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一章
12b
しおりを挟む数時間後、携帯の通話画面を閉じた。着信履歴にはずらりと同じ名前が並んでいる。
《結城 将臣》
俺の上司である。
「真山さん」
「お?」
早朝ということもあり、サービスエリアはひっそりと静まり返っている。空は、少し湿っぽく、灰色の雲が広がっている。昨夜降った雨だろう。コンクリートの地面には水溜まりが所々に生まれていた。
「すみませんでした」
「………」
自販機の前で、飲み物を選ぶ。いつの間に近くに居たのか。犬飼がやって来て、頭を下げた。
「…なんでこんな嘘吐いたんだ……?」
少し苦笑いをして、訊いてみた。
問い詰めたいわけじゃない。単純に疑問だった。犬飼はこんなしょうもない嘘を吐くようなやつじゃない。
「それは……」
結局、展示会は来週に延期されていて、俺たちは展示サンプルを取りに行っただけに終わった。なんとも間抜けな蜻蛉返りだ。
営業事務の新人くんは、さぞ混乱したことだろう。延期したと思った展示会。それを犬飼から当然のように「明日の発注は?」と聞かれるんだ。
犬飼は社内で信頼されていて、殆どミスすることのない人間だ。そんな人間に問い詰められたら、自分のミスだと思い込んでしまうのも無理ない。
「分からないんです」
犬飼は目を伏せたまま、続ける。
「あの男と会ったときから真山さんを自分のものにしなきゃいけない、という気持ちになって……抑えが効かない妙な感覚に支配されたというか………―いいえ、すみません……何でもありません」
「………あの男?」
「弟の知り合いで―」
言いにくい内容なのか、そこまで続けて言い淀む。
涼しげな目元には薄っすらと隈がある。俺と比べれば可愛いもんだが、痛々しい。何やら色々と事情がありそうだ。
「へえ弟いるんだ」
犬飼は溜息混じりに頷いた。
「―…はい。…毎晩毎晩、アンドロイドと3Pしてる変態ですけど」
「お、おう……」
どんな深刻な話を切り出されるのか、と思ったら。とんでもないプライベートな内容だった。思わず笑顔が引き攣る。
…ん?
…待て。アンドロイドとの3P…?最近どこかで聞いたような…。
ぼんやりと黒髪の少年が脳裏をよぎる。
「…弟くん、犬飼に似てるのか?似てるならイケメンなんだろうな」
引っかかる点はあるが、それとなしに話題を逸らす。あまり“下”の話題で会話を広げたくない。すると犬飼は僅かに目を丸くし、そして頬をほんのりと桃色に染めた。
「……イケメン、ですかね」
そして唇を小さく尖らせて、目を伏せる。
不思議なやつだ。こういうときは素直に照れるらしい。
そんな犬飼を尻目に「まぁともかく」と自販機のボタンを押した。
腕時計を端末にかざせばピピッと支払いが完了する。
「俺は嘘が嫌いだ」
「……」
「だから、もう嘘は吐かないでくれ。…嘘吐いてもいいことねぇからさ」
ガタンっと落ちてきた缶コーヒーを拾い上げる。それを「ほい」と渡せば、犬飼は目を丸くした。
「……ありがとうございます」
「言っておくが、俺はお前の飲みかけで喜ぶ趣味はないからな」
先輩風を吹かす自分に恥ずかしくなって、冗談混じりにそう言う。
『ヒロ』と後方から声がする。ナオがこちらに向かって歩いてきていた。充電ステーションで自身のボディと車の充電を終わらせたようだ。ナオは犬飼の方をチラリと見たが、興味をなくしたように、すぐに視線を寄越した。
そして微笑む。
『帰ろう』
同時に、雲間から朝の陽光が差し込む。その光に反射して、ナオの銀髪が、まるで宝石の輝きを閉じ込めたかのように、キラキラと輝きを放つ。
……俺はこんな美しいアンドロイドと、昨夜…
「…っ……」
数時間前のことを思い出して、ぶんぶんと顔を振る。
後半の記憶は殆どない。俺の身体はとうとうぶっ壊れたらしい。射精ってあんなに何度もできるものなのか。次から次へと脳を溶かすような甘い刺激を与えられて、最終的には、自らの手で快楽を貪っていた。強制的に自慰行為をさせられているような、そんな感じだった。
快楽に溺れる俺に対して、ナオはウットリと目を細めて、ご満悦の様子だった。吐き出した精液は、すべてあの特殊な管で取り込み、『大切に使う』としきりに囁いていた。一体何に使うのやら。恐ろしくて訊くことはできていない。
『…ヒロ?』
ハッとして我に返る。
「いっ…今行く」と一歩踏み出したときだ。少し遠くから、水溜まりを踏んだ音だろう、バシャッと乱暴な音が聞こえた。
音を辿ると、男の姿が見えた。歳は俺と同じくらいか。高級そうな暗色のスーツを着た男だ。
こんな朝方に俺たち以外に人がいるとは思わなかった。
男を目で追う。
前髪で目元は見えにくいが、鼻筋は通っていて、輪郭や口元はすっきりとしていて、整った顔が想像できた。
「?」
俺は首を傾げた。
一瞬だが、彼がこちらを見て、笑ったような気がした。
彼の周りには透明な膜が張り巡る。やがて男は空間の中に溶け込むように、姿を消した。
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