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一章

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※少し未来のお話です。




 また怒られた。

 もう何度目だろうか。上司に嫌味を言われ、後輩からは馬鹿にされ、得意先では罵られる。俺の居場所はどこにもない。生き甲斐って何だ?人生の楽しみって何だ?そんな事も分からなくなってしまった。目の前が真っ暗になる。いっそこの環境から逃げてしまおうか。でも、ヘタレな俺は転職なんて出来ないし、今の会社にいるしかない。結局、朝になれば、顔を洗って、髭を剃り、髪を整えて、スーツを着る。その繰り返しだ。


「…はい。誠に申し訳ございません」


 頭を深々と下げ、床を見つめる。相手が何か言うまで、頭を上げてはいけない。この会社の鉄則である。


真山まやま、お前はいつまで主任でいるつもりだ?同期は課長まで昇進してんだぞ?お前だけだ。そんな地位で給料泥棒してんのは」
「…はい」
「『はい』じゃねぇだろ」
「……申し訳…ございません」
「何に対して謝ってんだ?…お前、ほんと馬鹿だな」


 そうだ。俺は馬鹿だ。さっさとクビにすればいい。

 そう言いかけた。だが唾とともに言葉を飲み込む。チラリと視線だけ上げれば、デスクに足を乗せ、業務用パソコンでネットニュースを漁ってる上司が見える。画面に表示される広告はエロ系ばかり。
 普段からどんなサイト見てんだよ…。AIにスケベ認定されてんじゃねぇか…。心の中で呆れた眼差しを向けた。


「いいよ。頭上げな」
「はい」


 俺は入社10年目の32歳。そろそろ会社のなかでも“中堅”といわれる年齢に差し掛かってきた。この上司が言うように、俺の同期の殆どは華々しく昇進し、一番凄い奴は課長まで上り詰めている。
 機構図なんて、会社ごとに違うから分かりにくいだろうが、RPGで例えるなら、同期は最終ステージのボス戦を突破し、裏ステージに挑んでいるが、俺は最初の村からやっと出たくらいのレベルだ。

  ドヤ顔で説明したが。…うん。この例え…分かりにくいな。はぁ…。やはり俺は馬鹿だ。俺がどれくらいショボいのかさえ説明できない。
 
 …ああ嫌だ嫌だ。俺ってまじで無能。
 もはや悲しみを通り越して呆れてくる。


「んで、真山。この前言ってた結婚の件だが」
「………結婚、ですか」


 首を傾げた。“結婚”って何のことだ?

 記憶を遡る。

 結婚…

 結婚……

 結婚………


『真山、お前もそろそろ身を固めたらどうだ』
『…ぅへぇ』
『丁度良い女なら準備することができる。できれば35になるまでに結婚してくれないか?その年齢を過ぎるとアイツがうるさいからな。俺が真山の上司でいられる期間も限られてるんだ』
『…ぁ…う』
『ほら、もっと飲め。記憶を飛ばすくらい飲んでもらわなきゃな』
『うぐっ…うぇ…』


 俺は口に手を当てた。

 ああ、そうだ。一週間前くらいか、確かにそんな会話をした。

 あの日、俺にしては珍しく営業ノルマを達成し、その祝いで、この上司にすっげぇ良い料亭へ連れてかれたんだ。度数の強い酒ばかり出され、ぐわんぐわんと歪む視界の中で、必死に相槌を打っていたことを思い出した。酔いすぎてほぼほぼ記憶がぶっ飛んでる。


「真山?」
「あ……ぇ、と…」


 慌てて顔を上げる。そして視線を右往左往させて、こほんっと咳払いをした。


「はい。考えましたが、お…俺、まだ結婚とか、その……」


 よく分からないです

 そう言うと、上司は「ふうん」と上機嫌に微笑み、立ち上がる。そして心得たように頷いた。


「なら話は早い。この前言った“女”を紹介しよう。見た目は普通だが…それでも良いだろ?あまり綺麗だとな…。本気になられても困る」
「え、えーと……」


 声に抑揚があり随分と嬉しそうだ。どんだけ俺に結婚して欲しいんだ。

 …これって所謂セクハラじゃねぇのか。俺は内心頭を抱えた。仕事のことでネチネチと嫌味を言われるなら分かる。俺って無能だしな。

  だがプライベートのことは放っておいて欲しい。確かにそろそろ結婚適齢期ってやつだが、彼女すらできたことない俺に結婚なんて無理ゲーにも程がある。
 
  女なんか要らない。女がいたら一人の時間がなくなるじゃないか。俺は、ネットとゲームとアニメがあればそれでいいんだ。『陰キャ乙w』と罵られようがどうでもいい。幼い頃から、それらにどっぷり浸かってた俺だ。今更、趣味嗜好を変えるだなんて、それこそ無理ゲーである。そりゃあ、男だからムラムラすることもあるが、そういうときは適当なエロアニメで抜いてるし、…ソロプレイのほうが…き…気持ち良いに決まってる……。


「なあ、いいだろ?」
「……いや…っ…」
「『いや』?」


 ぐぐぐと奥歯を噛み締めていると、上司は頭をぼりぼりと掻きむしりながら、首を傾げた。


「なんだ?不満か?」


 まずい。機嫌を損ねたか。
 俺はヒヤリと汗をかいた。なんだかよく分からないが、この一瞬で、上司の機嫌がめちゃくちゃ悪くなった。

 そんなに女って紹介したくなるものなのか。あれか。『俺ってこんなに女友達多いんだぜー!お前と違ってな!』ってやつか。高校のときの同級生が頭に浮かんだ。…アイツ、今何やってんだろ。


「今日のノルマ、新規10軒だったよな」
「…はい」
「俺のせっかくの親切心を断る元気があるなら、プラス10軒いけそうだな」
「え」


 い、いや。何でだよ。ただでさえ激務のなか外勤してんのに、さらに10軒も回ってられるか。

 俺は「いや」「あの」と言葉を探しながら、唇を震わせた。

 どう答えるのが正解なんだ。上司からの提案を断ればノルマを増やされて、承諾すれば俺のオタクライフが消え失せる。どっちに転んでも地獄じゃねぇか。


「ぁあ…えーと、その」


  俺は視線をうろうろさせた。オタクよ、考えろ。この場を切り抜けなければ、このセクハラ上司が決めた女性と暮らす生活が始まるぞ。
 嫌だ。嫌だ嫌だ。そんな生活は絶対嫌だ。女性のほうも、俺みたいな根暗オタクが旦那なんて絶対嫌に決まってる!

 俺が結婚したって、誰も幸せにならないぞ!

 そのときだ。上司のパソコンの画面が目に入った。どうにかして目の前に迫る緊急イベントを回避しなければならない。咄嗟に目に入った文字を、反射的に言葉にした。


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「お…俺、アンドロイドと暮らしてるんですよ」
「……は?」
「ら、らぶどーるってやつで、めちゃくちゃ可愛くて、あの子のおかげで毎日幸せーって感じで……」
「……可愛い…?幸せ…?」
「だ、だから、お、俺……結婚する気ありません!」

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