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第192話 愛する者のために

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「離れなさい! 気色悪い!」
「気色悪いとは心外だな。せっかく捕まえたんだ。もう少しアタシとおどれ!」

 そう言うとブリジットは背後からアメーリアを羽交はがめにする。
 クローディアをおとりにした決死の作戦で、ついにブリジットはアメーリアと距離を詰め、相手に組みつくことが出来たのだった。
 ブリジットは全身全霊を込めてアメーリアをめ上げる。

(このチャンスを逃してたまるか!)

 ブリジットはアメーリアが枝を頭に食らって一瞬だけ周囲から目を切ったその時、すばやく近くの木の上に飛び上がっていた。
 そしてそのまま枝から枝へと飛び移りながらアメーリアの背後を突くと、そこから一気に黒き魔女に飛びかかったのだった。

「こざかしい! この身に触れていいのはトバイアス様だけよ!」

 アメーリアは苦々しい表情で振りほどこうとするが、ブリジットが両脇の下から腕を差し入れ両手を首の後ろで組んでいるため、力を入れにくい体勢だった。
 しかもこの姿勢だと両手が使えないため、アメーリアは小細工こざいくもままならない。
 ブリジットは全力でアメーリアをめ上げながら大きくえると、そのまま体をのけらせて後方の地面に叩きつけた。

「おおおおっ!」
「うぐっ!」

 両者ともに地面に転がっても、なおアメーリアを放さずにブリジットは羽交はがめのままギリギリとめ上げる。
 それでもアメーリアは足を使い、強引に地面を転がってブリジットを引き離そうとした。

「何て力なの……」
 
 アメーリアの体幹たいかんの強さにクローディアはくちびるみ、ブリジットに加勢すべくすぐさま立ち上がる。
 だが2人が転がっていく先を見てクローディアは息を飲んだ。
 その先は谷底へと続く急斜面だ。
 クローディアの記憶ではそこは急斜面というより、ほとんど垂直落下のがけのような場所だったはずだ。
 
「ま、待ちなさい! その先は……」

 だがクローディアの叫びもむなしく、2人はその先へと転げ落ちていった。

 
*************


 ボルドは懸命に走った。
 息は切れるが、分家で軟禁されている間も筋力を落とさぬようひそかに室内で筋力訓練を行っていたため、2本の剣を持ってもその重さに耐えて走ることが出来た。

 今まさにブリジットとクローディアが何者かと戦っているとアーシュラは言っていた。
 彼女の顔色からも分かったが、ボルド自身も肌で嫌な感じを受けている。
 禍々まがまがしい雰囲気ふんいき蔓延まんえんし、辺り一帯によどんだ空気がただよっているような気さえした。

 ボルドには分かる。
 きっと2人と戦っている相手は恐ろしい敵だ。
 武器がないままそんな相手と戦えば、いくらあの2人でも無事では済まないかもしれない。
 彼の頭の中はブリジットの無事をいのる気持ちでめ尽くされていた。

(ブリジット……ブリジット……今、行きます。おそばに参ります。どうか……どうかご無事で)

 ボルドはあせりを感じながら必死に尾根の先に向かって山道を走り続ける。
 アーシュラのように平坦な道を暗い中でも選ぶことは難しく時折、地面の起伏きふくつまづきそうになりながらそれでも先へ先へと進んだ。
 そんな彼の耳に争う物音が聞こえてくる。
 そしてその目が前方の光景をとらえた。
 青いやみの中に浮かび上がるのは、銀色と金色の髪が激しく舞う様子だった。

(レジーナさんと……ブリジットだ!)

 ボルドは疲れも忘れて無我夢中に走った。
 いよいよハッキリとその姿が見えるようになったボルドは、ブリジットが髪の黒い女と取っ組み合いながら、ゴロゴロと地面を転がるのを見た。
 そしてその先にあるがけに2人そろって落ちていったのを目撃したボルドは、思わず叫んでいた。

「ブリジット!」

 その声にその場に残っていたクローディアが振り向いた。

「ボールドウィン!」
「レジーナさん! これを!」

 ボルドはそう言うと足を止めずにトバイアスの剣をクローディアの近くの地面に放った。
 そして自分はそのままブリジットが落ちていったがけに向かって駆けていく。
 そんな彼をクローディアは呼び止めた。

「ボールドウィン! 待ちなさい!」
「アーシュラさんがここに来る途中でトバイアスを拘束しています!」
「何ですって?」

 ここにボルドを連れて現れるはずのアーシュラが共にいないこと。
 彼が抜き身の剣を2本持っていたこと。
 それを奇妙に思ったクローディアは、その言葉にきょを突かれた。
 その間にボルドは一気にがけの手前にすべり込み、そこから下を見下ろす。

 そこは傾斜のキツい急斜面だったが、天命のいただきのような絶壁とは違い、足がかりになる場所がいくつもあった。
 そしてブリジットと黒髪の女が途中の足場でもみ合っている様子が見える。
 しかしその足場はせまく、黒髪の女と離れてブリジットだけがさらに下へと落下してしまう。
 それを見たボルドは声を上げて立ち上がった。
 そして崖際がけぎわの地面にもう一本の剣を突き立てる。
 後方からクローディアが彼を止めるべく駆け寄って来た。

「やめなさい! 死ぬわよボールドウィン!」

 だが恐怖も躊躇ちゅうちょもボルドの頭の中から消え去っていた。
 ただブリジットを助けたいと言う一心だけで、ボルドはクローディアが止める間もなくがけから身を投げた。
 それは人生で二度目のことだった。
 だが今度は愛する者のための死の跳躍ちょうやくではない。
 愛する者を救うために、ボルドは飛んだ。

「ブリジットォォォォォ!」
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