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一章
7a
しおりを挟む天気予報によると、本日は晴れのち雨。夕方から荒れた天気になるらしい。外回りをする営業マンにとって、悪天候は最悪だ。げんなりしながら、カーテンを開けた。
「こんなに晴れてるのになぁ」
窓から空を覗き込む。雲一つない青空だ。
《本日未明、都内の住宅で火事があり、焼け跡から1人の遺体が見つかりました。消防車9台が出動し、火は約2時間後に消し止められましたが、木造の住宅が焼け、焼け跡から性別不明の遺体が見つかりました。警察によりますと、この住宅に1人で暮らす40代の男性と連絡が取れていないと…―》
朝の支度を済ませて、テレビ画面をぼんやりと眺めた。淡々と言葉を紡ぐキャスターから、陽気な画面へと切り替わる。《今日の占いです!》と次々に表示されたのは、星座占いだ。
電源を切ろうとリモコンを持ったが、何となく手を止める。視線を滑らせて、うっ…と渋い顔をした。
「最下位……」
《蟹座の貴方!トラブルに巻き込まれるかも…。親切心はほどほどに!ラッキーアイテムはキーケース!刺激的な1日を楽しんで!》
俺は占いなどの類は信じないタイプだ。が、悪い結果だとちょっと気にしてしまう面倒臭いタイプである。
「キーケース……」
収納ボックスを開けてしゃがみ込む。
「……ないな」
『ヒロどうかした?』
すると耳朶に甘い声が落ち、腰に手が回る。
「いやテレビでさ―…っ」
振り返れば、美しい顔面がドアップで登場する。「わっ…」と声を上げたと同時に、ちゅっと唇同士が触れた。
ニコニコと微笑むナオは『おはようのキスまだだったから』と囁き、そのまま唇を啄ばむ。
ぬるっと舌が侵入してきたところで、ビクッと肩を跳ね上げ、立ち上がった。
「ま、待て待て待てっ」
『…どうしたの?キス嫌?』
距離を取ろうとする俺に対し、ナオは寂しげな声を漏らす。
「嫌…っていうか…」
慣れないんだよな…。指で頬を掻く。言葉を濁して、やんわりと距離を取った。
『何探してたの?』
「…キーケースを…ちょっと…」
『キーケース?』
「どっかにあったような気がしてさ」
数年前、取引先のお偉いさんからそんな感じの品を貰ったような気がする。やたらと気に入られていて「真山くんに似合うと思うよ」と手渡されたことを思い出した。そういえば、あの人、役員から退いたと風の噂で聞いたが病気にでもなったんだろうか。確かまだ40代で働き盛りだと思うが…
するとナオは小さく首を横に振る。
『ないよ。ヒロの部屋にある物体は全て把握してるから間違いない』
「そ、そうか?」
たぶんあると思うが―…
『ないよ』
「……」
そこまで断言するのなら、ないんだろう。俺の記憶違いだったか。まあ占いのラッキーアイテムくらいで時間を割いてもしょうがない。ぎこちなく頷き、収納ボックスを閉じた。
『…どうしてそんなの探してたの?』
「今日のラッキーアイテムなんだってさ」
ちょっと恥ずかしくなって笑いながら答える。するとナオはキョトンと目を瞬かせ、『ああ。テレビの占い?』と片眉を上げた。
「そうそう。今日の運勢最悪みたいだから、キーケースさんに幸せにしてもらおっかなーって」
冗談っぽく言えば、ナオはスッと目を細めた。
『ヒロ、ああいうの信じてるの?あんなのデタラメだよ』
「……え?あ、いや……」
ちょっとびっくりした。返ってきた声はとてつもなく低いものだった。そんなに強い口調で返されるとは思わず、目を丸くする。もちろんラッキーアイテムで幸せになれるなんて本気で思ってない。ああいうのはお守りみたいなもので、結局、自分の運勢を決めるのは日頃の行いだ。
空気が明らかに悪くなった。
…めちゃくちゃ滑ったみたいで、気まずい。
ソワソワしていると、ナオは人差し指をテレビに向ける。するとブチッと画面が暗転した。
『キーケースごときがヒロを幸運にできるわけない。ヒロを幸せにできるのは僕だけだよ』
ナオは無表情で言う。怒ってるような、そんな雰囲気を感じ取った。
「キーケースごときって……」
反応に困った。何で怒ってるのかと思えばそこか。まさかとは思うが、俺がラッキーアイテムに頼ろうとしたから嫉妬してんのか?無機物だぞ、と思うが、それを言うのならナオも無機物だ。同族嫌悪?いやでも人間にも妬いてるときがある。散歩中の犬を眺めながら「かわいいなー」と呟いたら『僕より?』と腕にしがみつかれたことも思い出した。ナオの嫉妬対象がよく分からない。
ナオは首を傾げる。
『どうして困った顔をするの?僕の発言に間違いがあった?』
「い、いや…特には…ない、けど」
『けど?』
尋問かよ。
冷や汗がたらりと流れた。そんなに怖い顔で聞き返さなくてもいいんじゃないだろうか。
「“キーケースごとき”って、言い方にさ、ちょっと棘があるかなぁと思って…」
目をうろうろさせながら答えると、『そう』と暗い声が落ちた。
『ヒロは優しいね。無価値な物体にも気を配れるなんて素敵だと思う。でもあれは気持ち悪かったよ。汚物だ。醜い人間の皮脂が付着してた。ヒロの持ち物としてふさわしくない』
