伯爵令嬢の家庭教師はじめました - 乙女ゲーム世界へ転生したと思ったけれどなにか違う気がする……?

大漁とろ

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第一章

第十五話 『戦いがはじまります・一』

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 エリス様のお話を聞いて、わたしはすぐさま、リヴィ様に手紙を飛ばすことにした。
 もし二通目の手紙が届かなかった場合、なにかあったと思ってくださいと。それだけ書けば、察しのいいリヴィ様はわかってくださるはずだ。
 廊下の窓を少しだけ開けて、青い小鳥を音もなく空へ放つ。黒く厚い雲の下、青い羽ばたきが遠くなっていく。
 お願い、どうか早く届いて。





 滅入るような曇天から、粒の大きい雨が降りはじめた。騒々しい雨音が屋敷内に響く。

「領地はもっと雨が酷いらしいね。旦那様と奥様は、今夜も向こうでお休みになるそうよ」
「エセルお嬢様の家庭教師も、馬車がぬかるみに車輪をとられて遅くなるとさ」
「大変ね。早くやんでくれるといいのだけど」

 窓に落ちてくる雨粒を見つめていると、廊下の向こうで使用人たちが心配そうに話し込んでいる。

「すみません、エセルバート様は今おひとりなのですか?」
「あら、シャルティーナ様。そうなのです。勉強部屋でお待ちしていらっしゃるはずですよ」

 問いかければ、気さくな副侍女長のメリアーノさんが答えてくれた。

「こんな日くらい、お休みになればいいだろうになぁ。最近のエセルお嬢様は元気がなくて、見ていて心が痛む」
「トラシス、言葉を慎みなさい。エセルお嬢様はがんばっていらっしゃるのよ」

 いつもはロナを諫める側のトラシスさんが、思わずといった風に呟いた。メリアーノさんはたしなめつつも、その表情は晴れない。やはり思っていることは皆同じなのだ。

「エリス様の授業は終わったのですが、この雨ですから、もう少し弱くなるまで待たせていただこうと思っていたのです。その間、わたしがエセルバート様の勉強を見て差し上げてもよろしいでしょうか?」
「そうですねぇ、……ああ、ダストンさん!」

 首を傾げて思案したメリアーノさんは、わたしの背後からやってくる人を見つけて呼び止めた。家令のダストンさんだ。
 ダストンさんに話をすれば、「問題ないでしょう」と頷いてもらえた。

「少しの間、お相手をしていただくくらいなら大丈夫でしょう。シャルティーナ様、お願いできますかな?」
「もちろんです」

 ダストンさんに笑みを返し、わたしは西棟の部屋まで案内していただいた。





「失礼いたします、エセルバート様」

 ダストンさんが丁寧に扉を叩く。中から幼くも美しい声が応じた。
 開かれた扉の向こうでは、少女がひとり、ぽつんと椅子に座っている。
 薄暗い室内でも輝く金髪。宙を見つめている青い瞳。
 少女用のくるぶし丈の服から覗く手足は、もしかするとエリス様より細いかもしれない。

「本日、天候不良のため、リンドール様の到着が遅れております。その間、シャルティーナ様がお相手してくださりますので、お招きいたしました」

 ダストンさんはそう言ってわたしを招き入れてくれた。

「改めてご挨拶させてくださいませ。シャルティーナ・グランツと申します」

 スカートを摘み頭を下げる。なんの返答もない。姿勢を戻せば、エセルバート様は茫洋とした視線を、どこともわからないところへ向けていた。

「ではシャルティーナ様、どうかよろしくお願いいたします」
「わかりました」

 頷けば、ダストンさんは静かに退室していった。
 ふと部屋の中を見回す。勉強部屋なのにとても広い。石壁に飾られた大きな織物や、天井の格子ひとつひとつに描かれた絵画も華やかだ。もしかすると、以前は貴賓室だったのかもしれない。
 だが今はその面影も薄く、家具が極端に少ない。扉近くにある本棚と、大きな机。エセルバート様がお座りになっている椅子。備え付けの暖炉くらいしか見当たらない。
 そういえば、常に控えているはずの侍女も見当たらなかった。

「エセルバート様、侍女をつけていらっしゃらないのですか?」
「……先生が、気がちるとおっしゃるから」

 か細い声でエセルバート様が答えた。
 なるほど、ふたりきりになるため、侍女などの使用人は一切入れていないのだろう。そのための結界なのか、それとも結界を張るための言い訳か。
 やはり、エセルバート様とふたりきりでお話しできるのは今しかない。
 この機会を逃せば、なにか恐ろしいことが起こる可能性が――。
 わたしは努めて笑みを浮かべ、エセルバート様の傍に膝をついた。

「エセルバート様。先生がいらっしゃるまで、わたしとお話ししてはいただけないでしょうか」
「……あなたと」
「はい。エセルバート様は化学や魔法学に興味がおありと聞き及んでおります。わたしは不詳ながら魔法士見習いです。様々な方の意見や知識を教えていただき、学んでいるところなのです」
「まほうし……、あなたが……」

 心あらずといった様子は変わらないが、エセルバート様はわたしの言葉に反応していらっしゃる。
 掌を差し出し、その上に力を集中させた。魔法を扱う資質がある者にしか聞こえない、さらさらと流れるような音が響く。
 わたしの掌の上に、小さな水の球体が形成されていった。
 ぼんやりとしていた青い瞳が、球体へと注がれる。エセルバート様の意識を向けることに成功したようだ。

