難しい。
しかし、病身の妻にいい食べ物を作らないと、日々、悪戦苦闘している。
6)今までに見なかった「料理番組」をみるようになった。
名無しの甚兵衛さん、病身の妻の料理を作る様になって、テレビ番組で「料理」に関する番組を見ている。
また。最近は食べる番組が多く成って来た。今の世の中、「食べる、旅行、クイズ番組」が多い。
食べる関連の番組は毎日、どこかで放送している。一番、安上がりな番組なのかも知れない。
最近では「モーニングショウ」で、北里柴三郎研究所の専門職が、糖尿病と食べ物の因果関係を話していた。
SNSとは違い、本音が聞けて参考になった。
20世紀の考え方と21世紀の考えでは、研究結果やデーターが違ってくるので、
名無しの甚兵衛さんにとっては中身の濃い話が聞けて、納得した。
20世紀の話だと「糖尿病」になると、食べるものが無くなるようだったが、違って来た。「肉も魚も、、、驚嘆でなければ食べることが良く成り、野菜も大丈夫だと、、、」
油類もO-Kで、オリーブ油は良しと云われていた。
朝は「タンパク質」をとり、「野菜などの繊維もの」を、、、夜には「炭水化物」などを食べると良いとされていた。
今までは「カリウム」の野菜や、ジュース類は駄目とされていたが、余り気にすることはないようだ。
この事実を知った名無しの甚兵衛さんは気持ちが、心があかるくなった。
これからは知識を広め、料理についても勉強しないと。。。。高齢者も棄てたもんじゃ
ないな、、、、、
7)食べる物の範囲が広がり、嬉しくもあり、楽しみがでた。
北里柴三郎研究所の研究担当者の話を聞くと、21世紀には「糖尿病」でも、今までの習慣からすると、食事制限が厳しかったが、緩やかになった。
現在は食事の制限が余りなく成り、何でも食べることができるような、、、、
名無しの甚兵衛さんは気持ちが楽になった。それでも注意しながら食事をすることに心掛けた。
地代が変われば、病気対応の食事が変わるものであり、世の中の情報にはアンテナを張ってないと、、、、時代の流れに付いて行けない。
世の中の「糖尿病の人たちには嬉しいニュース」であり、食事制限で悩んでいる人には知ってもらいたい。
「おーい、糖尿病達よ、、、、何でもたべられうぞ、、、」と、叫びたい。
今まで、不足していた「野菜類」も「野菜ジュース」も食べれる、飲めるのだ、、、
名無しの甚兵衛さん、今は毎日「キャベツ」を食パンに挟んで食べている。
「旨い、、、生野菜をオーブンで少しだけ,熱を通して、、、というより「あぶって」マヨネーズを付けて食べている」
やはり旨いものだ。
制限がなくなり、嬉しく試食している。
今日で試食して「20日間」南下、」体調が良くなったような気がする。
これから「野菜ジュース」も試してみようと思う。
8)21世紀の食べ物に挑戦。。。。。
「人間の 欲望超えて 挑戦を」
「いつの世も人は望む
駄目という世界を超えて
命かけて どこまでも」
名無しの甚兵衛さんは糖尿病にになり、他に検査の結果「末期の腎臓炎」「パーキンス病」「大腸がん」「心不全」が見つかり、以前からの病「肝硬変」「前率腺」「高血圧」と、多数の病気を持っていた。
食べるものがないくらいに制限されていた。まるで食生活に楽しみがなかったぐらいであった。
お先真っ暗で、、、、食べるものを選ぶのに悩んでいた。
しかし、北里柴三郎研究所の食品担当者の話をきいて、人生が明るくなった。
これからは挑戦だ。。。。生きる楽しみができたのであった。
食べることに神経質になっていた、名無しの甚兵衛さんは、好きな野菜や肉類を食べることに、今までの知識を参考に、料理を楽しんだ。「ステーキ」も、、、「鶏肉」も、、、家でも焼いて食べた、、、、病院の帰りにも外食で「ステーキ」や「桃焼き」を食べた、、、旨かった。
一人で食べることに後ろめたさがあったので、、、スーパーで「ステーキ用の牛肉」かかって、病身の妻にも焼いた。
予算の許す限り、ステーキを食べたい、、、食べさせたい。
⑨)病気で制限される食生活と、絶対的に制限さない、、、21世紀の自由食生活、、、
名無しの甚兵衛さんは、北里柴三郎研究所の研究員の話を聞くまでは、糖尿病や末期の腎臓炎などの病気から、病院の健康指導員の指導から、食べることから、かなり厳しい制限をされていた。
更にパソコンなどの情報からも、名無しの甚兵衛さんは、そう思い、実行していた。
しかし、21世紀の健康指導が変化していった。過度の量の取り過ぎが無ければ、どの食料も平均して、接種すれば問題がない、、、考え方が変わった。
其のことを知った名無しの甚兵衛さんは、野菜類の「カリウム」も、牛肉、豚肉、鶏肉も食べるようになった。
「旨い、ステーキも鳥の桃焼きや焼き鳥」も、と、、、適度な量を食べるようになった。
又、「野菜も美味しい、、、トマトもキュウリも、、」決して、バクバクは食べないが、、、
「ヨーグルトも牛乳も旨い」
名無しの甚兵衛さんは生き返った、、、、ただし、、腎臓炎が悪いので、食べ物が、まだまだ、、不味い。。。
もう少し、頑張らないと,、、まだまだだ、、、
82歳、、、今少し、人生旅をしたい。
88歳の「米寿」まで、、、
やるぞ、、、思ったことがある。
「人は駄目だと思うと駄目になるような。。。」
毎朝、目が覚めた時に「やるぞ、、、」「病、何者ぞ」との意気込みを、自分の心に言い聞かせている。
高齢者に成れば、「清々しい気分」はなかなか感じられない、、、気持ちで、心で、思わないと。。。
今日も一日、、、「おはよう、、」から「おやすみ」まで、「生きるぞの一心で」。。。
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百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
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生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
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形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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