早口に、ナオは言葉を並べる。
「え?…なんて―っ」
聞き返そうとしたときだ。手首を掴まれて、ぐわんと視界が揺れた。
「……っ…」
「あ」と声を発するより前に、壁に押し付けられ、唇が重なる。
「ふ、ぅ…」
『んっ』
唇の隙間からぬるりと侵入したのは舌だ。啄ばむような口付けはやがて深くなり、舌先同士が擦れ合う。ざらりとした感覚に背筋がゾクゾクと震えた。「ぅあっ」と変な声が漏れ、腰が抜けてしまう。
壁に伝うようにずるずると腰を落とす。ナオはそんな俺を辿るように腰を下ろし、壁に手をつく。
「…ふぅっん」
後ろは壁。左右はナオの腕があり、逃げ場がない。ナオの瞳には、苦しそうな表情を浮かべる俺が反射している。息ができないんだ。眉をグッと寄せる。「ナオ」と名前を呼ぶ声でさえも飲み込まれる。しばらくそれが続いて、必死に胸を叩いたら、ようやく唇が離れた。
「…ぷは……っ…はぁっ、い、いきなりっ…なんだ、よ…」
『ヒロ…、汚い言葉を遣ってごめんなさい』
「…ぇっ、あ、うん…」
別に怒ったわけじゃない。「気にしないでいい」と続けようとしたが、ナオの声によって遮られた。
『気持ち良くするから…許して…?』
「うん…っぇっ?」
ちゅ…、と唇が重なる。まだキスを続けるつもりか。これ以上キスをしたら酸欠になりそうだ。咄嗟に「ぅぎ…」と歯を食いしばったが、俺の抵抗は呆気なく破れ、ナオの舌が割って入る。
『ヒロ…舌出して…』
「…っぁ、ぇ」
『…そのほうが気持ち良いよ』
口調は優しいが、舌の動きは強引だった。目を合わせた状態で、舌の表面同士がざらりと合わさり、そのまま柔らかい裏筋を擦られる。
『目を瞑らないで。僕を見て』
「んうっ…」
『僕だけを感じて』
舌先がゆっくりと絡むたびに、くちゅりくちゅりと、唾液を掻き混ぜるような淫らな音が響く。甘い。ナオの口から分泌された液体だろうか。熱くて甘い粘液が体に注ぎ込まれる。
「ぁッ…ふっ」
『目を逸らしたら駄目だよ。もっと僕を見て…?』
次第に唇の感覚が麻痺し始めた。口を閉ざすことができない。熱い。唇が蕩けて、ナオとの境目が分からなくなる。まるで一つになってしまいそうな感覚だ。
「ぅあ…っ」
『キス…気持ち良いね』
「んんっ……」
『…もっと気持ち良いことする?』
涙で歪む視界の中で、うっとりと俺を見つめるナオ。その表情はひどく艶めかしい。局部の辺りがドクッと疼く。血液がそこに集まっていくのが分かった。
この疼きが何なのか。男なら嫌でも理解できる。
耳がカッと熱くなる。この状況はまずい。非常にまずい。流されたら駄目だ。てか出社前に何してんだ。ゆるゆると、震える手を上げる。ナオの肩を握って、ぐっと力を込めた。
「ナ、ナオっ…か、会社行くから…っ」
必死の思いでやっと隙間が生まれた。ぷはっ、と息を吸い込み、肩を上下させる。
『…かいしゃ?』
ナオは表情を無にして、暫し沈黙する。
それから心得たように、キュッと口端を上げた。
『ああ。会社』
「そうっ…だから、もう止めてくれっ……」
『ヒロは本当に仕事が好きだね』
「……え」
『分かった。ヒロが望むのなら朝のイチャイチャはここまでにする』
「……ぉぅ」
差し出された手を掴み、立ち上がる。“仕事好き”という、全面的に肯定し難い誤解を与えたようだが、なんとか解放される。てか“朝のイチャイチャ”って何だ。まるでノルマのように言う。まさか毎朝こんなことをするつもりか。第一、“イチャイチャ”、ってレベルじゃなくて、“捕食”って感じだったぞ……
なんであれ、解放に安堵する。
ホッと息を吐いた。
『ヒロが僕以外の物体を気にかけるから、つい嫉妬しちゃった。髪ぐちゃぐちゃになっちゃったね。直すよ』
「あ、うん……」
よろよろと玄関に向かう。まだ家も出ていないのに物凄い疲労感だ。げっそりしていると、髪を梳かれる。
すると足元からスルスルと音がした。視線を落とし、「ひっ」と小さく叫ぶ。
金属製っぽい見た目の細い管。見覚えしかない。それは先日俺を拘束したものだ。ナオの背部から伸びるそれは、蛇のように足首に巻きつきながら、上部へ這い上がってくる。
『今日は夕方から雨。湿度が高いから、強めの整髪料を吹き掛けるね』
「こ…これから出てくんの?」
『うん。ヒロの髪質に合う薬剤を調合した』
「へ、へえ…」と頷く。薬剤を調合するって。一体、ナオの体内はどういう仕組みになってるんだ。
『目瞑って』と言われて、言う通りに目を閉じれば、プシャッと飛沫が髪にかかった。
それは微かに甘い香りを放つ。
『うん。これで大丈夫。いってらっしゃい』
ちゅっ
最後の仕上げと言わんばかりに、ナオは俺の頬に唇を寄せる。「うっ…」と顔を顰めた。朝だけで何度キスをされたんだろう。もし俺が在宅勤務だったらとんでもない回数キスされてそうだ。頬をさすりながら、「…いってきます」と言う。
『寄り道したら駄目だよ』
玄関の扉が閉じる寸前、そんなナオの声が聞こえた。
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