「空気中に漂う水分を集め、このような形へ変化させました。雨で湿気が高くなりましたから、簡単に集められます」

 エセルバート様が見やすいよう、掌を差し出せば、わかりやすく表情が明るくなった。

「もう少し見ていてくださいね」

 そう言って微笑みかけ、集めた水を高く移動させる。ぱしゃりと弾けた水は、細かくなって再び空中へ戻っていった。

「魔法によって、ものの形を自在に変化させられるのです」

 物質変化は初歩の初歩だが、それでも見慣れない者には不思議に映るのだろう。
 驚きに大きく目を瞠り、エセルバート様はわたしの掌と天井を、ゆっくりと交互に見遣った。

「こちらの部屋にも魔法が使われていますね。結界が張られていることが多いようですが、どのような魔道具をお使いなのですか?」

 周囲を見回し、わたしは何気なさを装って尋ねた。
 先程集めた水はこの部屋の中のものだ。本来なら境の有無を問わず集められるが、なにかに阻害され、壁向こうには力が届かなかった。水を戻した際も同じ。
 つまり、この部屋に結界が張られていることは間違いなく、そして、結界内での魔法は使用可能ということだ。
 リンドール氏がなにを行おうとしていたのかわからないが、卑しいだろうことは想像に難くない。

「せ、せん……、せんせいが……」

 小さな声に振り返ると、エセルバート様ががたがたと身体を震わせ、明らかに恐怖の表情を浮かべていた。

「先生? リンドール先生ですか?」

 わたしの問いにも答えられず、ただ恐れ戦くエセルバート様。関節が目立つ細い手で、己の身体をきつく抱き締めている。
 リンドール氏のことを思い出しただけで、ここまで恐怖を抱くものだろうか。
 一瞬過ぎった事柄にまさかと思いつつ、確かめるためにエセルバート様へ手を伸ばした。

「失礼いたします!」

 エセルバート様の袖を引き上げる。骨が浮き上がるほどに細い腕。真っ白な肌に、どす黒い痣が鎖のように絡みついていた。

 これは傷ではない。入れ墨でもない。――呪いだ。

 魔法士にしか見ることができない呪い。幼い身体には不釣り合いなほど強力に、身体を、魂を強く縛る呪いだ。
 これがきっと、エリス様が見たという長いものの正体だろう。エセルバート様が茫洋とし、やせ細っている理由がようやくわかった。

「なんてものを……! エセルバート様、これは誰にかけられたのですか?」

 傍らにしゃがみこみ、俯いたエセルバート様を覗き込む。薄紅色の唇は、噛み締められ赤黒くなっていた。

「……わたくしが、エセルが悪い子だから、しかたないの」
「悪い子?」
「先生の、いいつけを、守らなかったから」
「そんな、おかしいです。まだ幼い貴女を、こんな魔法で縛り付けるなんて……!」

 怒りに震えるわたしとは反対に、顔に恐怖を張り付けたまま、エセルバート様は小さく首を横に振り続けた。

「……わたくし、いい子にしなければならないの」
「いい子?」

 細い肩を抱き締めるが、エセルバート様の震えは一向に止まらない。
 大きな青い瞳は焦点が合わず、ここにはいない『なにか』に恐怖している。

「だって……、おじい様が、おっしゃっていたわ。わたくしはお家のために、いずれどこかにおよめに行くの。そのためだけに生まれた子なの。だから、余計なことはしないで、なにもしないで、ただだまっていればいいって。いい子にしていればいいって。そうすれば、お父様もお母様もよろこぶからって。先生も、たえることが一番大事だって、おっしゃったわ」

 堰を切ったように、エセルバート様が言葉を吐き出す。だがそれは、決められた文言をただなぞっているだけに思えた。

「そんなこと……! そんなことありません!」
「悪い子には、おしおきが、ひつようなの……」

 震えながら首を振り続けるエセルバート様を抱き締める。
 言葉の中にあった『おじい様』というのは、先代マティアス卿のことだろう。生前からエセルバート様を洗脳し、虐待していたのか。
 自分の孫に、か弱い少女に、何故このような仕打ちができるのだろう。身体の中からふつふつと怒りが湧き上がってくる。
 失礼とは思いながらも、エセルバート様の頭を優しく抱え込んだ。

「貴女は確かに伯爵令嬢です。その身に背負うものはたくさんあるでしょう。だからといって、縛り付けられ耐えることが一番大事だなんて、そんなことは絶対にありません!」

 腕の中の小さな身体が、びくりと反応した。わたしを見上げる瞳が、何故、と問うている。
 再び口を開こうとしたそのとき。


「わたしの生徒に余計なことを吹き込まないでいただきたい」


 突如聞こえた声に振り返る。いつの間にか暖炉の傍に、リンドール氏が立っていた。
 冷笑を浮かべ、蔑むような視線をこちらへ向けるリンドール氏は、余裕ありげに暖炉へ寄りかかっている。よく見ると、暖炉の石壁に隙間ができていた。隠し通路かもしれない。

「……貴方」

 恐怖で固まるエセルバート様を抱き寄せ、わたしは男を睨みつけた。
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