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一章

7b

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 あちこちから着信音が響き渡るオフィスにて


「……」


 俺は戸惑っていた。出社してからというもの、やたらと視線を感じるのだ。右を見る。目が合う。目を逸らされる。左を見る。目が合う。目を逸らされる。…この繰り返しだ。何だこれ。虚無顔でシュレッダーに書類を押し込みながら考えた。

 そして暫く経ってハッとする。…ま、まさか先日の電磁波で、いよいよ俺の好感度は最下層へ…いや、地底を貫いてしまったのだろうか。

 あわあわと手を震わせた。そりゃそうだ。ただでさえ無能な会社のお荷物が電磁波放ちながら出社してきたらお荷物どころか粗大ゴミに降格だ。関わりも断ちたくなる。

 デスクに戻ろうとすると、営業事務の新人くんと目が合った。何か言いたげな表情だ。分からないことがあるのかもしれない。「どうした?」と眉を上げて反応すれば、シュバッと残像を残して、しきりの影に隠れる。


「お、おう……」


 よろ…と眩暈がした。なるほど。俺と関わりたくないことはよく分かった。

 でもそんなに激しく目を逸らさなくてもいいんじゃねぇか……

 肩を落としたまま便所に行く。傷ついた。俺は傷ついた。よろよろと逃げ込めば、先客がいた。すらりと長い手足に小さい頭。艶のある黒髪は天使の輪ができていてサラッサラだ。後ろから見ても顔面の良さが滲み出てる。


「なあ犬飼…俺の顔になんかついてるか?」


 弱々しくそう言って、小便器の前に立つ。ベルトを緩めると、隣に立つ犬飼はこちらを横目で見て、すぐに視線を戻した。


「…なんです?突然」
「いや…何となく……」


 パンツの前方を寛げて用を足す。尿道からちょろちょろと溢れる透明な液体を見下ろしながら言葉を続けた。


「なんというか……今日やたら見られるなぁーと思ってさ」
「……」


 犬飼は黙り込む。暫し沈黙が流れた。


「……あ、あはは…自意識過剰かな…」


 …な、何だこの空気………

 機嫌悪いのか?犬飼から何とも言えない黒い空気を感じた。カチャカチャとベルトを締めたかと思えば、そのまま手を洗い、ハンドドライヤーに手を突っ込んでいる。

 ブオーン…という風圧音がやけに大きく聞こえた。


「………」


 俺は心の中で号泣した。

 新人からは目を逸らされ…後輩には無視される俺って……


「……いきなり変なこと訊いてごめんな。今のは忘れてくれ…」
  

 …はぁ…くだらない会話してないで、さっさと外回り行くか。

 少し体を上げ下げして尿を最後まで出し切れば、ぶるっと身震いした。ふと顔を上げる。タイルの壁に犬飼が反射している。俺の下半身をチラリと見ては、小さく首を横に振り、くだらないと言わんばかりに肩をすくめる。何だその反応。“うわ、ちっさ…”とか思われてんのか。短小な自覚はあるが、その反応は地味に傷付くぞ。気付かぬフリをして、そのまま洗浄センサーに手をかざす。


「皆、ようやく気付いたんじゃないですか」
「へ…?」
「真山さんの魅力に」


 淡々と、犬飼はそう言う。


「み、魅力……?」


 声がひっくり返った。花のような顔から毒を吐く男こと犬飼がどういうわけか俺に気を遣ってやがる。明日は吹雪か。苦笑いしてベルトを締める。


「あはは……俺に一番欠落してるものだな」
「欠落してませんよ」
「うん?」
「表に出すのがド下手なだけです」


 蛇口で手を洗っていると、鏡越しに目が合う。犬飼は俺をジッと見つめてそう言った。ど、どうしたんだ。変なもんでも食ったか…?やけに真剣な様子だ。冗談を言ってる様子ではなかった。


「…真山さんに魅力がなかったら、俺は此処にいませんし……」
「……え?」


 犬飼は目を伏せて、それからパッと視線を戻した。


「ボサボサだった髪を整えて、スーツの裾直しもしたようですし…まあ…以前よりは仕事のできるサラリーマンに見えるんじゃないですか。営業事務の新人が言ってましたよ。真山さんがカッコ良くなったって」
「え、えええっ」


 なんだなんだ。明日は吹雪どころか、隕石でも降ってくるのか。

 “仕事のできるサラリーマンに見える”、“カッコ良くなった”だなんて初めて言われたぞ。まさか褒められるとは思うまい。「そ、そうか…?」と思わずニヤけそうになると、犬飼はつまらなそうな表情で呟いた。


「…負のオーラ全開の真山さんのほうが個人的には好きでしたけど」
「うん?」
「いつ死ぬんだろうって感じで可愛かったし」
「な…なんだって……?」
  

 ハンドドライヤーの音でよく聞こえなかった。聞き返せば、犬飼は小さく溜息を吐き、「何でもありません」と冷たい眼差しを向けてくる。褒めてきたり、睨んできたり、忙しい奴だな……

 俺はへらりと笑って、自分の頭を指差した。


「この髪な、ナオがやってくれたんだ」
「ナオ?」
「この前言ったろ、恋人型アンドロイド。ナオって名前なんだ。料理に洗濯に掃除に…、何でもできるんだ。凄いよな」
「……」
「スーツの裾直しは寝てる間にやってくれたんかな……」


 すると腕時計がブブッと振動した。目を落とす。画面上にはショタナオがちょこんと体育座りをしていて、コクッと首を縦に振る。まさか裾直しもできるとは。「ありがとな」と小声で言えば、ナオの目元がぽぽっとピンク色に染まる。

 ナオの頭の上に吹き出しが浮かんだ。《ヒロ好き》《ヒロ、カッコ良い》《好き好き》《お仕事がんばって偉い!》と次々に表示される。すると、チアで使用するようなポンポンが出現し、《フレー!フレー!》とぴょんぴょんジャンプし始める。周りに飛び散るハートが相まってめっちゃ可愛い。

 じーん…と目を閉じた。


「……これが癒しか…」
「…幸せそうな顔……」


 犬飼の声でハッと我に返る。画面越しのキャラを愛でる感覚で、思わず表情を崩壊させてしまった。だいぶキモい光景だっただろう。

 コホンッと咳払いして、表情を戻した。


「こ、恋人型だし……こういうの―……ってことは分かってるんだけど…まあ…これだけ尽くされたら嬉しいよな…」
「へえ」
「ひょっ…」


 びくっと肩を跳ね上げた。犬飼は、耳に吐息がかかる距離まで近寄ってきて、目を細める。
  

「…じゃあ俺が尽くしてあげましょうか?」
「……うん?」
「俺だったら“造られた愛”じゃありませんよ」
「…へ…?」

  
 その時だ。便所の入り口からバタバタと足音が聞こえた。


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